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「北朝鮮核批判に関する『断章』」①

「北朝鮮核批判に関する『断章』」①


1.世界の核兵器数

 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は毎年、世界の核戦力の実態について報告している。

 2013年については次のとおりである。

* アメリカ(1945年から)7700発
* ロシア(1949年から)8500発
* イギリス(1952年から)225発
* フランス(1960年から)300発
* 中国(1964年から)250発
* インド(1974年から)90~110発
* パキスタン(1998年から)100~120発
* イスラエル(―)80発
* 北朝鮮(2006年から)6~8発

 以上、核保有国9カ国の実数である。

 予想していたとおり、米国とロシアの保有数が突出していることが、改めて明らかになると同時に、英・仏・中を含む5カ国の国連安保理常任理事国が核兵器を独占している現状も確認できる。

 米ソ両国の核削減交渉は進んでいない実態も、この調査から明らかになった。

 インド、パキスタンの核は領土問題などからの紛争と核開発競争の結果である。インド、パキスタンの両国は、イスラエルとともに核拡散防止条約(NPT)にも包括的核実験禁止条約(CTBT)にも加盟していない。

 だが、米国はこの3カ国の核保有と未臨界核実験、コンピュータを使用した核実験のシュミレーションは黙認している。

 日本はインドとの間で、「日印原子力協定」(2015年12月)を結んだ。

 日本がNPT未加盟国と原子力協定を結ぶのは初めてで、「NPT未加盟国で核兵器保有」という状況を、日本は作り出そうとして、内外からの批判を受けている。

 NPTに加盟していない場合、原発など核の平和利用が認められていないためである。

 印パ紛争で、米国はインド側を支援しており、今回の日印原子力協定も黙認・容認する方向である。

 印パ紛争以降、中国はパキスタンの核開発を支援してきたから、印パ対立は別の米中対立の様式となっている。

 日本のインドへの原発輸出が、印パ間に新たな緊張感をもたらす可能性は十分にある。

 その下地を、日本と米国が作り出していて、世界の核兵器削減とは逆行している。

 一方、北朝鮮に関しては、ストックホルム国際平和研究所の世界の核兵器数報告によって、6~8発保有とされ、他の8カ国と比べても圧倒的に少ないが、9カ国目の核保有国と認定されている。

 米スタンフォード大のヘッカー教授は、北は20年までに計50個の核爆弾を保有する可能性もある(16年1月)と予想しているが、その根拠は不明である。

 インド、パキスタン、イスラエルの核開発と保有についてを不問にしてきた米国は、なぜ北朝鮮の核政策だけを神経質に問題にするのであろうか。

 そこには、米国の核政策での二重、三重の基準と、北朝鮮の核が米本土に向けられているとする恐怖心があったのだろうと思われる。

 それ故に、北朝鮮が核実験をするたびに、国際社会への「挑発」「脅威」だとのレッテルを張って、制裁論を主張することになるのだ。

 
2.朝鮮半島の現在

 北朝鮮と米国、南北朝鮮の対立について理解するには、朝鮮半島の現在を正しく知る必要がある。

 その朝鮮半島の現在は、朝鮮戦争がまだ終結せず、準戦時状態のまま38度線をはさんで、(北の)朝鮮人民軍と(南の)米韓両軍が対峙している状態である。朝鮮半島唯一の外国軍隊である在韓米軍がずっと南朝鮮に駐屯しているのだ。これはなぜか。

 53年7月27日に朝鮮半島停戦協定が締結されて以降も、米国は北朝鮮との戦争を終わらせることを拒否してきた。

 本来なら、停戦協定後に当時国間で、または第3国を介在させての和解講和、平和協定を締結するための協議を行うのが、国際社会の慣例である。

 朝鮮戦争は当初の内戦から、米軍介入、米韓国連軍の38度線突破、中国義勇軍の参戦によって、新たな国際戦争へと発展してしまった。

 51年6月23日、マリク・ソ連国連代表の停戦会談の提案により、7月10日から開城で停戦交渉に入った。

 停戦会談中も、米韓「国連軍」は51年秋、52年秋、53年春と、大攻撃を仕掛け、38度線を挟んだ戦線では、砲撃の音が鳴り響いていた。

 全戦線で銃声が止んだのが53年7月26日。

 翌27日、朝鮮人民軍と中国義勇軍および国連軍(米軍)のそれぞれ代表が停戦協定に調印して、停戦は成立した。

 韓国軍代表は調印式に出席していたものの、李承晩大統領の「武力北侵統一」の意向が強く、調印しなかった。

 停戦協定から和解、講和、平和協定に向けての協議が一度だけ行われている。

 54年4月26日から開催されたジュネーブ会議である。

 会議には、「国連軍」として朝鮮戦争に参戦した15カ国代表が出席したが、双方の非難合戦の場となり、何らの妥協もなく決裂してしまった。

 米国は当初から停戦協定を解消する意思がなく、インドシナ問題(ベトナムなどの共産主義化を防ぐための)を協議する場を利用しての会談であった。

 その後、北朝鮮は米国に対して、停戦協定を解消し、その後、朝鮮半島の平和安定への様々なプランを提示するが、いずれも米国は無視をしてきた。

 北朝鮮からの提案を無視し、協議のテーブルに座ることさえ、拒否をした米国は、代わりに核兵器での恫喝、米韓合同軍事演習のレベルを上げて、常に朝鮮半島の危機状態を作り出してきた。

