つぶやき余禄
「つぶやき余禄」
*遺言に代えて
余命わずかな身であることを理解している。
だが、最期の時がいつなのかがわからないため、まだ、死への覚悟は十分にできてはいない。
やがて癌による痛みに襲われ、私が私ではなくなり、会話や意思疎通ができないまま、最期を迎えてしまうかもしれない。
そのように考え、家族には私自身の意思を次のように伝えておこうと、準備している。
若い時から、私自身の身体でも役に立つならと考え、臓器提供を申し出ていた。
しかし、今の傷んだ臓器では役立たないと考え、地元大学の医学部に遺体提供(現在、会員)へと切り替えた。
死後、私の遺体は直ちに大学の医学部に運ばれる。2、3年後に医学生たちの研修、実験に供され、医学葬となる。
希望すれば遺骨または遺灰を、家族が受け取れる。私の希望の一つは、その時、家族が元気であれば、少しの遺骨を受け取ってほしいこと。
そしてその遺骨(遺灰)を、朝鮮半島に通じる東海(日本海)に沈めてほしいこと。
さらに残りの遺灰を平壌の地に、いつかは埋めてほしいこと。
日本の歴史清算、日朝友好交流、日朝正常化を願い、主張してきたが、まだ実現できていない。
その残念な思いを込め、海底からでも、地中からでも、主張し続けたい私の意思を叶えてもらえれば。それが私の最後の願いである。
とはいえ、家族に加重な負担もかけたくない。
だから、「元気であれば」との条件をつけた。
私は無宗教者で、社会主義者として生きてきた。
最期の儀式も、それにふさわしく送ってほしいと願っている。
葬儀は必要ない。戒名、祭壇、墓標、墓地なども必要ない。
ただ一つの願いは、部屋の片隅にこれまで私が出版してきた著書(15、6冊はあると思う)を積み重ね、その上に元気なときの私の写真を立ててほしいこと。
死後、私を尋ねてきた者たちと共に、その前で思い出でも語ってくれればいい。
いかなる宗教、社会的慣習にもとらわれる必要はない。
残る者たちが元気で、幸せに生活できること、それだけを願っている。
*遺言に代えて
余命わずかな身であることを理解している。
だが、最期の時がいつなのかがわからないため、まだ、死への覚悟は十分にできてはいない。
やがて癌による痛みに襲われ、私が私ではなくなり、会話や意思疎通ができないまま、最期を迎えてしまうかもしれない。
そのように考え、家族には私自身の意思を次のように伝えておこうと、準備している。
若い時から、私自身の身体でも役に立つならと考え、臓器提供を申し出ていた。
しかし、今の傷んだ臓器では役立たないと考え、地元大学の医学部に遺体提供(現在、会員)へと切り替えた。
死後、私の遺体は直ちに大学の医学部に運ばれる。2、3年後に医学生たちの研修、実験に供され、医学葬となる。
希望すれば遺骨または遺灰を、家族が受け取れる。私の希望の一つは、その時、家族が元気であれば、少しの遺骨を受け取ってほしいこと。
そしてその遺骨(遺灰)を、朝鮮半島に通じる東海(日本海)に沈めてほしいこと。
さらに残りの遺灰を平壌の地に、いつかは埋めてほしいこと。
日本の歴史清算、日朝友好交流、日朝正常化を願い、主張してきたが、まだ実現できていない。
その残念な思いを込め、海底からでも、地中からでも、主張し続けたい私の意思を叶えてもらえれば。それが私の最後の願いである。
とはいえ、家族に加重な負担もかけたくない。
だから、「元気であれば」との条件をつけた。
私は無宗教者で、社会主義者として生きてきた。
最期の儀式も、それにふさわしく送ってほしいと願っている。
葬儀は必要ない。戒名、祭壇、墓標、墓地なども必要ない。
ただ一つの願いは、部屋の片隅にこれまで私が出版してきた著書(15、6冊はあると思う)を積み重ね、その上に元気なときの私の写真を立ててほしいこと。
死後、私を尋ねてきた者たちと共に、その前で思い出でも語ってくれればいい。
いかなる宗教、社会的慣習にもとらわれる必要はない。
残る者たちが元気で、幸せに生活できること、それだけを願っている。
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