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「靖国神社の政治利用は止めよ」

「靖国神社の政治利用は止めよ」

 
 靖国神社の春季例大祭が4月21日から始まった。

 新藤義孝総務相が12日に、古屋圭司国家公安委員長が20日に、安倍政権の2閣僚がそれぞれ参拝した。

 当の安倍晋三首相本人は21日、「内閣総理大臣、安倍晋三」名の真榊(まさかき)を奉納した。

 そのことで参拝を見送ったと、内外の批判をかわそうとしているようだ。

 真榊とは、椿科の常緑小高木のサカキで、その枝葉に三種の神器(剣、鏡、勾玉)と5色の絹布をつるしたものである。

 それを神への供物(おみやげ)として、神殿に奉納するのだが、本人が持参しない場合は、代参に当たる。つまり、真榊の奉納は、神社に参拝したことと同じ行為なのである。

 それを、真榊の奉納だけだから、靖国神社への参拝を回避したとの説明は、日本人的詭弁にしか過ぎない。

 やはり、超党派の「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」も22日、与野党国会議員147人が集団で参拝した。

 100人を超える集団参拝は、昨年の168と今年だけで、ともに安倍政権時である。

 しかもその中に、政府側の副大臣、補佐官が多く参加していて、まるで安倍政権の「代参」をしているようで、それだけでも政権のナショナリズム的性格が表現されている。

 参拝者たちは、「いろいろ言われる筋合いではない。平和を祈念するのは当たり前の行為だ」(衛藤晟一首相補佐官)、「私的参拝が米大統領来日と直接関係すると考えない」(新藤義孝総務相)などと、私的参拝、国家に殉じた魂への尊崇だと、いつも判で押したようにうそぶいている。

 靖国神社とは何なのか。

 明治政権が1869年に招魂社として創建し、79年に靖国神社と改称した。

 靖国の意味は国を安らかに治めることで、幕末の「国事殉難者」と戊辰戦争の官軍側の死者から始まり、明治以降の戦没者を護国の「英霊」として合祀することになった施設(神社)。

 戦前は、天皇崇拝と軍国主義普及の中核的施設として、国民教育上大いに利用してきた。

 戦後は、単立宗教法人として存続したが、60年代以降、神社側と戦没者遺族会、さらに右派勢力側が、靖国神社の国家護持(戦前回帰)を要求する動きが強まっていった。

 そうした動きに従って、政治家や地方自治体関係者の参拝行動が増え、玉串料などの公費支出が問題化した。

 靖国神社参拝が政治問題化するのは、A級戦犯が合祀された事実が判明してからである。

 東京裁判で死刑の判決を受けたA級戦犯たちは、侵略戦争の責任者として裁かれ、処刑された。

 その彼らを祭神にした靖国神社は、それ以前の神社とは性格を異にする。

 つまりは、日本の侵略戦争を肯定する施設へと変化したのである。

 その施設に、国家の政治指導者たちが参拝することは、過去の侵略戦争を反省せず、新しい戦争準備を「祭神」たちに誓っている姿勢になっている。

 特に、日本に侵略されたアジア各国には、現在の靖国神社は侵略の象徴に見えてしまうのだ。

 「歴史に対する誤った態度を反映している」(中国)、「時代錯誤的な行為で、嘆かわしい」(韓国)と、彼らの抗議と批判は、強くなるのは当然である。

 靖国神社参拝者たちが必ず言い訳する、「個人の信仰の問題」「国家のために犠牲となられた」などとの発言は、A級戦犯合祀以前であれば、いいだろう。

 神社側は、祭神は分離できないと言っている。

 古代からの神社神道史では、時の政治権力者によって、祭神の離合集散もあり、神社の盛衰はいくらでも記録されている。

 ひとり靖国神社だけを例外扱いにすることが、そこに政治力が働いているからであろう。

 侵略戦争の指導者たちを祭神にし、政治家たちが、尊崇行為を繰り返している行為は、どう考えてみても「不戦の誓い」や「平和の誓い」をしていることなどと言うことは、世界や日本国内では通用しない。

 どうしても靖国神社に参拝したいのなら、A級戦犯の合祀を外してからにしろ!

                                          2014年4月23日 記

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愛媛現代朝鮮問題研究所のブログです。

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