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「政府は沖縄の声を聞け」

「政府は沖縄の声を聞け」

1.
政府は4月中旬にも、沖縄県の普天間飛行場(宜野湾市)の移設先の名護市辺野古の沿岸部を埋め立てる護岸工事に着手する方針だと発表した。

沖縄では、5月で本土復帰45周年となり、米軍普天間飛行場の返還合意から21年、また、少女が米兵によって暴行を受けた事件から22年となる。

辺野古の埋め立て工事に、翁長雄志知事をはじめ沖縄県民全体が反対している中で、政府はは工事を強行しようとしているのだ。

沖縄との誠実な話し合いを放棄して、米国の意向にばかり意識を向けてきた政治の結果である。

沖縄県民の怒りは頂点に達している。

2.
ここで、米軍垂直着陸輸送機MV22オスプレイ導入の経緯を振り返ってみる。

オスプレイは訓練飛行中、2012年4月(アフリカのモロッコ)、6月(米フロリダ州の基地内)で、それぞれ事故や不具合が発生していた。

短期間に死傷者を出す事故を起こしていた同機を、米国は沖縄に配備するため、日本政府に圧力をかけた。

当時の森本敏防衛相は、配備予定の沖縄県や訓練ルート上にある山口県などへの説明役に汗をかいていた。

また、野田佳彦首相も、「別に事故が起きたわけではない」などと、配備を前提としての無責任発言を行い、これまた米側の伝言役に終始していた。

沖縄県知事が、事故機を配備するのは常識的におかしい、米側かなきちんと伝えてほしいと何度も要請しているのは当然のことであった。

日本政府は、沖縄側の声を上の空で聞いているだけだった。野田首相は、米国には配備見合わせの要求ができないと言った。

驚くべき発言だ。

仮に、対米関係がそうであったとしても、政治のリーダーとして、その不合理の改善に全力を注ぐべきではなかったのか。

野田首相の発言は、敵前逃亡と同じだ。

野田首相は、オスプレイの導入について、「同盟関係にあるとは言え、どうこうしろという話では基本的にはない」として、機種変更問題に日本側が異を唱えられない仕組みになっていることを説明して、導入を決定した。

首相発言は、日米関係の現在を語っていた。

野田首相以外の歴代首相についても、沖縄基地返還にどれほどの努力をしてきただろうか。

むしろ、「思いやり予算」によって基地の存続を容認する姿勢を示してきた。これは沖縄、日本側の対応への裏切り行為だ。

政権担当者のそのような政治姿勢の結果、オスプレイは今、当たり前のように日本の上空を飛んでいる。

3.
21年前の1995年10月の大会で、土地強制使用問題で代理署名を拒否した、当時の大田知事は、あいさつで、「行政の責任者として、1番大事な人間の尊厳を守りきれなかった」と県民に陳謝した。

米軍基地使用のため、土地の契約を強要する政府に対して、戦争のため自分の土地を使わせないと、軍用地提供契約を拒否し続けてきた反戦地主や未契約地主の志を受けての知事の行動であった。

それは沖縄の心、沖縄の声そのものだと言える。

それに対して安倍政権は、辺野古の埋め立て工事を強行しようとしている。

現安倍晋三首相の意思はオスプレイ導入時の野田首相と同じだ。

しかも、トランプ米政権とともに朝鮮の核及びミサイル発射を脅威だと騒ぎ立てることで、国民の目を別の方向へ向かせ、沖縄の反対の声を封じようとしている。

沖縄の声は、基地反対ということだけに止まらず、軍隊そのものの本質に反対する声、いかなる戦争にも反対する声、地球上から武器をなくし、平和を実現していこうとする声である。


                                                                   2017年4月10日 記
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「朝鮮半島の2000年と2017年」

「朝鮮半島の2000年と2017年」

1.トランプ米大統領の暴力

 2017年4月、朝鮮半島の緊張がこれまでになく高まっている。

 トランプ米大統領は、3月上旬に開催予定だった民間の朝米研究者会議を拒否して以降、対朝鮮政策を「力の誇示」へと転換した。

 アサド政府軍への攻撃(6日)、アフガニスタンの「イスラム国」(IS)への大規模爆風弾「モアブ」使用(13日)が、朝鮮を牽制する「政治的メッセージ」だと脅している。

 さらに、原子力空母「カール・ビンソン」を朝鮮近海に派遣して、緊張感を高めている。

 自らで危機状況を作り出して、「危険」だと叫んでいるのだ。

 この状況は1993年から1994年にかけて、朝鮮の核疑惑を作り上げた米国が、陥っていた政治風土に似ている。

 当時も緊張感を高めるだけ高めた米国は、ようやく朝鮮との直接対話のテーブルについた。

 対話はスムーズには進まなかった。

 朝鮮語と英語の違い以上に、「戦争観」の違いが対話を妨げた。

 難産の末、米政府が99年10月対北朝鮮政策見直しのペリー報告(包括的で統合されたアプローチ)を公表して、関与政策に転換した。

 ペリー報告が進展して、朝鮮の2000年は希望の年となった。

 ロシアとは「友好善隣協力条約」(2月9日)を結び、プーチン大統領がはじめて訪朝(7月19日~20日)、朝露首脳会談が実現した。

 中国とは、金正日総書記が訪中(6月13日~15日)し、江沢民国家主席と首脳会談を行っている。

 米国とは、金正日総書記の特使として趙明禄国防委員会第一副委員長が訪米、ワシントン入りしてクリントン大統領と会談。

 朝米共同コミュニケを発表(10月12日)した。

 続いて、オルブライト米国務長官が訪朝(10月23日~25日)し、クリントン大統領訪朝の地ならしを行ったが、核問題に関する議論が詰め切れないのと、時間切れで、朝米首脳会談を米国が断念(12月28日発表)した。