 米国は現在も、朝鮮半島の「制度的統一」(米国式の自由、民主主義体制)を追求していて、そのための様々な圧力を北朝鮮に仕掛け、北朝鮮を敵視している。

 北朝鮮と米国は、敵対した関係が続いている。

 それを解消したいと願う北朝鮮は、朝米平和協定の締結を呼び掛けているのに対して、米国は北の体制崩壊作戦で応じている。

 朝鮮半島での「緊張」「危機」「脅威」の類は、米国の自作自演、米国の対北朝鮮政策の結果である。


3.長距離弾道ミサイル説

 北朝鮮は2月7日、地球観測衛星「光明星4号」の打ち上げに成功したと報道した。

 ところが、日本のマスメディアのすべては、宇宙周回衛星とはせずに、「事実上の弾道ミサイル」とか、「(北朝鮮が)人工衛星と称するミサイル」などと報道した。

 つまり、北朝鮮が打ち上げたものは、長距離弾道ミサイルだと断定しての報道であった。

 そうした情報源は米国である。

 では、人工衛星とミサイルはどのように違うのだろうか。

 衛星もミサイルも、飛行技術(弾道ミサイル技術)は、共通のロケットを使用する。

 その後、衛星の場合、高度約500キロまでロケットが飛び、その先端に搭載した「衛星」を、地球周回軌道に入れる。

 一方のミサイルの場合は、高度1,000キロ以上の大気圏外まで打ち上げて、ロケット部分を切り離し、大気圏に再突入させて、先端部分の搭載物を地上に向けて落下させる。

 両者の違いは、打ち上げた後、大気圏に再突入させるか否かの違いと、先端の弾頭部に搭載するものが衛星か大量破壊兵器(小型化した核)かの違いであり、それによって、人工衛星かミサイルかとなる。

 北朝鮮が打ち上げた搭載物2個が、地球周回軌道に乗り、周回していることを米国も確認したと発表した。人工衛星打ち上げと認定したのだ。

 ところが、米国務省は「ミサイル発射」、米大統領府は「ミサイル技術を用いた発射」だとして、北朝鮮に向き合う立場の違いから、その見解も違っていたことが明らかとなった。

 日本は、安倍晋三政権側もマスメディア側も、「人工衛星と称するミサイル」の発射との立場と表現を変えず、国民に不安と緊張、反北朝鮮感情を与えていた。

 ところで日本は2月17日、X線天文衛星「アストロH」を搭載したH2Aロケット30号を、鹿児島県種子島宇宙センターから打ち上げた。

 14分後に予定の軌道に衛星を投入し、打ち上げは成功したことを報道した。

 この衛星はブラックホールの成長過程など宇宙の全体像を解明するため、3年以上の観測を目指すとしている。

 この打ち上げ物について、すべてのマスメディアは、「人工衛星と称するミサイル」だとは表現せずに、「人工衛星の打ち上げ」と報道していた。

 結局は、マスメディアまでが(米国の)政治判断に従った北朝鮮情報を流し、一般市民に情報操作していることが、はっきりした。


4.テレビ出演のコメンテーターたちの質

 北朝鮮関連で、問題や緊張が発生するたび、特に民放テレビ局は、朝鮮問題専門家と称するコメンテーターたちを出演させて、彼らの口を借りた北朝鮮批判を行っている。

 民放テレビ局が多用する、いわゆる朝鮮問題「専門家」と称す人たちの北朝鮮情報の分析内容のほとんどは、米情報当局からのネタであって、それを自己流に色づけしているにしか過ぎない。

 特にマスメディアで多用されている(有名)専門家たちの大半は、北朝鮮を訪問したことがないから、北朝鮮の都市および農村建設の状況、人民たちの生活環境の発展と変化、人民と指導層との一体感の様子などを紹介したり、語ることができず、ワシントン情報の北朝鮮批判とプロパガンダ情報を上書きしているだけである。

 何も知らない多くの者たちには、彼らの言語の方が浸透しやすく、コメンテーターたちによって、北朝鮮への偏見が刻印されていく。

 彼らは、北朝鮮の水爆実験(1月6日)、人工衛星を打ち上げ(2月7日)についても、米国流否定的立場に立っている。 

 「(以前に比べて)技術進歩しているとは言え、まだ問題がある」などとのコメントなどはまだいい方で、すべてが疑問、懐疑的言語に終始している。

 彼らのことばは偏見、軽視、解曲、予断に満ちており、決して北朝鮮の現実や実態を語ってはいない。

 そのため、彼らの北朝鮮否定的論調が、日本社会を覆う状況となっている。

 その意味で現テレビコメンテーターたちの言語は、有害であると言える。

 彼らを多用している民放の北朝鮮報道も、日朝国交正常化交渉の進展を促しているのではなく、妨害している可能性がある。

 過去、私に対しても地元テレビ各局はもちろん東京のNHKおよび各民放キー局から、出演依頼、事前取材が何度もあった。

 そのつど、訪朝したおりの見聞や、関連資料から導き出した見解などを、取材記者たちに語った。

 若い取材記者たちの中には、私の(新鮮な)北朝鮮情報と見解に感動したり、長い期間の活動経験に敬意を表明する人たちもいたが、いずれも取材段階までで、朝鮮間連問題での直接のテレビ出演は一度もなかった。(演説や活動をしている場面でのニュース報道はあったものの)

 以上が日本での北朝鮮情報、報道の現実である。

 各報道機関が米プロパガンダ情報に基づいた反北朝鮮情勢を形作っている現実を、理解しておく必要があるだろう。


5.米韓合同軍事演習

 米軍は今年も、米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」及び「フォール・イーグル」を3月7日から4月末まで、予定通り実施すると発表した。

