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「朝鮮問題へのレッスン第2部:朝鮮戦争を考える」18.停戦協定の締結

18.停戦協定の締結

 前文5条63項からなる軍事停戦協定(朝鮮における軍事休戦に関する、一方国際連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令官との間の協定)が53年7月27日の22時、板門店で調印され、同時に発効された。

 開戦後3年1カ月、休戦会談開始後2年1カ月にして、それも完全な停戦ではなく、休戦状態での終結であった。

 第1条(軍事境線および非武装地帯)、第2条A(総則)、B(軍事休戦委員会)、C(中立国監視委員会)、第3条(捕虜に関する取決め)、第4条(双方の関係政府に対する勧告)、第5条(雑則)に加え、付属書と軍事休戦協定補足暫定協定からなり、これらは「国連軍」、朝鮮人民軍、中国人民志願軍の3者によって署名された国際協定である。

 署名の3者は、
 朝鮮 人民軍最高司令官朝鮮民主主義人民共和国元帥 金日成
 中国人民志願軍司令官 彭徳懐
 国際連合軍司令部総司令官合衆国陸軍大将 マーク・W・クラーク

 列席者は、
 朝鮮人民軍および中国人民志願軍代表団主席代表朝鮮人民軍陸軍大将 南日
 国際連合軍司令部代表団主席代表合衆国陸軍中将ウイリアム・K・ハリソン。

 板門店北側の建物で、南日とハリソンが18種の停戦協定に署名。

 その後、文山で米軍のクラークが、平壌で中国の彭徳懐が署名して成立した。

 この軍事停戦協定は、朝鮮半島における交戦状態の停止だけを定めたのではなく、第4条の内容が重要で、そのことを誠実に実施することによって、これが「休戦協定」か「停戦協定」かの性格の違いが出てくる。

 第4条は「朝鮮問題の平和的解決を確保するため、双方の軍司令官は、双方の関係国の政府に対して、休戦協定が署名され、効力を生じた後3カ月以内に、これらの国の政府がそれぞれ任命する代表により一層高級な政治会談を開催してすべての外国軍隊の朝鮮からの撤退、朝鮮問題の平和的解決その他の諸問題を交渉により解決するよう勧告する」としている。

 つまり、軍事停戦協定締結の3カ月後、両国は政治会議を開催し、朝鮮半島から外国軍隊の撤退と平和問題の協議と解決することを、勧告されたのである。

 しかし米韓双方は、53年10月(停戦協定3カ月目)に米韓相互防衛条約を締結し、朝鮮問題の平和的解決を議題とするジュネーブ会議(54年4月)でも、国連の権限による選挙プランを主張して、協議そのものを決裂させた。

 軍事停戦協定による軍事境界線(MDL)は、38度線に沿ってではなく、西部戦線では北部(板門店を基点に、開城が北に文山が南になった)へと、東部戦線(文登里を基点に高城が北に杵城が南になった)では逆に南部に突き出ていた。

 その線が、協議時での接触線であった。

 両軍はその接触線の中間線をMLDとし、それを基線として、互いに2キロずつ後退し、幅4キロの非武装地帯(DMZ)を構築した。

 MDL以南のDMZの民政と救済については、国連軍司令部総司令官が責任を負い、それより以北については、朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令官が共同で責任を負うとした。(第1条第10項)

 また、DMZ内での敵対行為を禁じ(第1条第6項)、いかなる軍人も文民も軍事停戦委員会の許可なくMDLを越境したり、DMZ内に立ち入ることを禁じた。(第1条第7項および第8項)

 しかし米軍からの違反行為が頻発していて、新しい「非武装化」条項の必要性が論じられるほど、条約違反が「現実化」している。

 MDLは、開戦前とほぼ同じ線に引かれた。

 このため勝者なき戦争であったと言われているが、当事者たちの印象は違っていた。

 ただ一人、敗北の弁を述べていたのは、「国連軍」および米軍を代表して停戦協定に調印したW・マーク・クラークであった。

 クラークは『韓国戦争秘史』で、次のように慨嘆している。

 「われわれは、敵が敗北しないまま、しかも以前よりさらに強力で脅威的な存在として残っている意味では敗北したことになる」

 「誤って選んだ場所で、誤って選んだ時期に、それも誤って選んだ敵を相手にして、誤って選んだ戦争をしてしまった」

 「私は勝利のない休戦に調印したアメリカ最初の将軍である」

 ところが韓国軍側では、「ソウルを確保し、韓半島全体の共産化を防いだ点では勝利だ」(白善華、韓国陸軍参謀総長談)と、ソウルを確保したことを実感していた。

 それもそうだろう、首都ソウルが2度にわたって陥落され、それを奪還するために戦った軍人としての思いが強く出ている。

 ところが李承晩のみは、戦争を終わらせたくなくて休戦会談に反対して、ひとり「北侵」を主張していた。

 米国も苦慮し、「米韓相互防衛条約」(53年10月)を結び、同時に彼に轡をはめた。

 「韓国の安全は、国連軍が保障する」
 「休戦合意にある南北政治会談が進展を見ない場合は、90日後に中止する」
 「今後、韓国は休戦にいっさい反対しない」一との、米軍駐屯との約束との引き換えで、停戦には従うとの態度を取るようになった。

