「朝鮮問題へのレッスン」18.朝鮮民主主義人民共和国の樹立
18.朝鮮民主主義人民共和国の樹立
48年4月、朝鮮統一政権づくりへの議論をすすめるため、平壌で開催される「南北朝鮮諸政党・社会団体連帯会議」に出席する南側代表たちが、38度線を越えた。
会議では、全ての外国軍隊の朝鮮半島からの即時撤退、南北統一政府の樹立などを決案、共同声明を発表した。
だが、その民族的な声明も、国連臨時朝鮮委員団が南だけの単独・分離選挙を認め、その「監視」下に48年5月、選挙が強行されたため、声明は反古にされてしまった。
このため再び(6月29日から7月5日まで)、「南北朝鮮諸政党・社会団体連席会議」(指導者会議)を開催し、祖国統一への現実的な対策を討議した。
会議で金日成は、次のように発言した。
「われわれはただちに朝鮮人民の意思を代表する全朝鮮最高立法機関を樹立し、朝鮮民主主義人民共和国憲法を実施しなければなりません。こうしてわれわれは、単独政府をつくるのではなく、南北朝鮮の諸政党、大衆団体の代表者からなる全朝鮮政府をうちたてなければなりません」
すでにこの時、南では李承晩政権成立の準備が進んでいたから、協議の方針も、南単独政権を否定する意味からも、北で自主、自立の全朝鮮人民の政府を樹立することが、最善の方法であることを確認した。
次いで7月9日、北朝鮮人民会議第5次会議で、憲法を制定することと、最高人民会議の代議員選挙を実施することを決定した。
その決定に従って、南北総選挙を実施(8月25日)した。
南朝鮮の選挙は、米軍政庁を李承晩政権が弾圧するなかで実施された。
選挙妨害策を考慮して、非公開的に投票者が署名する方法(地下秘密選挙)で人民代表を選出(1080名)し、その彼らが北部の海州(ヘジュ)に集まって8月21日から26日の間に、朝鮮最高人民代議員選挙のための南朝鮮人民代表者大会を開き、そこで秘密投票によって南朝鮮人口5万名に1名の割合で、360名の最高人民会議代議員を選出した。
投票には、南朝鮮有権者総数の77.5%にあたる673万2407名が参加した。
この間、米軍機動部隊を38度線から済州島まで配置し、警察とテロ団が検挙劇を繰り広げ、人民たちに署名投票をしないように脅迫した。
彼らは1370名を検挙し、数万名を逮捕投獄し、数千名を殺傷するという暴力をふるった。
このようにして南朝鮮で選出された360名と、北の212名との572名の代議員が9月2日、最高人民会議第1回会議を開催した。
憲法を採択し、金日成を首相と国家最高位に選び、朝鮮民主主義人民共和国政府政綱を発表した。
第1に、全朝鮮人民の団結と祖国統一をめざす闘争への動員、ソ米両国国軍隊の同時撤退の実現。
第2に、日本帝国主義支配が残した宿弊の一掃と親日派、民族反逆者の法的処罰、反動分子の反民族的売国行為と破壊策動の暴露、粉砕。
第3に、日本帝国主義と南朝鮮傀儡政府がつくった法令の無効宣言、全国的範囲での民主改革の実施。
第4に、祖国の独立と繁栄を保障する自主的な民族経済の建設。
第5に、教育、文化、保健事業の発展。
第6に、各級人民政権機関の強化と南朝鮮地域における復活。
第7に、平等な立場に立つ自由愛好諸国との友好。
第8に、四国の防衛と民主改革の成果を守るための人民軍の強化――などの基本内容となっている。
この政綱に基づき、社会主義国を中心とする各国との外交関係を急速に結んだ。
ソ連(48年11月)、モンゴル(48年10月)、ポーランド(48年10月)、チェコスロバキア(48年10月)、ユーゴスラビア(48年10月)、ルーマニア(48年11月)、ハンガリー(48年11月)、ブルガリア(48年11月)、アルバニア(49年5月)、中国(49年10月)、東ドイツ(49年11月)、北ベトナム(50年1月)。