 過去最大規模(韓国国防省関係者)で実施するという。

 8月には「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」も予定している。

 米軍は北朝鮮の核実験を口実に、対中国牽制の思惑まで込めて、米韓、日米、日韓の軍事連携を次々と強め、合同軍事演習を経てそれらを実現(実戦)、完了させようとしている。

 すでに3月の米韓合同軍事演習前には、米海軍のバージニア級原潜と韓国海軍潜水艦が日本海で合同演習(2月13日~15日)している。

 レーダーが捉えにくい米空軍のF22ステルス戦闘機4機を韓国の鳥山(オサン)空軍基地に着陸させ、うち2機は当分の間、鳥山に残留させて、軍事力を誇示すると共に、核攻撃の可能性を維持している。

 また、合同軍事演習中には、米原子力空母のジョン・C・ステニスと同時に、米海軍佐世保基地配備の強襲揚陸艦「ボノム・リシャール(乗組員1200人」を派遣するという。米間両海兵隊による上陸作戦演習に参加し、北朝鮮に強い圧力をかけようとしている。

 新型輸送機オスプレイの搭載も可能で、沖縄の米海兵隊との一体運用となる。日本(自衛隊)もすでに、合同軍事演習に参加していることになる。

 北朝鮮が人工衛星(米軍はあくまでも弾道ミサイル発射実験と解釈)の打ち上げを受けて、北朝鮮によるミサイル攻撃に対抗して計画した「4D作戦」の訓練まで実施する方向で検討している。

 4D作戦は、探知・かく乱・破壊・防御の4段階からなる作戦で、米国の偵察衛星レーダー、無人偵察機などを動員して、北朝鮮側の動きを探知し、短時間内に相手のミサイルを攻撃して破壊するというものである。

 そして、米軍念願の高高度迎撃ミサイルシステム(サード)配備に向けた公式協議を韓国側と開始し、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結に向けた動きを後押ししている。

 以上のような軍事演習は、演習だけで終わるのではなく、朝鮮人民軍の動きを誘発し、直ぐさま実戦へと転化できる先制攻撃を準備していて、非常な危険性を有している。

 米国は北朝鮮との戦争を終わらせることを一貫して拒否しており、北朝鮮の体制を破壊する様々な作戦計画を策定し、それを軍事演習で実施しているのだ。

(続く)
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言語と暴力

「言語と暴力」


1.
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が行った水爆実験(1月6日)と地球観測衛星打ち上げ(2月7日)に対して、米国を中心に、「制裁」論が横行している。

 しかも、水爆を疑問視して、「核実験」、人工衛星を「長距離弾道ミサイル」だと、それぞれ言いかえて、「挑発」「暴挙」の言葉を浴びせた上で、北朝鮮をすっかり「脅威」の犯人に仕立て上げてしまった。

 米国の同盟国である故か、北朝鮮と隣国であったが故か、日本と韓国の両国は、米国よりも先行しての制裁論を振りまき、国連安保理で厳しい制裁決議が可決できる環境を整えようとしてきた。

 その結果、韓国政府は10日、唯一残っていた南北経済協力事業の開城工業団地の稼働を全面的に中断すると発表、11日に閉鎖した。

 日本の安倍内閣は19日、北朝鮮が核実験と長距離弾道ミサイル発射を強行したとして、独自制裁措置を臨時閣議で決定した。

 さらに、オバマ米大統領は18日、上下両院で可決した北朝鮮に対する米独自制裁法案に署名、同法を成立させた。

 こうして日米韓の3カ国は、国連安保理の決議に先行して制裁に慎重な中国とロシアを牽制する歩調を合わせ、強い姿勢を見せつけた。


2.
 これまで、安保理が北朝鮮に対して、制裁決議などを行ってきた状況を以下に列記してみる。

①93年5月29日・ミサイル(ノドン1号)発射→6月11日・米朝共同声明で抑止発表

②98年8月31日・ミサイル(テポドン1号)発射→9月15日・安保理報道声明

③06年7月5日・ミサイル(テポドン2号)発射→7月15日・安保理非難決議

④06年10月9日・第1回核実験→10月14日・安保理制裁決議1718

⑤09年4月5日・ミサイル(テポドン改良型)発射→4月13日・安保理議長声明

⑥09年5月25日・第2回核実験→6月12日・安保理制裁決議1874

⑦12年4月13日・ミサイル(テポドン2号)発射→4月16日・安保理議長声明

⑧13年2月12日・第3回核実験→3月7日・安保理制裁決議2094

⑨16年1月6日・第4回核実験→1月6日・安保理報道声明

 以上の9回にも及ぶが、第4回核実験に対しては、同日の報道声明で、「過去の核実験で採択した安保理決議の明白な違反、国際平和への脅威」だと強く非難して、更なる追加制裁を決議する方向で検討していた。

 中国とロシアが厳しい制裁内容に難色を示したため、日米韓3カ国の制裁強化論が突出する中、北朝鮮は2月7日に人工衛星を打ち上げた。


3.
 北朝鮮の核実験やミサイル発射に対して、米国が「制裁」論を強調するのは、核拡散防止と朝鮮半島の平和安定を根拠としている。

 核拡散防止を言うなら、米国はまず自らの核削減に努力をすべきである。さらに、臨界核実験の実施や、インドやイスラエルの核について黙認している二重基準の核政策を認めたうえで、朝鮮半島の非核問題と向き合うべきだ。