 南朝鮮とは、金大中大統領が訪朝し、史上初の南北首脳会談(6月13日~15日)が実現。

 「南北共同宣言」を調印(6月15日)。

 これ以降、「わが民族同士」「6・15時代」を合言葉とする南北交流事業が活発化していく。

 一方、日本は前年に社民党の村山富市元首相を団長とする超党派国会議員団が訪朝(12月1日~3日)し、日本側が50万トンの追加コメ支援の実施を予約した。

 このように周辺国との関係が一気に改善に動き出したのだ。

 朝米間では、双方の首都に連絡事務所を設置するレベルまで協議。

 南北朝鮮間では、統一を見据えた政治、経済、文化交流への準備が始動した。

 このように朝鮮半島で一瞬見えた希望の光が暗転していくのは、米国でブッシュ政権が発足(2001年)してからである。

 ブッシュ政権が北朝鮮、イラン、イラクを「悪の枢軸」と名指しで批判(02年1月)したことが発端であった。

 当時のブッシュ氏は、現大統領のトランプ氏同様、前政権の政策の全てを否定していたが、朝鮮半島情勢への情報も知識も欠けていた。

 ブッシュ政権の悪夢とは何であったのか。


2.戦争概念の変化

 01年9月11日、ハイジャックされた旅客機がニューヨークの世界貿易センタービル、ワシントン郊外の国防総省(ペンタゴン)などに突入するという同時多発テロの発生に世界は驚愕した。

 翌日、ブッシュ大統領はこのテロを「戦争」だと断じ、「対テロ戦争」への覚悟を宣言した。

 従来の戦争概念は、国家対国家の対立、紛争であったが、そこに「テロ」を戦争の概念に加えたことは、領土も国民も持たない非国家との間での「戦争」概念が生じたことを意味する。

 これは、軍事作戦だけではなく、犯罪捜査や国家再建をも含む新しい戦争観を作り上げ、米国が戦争地域を広げようとしているということである。

 悪の枢軸に指定した北朝鮮(社会主義国)、イランとイラク(ともにイスラム教地域)は、小国とはいえ、国家である。

 3カ国とも、ブッシュが創造した「テロ戦争」の概念外だが、キリスト教概念の善と悪観(社会主義とイスラム教)に基づき、テロ集団に押し込めようとした。

 9月12日、国連安保理はテロを国際平和と安全に対する脅威だと認め、テロと戦うためのあらゆる手順をとる用意があることを決議した。(第1368号)

 米政府は、テロの犯人はウサマ・ビン・ラディン率いる国際テロ組織アルカイダであるとみなし、アルカイダを庇護するアフガニスタンのタリバン政権にビン・ラディンの引き渡しを求めた。

 タリバン政権は拒否する。

 米英軍は、「不朽の自由」作戦などと名付けて、アフガニスタンを攻撃(10月7日)開始した。

 「不朽の自由」作戦は、米軍を中心とした有志連合(国連軍が結成できなかったので)の軍事行動で、陸上作戦に20カ国、海上作戦に9カ国が軍隊を送り、75か国が何らかの協力を行った。

 日本の小泉純一郎首相は9・11の翌朝、安全保障会議を開き、テロが民主主義に対する重大な挑戦であることを宣言し、情報収集のための自衛艦の派遣、米軍に対する医療・輸送支援、周辺地域に対する人道的・経済的支援、避難民支援など7項目の「当面の措置」を発表(9月19日)した。

 さらに、テロ特措法を成立(10月29日)させ、海上自衛隊の護衛艦など3隻(11月9日)、補給艦など3隻(11月25日)などをインド洋に向けて出航させた。

 この4日後、アフガニスタンの首都カブールが陥落し、タリバン政権は消滅した。(新政権を樹立した後も、アフガニスタン国内では、内戦が続いている)

 ブッシュ大統領は、小泉首相がどの国よりも早く、米国のアフガニスタン武力行使を支持し、自衛隊をインド洋に派遣するなど、実際の行動でも支持したことに対して、感謝した。

 小泉氏が訪米した時にテキサス州のクロスフォードの私邸に招いて歓迎し、2人は密月の仲となった。(安倍晋三氏がトランプ氏のシリア攻撃をいち早く支持し、信頼関係を築こうとしているのは、小泉氏を見習っているのだろうか)

 ブッシュ政権の9・11事件の概念は、次にイラクのサダム・フセイン政権に向けられた。

 フセイン政権は大量破壊兵器を開発し、テロリストに提供しているとブッシュは考え、「先制行動・攻撃」(予防戦争)方針を打ち出した。

 03年3月20日に米英軍は「イラクの自由」作戦を発動し、イラクを攻撃した。

 イラク戦争にも小泉政権は、支持を表明して、ブッシュ政権を助けた。

 こうした小泉氏の言動を信頼したブッシュは、小泉氏の訪朝と日朝共同宣言を認めた。その裏には、「拉致問題」を日米で「政治」的に活用することを確認していた。


3.拉致問題の「政治」化

 かつて、「二正面作戦」(同時に2カ所で大きな戦争を遂行できる能力)があると豪語していた米国も、今やアフガニスタンとイラク戦争(それも「有志連合」という多国軍の支援で)だけで精一杯となり、とてもアジア(朝鮮)まで手がまわならなくなった。

 それでも、「悪の枢軸」と指定して以降は毎年、米韓合同軍事演習のレベルを上げ、「5025」から「5030」、あでに作戦内容の精度を高めていた。

 作戦「5029」や「5030」は、朝鮮の金正日総書記や党中央委員会だけをピンポイント攻撃するもので、コンクリートも貫通する爆弾を使用する非常に危険なものであった。

 また、制裁攻撃をも計画していたが、金大中・盧武鉉両政権に阻まれて、忸怩たる思いだっただろう。

 そのようなときに、小泉政権のアドバイスで、「拉致問題」の政治利用というカードを手に入れた。


4.ブッシュ・小泉チーム

 小泉政権がブッシュ政権の軍事侵攻作戦に協力した結果、日本国内の風景はどのように変化したのだろうか。

 米国の対テロ戦争に日本は完全に組み込まれ(積極参加という側面も)てしまった。

 その結果、自衛隊と米軍一体の作戦オペレーションを実施、米軍主導の「有志連合」入りを果たすことになった。

 そのため、在日米軍と日米間の防衛政策の手直しが必要となり、「在日米軍再編ロードマップ合意」(06年5月)に到達する。

 ロードマップ合意で、米海兵隊普天間飛行場の沖縄・名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設、米海兵隊のグアム移転、さらに、陸上自衛隊中央即応集団が神奈川県のキャンプ座間に設置、航空自衛隊航空総隊司令部及び関連部隊の横田飛行場移転問題など、日米両軍の司令部組織間の連携強化が進行していった。

 つまり、軍事の「グローバル化」が進展し、もはや、日本国内や地域(東アジア)だけでなく、世界における安全保障の課題が、日米間で共通戦略となったのだ。(集団的自衛権の概念さえ飛び越えている)

