「朝鮮問題へのレッスン第2部:朝鮮戦争を考える」14.住民虐殺事件
14.住民虐殺事件
朝鮮戦争は、最も「汚い戦争」(ギャヴァン・マコーマック)だと言われている。
それは米軍による一般市民への射殺、爆撃、ナパーム弾や細菌弾の投下のほか、一般住民たちへのむごい残虐行為が、米軍が侵攻した地域では必ず、日常的に行われていたからでもある。
米軍が仁川から上陸して以降、米軍と「韓国軍」が侵攻した後の地域(南北を問わず)では必ず、戦闘とは何の関わりもない住民たちの数百数千もの惨殺された死体が発見されている。
1 開戦数日後にソウルを占領・解放した人民軍は先ず、獄門に閉じ込められていた政治犯たちを釈放した。
しかし漢江以南の政治犯たちは、李承晩政権と軍警によって、彼ら自身の墓穴を掘らされ、そこで銃殺されて埋められている。釜山、大田、居昌(コチャン)などの地域では、全政治犯を「共産主義者」たちを処刑するのだとして虐殺した。
そこには、それを目撃していた女性や子供たちまでが含まれていた。(停戦後に掘り出された遺体、遺骨などから判明している)
こうした犠牲者たちは、恐らく10万人は下らないだろうと言われている。
ところが、その虐殺遺体を写真に撮って、それが共産主義勢力者らの仕業であると、逆の証拠を示して吹聴している。
2 米軍の仁川上陸(50年9月)後、人民軍が後退を余儀なくされて、「国連軍」の攻勢によって奪回された北の、とくに信川(シンチョン)郡、黄海(ホァンヘ)道地域は過酷な報復を受けている。
例えば黄海道信川郡。黄海道だけでも12万人余もの住民が、信川郡では住民の4分の1にあたる35000人以上もの人々が、虐殺されている。
その方法もまた、野獣じみたものであった。
米兵たちは、戦闘員ではない一般住民を銃殺、撲殺、絞殺、生き埋めにし、生きた人間の鼻と耳を針金を通して引き回した揚げ句に殺し、眼球をくり抜き、乳房を切り取り、頭や全身の皮膚をはいで殺し、唇をえぐり、舌を切って殺し、斧で手足を打ち切り、身体を鋸で引いて殺し、まき束の上に立たせて火あぶりにして殺し、熱湯に投げ込み、十字架に身体を釘で打ち付けて殺し、戦車でひき殺す(『現代朝鮮史』平壌1979年刊から)などと、聞くに身の毛のよだつ残忍きわまりない方法で、人民たちを虐殺している。
朝鮮の要請で51年5月、信川郡を含む黄海道一帯を調査した「国際住民法律家協会調査団」は、以下のように報告している。
「アメリカ軍と李承晩軍が一時占領していた地域では、数十万の平和的住民が家族もろとも、老若を問わず拷問をうけ、焼き殺されなぐり殺され生き埋めにされた。
その他に数千人の人々がなんの罪もなく、なんらの根拠も裁判も判決もないまま狭い監房で寒さと飢えにたおれた。
このような集団的殺裁と集団的拷問は、ヒトラー・ナチスがヨーロッパの一時的占領地域で犯した蛮行よりさらにひどいものである」とした。
さらに52年3月の報告。「婦人と子供を含む朝鮮の一般住民にたいするアメリカ軍の大量殺裁と個別的虐殺および獣的行為の証拠は、その犯罪の量においても、また、彼らが使用した方法の多様性においてもかつて例のないものである」。
以上、米国の汚い戦争犯罪を告発している。
そればかりか米軍は航空機と機銃掃射を使って、北朝鮮を「地図の上から消す」「焦土化作戦」「絞殺作戦」を強行した。
米軍の作戦目的は、北朝鮮の78の都市を完全に破壊し、いっさいの生物と物体の徹底的な抹殺で、朝鮮人から戦意を喪失させることにあった。
「絞殺作戦」は、後方を廃嘘に変えて、前線と後方の連携を切断し、補給物資や増援部隊が前線に到達することを阻止して、人民軍を「絞殺」することが目的であった。
その目的に従って、廃嘘と化した都市はいうに及ばず、山奥の細道、小川の石橋、草をはむ子牛、洗濯をしていた女性、登校中の子供たち、赤ん坊までが爆撃と機銃掃射の的にしている。
平壌市の場合は、1952年の1年間だけで5万2380余個の各種爆弾が投下され、戦争の3年間には実に42万7800余個の各種爆弾とナパーム弾が投下された。
これは当時の人口一人当たり1個、平方キロメートル当たり8000個の爆弾が投下されたことになる。
米国の最も帝国主義者たる行為こそ、人民生活と直接つながる発電所、貯水池、ダムなどを集中して爆撃し破壊したことである。