 また、朝鮮半島の平和安定で言うなら、その基本は現在の停戦協定を朝米平和協定に転換し、朝鮮戦争の継続を断ち切ることである。

 北朝鮮が呼び掛ける平和協定への協議を無視している米国の朝鮮半島の平和安定とは、米国式自由と民主主義を北朝鮮が受け入れることである。

 ところが、米国は、それらとは真逆の敵視、核恫喝を中止とした政治的軍事的恐喝を続けてきた。

 そのために作成している「作戦計画」の内容のレベルを上げてきている。

 ここ数年は、金正恩体制を破壊する目的の様々な作戦計画、軍事演習、諜報活動を実施している。

 当然、北朝鮮側は国と民族、社会主義体制を守護するために、核抑止政策、核保有を選択した。

 米国は北朝鮮の核抑止政策に対して、「挑発」だとか「強硬姿勢」などの言語を浴びせている。

 朝鮮半島の核危機を作り出している当の本人が、その相手の防衛行動や対策に対して、「挑発だ」「脅威だ」と叫ぶのは、すでに言語の暴力となっている。

 「挑発」や「脅威」は、米国自身の姿だったからである。


4.
 北朝鮮に対する「制裁」論が、あまりにも安易に主張、報道されているため、呆れると同時に怒りの心で、「制裁」の語源を探る辞書遊びを少しやってみた。

 「制裁」は、こらしめる、罰、仕置き、処罰、懲罰とある。

 「こらしめる」とは、戒めを与えて懲りさせる、折檻、不正な行為や義務違反に対して制裁を加えること、とある。

 「戒める」とは、注意する、禁じる、叱る、とがめる、警戒する、叱正(叱って直させること)、厳禁すること、とあり、「警戒する」の項を見ると、用心をすること、注意すること、となっている。

 さらに、「叱る」の項では、声に出して戒する、呵責、叱咤、とある。

 「制裁」の語意では、叱るがキーワードになっているようだ。

 北朝鮮の核抑止政策は、米国の暴力政策に対しての防衛である。

 敵対する国からの軍事的脅威に対して、防衛力でもって対応することは、普遍的原理であり、正当防衛である。

 その北朝鮮の正当防衛の、突出した部分(ミサイル発射及び核実験)だけをもって、「脅威だ」「制裁だ」と決めつけること自体、一種の暴力となっている。北朝鮮「制裁」論を、国際的影響力が強い米国が主張する場合、兵器での攻撃と同様の暴力となる。

 このことを考えると、国連安保理で議論するのは、米国への制裁論、少なくとも朝米平和協定の実現に向けたものであるべきである。


                                                                 2016年2月23日 記 

「安倍政権は拉致問題での正直な報告を行え!」

「安倍政権は拉致問題での正直な報告を行え!」


1.
 拉致被害者家族会(家族会)の人々は困惑、混乱しているだろう。

 北朝鮮が、拉致被害者を含む日本人に関する再調査の全面中止を宣言したからである。

 家族会の人々の意見は、「政府はもっとしっかり対応してほしかった」「粘り強い交渉を」「強い態度で臨むべきだ」など、微妙に分かれている。

 家族会発足当初の北朝鮮への制裁・圧力一辺倒の強硬な主張も、ストックホルム合意以降、交渉に期待するなどの意見も出るようになった。

 政府間交渉でしか解決できないため、安倍政権を信頼し、その言葉、行動を信じるしかなかった。

 拉致問題を政治化することによって成立したような安倍政権は、「拉致の解決(全員が生きて帰国すること)」「安倍政権によって解決する」などと、大見栄を切ってしまった。

 家族会の人たちもまた、被害者は全員生きているとの思いを抱き、安倍政権のパフォーマンスとお付き合いをしてきた。

 
2.
 ストックホルム合意は決して、拉致被害者の調査を優先するというものではない。

 日朝平壌宣言に則り、懸案する日本人すべての調査を行って解決を図り、日朝国交正常化の道へとつなげることを約束している。

 日本人調査の内容は、①45年前後に北朝鮮地域で亡くなった日本人の遺骨収集と墓参、②59年以降、北朝鮮に渡航した日本人妻に関する調査、③拉致被害者(日本政府が認定する12人)の調査、④日本側が言う「特定失踪者」の調査など、すべての日本人に関する調査となっている。