 現実的にも、日米韓3カ国の軍事演習が実現しており、日韓との軍事作戦協力は水面下で進んでいる。

 オスプレイ導入も、当然視して、日本国民の声を無視している。

 一方、経済面では、小泉氏の持論であった「郵政民営化」を実現させた結果、米国からの貿易障壁が低くなり、経済の「グローバル化」と「アメリカ化」が進み、日本経済の自力化が後退してしまっている。

 政治・経済・文化・生活の全てにおいて「アメリカ化」が浸透している現在の日本の政治力では、対朝鮮問題でさえ、日本独自・日本主泰の交渉・解決ができないようになっている。

 日本は朝鮮反応の植民地支配と戦後清算を未だに解決していない。

 朝鮮と国交正常化を進める前に(または同時に)、過去の清算を果たす責任がある。

 そうした問題でさえ、米国の顔色を見ながらでしか進められないし(むしろ日本自身のサボタージュでもあったのだが)、進めてこなかった。

 「二正面作戦」が出来ない米国にとって、日本に「拉致問題」で朝鮮に「関与」させておくことが、朝鮮への牽制球になると考えたのだ。

 日本にとっても、「拉致問題」の解決を前面に掲げることによって、一定程度の国民からの支持が得られると同時に、過去清算問題を後方に退けることができるといったメリットがあり、特に安倍政権はそれをよく理解していた。

 日米両政権とも、拉致問題を人道・人権問題だとして掲げるのではなく、「政治」問題化してしまったから、「解決」に力点を置くよりも、朝鮮への政治攻撃用の「武器」として活用してきた。

 「嘘を吐いている」「誠意がない」「隠している」――などの言語を、歴代の日本政権は、朝鮮への非難として用いてきたが、同じ言語を日本政権に投げ返さなければならない。


5.統一へのうねりが

 以上が、小泉氏が02年9月、平壌へ行く直前の朝鮮半島の政治風景、日朝間の水面下の動きであった。

 では、小泉氏は平壌に言って、金正日総書記との間で、どのような約束をしたのであろうか。

 史上、初めて日朝両首脳が調印した「日朝平壌宣言」(02年9月17日)に、日朝間の基本的なことが集約されている。

 拉致問題の解決と共に、日本は過去の清算を行うことを約束した。

 だが、日本は、予備会談、本会談のいずれの怪談でも、過去の清算問題は拉致問題が解決してから、との立場を崩さず、「日朝平壌宣言」の約束を守らず、今日まできている。

 では、現在の安倍政権。

 米トランプ政権の「力の政策」をいち早く支持した。

 2000年に、希望の光を「攻撃」し、破壊したブッシュ・小泉と同じように、トランプ・安倍の2人が2017年の統一進軍に、軍事的圧力をかけて妨害しようとしている。

 だが、朝鮮の民衆パワーは、彼らの無謀な策略を乗り越えて、「民族は一つ」という華を咲かせようとしている。

 世界と、圧倒的多くの人民大衆の声は、戦争を望んでいない。朝鮮半島の2017年後半は、統一へと向かう大きなうねりが起きるかもしれない。

 アジア地域の平和と安定、日朝間の善隣友好関係を望んでいる。

 その声を、トランプ氏、安倍氏の2人はしっかりと聴け。


                                                                 2017年4月11日 記 

「教育勅語の教材化に反対」

「教育勅語の教材化に反対」

1.
安倍政権は3月31日、教育勅語を「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定することはできない」との答弁書(民進党の初鹿明博衆院議員の質問書に対して)を閣議決定した。

道徳教育で、教材に「教育勅語」の使用を認めたことになる。

だが、「憲法や教育基本法等に反しない」内容については、詳しい説明を避けていて、使用ありきの態度を貫いている。

松野博一文部科学相は「どの部分が憲法に反する、反しない、に関しての判断を文部科学省でするものではない」と説明。

教育現場でどのように使うかの判断基準を明らかにせず、「内容(教育勅語)自体が趣旨(憲法や教育基本法)に反するものでも、教え方がポイントだ」と、教育現場の判断に委ねようとしている。

義家弘介文部科学副大臣は7日、「憲法や教育基本法に反するかどうかは、まずは所管する都道府県が判断すべきだ」とした。

同じ文科省担当内で、ニュアンスの違いを感じる。

菅義偉官房長官は、教育勅語について、「法制上の効力は喪失している」ことを繰り返しつつも、教育現場で使うことは問題はないとの立場を強調していた。

2.
教育勅語について、第1次安倍政権時はまだ、「戦後の日本の政治体制にそぐわない」との立場であった。(2006年12月に教育基本法を改正したが、教育勅語に対する政府の態度に変化はなかった)

変化したのは、第2次政権(2012年12月)になってからである。

14年4月の衆院文教科学委員会で、「わが国の教育の唯一の根本理念であるとするような指導は不適切」としつつ、「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられる」(当時の文科省初等中等教育局長)と、教育勅語教育方針を示唆した。

当時の文科相だった下村博文氏も、「教材として使うことは差し支えない」と、現在につながる発言をしている。

18年4月になると、小学校で特別教科の「道徳」授業を開始した。

安倍晋三氏は一貫して、国会で排除、失効を確認(48年6月)された教育勅語を、「いいところもある」との支持者たちの声に押されて、教育現場で復活させようと画策し続けてきた。

3.
現安倍政権の閣僚や政権を支持する保守層には、教育勅語を評価する者が多い。

3月8日の衆院予算委員会で、教育勅語の考えを聞かれた稲田朋美防衛相は、「教育勅語に流れているところの核の部分は取り戻すべきだ」と発言した。

教育勅語の核は、天皇中心の神話的国体観である。戦前回帰、天皇主権を持っていることを語ったのである。

そのような閣僚が辞任もせず現職のままでいることに、安倍政権の性格を見ることができる。

さて、教育勅語にもいいところがあるとする人たちは、「父母に孝行を尽くし、兄弟姉妹仲良くし、夫婦互いに睦びあい、朋友互いにに信義を以って交わり、、、」の部分を評価し、現在でも通じる「道徳」だとしている。

しかし、この表現は、「万が一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい、身を捧げて皇室国家のために尽くせ」と続く表現で、「皇祖皇宗の子孫たる者および臣民」が守るべき「道」だと、明治天皇が儒教精神を教えている部分である。