52年6月以降、朝鮮最大の水力発電所であった水豊発電所を爆撃し、次いで長津江、赴戦江、虚川江の各発電所を空襲して、ダムと発電施設を破壊した。
53年からは特に貯水池を狙って爆撃し、多くの農民を直接殺害しただけではなく、集落を水浸して、数年間にわたる穀物生産を出来なくしている。
以上の米国の蛮行を、同じ米国の歴史学者が批判をしている。
「アメリカ帝国主義侵略者が3年1カ月間の朝鮮戦争の間に、北朝鮮の狭い地域に投下した爆弾は、彼らが3年8カ月の太平洋戦争で太平洋地域の各国に投下した爆弾の総トン数に匹敵し、第2次大戦中ドイツに投下したそれを上回った。
…米軍が朝鮮人に向けて発射したロケット弾その他の弾丸総数は2億2156万3000発に達し、ほかにアメリカ艦船から43万8000トンの砲撃と400万発の弾丸が発射された」(ハーシェル・メイヤー著『アメリカ現代史』日本語版)
その上にまだ、細菌弾を投下して、朝鮮人民に各種疾病の苦しみを与えている。
沖縄米軍基地を飛び立ったB29爆撃機は51年11月頃から、細菌弾を投下する細菌戦を開始している。
52年5月下旬からは規模を拡大して、細菌汚染地域を広げていく作戦を行っている。
投下された細菌弾にはハエ、ノミ、クモ、ナンキン虫、蚊、シラミ、甲虫、コオロギなどの有害昆虫が詰め込まれていて、これらの昆虫はコレラ、ペスト、チフスなど、各種の伝染病菌を保有していて、地域住民たちに伝染病を感染させ生命まで奪った。
スウェーデン、フランス、イギリス、イタリア、ソ連、中国などの著名な生物学者からなる「国際科学調査団」は、調査報告を52年8月31日に発表して、アメリカによって「このような非人間的方法が実際に使用された」と指摘し、細菌戦の方法は第2次世界大戦当時に日本軍が使用した方法を発展させたものだと述べた。
以上のように米軍の蛮行内容は、記録する者が反吐を催すほどの酷いものであった。
こうした帝国主義的蛮行は、その後もベトナム、カンボジア、イラク、アフガニスタンなどで、米軍兵士が立っていた地域からは必ず告発されている。
それらの告発を、国連機関は今も黙殺したままであり、米国は逆に相手側の犯行であるかのようにして宣伝している。
朝鮮戦争は、最も「汚い戦争」(ギャヴァン・マコーマック)だと言われている。
それは米軍による一般市民への射殺、爆撃、ナパーム弾や細菌弾の投下のほか、一般住民たちへのむごい残虐行為が、米軍が侵攻した地域では必ず、日常的に行われていたからでもある。
米軍が仁川から上陸して以降、米軍と「韓国軍」が侵攻した後の地域(南北を問わず)では必ず、戦闘とは何の関わりもない住民たちの数百数千もの惨殺された死体が発見されている。
1 開戦数日後にソウルを占領・解放した人民軍は先ず、獄門に閉じ込められていた政治犯たちを釈放した。
しかし漢江以南の政治犯たちは、李承晩政権と軍警によって、彼ら自身の墓穴を掘らされ、そこで銃殺されて埋められている。釜山、大田、居昌(コチャン)などの地域では、全政治犯を「共産主義者」たちを処刑するのだとして虐殺した。
そこには、それを目撃していた女性や子供たちまでが含まれていた。(停戦後に掘り出された遺体、遺骨などから判明している)
こうした犠牲者たちは、恐らく10万人は下らないだろうと言われている。
ところが、その虐殺遺体を写真に撮って、それが共産主義勢力者らの仕業であると、逆の証拠を示して吹聴している。
2 米軍の仁川上陸(50年9月)後、人民軍が後退を余儀なくされて、「国連軍」の攻勢によって奪回された北の、とくに信川(シンチョン)郡、黄海(ホァンヘ)道地域は過酷な報復を受けている。
例えば黄海道信川郡。黄海道だけでも12万人余もの住民が、信川郡では住民の4分の1にあたる35000人以上もの人々が、虐殺されている。
その方法もまた、野獣じみたものであった。
米兵たちは、戦闘員ではない一般住民を銃殺、撲殺、絞殺、生き埋めにし、生きた人間の鼻と耳を針金を通して引き回した揚げ句に殺し、眼球をくり抜き、乳房を切り取り、頭や全身の皮膚をはいで殺し、唇をえぐり、舌を切って殺し、斧で手足を打ち切り、身体を鋸で引いて殺し、まき束の上に立たせて火あぶりにして殺し、熱湯に投げ込み、十字架に身体を釘で打ち付けて殺し、戦車でひき殺す(『現代朝鮮史』平壌1979年刊から)などと、聞くに身の毛のよだつ残忍きわまりない方法で、人民たちを虐殺している。