 北朝鮮は「特別調査委員会」を設置し、14年7月から調査を実施。

 安倍政権は、ストックホルム合意、特別調査委員会について、拉致被害者の調査だけを行うもの、または最優先事項だとして、合意内容とは違うことを日本国内に伝えている。

 以後は、その辻褄合わせの虚偽報告を重ねてきた。


3.
 15年から、日朝の非公式協議を中国の上海や北京で、月1回のペースで開催するようになった。

 北朝鮮側からは国家安全保衛部の関係者や、宋日昊国交正常化交渉担当大使らが出席。

 4月の協議で、北朝鮮側が日本人の遺骨、日本人妻に関する調査結果の報告書を提示した。

 これに対して日本側は、優先実施を求めた拉致被害者の調査結果が含まれていないとして、受取を拒否した。

 その後、北朝鮮側は日本政府が認定した12人の拉致被害者について、「8人死亡、4人は入国していない」との従来通りの報告を行った。

 日本側はそのような回答は受け取れないとして、協議の進展もない。

 安倍政権は日本国内に向かって、約束の一年が過ぎても北朝鮮からは何らの回答もなく、約束を破っているとして、反北朝鮮宣伝を行ってきた。

 家族会には非公式協議での実際のことを報告していたのかどうか、はなはだ疑問である。


4.
 私は昨年8月、解放70周年祭典行事に北朝鮮から招待されて参加した。

 帰国する前日に、宋日昊朝日大使と、昼食懇談会をもった。彼は朝米関係のことや、最近の国連の動きを話した後、日朝関係について語った。

 非公式協議についても若干ふれながら、日本側が拉致被害者の調査報告内容を受け取らないので、協議は膠着状態に陥っていると嘆いた。

 このままだと協議そのものが決裂する可能性もあると示唆していた。

 今年訪朝した民主党の国会議員にも、宋大使は、拉致問題の再調査を終え、報告書は完成したが、日本政府が受取を拒んでいることを話した。

 議員は国会でそのことを質したが、安倍政権側は北朝鮮から回答がないの一点張りで、質問には何も答えなかった。

 なぜ正直に、非公式協議での状況を国民に報告しないのだろうか。

 安倍政権の対応には理解し難いものがある。

 何を隠しているのだろうか。

 北朝鮮側の再調査全面中止宣言に、安堵しているのではないだろうか。


                                                                  2016年2月15日 記

「朝鮮半島脅威の真犯人」

「朝鮮半島脅威の真犯人」


1.
 朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)が水爆実験(1月6日)に続き、地球観測衛星打ち上げ(2月7日)を行ったことに対して、米国はいち早く、北朝鮮への制裁強化論を主張した。

 同盟国の日韓両国を利用し、国際的制裁論キャンペーンを展開した。

 日韓両国とも、米国の意向を受け入れ、忠実に実施している。

 日本は10日、2014年5月に日朝がスウェーデン・ストックホルムで拉致問題などでの再調査で合意し、同年7月に北朝鮮が特別調査委員会を設置したことに伴って解除した制裁を復活させると同時に、人と船舶の往来規制拡大、送金の原則禁止などの新たな制裁を追加すると発表した。

 これに対して北朝鮮は12日、核実験や人工衛星打ち上げは、「主権国家の合法的な権利行使」で、「日本はストックホルム合意と何ら関係のない問題を口実に全ての約束を破り、われわれに正面から挑発を仕掛けた」と非難。

 制裁は「われわれに対する全面的な挑発」であり、安倍政権自らが、ストックホルム合意を「破棄したと公言したことになる」と断罪し、12日から拉致被害者を含む日本人の包括的な調査を全面的に中止すると宣言。国家安全保衛部が率いる「特別調査委員会」を解体するとした。

 つまり、日朝間の窓口がすべて閉じられてしまったことになる。

 
2.
 韓国もまた日本と同日の10日、南北経済協力事業の開城工業団地稼働の全面中断を決定、発表した。

 中断は10日付け、撤収作業を11日に始めるとした。

 開城工業団地は、これまで南北経済協力及び交流の象徴的存在として機能してきた。

 様々な業種の韓国124社の中小、零細企業が進出し、操業していたが、突然の団地閉鎖で倒産や規模縮小は免れないだろう。

 彼らに対する補償、サポート等が新たに発生し、社会問題に発展する可能性をも引き受けて、朴槿恵政権は工業団地閉鎖に踏み切ったことになる。

 自らが血の出る内容を実行することで、中国に対北朝鮮制裁の発動を促すことが狙いだとしているが、米国からの意向があったからだろう。

 工業団地閉鎖によって、南北間のホットラインはすべて断ち切られてしまった。

 これに対して北朝鮮は11日、祖国平和統一委員会が声明で、工業団地を閉鎖し、韓国側関係者を追放すると発表した。

 声明で、韓国の稼働中断は、「北南関係の最後の命脈を絶つ破綻宣言だ」と非難。

 同時に、団地は、「軍事統制区域」にするとし、団地内の韓国側資産を凍結するとした。

 
3.
 一方で、年初来、国際金融市場が混乱している。

 牽引役だった米国経済の雇用情勢、企業業績、投資環境などの「変調」が、世界経済の減速に反映されている。

 その背景には、原油価格の低迷とともに、数年前まで好調だった中国経済の減速がある。

 中国経済はこれまでの輸出主導から内需主導へと、構造転換をめざそうとしているが、中国の人民元は米国のドルに固定しているため、米国の利上げドル高で人民元も割高となり、それが中国経済の足を引っ張っている側面もある。

 潜在成長率の急低下、過剰設備や債務、通貨高問題などで、中国経済はいま苦しんでいる。

 米国もまた、7年に及ぶ事実上のゼロ金利政策に終止符を打ち出したことで、米経済、相場に動揺を与えている。

 米国経済の真相は、中国頼みの経済から脱皮できずにいることからの「変調」である。

 米中両国は、軍事面では対立しているように見えて、経済面では深く結び付き、協調関係を維持せざるを得ない関係になっている。

 さて、今回の対北朝鮮制裁論で、中国が同調しないことに、米国は相当苛立っているのは事実だ。

 直接の説得も効果がなく、その役割を日韓両国に託してしまった。

 米国には、これ以上の中国との対立を避け、経済の安定を図る必要があったからである。

 オバマ政権には、現在の米中関係をこれ以上、犠牲にしてまで、中国の銀行や企業にまで影響が及ぶ制裁には、慎重にならざるを得ない側面がある。

 世界経済における米国のリスク(中国リスクではない)が懸念されているように、政治面でも、米国の力の減退が今の対北朝鮮制裁騒動から見えている。


4.
 北朝鮮は声明で、1月6日の水爆実験の目的を、米国をはじめとする敵対勢力の日増しに増大する核の脅威から国の自主権と民族の生存権を守り、朝鮮半島の平和と地域の安全を保障するための自衛的措置であるとした。

