「河野談話検証こそ反日行為だ」
「河野談話検証こそ反日行為だ」
朝日新聞をのぞく全国紙の7月18日付朝刊の広告欄に、桜井よしこ氏の半身像の写真が掲載された。
「『河野談話』の検証は、まだ終わっていません」とする全4段のスペースの意見広告で、「公益財団法人国家基本問題研究所」(東京都)が広告主である。
同研究所の理事長は桜井氏で、副理事長に田久保忠衛氏、役員に38名が名を連ねている。
広告の「意見」の真意で、河野談話の検証は継続してゆくべきで、談話作成に責任を負った河野洋平氏と外務省関係者らの国会での説明は不可欠だとしている。
過日、安倍政権が発表した談話検証結果を、南北両朝鮮と中国が批判し、米国も不快感を表明したことで安倍晋三首相は、態度を変えて、河野談話を尊重すると表明した。
つまり、河野談話の検証は、これ以降は行わない、と言ったのである。ところが、桜井氏らは、そうした安倍政権の対応に不満なのであろう。検証を継続せよと言っているのだ。
その結果を、来年の戦後70周年「首相談話」に反映させるようにと、安倍晋三氏にサインを送っているようでもある。
それはまた、河野談話の否定である。
河野談話――軍慰安婦への強制性を認めたことに対して、桜井氏らの陣営側が、従来から展開しているのは、分かりにくいところがある。(アジテータ的で、飛躍した表現になっているため)
軍慰安婦の存在を否定しているのか、旧軍の関与を全面否定しているのか、強制募集・連行がなかったと否定しているのか――以上すべての否定であるのかどうかが、はっきりしていない。
また、「事実無根」だと指摘している点についても、彼女たちが「セックススレーブ(性奴隷)」状態であったことなのか、朝鮮女性たちを強制連行した現場で指揮していたとする吉田清治氏の証言のことなのか、強制性を報道した朝日新聞の記事内容のことなのか、当時の宮沢政権の調査手法のことなのか――それら全てのことなのかが、はっきりしていない。
彼らが以前から展開していた議論は、強制性(連行・行為)、人数、旧軍の関与などを主張する論者たちに対して、その一次資料・証拠を示せ、それが提出できないのは、単なる風聞で信憑性に欠けるとして、軍慰安婦たちの存在を否定してきた。(特に、元慰安婦たちの証言がないとして)
河野談話が出てきた背景には、その歴史必然性と政治的成熟度と共に、元慰安婦たちの心象整理との整合性の時間が重なったためであった。
その交差点が91年、92年頃であった。
従って、河野談話の作成と発表は、元慰安婦たちが自らの苦渋体験の一部を、語り出せる政治・社会風景になったことを反映している。
彼女たちが自らの「恥部」を言葉にするまでに、50年近い歳月を必要としたことを、何人も、日本人であるならば重く受け止めなければならないだろう。
どの時代、どこの国・地域においても、女性が「性」を売買せざるを得なかったことは、本人とその家族にとって、どれほどの苦痛であったことか。
公娼制度時代の日本でも、彼女たちが存在する場所を「苦界」と表現していた。
誰ひとり、「軍慰安婦」になることを肯定して、進んでそれに応募する者など、居るはずがない。
まして儒教社会・精神が濃厚な朝鮮・中国にあっては、それは自死をすら意味していた。
手練手管を使っても、集まらなかったがため、警察権力を使っての、「強制」で員数を揃えたというのが真相である。
彼女たちもまた、名乗り出て声を上げるのに50年近くもかかり、高齢となり、身寄りを失った後、自己の存在を証明することで、日本の破廉恥な過去を告発することができたという背景の理解が必要である。
当時の河野洋平官房長官が、元慰安婦たちのひとりひとりを捜し出し、彼女たちからの聞き取りをしていなかったとしても、それを「政府は調査をしていませんでした」とは言えない。
旧軍が慰安婦たちを戦場に連れていた、旧軍の命令で朝鮮や中国、占領地の女性たちを連行し、性を強要した旧軍人たちがいた――それが事実であり、それら事実から導き出されて河野談話が発表されたのだ。
意見広告の最後にある「事実こそが反日宣伝から日本を守るのです」とのフレーズは、彼らの常套句になっている。
「事実」とは、現実に起こった事柄であって、それを勝手に解釈することは許されない。
また、彼らが言う、「反日宣伝」とは、どのような類のもとを指しているのだろうか。
日本国家、または時々の政権の政策に異論を唱えたり、行動したりすることを「反日」と考えているのだろうか。もしそうであるなら、それは国家主義的思考とつながっている。
国家主義とは、国家機構(国家権力)の中核たる公的制度を強化していく支配機構にことである。
軍隊、警察などの武装集団、裁判所、刑務所など強制施設、官僚制度の強化、人民に対する高い租税徴収などによって国家権力を強化していくのだ。
現実の安倍政権が推進している、国家情報の独占とコントロール、自衛隊の軍隊化、消費税アップ、医療・介護制度の破壊政策などが、まさに国家主義の姿といえる。
桜井氏らの「国家基本問題研究所」は、そのような安倍政権を擁護し、「日本を守る」と主張しているようにも聞こえる。
広告では、「日本を変えていくため」の会員を、募集している。
安倍政権の応援団よろしく、河野談話や村山談話を批判していたところまではまだ、右側の主張として聞くことはできた。
しかし、広く国民に「同志」を求め、一つの集団、勢力となろうとしていることは、安倍政権の独走と同じく、彼らもまたある「目的」をもった一歩を踏み出したようで、警戒する必要がある。