4.
両親へこ孝行や兄弟姉妹が仲良くすることなどを教えるのに、なぜまた否定された教育勅語を持ち出してきたのだろうか。

教育勅語は、戦前日本人の精神構造を形成した。

その精神構造こそ、他民族抑圧と侵害を推進した。

その精神を安倍政権は引き継ぎ、安保関連法、自衛隊の軍隊化を推進している。

超右翼チックな稲田朋美氏が防衛相となっているのは、決して偶然のことではないだろう。

一方、道徳教育の教材に教育勅語を使用することについて、与党自民党議員からも反対の声が挙がっている。

自民党の船田元衆院議員は自身のブログで、「いささか違和感を覚える」と批判している。

船田氏は教育勅語について、「戦前の軍部や官憲による思想統制の道具にされてしまった」として、現在の「教材に使えるのだろうか」と疑問を呈した。

常識ある意見だ。

こうした声をもっと広げるべきだ。


                                                                   2017年4月7日  記

「駐韓大使の『みやげ』付き帰任」

「駐韓大使の『みやげ』付き帰任」


岸田文雄外相は3日、一時帰国させていた長嶺安政駐韓大使と森本康敬釜山総領事を4日に帰任させると発表した。

駐韓大使らの一時帰国は、韓国釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像が設置されたことへの対抗措置で、常識外れの3ヶ月もの長さになっていた。

官邸筋は「ボールは韓国にある。向こうが何もしないのに、こちらが動けるわけがない」などと拳を振り上げたまま、出口のチャンスをつかめず、時間を重ねてしまったようだ。

安倍晋三首相と岸田氏は3月31日、大使の帰任時期などの意見交換をしたが、結論を出すことができなかった。

政府関係者は3月31日の時点で、「最大野党の共に民主党の文在寅氏が党の候補者に正式に選ばれた段階で決めたい」などと、最終判断の時期が近いことを示唆しながらも、「日本から動くことはない」との立場を取り続けていたことになる。

それが急転、4月3日になって大使らを帰任させることを決定したのだ。いったい何があったのか。

理由について、岸田氏は、「結果は出ていない」としつつ、「長嶺大使から黄教安大統領権限代行に直接、合意の順守を働きかけ、次の政権に継承してもらう」などと、不明朗な説明をした。

菅義偉官房長官の場合は同日の記者会見で、「情報収集などに一層の力を入れ、次期政権の誕生に十分に備える必要がある」からだと、やや本音を語っていた。

その上で、帰任は首相の判断で、「今日決めた」と述べた。決定を1日で行ったことになる。

決定を急いだ背景に、米国からの強い要請があったと考えられる。

韓国政治が不安定な現状で、しかも5月9日の大統領選では、北朝鮮との融和政策を掲げ、サード配備に反対している候補者が当選する可能性があることに、トランプ米政権は苛立っている。

トランプ政権は、日本に「北朝鮮問題などで日米韓協力が必要だ」として、大使らの早期帰任を繰り返し要請、最後は強く示唆したのだろう。

米国に弱い安倍政権は、少女像撤去の成算もないまま対抗措置(大使らの一時帰国)を講じ、今また見切り発射で大使を帰任させるという失策を行った。

単に日韓合意の失策ではなく、朝鮮半島の政治と歴史にまともに向き合っていない姿勢の結果でもある。

だからと言うべきか、大使らが一時帰国するに際して、日韓通貨スワップ協定の協議中断、日韓次官級による経済協議延期、釜山市関連行事への参加見合わせ、などの「手荷物」を持ち帰った。

その一方で帰任に際しては、日韓合意の要求と少女像撤去の「みやげ」を、またしても携えている。

「手荷物」や「みやげ」は、日本国内でしか通用しない。韓国政権内では、日本の一方通行的な感情的措置によって、日韓関係を改善していく意欲が薄れてしまっている。

黄教安大統領権限代行も、長嶺大使と会う予定はないとしていて、安倍政権に不快感を表している。

今後、日韓関係の改善は、さらに厳しく、難しいものになっていくだろう。

                                                                    2017年4月6日 記

「今村復興相の無理解に呆れる」

「今村復興相の無理解に呆れる」

今村雅弘復興相が4日の記者会見で福島第1原発の事故後、避難指示の対象区域外から逃げた自主避難者をめぐって、「本人の責任でしょう」「裁判でも何でもやればいい」などと話した。

自主避難者の多くは、国が定めた放射線量の基準がはっきりせず、不安で、悩んだ末に地元を離れた。

彼らも事故の被害者で、避難者と分離するのはおかしい。

それを福島の原発事故での自主避難者が帰還するかどうかは本人の責任だと自己責任で片付けた今村氏は、政府の責任認識に欠けた発言で、担当大臣として能力にも欠けているようだ。

しかも、裁判をすればいいという発言は無責任で、今村氏の自己認識欠如、被害者たちの生活実態と苦悩を何一つ理解していない発言で、怒りを覚える。

政府は避難解除、自主避難者の住宅無償提供打ち切りなど、事故と支援の終息を狙ってか、安全性宣言に躍起になっているのではないか。

だが、生活基盤や放射能への不安などから、避難者たちの中で地元へ戻る人はまだ少数派である。

除染作業をしたとはいえ、放射線量が高い地域がまだいたるところに存在しているからである。

政府は放射線量の数字や地域を明らかにしないまま、安全宣言ばかりを急いでいるから、かえって不安感、不信感が強くなる。

これでは、風評被害は収まらず、広がる一方である。

旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を持ち出すまでもなく、放射能被害をなくしていく作業は、何十年とかかる。

福島の安全基準、安全宣言の基準と数値は、科学的に証明されたものだろうか。

今村発言には疑問を抱いてしまう。

東電の原発事故とその後の政府側の対応の問題は、避難者や被災地だけのことではない。その地域で生産される農漁業品の安全性の問題との関係もある。

政府には、被災地の放射線量の数字をしっかりと明らかにする責任があり、被災者はもちろんのこと、近隣諸国に対しても安心感を与える必要があると思う。

無責任な今村発言から、政府は、これまでの福島第一原発事故政策を反省せよ。

                                                                    2017年4月6日 記

「正当性のない米シリア攻撃」

「正当性のない米シリア攻撃」

1.
 突然の米軍の攻撃であった。
 6日午後8時40分(日本時間7日午前)、シリアのアサド政府軍がイドリブ県(反政府軍勢力の拠点)に化学兵器を使用したと断定したトランプ米大統領の命令で、ミサイル59発(60発発射、1発は失敗)をシリア軍基地に打ち込んだ。
 国連の調査もされない段階で、何の根拠も示さず、「悪」はシリア政府だと断定し、攻撃したのである。
 トランプ氏は、アサド政府軍が化学兵器を使用したので、その対抗措置だと攻撃の正当性を主張。
 理由を、「化学兵器の拡散と使用を防ぎ、阻止するという米国の国家安全保障上の極めて重要な利益」だとした。
 だが、攻撃の具体的な根拠も示さず、国連安全保障理事会の承認もえないミサイル攻撃は国際法違反で、とても容認できない。
 アサド政権とロシアは、化学兵器の使用を否定している。
 誰がなぜ、化学兵器を使用したのかとの疑念は残っている。
 国連の関連機関の調査が必要だ。