 また、2月7日に行った地球観測衛星「光明星4号」打ち上げは、国際法に基づき、すべての主権国家に認められた自主的権利であり、あくまでも地球観測などの平和利用を目的としていると発表した。

 米国はこれまでずっと北朝鮮を敵視して核攻撃威嚇政策を継続し、近年はそのレベルを上げてきている。

 このため、北朝鮮は社会主義体制と民族自主権を守るために、2つの政策を追求してきた。

 1つは、停戦協定を朝米平和協定に転換する問題である。朝鮮半島の準戦時状態と米国との敵対関係を解消することで、地域の平和と安定を実現するものである。

 米国は未だに応えてはいない。

 もう一つは、万が一、米国からの核攻撃があったとしても、2発目の核が撃ち込まれる前に、必ず1発は米国本土(ワシントン及びニューヨーク)へと反撃できる戦略を追求することであった。

 「最後の決戦」である。

 北朝鮮のその最後の決意さえ、米国は無視している。


5.
 今回もまた、米国の戦略の補完役を果たしてきた日韓両国では、その結果はどうなっているのか。

 安倍晋三政権は、国会で敵基地攻撃論やピンポイント攻撃を云々し、安保関連法案の現実化を話すようになった。

 また、北朝鮮がストックホルム合意の「破棄」を宣言したことで、日本人拉致問題の解決を目指していた安倍政権は、強い反発を示した。

 「極めて遺憾だ。許し難い」「引き続き北朝鮮に拉致問題の解決を働きかける。今後も対話の扉を閉ざすことはない」と、混乱している。

 拉致被害者家族は、政府に対して「しっかりして、いろいろな形で強く言ってほしい」「解決に向けて方法を変えていかないといけない」などと、制裁論だけでは問題の前進がないことを理解する言葉が出ている。

 安倍政権は、拉致問題を含む日朝間の懸案事項を解決するとして、日朝ストックホルム合意を結んだ。

 ストックホルム合意は、日本側が「日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現する意思を改めて明らかにし、日朝間の信頼を醸成し、関係改善を目指すため、誠実に臨む」と約束している。

 その証明として、制裁の一部を解除した。

 今回の措置で、その制裁を復活させた。

 北朝鮮側から見れば、そのことが、日朝ストックホルム合意違反、一方的破棄行為と理解したのである。


6.
 韓国の方はどうか。

 開城工業団地に進出していた企業の救援問題で、野党側は反発している。

 今後、この問題で韓国側では、政治問題となる可能性もある。

 それ以前に、南北軍事当局間の直通電話、板門店の赤十字間電話が途絶え、南北間のすべての連絡チャンネルや交流が断絶してしまったことで、1972年7月(南北直通電話開通を決めた)以前に逆戻りしたことで、南北軍事緊張が一層高まってきた。

 それをいいことに朴政権は、北からの攻撃に備えるとの理由で韓国軍の態勢を整え、ソウル近郊では戦車などを使った大規模訓練に踏み切った。

 3月には、新しい「作戦計画」を実施する米韓合同軍事演習を予定している。

 実施すれば、南北関係は一気に悪化し、危機状況が訪れてくるだろう。

 米国はこの機会を利用して、念願の「高高度ミサイル防衛システム(サード)」配備の公式協議を、韓国側と開始(7月)すると発表した。(日本も配備の検討に言及している)

 サードの守備範囲(レーダーの射程範囲)は、朝鮮半島防衛をはるかに超えていて、アジア大陸の奥深くにまで及ぶ。中国領土だけでなく、周辺地域の国々の戦略的な安全保障を脅かす。

 そのため、サードを韓国内に配備する米国の意図は、対中国を含むアジア全域の戦略にあったことが伺える。

 そのことを理解している中国は、韓国に対して再々、「中国の戦略的安全保障上の利益を損なうのは明らかだ」として、不快感と牽制球を投げているのは当然だ。

 米国は、北朝鮮制裁論を口実にして、東アジア戦略における強力な日米韓3カ国体制を築き上げたことに満足しているだろう。

 この3国体制、中国をも脅かす存在になっている。

 現在の米国だけでは、中国の軍事力台頭に対応できないことを、日韓両国の軍事的突出を活用することで達成できたことで、オバマ政権は、中国の意見を無視して、国連安保理での対北朝鮮追加制裁を推進しようとしている。


7.
 米国はなぜ、北朝鮮が核実験やミサイルを発射するたび、「挑発」「暴挙」だと、国際的に非難を繰り返すのだろうか。

 北朝鮮が核実験やミサイルを発射するたびに米国は、北朝鮮非難や制裁論キャンペーンを展開した。

 だが、制裁の度に北朝鮮の核やミサイルの性能は確実に上がっている。

 米国はそのことに対しても恐怖感を持っているが、それより北朝鮮の核やミサイルが米本土に向けられていることに、より恐怖感を持ち、阻止する国際キャンペーンを展開してきた。

