「米国のアジア覇権140年後のいま」
「米国のアジア覇権140年後のいま」
1.はじめに
米国のアジア覇権史を語る前に、日本が米帝国主義手法を学習して、朝鮮侵略への突破口とした「条約」の欺瞞性を記すことにする。
当時の近代社会の法規定を装った「条約」こそ、米国がアジア覇権戦略上で、日本に押し付けて朝鮮開国の方法論を伝授することで自らの野望を遂げた「武器」であったと言える。
帝国主義者の狡滑な手口とはいえ、日本はもっと酷い手口で朝鮮を植民地化した。
この日米韓(朝)3カ国の関係。日本は、現在は米国を盟主とした日韓両国が繋がりで、米国のアジア覇権の伴奏者となっている。
少し時代を遡ってみよう。
2.江華島条約以降
明治政権が朝鮮への侵略行為を開始した江華島条約締結(1876年2月)から9年後の1883年7月、「日朝通商章程」(日本人貿易規則及び海関細目)を朝鮮に強要した。
「章程」で、全羅・慶尚・江原・咸鏡4道での沿岸漁業権を奪取するとともに、「朝鮮人が日本の肥前、長門、出雲等の沿海に出漁できる」と定めた。
これは、日朝双方の漁民が、日朝双方の沿岸で出漁できるとし、さも、近代社会の平等・互恵原則で締結したように装われた欺瞞的なものに過ぎなかった。
事実、江華島条約締結(釜山を水産進出基地とした)直後から、朝鮮の東・南海一帯で日本漁民が密漁行為を繰り返し、朝鮮側の海産物を集団で略奪していた。
この密漁行為の中で、明治政権側も朝鮮近海には豊富な水産資源があることを認識し、「章程」の締結へと動いた。(朝鮮側の水産資源を独占するために)
その露骨な帝国主義的収奪意図を隠すための表現に、朝鮮漁民にも一部の日本沿海での出漁を認める規定を付加しているが、水産資源の豊富な漁場を棄てて、わざわざ日本まで来て漁をする朝鮮漁民などいるはずもない。
それを証明するように「章程」後の日本漁民は、水産資源ばかりでなく、済州島およびその周辺地域に上陸して財物を略奪、住民を虐殺、婦女子を強姦するなど、まるで海賊に等しい蛮行を、「条約」という法規をバックボーンにして行った。
さすがの朝鮮王朝政府も、被害住民たちの訴えを聞き入れて、日本漁民たちの蛮行に抗議し、犯罪者を逮捕し引き渡すこと、彼らが犯した暴力による被害賠償金の支払いを日本政府に要求した。
これに対して明治政権は「調査をして対策を立てる」との返答で、問題解決を引き延ばしていた。
蛮行は収まらず、やむを得ず犯人の一部を逮捕し、形式的に裁判にかけた。
裁判長(長崎裁判所)は政府の意向を汲み、被害者の済州島民の証言を聞かず、犯人たちの虚偽的陳述を証拠として、「わが漁民が、威嚇と被害を免れるためにやむなく暴行、殺人をしたのであって、その罪を論ずることができない」(「日本外交文書」韓国編)などと、正当防衛論を展開して無罪釈放した。
理屈にならない無罪判決を得た日本漁労民たちは、朝鮮沿海でどのような横暴を働いても罪にならないことを知り、ますます朝鮮の漁場と、朝鮮人民への暴力行為を繰り返した。
日本帝国主義による朝鮮人民への不当な暴力行為は140年前の条約(江華島)下で容認されていたのだ。
3.日米和親条約以降
翻って幕藩体制末期の、日米関係を学習しておこう。
江戸幕府が鎖国を破った最初の条約が、日米和親条約(1854年3月調印)であった。
下田・函館両港のアメリカ船寄港、物資買い入れ、下田に領事を置くことなどを認めた。
しかしアメリカ船の薪・水・食料・石炭などを主な目的とし、売買も日本の役人の手を通し、私人との取引を禁じる制限を設けていた。
5月の下田で和親条約付録(下田条約)を経て、日米修好通商条約(1858年6月調印)に吸収される。
日米修好通商条約は、貿易の自由を認めるなど、本格的開国に踏み切った最初の条約。
米国の砲艦外交によって日本を開国させた同条約のほぼ同じ内容でオランダ、ロシア、フランスと条約を結んだ。(安政の5カ国条約)
すでに開港されていた下田、函館に加えて、神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港し、開港場に外人居留地を設定して、その周囲に遊歩区域を設け、商業活動のため、外人の江戸、大阪滞在を認めた。