2014年7月21日 記
朝日新聞をのぞく全国紙の7月18日付朝刊の広告欄に、桜井よしこ氏の半身像の写真が掲載された。
「『河野談話』の検証は、まだ終わっていません」とする全4段のスペースの意見広告で、「公益財団法人国家基本問題研究所」(東京都)が広告主である。
同研究所の理事長は桜井氏で、副理事長に田久保忠衛氏、役員に38名が名を連ねている。
広告の「意見」の真意で、河野談話の検証は継続してゆくべきで、談話作成に責任を負った河野洋平氏と外務省関係者らの国会での説明は不可欠だとしている。
過日、安倍政権が発表した談話検証結果を、南北両朝鮮と中国が批判し、米国も不快感を表明したことで安倍晋三首相は、態度を変えて、河野談話を尊重すると表明した。
つまり、河野談話の検証は、これ以降は行わない、と言ったのである。ところが、桜井氏らは、そうした安倍政権の対応に不満なのであろう。検証を継続せよと言っているのだ。
その結果を、来年の戦後70周年「首相談話」に反映させるようにと、安倍晋三氏にサインを送っているようでもある。
それはまた、河野談話の否定である。
河野談話――軍慰安婦への強制性を認めたことに対して、桜井氏らの陣営側が、従来から展開しているのは、分かりにくいところがある。(アジテータ的で、飛躍した表現になっているため)
軍慰安婦の存在を否定しているのか、旧軍の関与を全面否定しているのか、強制募集・連行がなかったと否定しているのか――以上すべての否定であるのかどうかが、はっきりしていない。
また、「事実無根」だと指摘している点についても、彼女たちが「セックススレーブ(性奴隷)」状態であったことなのか、朝鮮女性たちを強制連行した現場で指揮していたとする吉田清治氏の証言のことなのか、強制性を報道した朝日新聞の記事内容のことなのか、当時の宮沢政権の調査手法のことなのか――それら全てのことなのかが、はっきりしていない。
彼らが以前から展開していた議論は、強制性(連行・行為)、人数、旧軍の関与などを主張する論者たちに対して、その一次資料・証拠を示せ、それが提出できないのは、単なる風聞で信憑性に欠けるとして、軍慰安婦たちの存在を否定してきた。(特に、元慰安婦たちの証言がないとして)
河野談話が出てきた背景には、その歴史必然性と政治的成熟度と共に、元慰安婦たちの心象整理との整合性の時間が重なったためであった。
その交差点が91年、92年頃であった。
従って、河野談話の作成と発表は、元慰安婦たちが自らの苦渋体験の一部を、語り出せる政治・社会風景になったことを反映している。
彼女たちが自らの「恥部」を言葉にするまでに、50年近い歳月を必要としたことを、何人も、日本人であるならば重く受け止めなければならないだろう。
どの時代、どこの国・地域においても、女性が「性」を売買せざるを得なかったことは、本人とその家族にとって、どれほどの苦痛であったことか。
公娼制度時代の日本でも、彼女たちが存在する場所を「苦界」と表現していた。
誰ひとり、「軍慰安婦」になることを肯定して、進んでそれに応募する者など、居るはずがない。
まして儒教社会・精神が濃厚な朝鮮・中国にあっては、それは自死をすら意味していた。
手練手管を使っても、集まらなかったがため、警察権力を使っての、「強制」で員数を揃えたというのが真相である。
彼女たちもまた、名乗り出て声を上げるのに50年近くもかかり、高齢となり、身寄りを失った後、自己の存在を証明することで、日本の破廉恥な過去を告発することができたという背景の理解が必要である。
当時の河野洋平官房長官が、元慰安婦たちのひとりひとりを捜し出し、彼女たちからの聞き取りをしていなかったとしても、それを「政府は調査をしていませんでした」とは言えない。
旧軍が慰安婦たちを戦場に連れていた、旧軍の命令で朝鮮や中国、占領地の女性たちを連行し、性を強要した旧軍人たちがいた――それが事実であり、それら事実から導き出されて河野談話が発表されたのだ。
意見広告の最後にある「事実こそが反日宣伝から日本を守るのです」とのフレーズは、彼らの常套句になっている。
「事実」とは、現実に起こった事柄であって、それを勝手に解釈することは許されない。
また、彼らが言う、「反日宣伝」とは、どのような類のもとを指しているのだろうか。
日本国家、または時々の政権の政策に異論を唱えたり、行動したりすることを「反日」と考えているのだろうか。もしそうであるなら、それは国家主義的思考とつながっている。
国家主義とは、国家機構(国家権力)の中核たる公的制度を強化していく支配機構にことである。
軍隊、警察などの武装集団、裁判所、刑務所など強制施設、官僚制度の強化、人民に対する高い租税徴収などによって国家権力を強化していくのだ。
現実の安倍政権が推進している、国家情報の独占とコントロール、自衛隊の軍隊化、消費税アップ、医療・介護制度の破壊政策などが、まさに国家主義の姿といえる。
桜井氏らの「国家基本問題研究所」は、そのような安倍政権を擁護し、「日本を守る」と主張しているようにも聞こえる。
広告では、「日本を変えていくため」の会員を、募集している。
安倍政権の応援団よろしく、河野談話や村山談話を批判していたところまではまだ、右側の主張として聞くことはできた。
しかし、広く国民に「同志」を求め、一つの集団、勢力となろうとしていることは、安倍政権の独走と同じく、彼らもまたある「目的」をもった一歩を踏み出したようで、警戒する必要がある。
2014年7月21日 記