2.
 中東随一とも言われていたシリアの安定が崩れたのは、6年前、民主化を求める「アラブの春」が波及し、アサド政権が抗議デモを抑え込み、内戦状態に陥ったからである。
 それ以降、政府軍、反政府軍、ISなどの勢力が3つ巴えとなり、それにロシア側(政府軍)、米国(反政府軍)が加わって、混戦状態がずっと続いている。
 「アラブの春」を仕掛けたのは米情報機関で、以来、米国はアサド政権を倒すために、様々な手段と情報線を駆使してきた。
 今年に入り、反政府軍が支配するシリア北西部のイドリブ県で、有利な戦闘を続けていた政府軍が、化学兵器を使用する理由があったのだろうか。
 シリアのムアレム外相は6日、「勝利を収めつつある政府軍が今、化学兵器を使うなど合理的な話ではない」ことを強調。
 昨年末、激戦地アレッポを制圧した後、政府軍の優勢はずっと続いてきた。そのような情勢に米国は焦っていただろう。
 3月30日には米政府高官が、アサド大統領の退陣に固執しないとの立場を表明するまでになった。
 アサド氏が望んでいた事柄だ。
 その5日後に、何者かによって化学兵器が使用された。
 事実はシリアで化学兵器が使用されたということだけであって、アサド政権が使用したということを推測することはできても、確たる証拠はないのである。
 反対に言えば、あくまでも推測の範囲であれば、米軍が使用したという考え方もできるのである。
 それより、軍事的に優勢にあったアサド政権がなぜ、西側世界から非難を招く化学兵器を使用したのかという動機について、疑問が残る。
 テロ掃討でロシアと協力を目指すとしていたトランプ政権が、犯人をアサド政権と断定して、突然の政策転換、突然の実力行使を行った背景には、どのような政治的計算があったのだろうか。
 一番に考えられるのは、米国にメッセージを発信し、面子を保ちたかったのではないか。
 軍事介入を見送った弱腰オバマ前大統領との違いを見せつけるため、多くの選挙公約がまだ実施できず低支持率から抜け出すため、ロシアによる米大統領選干渉疑惑を払拭するため――その絶好のタイミングが、米中首脳会談の最中との計算があったのではないか。
 中国の習近平国家主席の前で実施することによって、自身の「行動力」を示すことができ、何より北朝鮮への「力」のメッセージを伝えることができる、と考えていたのだろう。

3.
 米国のシリア攻撃で、安倍晋三首相は7日、記者団に対して、「化学兵器の拡散と使用は絶対に許さないとの米政府の決意を日本政府は支持する」と表明した。
 「米国の行動(攻撃)」とはせず、「米政府の決意」との表現で、国連決議などの法的手続きを経ないで攻撃に踏み切ったことを全面的に支持するものではないとの教えを、表現的に使い分けていたようで、少しは配慮を感じる。
 化学兵器使用の決定的な証拠がそろわない中で実施された米軍の攻撃は、多くの疑念が突きつけられているのだから、100%の支持表明には問題がある。
 トランプ氏が声明(現地時間6日夜)で、「私は全ての文明国に対し、われわれと共に、シリアでの虐殺を流血およびすべての種類、あらゆるタイプのテロの終結も目指すように求める」と呼びかけていたからといって、早々の支持表明も問題だ。
 決意を支持することによって、安倍政権はアジア太平洋地域への関与強化を期待しているのだろうか。米国のアジア地域関与は、「平和と安全」とは逆の危機と不安を招くだけである。

4.
 南米のボリビアが7日、国連安全保障理事会の緊急会合を求めた。
 議長国の米国は冒頭、「ボリビアは非公開を望んだが、公開とした。シリア政府の残虐行為を擁護したい国は公衆の面前でやるべきだ」とわざわざ発表。
 ボリビアは、「違う。われわれは最初から公開を望んだ」と米国の発表を否定した。
 トランプ政権流儀が、この安保理でも発揮された。
 これまでの短い政権運営で見えたトランプ流儀は、以下の4点が顕著である。
①都合が悪くなると、他者に責任を転嫁して相手を罵倒する
②事実を自己都合よく解釈し、「もう一つの事実」を拡散する
③小さなことでも自らの手柄として大きく宣伝する
④公衆や本人の前で平気で嘘がつける
 米国はボリビアの面前で、反米を批判するため、嘘を言った。
 これがトランプ流儀で、国際政治の場においても、平気で嘘をつくことをしっかりと覚えておく必要がある。
 安保理緊急会合では、ボリビア、スウェーデン、ウルグアイ、ロシアなどの国々が、米国の武力行使は、国際法との関係で疑問視されると、米国を批判した。
 米国は、「化学兵器の拡散と使用を阻止することは、米国の安全保障上の不可欠な利益だ」と、トランプ声明と同じ文言を繰り返すだけであった。
 各国が、米国の行動に疑問を投げかけたのは当然のことである。
 それに比べて、安倍氏の支持表明の態度は、余りにも「タイコ持ち」的すぎなのではないか。
 緊密な日米同盟を築きたいのであれば、少しは意見を言える関係へと変わる必要がある。安倍氏も、安倍政権も成長しなければならない。
                                      