朝鮮の要請で51年5月、信川郡を含む黄海道一帯を調査した「国際住民法律家協会調査団」は、以下のように報告している。
「アメリカ軍と李承晩軍が一時占領していた地域では、数十万の平和的住民が家族もろとも、老若を問わず拷問をうけ、焼き殺されなぐり殺され生き埋めにされた。
その他に数千人の人々がなんの罪もなく、なんらの根拠も裁判も判決もないまま狭い監房で寒さと飢えにたおれた。
このような集団的殺裁と集団的拷問は、ヒトラー・ナチスがヨーロッパの一時的占領地域で犯した蛮行よりさらにひどいものである」とした。
さらに52年3月の報告。「婦人と子供を含む朝鮮の一般住民にたいするアメリカ軍の大量殺裁と個別的虐殺および獣的行為の証拠は、その犯罪の量においても、また、彼らが使用した方法の多様性においてもかつて例のないものである」。
以上、米国の汚い戦争犯罪を告発している。
そればかりか米軍は航空機と機銃掃射を使って、北朝鮮を「地図の上から消す」「焦土化作戦」「絞殺作戦」を強行した。
米軍の作戦目的は、北朝鮮の78の都市を完全に破壊し、いっさいの生物と物体の徹底的な抹殺で、朝鮮人から戦意を喪失させることにあった。
「絞殺作戦」は、後方を廃嘘に変えて、前線と後方の連携を切断し、補給物資や増援部隊が前線に到達することを阻止して、人民軍を「絞殺」することが目的であった。
その目的に従って、廃嘘と化した都市はいうに及ばず、山奥の細道、小川の石橋、草をはむ子牛、洗濯をしていた女性、登校中の子供たち、赤ん坊までが爆撃と機銃掃射の的にしている。
平壌市の場合は、1952年の1年間だけで5万2380余個の各種爆弾が投下され、戦争の3年間には実に42万7800余個の各種爆弾とナパーム弾が投下された。
これは当時の人口一人当たり1個、平方キロメートル当たり8000個の爆弾が投下されたことになる。
米国の最も帝国主義者たる行為こそ、人民生活と直接つながる発電所、貯水池、ダムなどを集中して爆撃し破壊したことである。
52年6月以降、朝鮮最大の水力発電所であった水豊発電所を爆撃し、次いで長津江、赴戦江、虚川江の各発電所を空襲して、ダムと発電施設を破壊した。
53年からは特に貯水池を狙って爆撃し、多くの農民を直接殺害しただけではなく、集落を水浸して、数年間にわたる穀物生産を出来なくしている。
以上の米国の蛮行を、同じ米国の歴史学者が批判をしている。
「アメリカ帝国主義侵略者が3年1カ月間の朝鮮戦争の間に、北朝鮮の狭い地域に投下した爆弾は、彼らが3年8カ月の太平洋戦争で太平洋地域の各国に投下した爆弾の総トン数に匹敵し、第2次大戦中ドイツに投下したそれを上回った。
…米軍が朝鮮人に向けて発射したロケット弾その他の弾丸総数は2億2156万3000発に達し、ほかにアメリカ艦船から43万8000トンの砲撃と400万発の弾丸が発射された」(ハーシェル・メイヤー著『アメリカ現代史』日本語版)
その上にまだ、細菌弾を投下して、朝鮮人民に各種疾病の苦しみを与えている。
沖縄米軍基地を飛び立ったB29爆撃機は51年11月頃から、細菌弾を投下する細菌戦を開始している。
52年5月下旬からは規模を拡大して、細菌汚染地域を広げていく作戦を行っている。
投下された細菌弾にはハエ、ノミ、クモ、ナンキン虫、蚊、シラミ、甲虫、コオロギなどの有害昆虫が詰め込まれていて、これらの昆虫はコレラ、ペスト、チフスなど、各種の伝染病菌を保有していて、地域住民たちに伝染病を感染させ生命まで奪った。
スウェーデン、フランス、イギリス、イタリア、ソ連、中国などの著名な生物学者からなる「国際科学調査団」は、調査報告を52年8月31日に発表して、アメリカによって「このような非人間的方法が実際に使用された」と指摘し、細菌戦の方法は第2次世界大戦当時に日本軍が使用した方法を発展させたものだと述べた。
以上のように米軍の蛮行内容は、記録する者が反吐を催すほどの酷いものであった。
こうした帝国主義的蛮行は、その後もベトナム、カンボジア、イラク、アフガニスタンなどで、米軍兵士が立っていた地域からは必ず告発されている。
それらの告発を、国連機関は今も黙殺したままであり、米国は逆に相手側の犯行であるかのようにして宣伝している。