また領事裁判権を認め、自由貿易の原則を規定したが、それは関税自主権を否定するなど、日本が一方的に不利な不平等条項であった。
明治政権は、米国から不利な条約を強要された「日米和親条約」「和親条約付録」「日米修好通商条約」などの内容を、朝鮮に押し付けた。
しかも、そのためのテクニックまで米国から事前に学習し、米欧列強たちの朝鮮侵略先導役まで果たしていた。
4.日米安全保障条約以降
では、現在はどうか。
日本敗戦後、米軍の日本駐留を規定した「日米安全保障条約」(日米安保)を、1951年9月の対平和条約と同時に調印。
米駐留軍は、極東における平和と安全の維持のため、外部からの武力攻撃に対して、日本の安全に寄与するためだと、殊更な表現となっている。
その当時、朝鮮戦争が38度線での陣地防衛線に移行しており、米軍は、「夏季および秋季攻勢」作戦を展開し、同時に休戦会談も提案していた。
米国は、日本列島を安定して使用できる後方基地強化策のために、日米安保を急きょ策定し、日本に押し付けた。(同年6月には、戦争責任者の公職追放を解除している)
以後、米国側は日本の軍事力増強を繰り返し要求し、日本も自衛隊が強化されるにつれて条約改定を要求。
60年1月の改定新条約(6月23日発効)、70年安保改定などを経て、現在は「日米軍事同盟条約」の趣となっている。
問題は、日米安保に基づき、米駐留軍の配備に関する条約等を規定した「日米行政協定」(52年2月調印)である。
日本は無償で米軍に区域、施設を提供し、米軍にその使用・運営・防衛のための権利を認めた。
さらに、関税・入港・着陸料・手数料などの免除、公益事業、公共の役務の優先的利用、米軍人・軍属とその家族などに対する刑事裁判権(その後の改定で、公務執行以外の行為から生じる罪は、日本側が第1次崔番権を有するとした)などの特権を米軍に与えた。
このような米軍への特権は、明治時代の不平等な日米修好通商条約を彷彿させる内容となっている。
しかも日本は、米軍の日本での調達費として、高額な防衛分担金→思いやり予算まで提供しているのだ。
5.日米韓3か国関係
以上、近代社会以降の日米関係を少し学習した。
そこから見えてくるのは、米国の西進(侵)とアジア覇権路線が現代まで続いており、そのアジア地域での要となる日本列島と朝鮮半島の軍事基地化政策であった。
明治政権以降の日本は、そうした米国のアジア戦略の先導役を果たしつつ、自らの軍事力を強化し、朝鮮及びアジア地域への侵略へと突き進んでいった。
現在の安倍晋三政権は、オバマ米政権の思惑に誘われつつ、上記のような戦前回帰路線上を歩もうとしている。
このような安倍政権を誕生させてしまった私たちは今、非常に危険な岐路に立っている。
そのような危険状況の中で、南朝鮮が、日韓で防衛情報を共有する「日韓秘密情報保護協定」の締結へ道を開こうとしているのだ。
韓民求国防相は14日の国会答弁で、「軍事的な必要性を十分認識している。北朝鮮の核ミサイル問題が深刻な状況に至り、必要性が高まったと評価している」とGSOMIAの必要性を語り、「締結をするという意味ではなく、認識がそうだと申し上げた。国民の同意などが今少し必要だ」として、慎重姿勢も見せていた。
GSOMIAについては、米国の強い要請で、日韓両政府は2012年6月に締結する予定であったが、南朝鮮側の官民あげての強い反対運動があり、直前になって延期された。
米国は、安倍政権には、「後方支援」名目など、安保関連法案を仕上げさせて、自衛隊の朝鮮半島上陸作戦を可能にし、朝鮮半島有事に備えようとしている。
米国が一番、GSOMIAを必要としているのだ。
日韓がGSOMIAを締結すれば、近代社会以降、米国が推進してきたアジア覇権戦略が完成していくことになる。
米国は、オバマ後の新政権であっても、中国封じ込めのアジア地域支配スタンスで立つであろう。
米政権中枢部メンバーたちが、朝鮮核ミサイルを利用して、朝鮮半島やアジア地域の「平和」「安定」「安全」を語り出すとき、その裏面に隠している覇権主義の「武器」を、指摘し批判していく必要がある。
今後とも、米国のアジア覇権戦略の動向と、その動向に合わせて進む日韓両政権の強硬政策、朝鮮敵視政策を注視し、批判活動を展開していく必要がある。
2016年10月16日 記
1.はじめに