                                                                    2017年4月9日 記

「米国が『挑発』行為を煽っている」

「米国が『挑発』行為を煽っている」

 北朝鮮は5日午前6時40分ころ、新浦付近から北東方向(日本海側)に弾道ミサイル1発を発射した。
 日本のマスメディアは一斉に「挑発」行為だと、北朝鮮非難の報道を行った。
 挑発とは、相手を刺激して事件などを起こすように仕向けることである。
 北朝鮮がみる「相手」とは、米国のことである。
 ティラーソン米国務長官は4日夜(日本時間5時朝)、「米国は北朝鮮について十分に言及しており、これ以上のコメントはない」との短い声明で、止まない北朝鮮の「挑発」行為に苛立っていた。
 北朝鮮が「挑発」を繰り返しているとの米国の発信は、政権が代わろうとも米国自身が北朝鮮に対して、「脅威」感をもつ表現となっている。
 日本のマスメディアに出るコメンテータや、「朝鮮問題」研究者たちの知能は、北朝鮮「脅威」論を広げるだけで、結果的に、日本社会に北朝鮮「恐怖」論を浸透させ、北朝鮮の「挑発」との米国プロパガンダ情報に貢献している。
 朝鮮半島の現実は、3月1日から行われている米韓合同軍事演習、核先制攻撃政策、作戦計画「5015」(金正恩党委員長の殺害、ピンポイント攻撃)など、米国が緊張と危機を高めている。
 北朝鮮は米国に対して、多くの事柄を要求はしていない。
 現状の朝鮮戦争停戦協定を朝米平和協定に転換するための協議だけである。
 その朝米協議を平和的な環境の中で行うためにも、米韓合同軍事演習と核恫喝政策の中止を要求している。
 北朝鮮が核実験や弾道ミサイルを発射している背景には、以上の事柄があり、そのことが朝鮮半島の平和にとって重要な基本であった。
 日本のメディアは、基本原則には一切触れず、米国発信の情報だけをこれでもかと言わんばかりに流して、米国の朝鮮半島政策に貢献している。
 メディアに登場するコメンテーターや「朝鮮問題」専門家たちにも、少しは北朝鮮側の観点を理解し、バランスのとれた朝鮮半島情報を発信してもらいたい。

                                                                    2017年4月6日 記

「『首相夫人』という肩書きの効用」

「『首相夫人』という肩書きの効用」

1.
 学校法人「森友学園」問題の核心点は、首相夫人の肩書きがある安倍昭恵氏の「関与」である。

 講演やメール、手紙を交わし、森友学園理事長の籠池夫妻と親しい関係であった。

 双方を結びつけていたのは、首相夫人という肩書きである。

 肩書きの背後にある安倍晋三首相の存在がキーポイントにある。

 事実、森友学園側が大阪府に「安倍晋三記念小学校」設立を相談した翌14年早々の4月、昭恵氏が同学園の塚本幼稚園を訪問し、安倍・籠池両夫妻の信頼度が増している。(日本会議的思考で)

 同年12月、昭恵氏は講演後、「安倍晋三記念小学校」の名誉校長就任を受諾。

 森友学園側が小学校認可に向けて積極的に動くのが、14年早々からである。

 昭恵氏も14年には同学園を度々訪れており、首相と籠池氏とが面識のある間柄だとも明らかにしている。

 籠池氏が14年頃から役所側の処理スピードと、回答内容が前向きになったと明らかにしている。

 昭恵氏の名誉校長就任、首相の親密さという「関与」などを、関係役人たちが忖度した結果だろうと考えられる。

2.
 安倍昭恵氏には5人の「首相付職員」がいて、彼女の言動をサポートしている。

 「夫人付」政府職員が15年11月に籠池氏に送ったファックスの2枚目が、もう一つの問題核心となっている。

 「(工事費の立替払いは)平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」と、財務省の国有財産審理室長からの回答があった。

 文面からは、政府が主張する「ゼロ回答」ではなく、「室長」が直接回答している。

 問い合わせの背後の「首相夫人」に続く首相官邸の存在を感じ、「特別な計らい」の忖度的回答ではないかと読める。

 菅義偉官房長官は「忖度以前のゼロ回答だった」と強調、職員も「公務」としての問い合わせではなく、「個人的」に動いたものだと、個人に責任を押し付けた。

 火が安倍首相に及ぶことを必死に防ごうとした。

 政府は4日、職員は「職務として行ったものではない」との答弁書(民進党の逢坂誠二衆院議員の質問書に対して)を閣議決定した。

 答弁書で、職務に関係しないにも関わらず、財務省に問合わせたうえで、結果を情報提供したことを、「公務員として丁寧に対応したが、職務として行ったものではない」と、苦しい言い訳をしている。

 そうした解釈を押し通すことで、火が首相夫妻に及ばないように閣僚全員が懸命に動いている。


3.
 政府は、昭恵氏を「私人」で、同行職員を「公務」と位置づけ、「私的活動の支援は行わない」(菅官房長官)としてきた。

 ところが、昭恵氏が昨年7月の参院選で自民党候補に計3回、応援した際に職員が同行していたことが判明。政府も認めた(4月5日)。

 森友学園での講演と同じく旅費は昭恵氏が負担したと説明、同行職員を「公務」とした。

 選挙応援に昭恵氏が呼ばれるのは「首相夫人」だからで、単なる「私人」や「私的行為」とは言えない。

 「公務」だと位置づけられた同行職員の旅費を昭恵氏が負担したのは、国家公務員の旅費規程はどうなっているのだろうか。

 政府説明が重なるほど、公私混同や矛盾点が拡大しているようだ。

 安倍政権が森友学園問題を長引かせて、首相や夫人に火が及んでいくことを警戒しているのは明らかである。

 同行職員を個人の私的行為、財務省や国土交通省は学園側にいかなる利益も与えていない。いかなることにも国会議員は介在していないとして幕引きをはかっている。

 後はすべてを大阪府側に押し付けようとしているのだ。

 国会はいま、「共謀罪」法案審議の重要な場面を迎えているが、森友学園問題を幕引きを防ぎ、昭恵氏の証人喚問を実現すべきである。
 
                                                                  2017年4月5日 記

「金日成主席は、私たちの永遠の指導者」(金日成主席生誕105周年インターネット討論会参加原稿)

「金日成主席は、私たちの永遠の指導者」(金日成主席生誕105周年インターネット討論会参加原稿)