48年4月、朝鮮統一政権づくりへの議論をすすめるため、平壌で開催される「南北朝鮮諸政党・社会団体連帯会議」に出席する南側代表たちが、38度線を越えた。
会議では、全ての外国軍隊の朝鮮半島からの即時撤退、南北統一政府の樹立などを決案、共同声明を発表した。
だが、その民族的な声明も、国連臨時朝鮮委員団が南だけの単独・分離選挙を認め、その「監視」下に48年5月、選挙が強行されたため、声明は反古にされてしまった。
このため再び(6月29日から7月5日まで)、「南北朝鮮諸政党・社会団体連席会議」(指導者会議)を開催し、祖国統一への現実的な対策を討議した。
会議で金日成は、次のように発言した。
「われわれはただちに朝鮮人民の意思を代表する全朝鮮最高立法機関を樹立し、朝鮮民主主義人民共和国憲法を実施しなければなりません。こうしてわれわれは、単独政府をつくるのではなく、南北朝鮮の諸政党、大衆団体の代表者からなる全朝鮮政府をうちたてなければなりません」
すでにこの時、南では李承晩政権成立の準備が進んでいたから、協議の方針も、南単独政権を否定する意味からも、北で自主、自立の全朝鮮人民の政府を樹立することが、最善の方法であることを確認した。
次いで7月9日、北朝鮮人民会議第5次会議で、憲法を制定することと、最高人民会議の代議員選挙を実施することを決定した。
その決定に従って、南北総選挙を実施(8月25日)した。
南朝鮮の選挙は、米軍政庁を李承晩政権が弾圧するなかで実施された。
選挙妨害策を考慮して、非公開的に投票者が署名する方法(地下秘密選挙)で人民代表を選出(1080名)し、その彼らが北部の海州(ヘジュ)に集まって8月21日から26日の間に、朝鮮最高人民代議員選挙のための南朝鮮人民代表者大会を開き、そこで秘密投票によって南朝鮮人口5万名に1名の割合で、360名の最高人民会議代議員を選出した。
投票には、南朝鮮有権者総数の77.5%にあたる673万2407名が参加した。
この間、米軍機動部隊を38度線から済州島まで配置し、警察とテロ団が検挙劇を繰り広げ、人民たちに署名投票をしないように脅迫した。
彼らは1370名を検挙し、数万名を逮捕投獄し、数千名を殺傷するという暴力をふるった。
このようにして南朝鮮で選出された360名と、北の212名との572名の代議員が9月2日、最高人民会議第1回会議を開催した。
憲法を採択し、金日成を首相と国家最高位に選び、朝鮮民主主義人民共和国政府政綱を発表した。
第1に、全朝鮮人民の団結と祖国統一をめざす闘争への動員、ソ米両国国軍隊の同時撤退の実現。
第2に、日本帝国主義支配が残した宿弊の一掃と親日派、民族反逆者の法的処罰、反動分子の反民族的売国行為と破壊策動の暴露、粉砕。
第3に、日本帝国主義と南朝鮮傀儡政府がつくった法令の無効宣言、全国的範囲での民主改革の実施。
第4に、祖国の独立と繁栄を保障する自主的な民族経済の建設。
第5に、教育、文化、保健事業の発展。
第6に、各級人民政権機関の強化と南朝鮮地域における復活。
第7に、平等な立場に立つ自由愛好諸国との友好。
第8に、四国の防衛と民主改革の成果を守るための人民軍の強化――などの基本内容となっている。
この政綱に基づき、社会主義国を中心とする各国との外交関係を急速に結んだ。
ソ連(48年11月)、モンゴル(48年10月)、ポーランド(48年10月)、チェコスロバキア(48年10月)、ユーゴスラビア(48年10月)、ルーマニア(48年11月)、ハンガリー(48年11月)、ブルガリア(48年11月)、アルバニア(49年5月)、中国(49年10月)、東ドイツ(49年11月)、北ベトナム(50年1月)。