 オバマ政権のそれは、「戦略的関与」政策であった。

 北朝鮮が核政策を放棄する以外の朝米対話を拒否する一方、北の社会主義体制を崩壊するための米韓合同軍事演習や作戦計画のレベルを上げて、北朝鮮を脅迫してきた。

 米国の対北朝鮮脅迫の数々は、常に朝鮮半島に軍事的緊張と危機をもたらしている。

 つまり、朝鮮半島とその周辺の脅威や緊張は、米国が作り上げて、もたらしているのだ。

 オバマ政権は忍耐どころか、北朝鮮と真剣に向き合っていく意思が見受けられない。

 だから北朝鮮の態度を「挑発」「暴挙」だとのレッテルを貼って、国際的孤立化を図ることしか実行してこなかった。愚行で愚策だ。


8.
 米国は、朝鮮半島で再び戦争をする用意がないのならば、まずは朝鮮戦争の停戦協定を平和協定に転換する協議を北朝鮮と行うべきである。

 そうしてこそ、朝鮮半島の非核化に向けての協議ができる。敵視政策や核脅迫政策は放棄する必要がある。

 任期が少なくなったオバマ政権には、大きな政策転換ができないとしても、せめて彼には3月からの米韓合同軍事演習の中止、または縮小を期待したい。

 そのことを、朝米平和協定に移行する米国の意志として、次期政権に引き継いでもうらことをオバマ政権のレガシーとすることはできるだろう。


                                                                  2016年2月14日 記

「オバマ米政権の正体」

「オバマ米政権の正体」

1.
 米国の大統領選挙の予備選挙は2日、アイオワ州の党員集会から始まった。

 今後は6月14日の首都ワシントンで民主党の最後の予備選を経て、7月に民主党と共和党がそれぞれ全国大会を開催し、11月8日の本選で新大統領が選出されることになっている。

 同時にオバマ大統領は徐々にレームダック化しつつ、去っていく。

 オバマ時代の8年間における対北朝鮮政策は、表向きは「戦略的忍耐」「無関心政策」を掲げてはいたが、現実は強硬的な制裁に終始していたと言ってもよいのではないか。

 つまりは、自国の帝国主義政策上の観点から、強い関心と関与を続けていたのだ。

 その点を少し考えてみる。


2.
 米国はキリスト教国と言えるほど、大統領選挙でも上下両院選挙でも、右派から中道左派までのキリスト各教派団体が大きな影響力を行使している。

 歴代大統領も聖書の上に手を置いて就任宣誓を行っている。(これでは、大統領活動を米国民に誓っているのか、キリストに誓っているのかはっきりしない)

 どのキリスト教派も、社会主義・共産主義思想を忌避し、社会主義を信じ擁護する個人、集団、国家を敵対視している。

 米国のそうした姿勢は、第2次世界大戦後にソ連の影響で誕生した東欧社会主義諸国とソ連の浸透を封じ込める目的で鉄のカーテンを敷き、東西冷戦体制を設定した。

 東側陣営(ソ連中心)と西側陣営(米国中心)の、政治・経済・文化・軍事の壮絶な戦いが繰り広げられてきた。

 アジア地域、特に東アジア地域ではソ連の南下政策、中国の台湾を含む進出政策を阻止するために、朝鮮半島を最前線拠点に、日本列島をその反共戦略の要(基地)とした。

 ところが38度線以北地域に社会主義政権・体制が成立することが分かると、朝鮮人民の強い抵抗があったにも関わらず、急いで、南朝鮮地域だけの選挙を実施した。さらに、自由主義陣営の砦とするとはいえ、それではまだ不安定なので、北部朝鮮の社会主義政権を壊滅させる目的で戦争を誘発した。

 この朝鮮戦争の中、米国は3回も核攻撃を意図している。

 社会主義体制・国家を、この地上から消滅させることを政治の中心に置いていた米国の恐怖心からであろう。

 結局は中国の義勇軍の参戦を招き、米軍は勝利なき戦争を終結させざるを得なくなった。

 38度線を軍事境界とする停戦協定に調印はしたものの、それ以上の平和協定への転換を進めることはせず、朝鮮半島を「危険地帯」として存続させることで、南朝鮮政治と社会を強固な反共社会に変質させた。

 米軍を「国連軍司令部」と詐称したままで南朝鮮に駐屯させることで、引き続き国連や西側社会に、「北の挑発」的プロパガンダ情報を受け入れやすい環境を整えていった。

 中国は経済の自由化を実施したとはいえ、政治の社会主義化は変更していないこともあって、米国のアジア政策にとっては脅威で、信頼が持てない。

 東アジアを安定的に支配するためには、中国の政治的軍事的封じ込め策の必要性から、日本の軍事的発展を促し、支援してきた。

 米国は、日韓両国との完全な軍事的3国体制の強化策をずっと追求してきた。この3国体制を強固にしていくことで、東アジアに残る北朝鮮と中国の社会主義体制の自由主義、民主主義への転換と完成を画策している。

 中国に対しては、米中経済・貿易の拡大を、北朝鮮に対しては経済の改革開放政策を要求し続けている。

 だが、北朝鮮は米国の思惑を拒否し、朝鮮式社会主義の発展を進めていくことを表明して、推進している。

 情勢判断の甘さとつぶされた面子とによって、米国は、冷戦体制崩壊の1990年から、「北が核開発を進めている」との情報を流すと共に、そういった情報とは別に「米韓合同軍事演習」などで、北の核脅迫・攻撃作戦を進めてきた。

 北朝鮮の社会主義体制を転換させるために、国際世論に対しては、「北が核政策を追求している」と宣伝し、自らは北朝鮮に核恫喝を続けている。

 これは、米国の矛盾した政策、ジレンマ政策であるとも言える。

 その結果はどうなったか。

 北朝鮮は核保有国となった。米国政治の失敗である。


3.
 オバマ政権2期目の対北朝鮮政策は、外科的手術(核保有国としたこと)に失敗したため、内科的手術を追求してきたようだ。

 内科的手術とは、北の体制崩壊を目的とすることである。

 この政策もまた、これまで米国が多くの国、地域で実施してきた常套手段であった。

 だが、米国の情報機関や軍隊が直接、北に入国できないため、民間人または民間人を装った諜報員を、観光目的で入国させること(北の人間と接触させるため)と、米韓合同軍事演習の「作戦計画」のレベルを上げる両面作戦を実施している。