1.全世界の反帝闘争へ

 金日成主席の生誕105周年を祝賀し、主席の革命活動について少し回顧したいと思います。主席の革命活動については、簡単に語れるものではありませんが、今回は、チュチェ思想の創始と連邦統一プランの提示についての2点について触れます。 
 主席の偉大性を語る上では、まず、チュチェ思想の創始を欠かすことはできません。チュチェ思想は今日もなお、全世界の勤労人民大衆の人生の指針であり、被抑圧者たちに主体意識と力を与え続けています。
 金日成主席は1926年10月、若く清新な朝鮮人革命家たちを集め、「打倒帝国主義同盟(トゥ・ドゥ)」を結成し、朝鮮革命の荒地を切り開いていきました。その「トゥ・ドゥ」の網領と精神は、今もなお、朝鮮革命、世界革命を導く重要な鍵となっています。網領では、「当面は日本帝国主義を打倒し、究極的には全世界の帝国主義を打倒する」としており、帝国主義との全面戦争を布告しています。では、当時の朝鮮半島情勢はどうだったのでしょうか。
 日帝は1926年12月に第3次朝鮮共産党弾圧事件を、28年3月に第4次弾圧事件を、28年12月に第5次弾圧事件を起こし、共産党と革新勢力をことごとく破壊しています。その結果、朝鮮共産党は、党内の分派分子の分裂闘争なども重なって、29年には解散してしまいました。これ以降、朝鮮国内の共産主義活動は、中国の間島地域、すなわち金日成主席を含む朝鮮人革命家が多住する中国東北地域へと移ることになります。
 主席が、「トゥ・ドゥ」を結成し、革命活動の号砲を鳴らしたのは、その2年前のことになります。朝鮮国内では、いかなる革新運動も反日武装闘争も起こらず、民族自主精神までが滅んでしまった状態、朝鮮国内はそのような有様でした。そうした環境下での「トゥ・ドゥ」の結成は、日帝闘争への新しい意志を告げるものでもありました。これまでの共産主義運動のように、人民大衆から遊離して党内で分派闘争を繰り返してきた党ではなく、人民大衆と共に息をする共産主義者の若い集団が結成されたのでした。
レーニンは、「資本主義の最高の段階としての帝国主義」として、「帝国主義」論を1916年春に発表しています。帝国主義の経済的指標として、①独占体が形成されること、②金融資本がうまれ、金融寡頭制が成立し、③資本輸出が支配的となり、④資本家の国際的独占体が形成された世界を分割、⑤最大の資本主義列強によって世界の領土的分割が完了していること――と指摘して、現代資本主義の本質を明らかにしました。帝国主義は政治的に、植民地の民族運動を抑圧する体制が常態化しています。日本は、明治維新以後、欧米列強との対抗上、朝鮮での植民地支配を強化、過酷化し、朝鮮人民の民族的自主精神を抹殺していきました。「トゥ・ドゥ」の結成宣言は、このように凶暴な日本帝国主義を朝鮮半島から駆逐するための武装闘争への、のろしでもあったのです。
 主席は、「トゥ・ドゥ」精神を実践するため、昼夜の別なく同志の獲得のため、各地に足を運びました。1932年4月、抗日人民遊撃隊を創建します。豆満江沿岸地域に遊撃根拠地と解放地区を創設して、パルチザン闘争を開始しています。同年9月、安図県両江口で中国人民反日部隊との共同戦線方針を提示。中国東北地方で、日帝侵略軍と戦う朝中連合軍部隊が結成されたことにより、抗日武装闘争がより強化されました。


2.朝鮮革命に主体性を

 当時のコミンテルンは、「一国一党」制を打ち出していて、他国にいる共産主義者はその国の共産党に入党することが義務付けられていました。当時、中国東北地方で活動する朝鮮人共産主義者たちは、中国共産党の満州総局に入党しない限り、革命活動が認められません。中国共産党の活動方針は中国解放が第1であり、朝鮮その他の国の解放は中国解放後に行うとしていました。そのため、中国共産党内にいる朝鮮人たちにとっては、結局は中国革命のために戦っていることになり、自らの活動に疑問を持ったりして悩む者も多くいました。朝鮮の共産主義者にとって、朝鮮革命のスローガンを掲げて戦うことは、コミンテルンの一国一党制の原則に矛盾することになります。これは、朝鮮革命の主体性の問題でした。
 一国一党制の原則は、中国東北地方にいる朝鮮人が朝鮮革命のスローガンを掲げることは、共産主義者でもなく、国際主義者でもない、とする主張が当時は当然視されていました。それらを取り戻すために闘うことが、どうして反党的分派行為になるのかと、金日成主席の苦悩は続いていました。深刻で複雑な問題です。
 金日成主席は、朝鮮人革命家が、直接責任をもって朝鮮革命のために戦うという原則路線を打ち立てます。問題を解決するため、朝鮮革命の主体性確立をコミンテルン第7回大会に参加するコミンテルン関係者に託しました。1935年7月から始まったコミンテルン第7回大会は、反ファシズム統一人民戦線方式を決議し、方針転換しました。同時に、朝鮮問題も討議され、主席が提起した朝鮮革命に対する朝鮮共産主義者の権利と責任について、全面的に認める決定をしました。
さらに、朝中反日遊撃隊を朝鮮人部隊と中国人部隊とに分けて再編成することを指示します。主席が主張していたのは、朝鮮人が制約と拘束と妨害を受けずに、朝鮮革命を推進できる自主的な権利のことでした。分離ではなかったのです。
主席がコミンテルン第7回大会の報告を受けたのは、1936年2月、中国東北地方の景勝地、鏡泊湖のほとりにある南湖頭の幹部会議でした。コミンテルンの決定を聞いた主席は、連合部隊の朝鮮人は今までどおり、朝中抗日連合軍の体系の中で活動しながら、部隊が朝鮮国内や東北の朝鮮人集落に行ったときには、朝鮮人民革命軍と名乗ることにすることにしました。もう一方の反日民族統一戦線隊については、朝中別々の組織の方がいいと判断し、「祖国光復会」の結成に努力しました。
さらに、南湖頭会議では、部隊を白頭山地域に進出させ、朝中国境地帯と朝鮮国内で武装闘争を展開することを決定しています。部隊が朝鮮国内に進出し、日帝侵略軍と戦う。その拠点を白頭山地域に移したことの意味は大きかったのです。
 このように南湖頭会議は、朝鮮革命の主体性を完全に確立し、白頭山地区への進出で、抗日武装闘争と朝鮮革命全般をより高い段階へと発展させたという意味で、大きな分岐点の会議であったと言えるでしょう。
 その後、朝鮮人民革命軍は、祖国に何度も進出して、各地で戦闘を繰り広げています。中でも1937年6月の普天堡戦闘は、朝鮮人民に解放への大いなる希望を与えた勝利でした。その頃の日帝は、朝鮮人の遊撃隊は全滅したとの偽情報、プロパガンダ情報を流していて、朝鮮人から、抵抗精神を失くすことに奔走していました。朝鮮人民自身、抗日部隊の情報が伝わらず、落胆していたときでもありました。そのような時に朝鮮人民革命軍が放った銃声が、朝鮮人民に響きを与えました。この銃声こそ、日本人たちに驚愕を与え、朝鮮人民には大いなる希望を与えることになります。この銃声は朝鮮解放への、のろしにもなったのではないかと思います。
 1945年8月、朝鮮の雄基、西修羅、清津などでの戦闘に勝利した朝鮮人民革命軍は、日本侵略軍を撃破して、苦難の抗日武装闘争に勝利し、朝鮮解放の快挙を勝ち取りました。朝鮮で唯一、日本侵略軍と戦い、勝利し、解放へと導いたのは、金日成主席が率いた朝鮮人民革命軍だけなのです。これはまた自主性の勝利、チュチェ思想の勝利でもあると言うことができます。


