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「朝鮮問題へのレッスン」11.北朝鮮臨時人民委員会

11.北朝鮮臨時人民委員会

 46年入ると北部朝鮮でも、各地方の人民委員会をまとめ、統一した政治組織の必要性、モスクワ3相会議決定下の「朝鮮臨時政府」のモデル設立の必要性、「南朝鮮代表民主議院」に対する対抗組織の必要性を感じはじめていた。

 このため、各地方の人民委員会と行政局、政党および社会団体代表が46年2月8日、平壌に集合し、「北朝鮮各道および各郡人民委員会代表、反日民主主義的政党および各社会団体代表会議」という長い名称の大会を開いた。

 大会の目的は、北部朝鮮における中央行政機関となる「北朝鮮臨時人民委員会」を樹立する問題を討議する、ということであった。

 基調演説を行った金日成は、北部朝鮮における中央行政機関の設立の必要性と、朝鮮に統一政府が樹立されるまで、北朝鮮臨時人民委員会がそうした役割を担当する主権機関とならなければならないとした。

 こうして、金日成を委員長とする「北朝鮮臨時人民委員会」が創立された。

 11月3日に道、市、郡の人民委員会代表委員選挙を経て、翌年2月17日に臨時の名称を取って「北朝鮮人民委員会」とした。北部朝鮮の政府的機関となった臨時人民委員会は、反封建民主主義改革の政策を次々と実施していった。

 先ず、「北朝鮮土地改革に関する法令」を発布(3月5日)し、地主の土地を没収(約百万325町歩)して、それを農民たちに再配分した。

 但し、小作に出すのではなく自分で耕作する地主には、小規模な土地所有が認められた。(別の地域に移住するという条件で)

 この期間、多くの知識人と金持ち、地主たちは南に逃れたが、小作人や貧困層はそのような政策状況に満足して、金曰成と北朝鮮臨時人民委員会を支持したことは言うまでもない。農業現物税を収穫の25%とする法令は6月27日に出ている。

 次の「労働法」(46年6月24日)と「男女平等権」(同年7月30日)はともに、封建遺制を撤廃し、新社会建設にとって重要な内容を法制化した。

 1日8時間労働、社会保険制度、労働条件の改善、困難な仕事や危険な作業には追加手当てを支給、男女同一賃金など。

 また男女平等法では、蓄妾、売春、女嬰児殺しなど、女性たちを苦しめていた封建的悪習が廃止された。

 同時に「重要産業国有化法案」(46年8月10日)で、日本人が所有していた主要な工場や企業を国有化する一方、中小企業は道や郡の人民委員会に委ねられた。

 土地改革や民主的政策によって、それに反対する多くの人々が南へと、難民、逃亡民となって流出していった。

 彼らは地主、商人、医者、弁護士、技師、教師、公務員など、上層階級であった。

 それ以前にすでに、親日派や植民地時代の警官、官吏などは逃亡していた。

 南へと逃れていった逃亡者のピークは、46年春から夏にかけてであった。この時期に南から北への流入も多くみられたが、そのほとんどは反米、反単選を主張していた、主として左派系の人たちであった。

 現朝鮮労働党が創立されるまでの経緯を、簡単にみていこう。

 朝鮮共産党は、北部朝鮮の支部的機能として、ソウルで設立(45年9月)された朝鮮共産党(委員長、朴憲永)の指導を受けるとの前提で設立された。

 それは、コミンテルンの「一国一党」方針に従ったからであったのだが、現実は、朴憲永が北に移住できない事情と、北ではすでに階級としての「人民」が出現していたこともあって、北朝鮮共産党独自判断での指導を行う必要性にも迫られていた。

 さらに南では、米軍政庁と李承晩勢力の圧力があって、朝鮮共産党独自の活動も行き詰っていたのだ。

 そうした情勢などから、共産党を中心とした左派政党同士の合党が進行していった。

 北で北朝鮮労働党が実現したのが46年8月28日、その3カ月後の11月23日に、南朝鮮労働党(南労党)が設立された。

 朝鮮共産党、勤労人民党(党首、呂運亨)、新民党の3党が合党した。

 南労党は、李承晩政権が成立した以後も、反米、反李闘争をよく闘った。

 南北にそれぞれの政権が樹立されたこともあり、革命党の方が南北に分かれていたのでは、その難局を乗り越えることができないので、北朝鮮労働党と南朝鮮労働党は49年6月30日合党し、金曰成を委員長とする朝鮮労働党を創建した。

 なお、朝鮮労働党の創建記念日を10月10日としているのは、北朝鮮共産党を創立したのが「10月10日」であったからである。

 従って党の創立と闘争史の記録は、45年10月10日から始まっている。

 以上、46年から47年にかけての朝鮮半島の様相は、北のプロレタリア社会と南のブルジョア社会の出現が確定し、今日に至る階級の色分けが準備されていたことになる。しかもソ連軍司令部は、すべての軍政的な機能から手を引いていたので、北部朝鮮では、朝鮮人自身の自主独立の政治機構が組織されつつあったことになる。

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愛媛現代朝鮮問題研究所のブログです。

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