米国のアジア覇権史を語る前に、日本が米帝国主義手法を学習して、朝鮮侵略への突破口とした「条約」の欺瞞性を記すことにする。
当時の近代社会の法規定を装った「条約」こそ、米国がアジア覇権戦略上で、日本に押し付けて朝鮮開国の方法論を伝授することで自らの野望を遂げた「武器」であったと言える。
帝国主義者の狡滑な手口とはいえ、日本はもっと酷い手口で朝鮮を植民地化した。
この日米韓(朝)3カ国の関係。日本は、現在は米国を盟主とした日韓両国が繋がりで、米国のアジア覇権の伴奏者となっている。
少し時代を遡ってみよう。
2.江華島条約以降
明治政権が朝鮮への侵略行為を開始した江華島条約締結(1876年2月)から9年後の1883年7月、「日朝通商章程」(日本人貿易規則及び海関細目)を朝鮮に強要した。
「章程」で、全羅・慶尚・江原・咸鏡4道での沿岸漁業権を奪取するとともに、「朝鮮人が日本の肥前、長門、出雲等の沿海に出漁できる」と定めた。
これは、日朝双方の漁民が、日朝双方の沿岸で出漁できるとし、さも、近代社会の平等・互恵原則で締結したように装われた欺瞞的なものに過ぎなかった。
事実、江華島条約締結(釜山を水産進出基地とした)直後から、朝鮮の東・南海一帯で日本漁民が密漁行為を繰り返し、朝鮮側の海産物を集団で略奪していた。
この密漁行為の中で、明治政権側も朝鮮近海には豊富な水産資源があることを認識し、「章程」の締結へと動いた。(朝鮮側の水産資源を独占するために)
その露骨な帝国主義的収奪意図を隠すための表現に、朝鮮漁民にも一部の日本沿海での出漁を認める規定を付加しているが、水産資源の豊富な漁場を棄てて、わざわざ日本まで来て漁をする朝鮮漁民などいるはずもない。
それを証明するように「章程」後の日本漁民は、水産資源ばかりでなく、済州島およびその周辺地域に上陸して財物を略奪、住民を虐殺、婦女子を強姦するなど、まるで海賊に等しい蛮行を、「条約」という法規をバックボーンにして行った。
さすがの朝鮮王朝政府も、被害住民たちの訴えを聞き入れて、日本漁民たちの蛮行に抗議し、犯罪者を逮捕し引き渡すこと、彼らが犯した暴力による被害賠償金の支払いを日本政府に要求した。
これに対して明治政権は「調査をして対策を立てる」との返答で、問題解決を引き延ばしていた。
蛮行は収まらず、やむを得ず犯人の一部を逮捕し、形式的に裁判にかけた。
裁判長(長崎裁判所)は政府の意向を汲み、被害者の済州島民の証言を聞かず、犯人たちの虚偽的陳述を証拠として、「わが漁民が、威嚇と被害を免れるためにやむなく暴行、殺人をしたのであって、その罪を論ずることができない」(「日本外交文書」韓国編)などと、正当防衛論を展開して無罪釈放した。
理屈にならない無罪判決を得た日本漁労民たちは、朝鮮沿海でどのような横暴を働いても罪にならないことを知り、ますます朝鮮の漁場と、朝鮮人民への暴力行為を繰り返した。
日本帝国主義による朝鮮人民への不当な暴力行為は140年前の条約(江華島)下で容認されていたのだ。
3.日米和親条約以降
翻って幕藩体制末期の、日米関係を学習しておこう。
江戸幕府が鎖国を破った最初の条約が、日米和親条約(1854年3月調印)であった。
下田・函館両港のアメリカ船寄港、物資買い入れ、下田に領事を置くことなどを認めた。
しかしアメリカ船の薪・水・食料・石炭などを主な目的とし、売買も日本の役人の手を通し、私人との取引を禁じる制限を設けていた。
5月の下田で和親条約付録(下田条約)を経て、日米修好通商条約(1858年6月調印)に吸収される。
日米修好通商条約は、貿易の自由を認めるなど、本格的開国に踏み切った最初の条約。
米国の砲艦外交によって日本を開国させた同条約のほぼ同じ内容でオランダ、ロシア、フランスと条約を結んだ。(安政の5カ国条約)
すでに開港されていた下田、函館に加えて、神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港し、開港場に外人居留地を設定して、その周囲に遊歩区域を設け、商業活動のため、外人の江戸、大阪滞在を認めた。
また領事裁判権を認め、自由貿易の原則を規定したが、それは関税自主権を否定するなど、日本が一方的に不利な不平等条項であった。