3.人間中心の世界観

 朝鮮解放後、現朝鮮労働党の基礎となる朝鮮共産党を45年10月に、朝鮮民主主義人民共和国を48年9月にそれぞれ創建し、後にチュチェ思想となる指導理念を持った政治路線が推進されます。
 チュチェ思想について、金日成主席は1980年10月の朝鮮労働党第6回大会で、次のように述べています。
 「チュチェ思想はすべてのものを人間中心に考え、人間に奉仕させる人間中心の世界観であり、勤労人民大衆の自主性の実現をめざす革命の学説であります」
また、人間中心の世界観の哲学的原理、「人間はあらゆるものの主人であり、すべてを決定する」ことについても明らかにされました。
 金正日総書記はチュチェ思想の哲学的原理を、「人間があらゆるものの主人であることを意味し、人間がすべてを決定するというのは、人間が世界を改造し自己の運命を開く上で決定的な役割を果たすことを意味します」と解説しています。人間は自主性、創造性、意識性をもつ社会的存在であるがゆえに、すべてのものの主人となり、すべてを決定するという哲学的原理に基づき、世界と歴史は動いているのだと言えるのではないでしょうか。
 このようなチュチェ思想の人民大衆中心の世界観は、全世界の被抑圧人民が帝国主義体制と戦う上で、大きな武器となっており、勇気を与え続けています。


4.全民族の統一に向かって

 米帝は、1953年12月の停戦協定による「政治会談」予備会議と54年6月のジュネーブ会議での朝鮮問題討議をそれぞれ破綻させた後、今日まで朝鮮戦争を終わらせて朝鮮半島に平和と安定をもたらす朝米平和協定締結のための協議さえ拒否したままで、朝鮮半島の分断政策を継続しています。それはまた、南朝鮮を占領し、強引に居座ることを追求しているからに他なりません。57年6月以降は、停戦協定違反の各種兵器を南朝鮮に搬入して、軍事的緊張まで高めています。このようなことから、朝鮮半島統一を妨害しているのが米国であることは、はっきりしています。
 統一問題は、朝鮮人民にとって切実な問題です。解放から数えて70有余年、朝鮮戦争停戦協定からでさえ64年という、気の遠くなるような歳月が朝鮮半島に流れました。すでに北側には社会主義制度、南側には資本主義制度がそれぞれ定着しています。強引に統一を進めたり、制度的吸収統一を追求した場合、必ず軍事的対立にまで進み、永久的に民族が分裂する現象が起きてしまいます。
 では、どのような統一方式がよいのでしょうか。
社会主義か資本主義か、どちらか一方の体制的吸収統一論を捨てて、南北双方の政治体制を認めあった上で対話と交流を重ね、信頼関係を構築することが重要です。そのような環境を作り出すには、政治的な関係を含む経済、文化、スポーツ、芸術など、多分野の交流と協力関係を重ねていくことが必要でしょう。 全人民が統一問題を語り合うことができる協議体の構築の存在も欠かせません。金日成主席は、南北の交流と信頼へのいくつかの統一論や統一方式を提起するなど、精力的に取り組んでこられました。
 以下、3点、現代でも重要な、基本となる内容となっています。
 1点目は1972年7月4日に平壌とソウルで同時に発表された「自主・平和・民族大団結」の3大原則(7・4共同声明)による統一方式。以後、これは統一方式の原則、基本となりました。
 2点目は、80年10月10日に発表された「高麗民主連邦共和国創立案」。
 3点目は93年4月6日に発表された「祖国統一のための全民族大団結10大綱領」。
 金正日総書記は96年11月、以上の3点を統一における基本姿勢だとして、統一の「3大憲章」と定めました。そこに貫かれている精神は民族主体、民族自主、民族愛だと、強調しています。主席が提案された連邦共和国について、「一つの民族、一つの国家、二つの制度、二つの政府」だと解説しました。この連邦方式は、朝鮮半島の現状から考えれば、現実をよく理解した合理的で無理のないプランだと言えるでしょう。
 また、この連邦制を実現するために、これまで分散的に行われてきた統一運動体を90年8月、一つに結集して、新たな高い段階へと発展させるための統一連合組織「祖国統一汎民族連合」を結成しました。汎民族連合の組織名で、毎年8月、スポーツ、芸術分野での南北交流が実現しています。
 このような流れに乗って2000年6月、金正日総書記と金大中大統領による初の南北首脳会談が開かれ、「6・15南北共同宣言」が発表されました。金日成主席が示した連邦制統一プランの実践であり、「6・15時代」の幕開けでもありました。
 続いて2007年10月、6・15を具体的に実行する「10・4共同宣言」が発表され、統一へと向かう信頼と交流への下書きが整うようになりました。ところが、南北両首脳と人民たちが積み上げてきた信頼と交流の構築に対して、米国は圧力をかけてきました。
 このことからも、朝鮮半島の平和統一のためには、米帝との戦いと勝利が必要であることは、はっきりしています。
 
今年は7・4共同声明発表45周年、10・4宣言発表10周年となる年です。金正恩党委員長は全民族の力を合わせて、自主統一の大路を開いていこうと呼びかけました。これに全朝鮮人民が呼応し、米国をはじめ外部勢力の侵略を干渉行為に終止符を打ち、南朝鮮の事大主義的売国勢力を粉砕するための全民族的な力を結集して立ち上がらなければならないことを理解しました。
南北と海外代表による「6・15民族共同委員会」が結成され、そこでの協議を重ねた結果、今年の6月15日から10月4日までを南北共同宣言発表記念期間と定め、6月15日、7月4日、10月4日に平壌とソウル、その他の各地で様々な記念の民族共同行事を開くことで決定しました。
全朝鮮民族の結集の統一大路へと向かう力強い足音が、今、聞こえています。
金日成主席の連邦制統一の実現へと向かうその歩みは、今もなお、高らかに響いているのです。

                                                                      2017年4月3日
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愛媛現代朝鮮問題研究所のブログです。

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