「日本は排外主義に陥っている」
「日本は排外主義に陥っている」
1.
感銘を受けた言葉がある。
「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです」(「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」汐文社刊)
南米ウルグアイのムヒカ前大統領(2014年引退)が行った、地球未来国連会議(2012年)での演説の一節だ。
同大統領は、在職中にも報酬の大半を寄付し、自身は中古の小型車を自ら(または妻が)運転して、職場に向かっていたという。
生活は郊外の農場で野菜や花などを育てて、清貧の暮らしを続けた。
国民と同じレベルで、または大統領となっても特権を享受せず、以前と同じ生活を続けていたということも、尊敬に値する。
そのような生活と人生観があったからこそ、先のような表現が発信できたのだと思う。
言行一致の素晴らしい価値観である。
「無限に欲がある」ことが、実は一番貧乏に陥っている態度だということは、言い得ている。
2.
私たちは、幼少のころから、常に上昇志向に慣らされてきた。
社会及び企業内での出世欲、生産力や競争に勝利すること、収入や利益を上げること、効率を上げること、社会的に良いポジションを占めることなど、勝ち組、勝利者を善、成功者だと当たり前のように肯定的に受け止める社会感覚の中で生きている。
必然的に、成功者でない者は、敗者となり、社会的落伍者なのだと否定的にしか遇されない。
そうした社会では、構造的に差別意識を造成し、経済的、生活的格差がなくならないばかりか、差別構造も解消されることはない。
時は流れて、人を差別することはよくないとする観念だけは先行し、社会に定着して、憲法や法律、社会規範や学校教育などで、「差別するな」と説教する。
しかし、説教者の社会背景には、人間関係の中に「差別」意識が潜んでいる。
つまり、個人意識の表層では差別を「悪」としながらも、差別を介在した競争社会の中で、私たちは暮らしているのだ。
だから、説教する者も、自らの人生観を語っているのではなく、立場上の建前をその場限りで演じているにしかすぎない。
そのような社会の政治には、対外強硬論が潜んでいる。
政治指導者は、各人に潜む排外感覚を煽り、あえて、敵概念を作り出して、デゴマークを発出して人々を不安と恐怖心、憎悪感に陥れていく。
明らかに現実的ではない過激発言、派手なジェスチャーでの演説、大声で相手を罵倒するなどの言動は、弱い者いじめの扇動家の態度だ。
このような光景は、安保関連法や、一強安定政治を背景にした安倍晋三首相の朝鮮批判に結びつく。
朝鮮が9月9日に5回目となる核実験を実施したことを「暴挙」「挑発」だと声高に叫び、在日朝鮮人(団体)にまで制裁を強化しようとしていることは、彼自身の排外主義の表れであると同時に、日本国内に朝鮮人差別と排外感情を植え付ける行為となっている。
在日朝鮮人へのいかなる制裁も科してはならないし、その必要もない。
2016年9月24日 記
1.
感銘を受けた言葉がある。
「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです」(「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」汐文社刊)
南米ウルグアイのムヒカ前大統領(2014年引退)が行った、地球未来国連会議(2012年)での演説の一節だ。
同大統領は、在職中にも報酬の大半を寄付し、自身は中古の小型車を自ら(または妻が)運転して、職場に向かっていたという。
生活は郊外の農場で野菜や花などを育てて、清貧の暮らしを続けた。
国民と同じレベルで、または大統領となっても特権を享受せず、以前と同じ生活を続けていたということも、尊敬に値する。
そのような生活と人生観があったからこそ、先のような表現が発信できたのだと思う。
言行一致の素晴らしい価値観である。
「無限に欲がある」ことが、実は一番貧乏に陥っている態度だということは、言い得ている。
2.
私たちは、幼少のころから、常に上昇志向に慣らされてきた。
社会及び企業内での出世欲、生産力や競争に勝利すること、収入や利益を上げること、効率を上げること、社会的に良いポジションを占めることなど、勝ち組、勝利者を善、成功者だと当たり前のように肯定的に受け止める社会感覚の中で生きている。
必然的に、成功者でない者は、敗者となり、社会的落伍者なのだと否定的にしか遇されない。
そうした社会では、構造的に差別意識を造成し、経済的、生活的格差がなくならないばかりか、差別構造も解消されることはない。
時は流れて、人を差別することはよくないとする観念だけは先行し、社会に定着して、憲法や法律、社会規範や学校教育などで、「差別するな」と説教する。
しかし、説教者の社会背景には、人間関係の中に「差別」意識が潜んでいる。
つまり、個人意識の表層では差別を「悪」としながらも、差別を介在した競争社会の中で、私たちは暮らしているのだ。
だから、説教する者も、自らの人生観を語っているのではなく、立場上の建前をその場限りで演じているにしかすぎない。
そのような社会の政治には、対外強硬論が潜んでいる。
政治指導者は、各人に潜む排外感覚を煽り、あえて、敵概念を作り出して、デゴマークを発出して人々を不安と恐怖心、憎悪感に陥れていく。
明らかに現実的ではない過激発言、派手なジェスチャーでの演説、大声で相手を罵倒するなどの言動は、弱い者いじめの扇動家の態度だ。
このような光景は、安保関連法や、一強安定政治を背景にした安倍晋三首相の朝鮮批判に結びつく。
朝鮮が9月9日に5回目となる核実験を実施したことを「暴挙」「挑発」だと声高に叫び、在日朝鮮人(団体)にまで制裁を強化しようとしていることは、彼自身の排外主義の表れであると同時に、日本国内に朝鮮人差別と排外感情を植え付ける行為となっている。
在日朝鮮人へのいかなる制裁も科してはならないし、その必要もない。
2016年9月24日 記
スポンサーサイト