明治政権は、米国から不利な条約を強要された「日米和親条約」「和親条約付録」「日米修好通商条約」などの内容を、朝鮮に押し付けた。
しかも、そのためのテクニックまで米国から事前に学習し、米欧列強たちの朝鮮侵略先導役まで果たしていた。
4.日米安全保障条約以降
では、現在はどうか。
日本敗戦後、米軍の日本駐留を規定した「日米安全保障条約」(日米安保)を、1951年9月の対平和条約と同時に調印。
米駐留軍は、極東における平和と安全の維持のため、外部からの武力攻撃に対して、日本の安全に寄与するためだと、殊更な表現となっている。
その当時、朝鮮戦争が38度線での陣地防衛線に移行しており、米軍は、「夏季および秋季攻勢」作戦を展開し、同時に休戦会談も提案していた。
米国は、日本列島を安定して使用できる後方基地強化策のために、日米安保を急きょ策定し、日本に押し付けた。(同年6月には、戦争責任者の公職追放を解除している)
以後、米国側は日本の軍事力増強を繰り返し要求し、日本も自衛隊が強化されるにつれて条約改定を要求。
60年1月の改定新条約(6月23日発効)、70年安保改定などを経て、現在は「日米軍事同盟条約」の趣となっている。
問題は、日米安保に基づき、米駐留軍の配備に関する条約等を規定した「日米行政協定」(52年2月調印)である。
日本は無償で米軍に区域、施設を提供し、米軍にその使用・運営・防衛のための権利を認めた。
さらに、関税・入港・着陸料・手数料などの免除、公益事業、公共の役務の優先的利用、米軍人・軍属とその家族などに対する刑事裁判権(その後の改定で、公務執行以外の行為から生じる罪は、日本側が第1次崔番権を有するとした)などの特権を米軍に与えた。
このような米軍への特権は、明治時代の不平等な日米修好通商条約を彷彿させる内容となっている。
しかも日本は、米軍の日本での調達費として、高額な防衛分担金→思いやり予算まで提供しているのだ。
5.日米韓3か国関係
以上、近代社会以降の日米関係を少し学習した。
そこから見えてくるのは、米国の西進(侵)とアジア覇権路線が現代まで続いており、そのアジア地域での要となる日本列島と朝鮮半島の軍事基地化政策であった。
明治政権以降の日本は、そうした米国のアジア戦略の先導役を果たしつつ、自らの軍事力を強化し、朝鮮及びアジア地域への侵略へと突き進んでいった。
現在の安倍晋三政権は、オバマ米政権の思惑に誘われつつ、上記のような戦前回帰路線上を歩もうとしている。
このような安倍政権を誕生させてしまった私たちは今、非常に危険な岐路に立っている。
そのような危険状況の中で、南朝鮮が、日韓で防衛情報を共有する「日韓秘密情報保護協定」の締結へ道を開こうとしているのだ。
韓民求国防相は14日の国会答弁で、「軍事的な必要性を十分認識している。北朝鮮の核ミサイル問題が深刻な状況に至り、必要性が高まったと評価している」とGSOMIAの必要性を語り、「締結をするという意味ではなく、認識がそうだと申し上げた。国民の同意などが今少し必要だ」として、慎重姿勢も見せていた。
GSOMIAについては、米国の強い要請で、日韓両政府は2012年6月に締結する予定であったが、南朝鮮側の官民あげての強い反対運動があり、直前になって延期された。
米国は、安倍政権には、「後方支援」名目など、安保関連法案を仕上げさせて、自衛隊の朝鮮半島上陸作戦を可能にし、朝鮮半島有事に備えようとしている。
米国が一番、GSOMIAを必要としているのだ。
日韓がGSOMIAを締結すれば、近代社会以降、米国が推進してきたアジア覇権戦略が完成していくことになる。
米国は、オバマ後の新政権であっても、中国封じ込めのアジア地域支配スタンスで立つであろう。
米政権中枢部メンバーたちが、朝鮮核ミサイルを利用して、朝鮮半島やアジア地域の「平和」「安定」「安全」を語り出すとき、その裏面に隠している覇権主義の「武器」を、指摘し批判していく必要がある。
今後とも、米国のアジア覇権戦略の動向と、その動向に合わせて進む日韓両政権の強硬政策、朝鮮敵視政策を注視し、批判活動を展開していく必要がある。
2016年10月16日 記
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