 一方で朝鮮と中国側は、勝利を宣言した。

 朝鮮側は、朝鮮半島の侵略を意図した米帝国主義を粉砕し、社会主義祖国の地を守ったことから。

 中国側は、参戦を決意したのが、朝鮮半島を主戦場とした米帝国主義の対中国侵略計画を打破するためであったから、その米国の「対中侵略計画」を阻止したことで勝利だとしている。

 だが、それぞれの思惑と意図とは別に、38度線を挟んでの朝鮮半島の南北分断状況は、開戦前と何も変わってはいないこと。

 それと政治的危機に陥り崩壊寸前であった李承晩政権を一時的に救い、その後の12年間の独裁体制に道を開いたことも、記憶しておく必要があった。

 戦争中、核兵器使用を計画していた米軍は、あらゆる銃火器、近代兵器を投入し、毒ガスや細菌兵器など新開発兵器の実験場として、夥しい物量戦を展開した。

 そのため、直接戦闘には参加していない一般住民の犠牲者が多く、被害数字を大きくした。

 現在発表されている被害数字は、北側と南側とでは、若干の違いがある。(南の場合、その発表機関によっても違いがある)

 1.1970年の南朝鮮政府の報告。
 *韓国側の人的被害。
 民間人 死者/37万3599人、負傷者/22万9652人、行方不明/38万7744人
 軍隊 死者/3万6813人、負傷者/11万4816人、行方不明/6198人

 *北側の人的被害
 民間人 死傷者・行方不明/270万人
 軍人 同じく60万人超

 *中国軍の人的被害
 死傷者・行方不明/ほぼ100万人

 *それ以外に、500万人もの人々が越境し、計1千万人余もの離散家族が誕生した。

 2.「統一朝鮮新聞」発表(1970年6月)
 *韓国側の被害数字
 民間人 死者/37万3599人、負傷者/22万9652人、行方不明/38万7744人(北への拉致8万4532人)
 合計/99万995人

 軍人 死者/22万7748人、負傷者/71万7083人、行方不明/4万3572人
 合計/98万8403人

 国連軍 死者/3万6813人(米軍3万3619人)、負傷者/11万4816人、行方不明/6198人
 合計/15万7827人

 *北朝鮮側の被害数字
 民間人 死者/40万6000人、負傷者/159万4000人、行方不明/68万人(南下難民を含む)
 合計/268万人

 軍人 死者/29万4151人、負傷者/22万5849人、行方不明/9万1206人(捕虜を含む)
 合計/61万1206人

 中国軍 死者/18万4128人、負傷者/71万5872人、行方不明/2万1836人(捕虜を含む)
 合計/92万2836人

 3.共和国側の発表(南側の数字)
 *兵力/40万5000余人の米軍を含む156万7000余人を投入した

 *兵器/1万2200余の飛行機、560余隻の各種艦船、3250余台の戦車および装甲車の投入

 *戦費/1650億ドルの軍事費を使い、膨大な戦闘技術機材と軍需物資を失っている。


 以上、3年余の朝鮮戦争における米帝国主義の兵力と軍需物資。

 機材の損失し、第2次世界大戦当時の4年間、太平洋戦争で被った損失のおおよそ2、3倍に達していたことを発表している。

 これらの数字上からだけでも、いかに朝鮮戦争の3年間余が、激しい戦場であったかが理解できるだろう。

 また、641人もの在日韓国青年学生たちが、6次に分かれて義勇軍として参戦(第1次と第2次が仁川上陸作戦に参加している)していたことを忘れてはいけない。

 *さて、日本とドイツの戦争責任を裁くために連合国4カ国(米英仏中=国民党政府)は45年8月8日、「国際軍事裁判所条例」を決めて国際裁判にかけた。

 A項に侵略戦争の計画、準備、開始もしくは遂行などの平和に対する罪、B項に戦争の法規又は慣例の違反など通例の戦争犯罪、C項に民間人に対して行われた殺人、奴隷化、追放及びその他の人道に対する罪を定めた。

 B項とC項は、一般民衆に対する残虐行為、集団的な住民虐殺、虐待致死、一般住民への攻撃、生活関連施設への爆撃などが含まれている。

 米国は、以上の項目を日本の軍人・軍属(朝鮮人、台湾人を含む)を戦争犯罪人に指定して裁き、処刑した。

 では朝鮮戦争での米軍の行為、一般住民への殺害や銃撃、一般住民への集団的虐殺、生活施設への爆撃や破壊は、戦争犯罪にはならないのか。

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