「朝鮮問題へのレッスン」16.南北政治協商会議
16.南北政治協商会議
国連小委員会(48年2月)が南朝鮮単独選挙案を可決し、米国が5月10日に選挙実施の準備をすすめるなか、これに反対していく南北統一実現への運動が、38度線を越えて進行し、交流していった。
そのことを象徴する会議が、「南北朝鮮諸政党・社会団体代表者連席会議」(連席会議)であった。
連席会議は4月19日の予備会議を経て、20日から30日まで平壌市で開催された。
南の単独選挙に最後まで反対し闘っていた金九、金奎植(キム・キシュク)、趙素昂(チヨ・ソアン)、洪命熹、金昌淑、李克魯(リ・クック)ら重慶臨時政府系メンバーや、立法議院有志議員らで結成した「民族自主連盟」の名で、北の人民委員会委員長金曰成宛てに、「南北協商会議」(ソウル会議)を呼び掛ける書簡を送った。(2月6日)
これに対して金日成は、「4月19日、平壌で南北朝鮮協商会議を開く」ことを告げた。
この南北朝鮮協商会議に参加するため、南からは395人の各団体代表者らが、あいついで38度線を越えて北に入った。
当時の38度線は、すでに米軍が封鎖していたから、彼らは苦労して個々、または数人で越えていった。(阻止されて命を落とした人たちもいた)
こうして会議(会場は平壌の牡丹峰劇場)には、南北朝鮮の政党・社会団体56の代表695名(北側300名、南側395名)が参加した。
主な参加政党。社会団体名を駆以下に掲げておこう。
*南朝鮮側
南朝鮮労働党、勤労人民党、朝鮮人民共和党、韓国独立党、民族自主連盟、勤労大衆党、農民党、民主独立党、朝鮮労働組合全国評議会、全国農民組合総連盟、朝鮮文化団体連盟、南朝鮮民主女性同盟、南朝鮮民主愛国青年同盟、自主女性同盟、全国青年会、儒教連盟、在日本朝鮮人連盟、キリスト教民主同盟、仏教青年党、朝鮮語学会、南朝鮮民主学生同盟、反ファッショ闘争委員会、天道教学生会、民衆同盟、民族大同会、三均主義青年同霊、学生同盟、民族解放青年同盟、南朝鮮新聞記者会。
*北朝鮮側
北朝鮮労働党、朝鮮民主党、北朝鮮天道教青友党、北朝鮮職業同盟、北朝鮮農民同盟、北朝鮮民主女性同盟、北朝鮮民主青年同盟、北朝鮮キリスト教連盟、北朝鮮仏教連合会。
以上の参加団体名でも分かるように、この連席会議に参加した南朝鮮の団体は、韓国民主党(金性珠派)と大韓独立促成国民会(李承晩派)を除くすべての政治勢力が網羅されていた。
朝鮮半島の分断固定化反対、南朝鮮単独選挙粉砕を主張して、右から左、民族主義者から共産主義者までの幅広い層が集まったことは、当時の朝鮮政治の現実を表現していた。
米帝国主義の占領政策がいかに脆弱で、不当なものであったかを、連席会議の成功が示している。
会議では、1.朝鮮半島からの外国軍の即時かつ南北同時撤退、2.全朝鮮の政治会議を招集し、立法機関を選挙して憲法を制定する、3.南朝鮮単独選挙と単独政府樹立は絶対に反対する-との共同声明を発表した。
これを米ソ両政府に送ったが、5月10日の南朝鮮単独選挙を阻止することはできなかった。
しかしこの連席会議は、朝鮮統一闘争史上に今も、重要な位置を占めており、将来の南北統一運動発展のモデルとなっている。
国連小委員会(48年2月)が南朝鮮単独選挙案を可決し、米国が5月10日に選挙実施の準備をすすめるなか、これに反対していく南北統一実現への運動が、38度線を越えて進行し、交流していった。
そのことを象徴する会議が、「南北朝鮮諸政党・社会団体代表者連席会議」(連席会議)であった。
連席会議は4月19日の予備会議を経て、20日から30日まで平壌市で開催された。
南の単独選挙に最後まで反対し闘っていた金九、金奎植(キム・キシュク)、趙素昂(チヨ・ソアン)、洪命熹、金昌淑、李克魯(リ・クック)ら重慶臨時政府系メンバーや、立法議院有志議員らで結成した「民族自主連盟」の名で、北の人民委員会委員長金曰成宛てに、「南北協商会議」(ソウル会議)を呼び掛ける書簡を送った。(2月6日)
これに対して金日成は、「4月19日、平壌で南北朝鮮協商会議を開く」ことを告げた。
この南北朝鮮協商会議に参加するため、南からは395人の各団体代表者らが、あいついで38度線を越えて北に入った。
当時の38度線は、すでに米軍が封鎖していたから、彼らは苦労して個々、または数人で越えていった。(阻止されて命を落とした人たちもいた)
こうして会議(会場は平壌の牡丹峰劇場)には、南北朝鮮の政党・社会団体56の代表695名(北側300名、南側395名)が参加した。
主な参加政党。社会団体名を駆以下に掲げておこう。
*南朝鮮側
南朝鮮労働党、勤労人民党、朝鮮人民共和党、韓国独立党、民族自主連盟、勤労大衆党、農民党、民主独立党、朝鮮労働組合全国評議会、全国農民組合総連盟、朝鮮文化団体連盟、南朝鮮民主女性同盟、南朝鮮民主愛国青年同盟、自主女性同盟、全国青年会、儒教連盟、在日本朝鮮人連盟、キリスト教民主同盟、仏教青年党、朝鮮語学会、南朝鮮民主学生同盟、反ファッショ闘争委員会、天道教学生会、民衆同盟、民族大同会、三均主義青年同霊、学生同盟、民族解放青年同盟、南朝鮮新聞記者会。
*北朝鮮側
北朝鮮労働党、朝鮮民主党、北朝鮮天道教青友党、北朝鮮職業同盟、北朝鮮農民同盟、北朝鮮民主女性同盟、北朝鮮民主青年同盟、北朝鮮キリスト教連盟、北朝鮮仏教連合会。
以上の参加団体名でも分かるように、この連席会議に参加した南朝鮮の団体は、韓国民主党(金性珠派)と大韓独立促成国民会(李承晩派)を除くすべての政治勢力が網羅されていた。
朝鮮半島の分断固定化反対、南朝鮮単独選挙粉砕を主張して、右から左、民族主義者から共産主義者までの幅広い層が集まったことは、当時の朝鮮政治の現実を表現していた。
米帝国主義の占領政策がいかに脆弱で、不当なものであったかを、連席会議の成功が示している。
会議では、1.朝鮮半島からの外国軍の即時かつ南北同時撤退、2.全朝鮮の政治会議を招集し、立法機関を選挙して憲法を制定する、3.南朝鮮単独選挙と単独政府樹立は絶対に反対する-との共同声明を発表した。
これを米ソ両政府に送ったが、5月10日の南朝鮮単独選挙を阻止することはできなかった。
しかしこの連席会議は、朝鮮統一闘争史上に今も、重要な位置を占めており、将来の南北統一運動発展のモデルとなっている。