 諜報活動と軍事作戦の両面を簡単に見ていこう。

 *諜報活動

 米国は、対北朝鮮政策の中で、米国式自由や民主主義の概念に合わないものを、内容的に捏造して、国際機関や国際世論に提起し、北朝鮮の社会主義体制のイメージをダウンさせ、または孤立化させる作戦を行っている。

 2014年度「信教の自由」に関する報告書で北朝鮮を「特に懸念される国」、最悪の「人権蹂躙国の中の一つ」だと云々、国際刑事裁判所(ICC)に付託するとした。

 さらに、脱北者の虚偽報告に基づいた北の「人権決議案」を第70回国連総会第3委員会で強行採択させた。

 また、2015年に入ってからのオバマ氏の対北朝鮮関連の発言には、悪意に満ちた中傷の類が目立ってきている。

 ①「北朝鮮をインターネットを通じた情報流入で必ず崩壊させる」(年初)

 ②下院議会の外交委員会公聴会で「北への強度の金融制裁とテロ支援国家再指定」を示唆し、議論(1月13日)

 ③北の体制は「一日も早く崩壊させなければならない」(1月22日)

 ④南朝鮮に対して、南北対話は必ず「北の非核化」と結びつかなければならないとの圧力をかけ、10月から行われていた南北会談での金剛山観光再開問題を決裂させた。

 以上の例からもわかるように、北朝鮮の体制を内部から瓦解させ、転覆させようとする思想、文化的な心理戦、謀略戦である。

 米政権は一貫して、北朝鮮の人民生活向上と直結した経済体制を破壊させようと、様々な経済関連の制裁騒動に力を入れている。

 1月6日の水爆実験に対して、いち早く「制裁の強化」をと、各国に呼び掛けている。

 こうした行為は、国連に加盟している主権国家に対する戦争行為と同じである。

 以上、こうした帝国主義的政治を米国自身が棄てられないとしたら、朝鮮半島地域はもちろん世界の平和と人類の幸福と安定生活を築く必要上、米帝国主義を地球上から完全に葬り去るべきだと、自主陣営から声が挙がってくるだろう。

*軍事作戦

 オバマ政権の2015年は、北への戦争挑発を執拗に繰り返し、高い実戦段階へと計画を進めている。全く、狂気の沙汰である。

 毎年2月下旬から4月上旬まで展開している米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」。

 事前に、沖縄の米軍空軍基地に12機のF16戦闘機を配備し、米韓連合師団参謀部を設置して、米軍の軍事作戦と計画、体系と機構を実戦遂行に合わせた整備、補強してから、合同軍事演習を行っている。

 8月の「ウルチフリーダムガーディアン」合同軍事演習では、「作戦計画5027」と「作戦計画5029」を統合し、新たな北侵戦争計画「作戦計画5015」を稼働させ、米韓共同の局地挑発対応計画(対北)を立てて、実施した。

 この時の準実戦作戦として、軍事境界線南側地域の憲兵哨所で、地雷爆発事件を起こし、これを「北の仕業」として、演出した。

 事件は稚拙で、やがて韓国軍側から、雨で流された地雷だとの情報が流れた。

 8月20日には、「北の砲撃発射」事件があったとして、それを口実とした数十発の砲弾を撃ち込み、戦争危機一髪の状況を発生させた。(北には前線地帯に準戦時状態を宣布)

 10月に行われた南北間の離散家族及び親戚の再会行事期に、米軍はロナルド・レーガン空母打撃群を投入して、北侵戦争騒動を起こし、愚かにも朝鮮人民たちに戦争勃発の恐怖を浴びせた。

 11月2日の米韓定例安保協議では、北の核、ミサイルを先制攻撃するための「4D(探知、防御、かく乱、破壊)作戦計画」を公表し、それを新たに創設した「作戦計画5015」に反映させるとした。

 以上、いつでも実戦を誘発する米韓合同軍事演習と、新たな作戦計画の作成などによって、朝鮮半島と周辺地域での核戦争勃発の危険性を、極度に増大させてきたのは米国である。

 米国こそ戦争狂である。


                                                                    2016年2月7日 記

「朴槿恵政権の位置を問う」

「朴槿恵政権の位置を問う」

1.
 昨2015年の朝鮮半島は、南北対話と交流が進展したのではなく、その逆の対決状況に陥っていた。

 その背景には、オバマ米政権の「北敵視」と「体制転覆」政策の影響が作用している。

 同時に、中東情勢に力を入れていた米国は、対朝鮮問題は長期性を帯びる問題で、今は大きな関心を寄せることはないなどとの理屈を付けて、韓国の朴政権に自国の代行役を務めさせていた。

 朴政権もまた、米国の意向以上の反北言動を行ってきた。

 例えば第70回国連総会(2015年9月)での、朴政権の「一般討論」演説を聞いてみよう。

 「北の核は、核兵器のない世界に進ために最優先に解決すべき問題だ」と、米国が従来から主張している「先に北が核政策を放棄すれば朝米2国間対話はあり得る」とする説と、符号している。

 さらに「北は追加挑発よりも、改革と開放で住民が困難を抜け出せるように努力すべきである」などと改革開放を要求して、吸収統一、制度統一への野望姿勢を、臆面もなくさらけ出した。

 それ以外にも、米国が追及している「北の人権問題」に言及して、同族の立場を忘れたように、敵対関係の言語を連ねた演説内容となっていた。

 
2.
 北の忍耐的努力により、久方ぶりに南北当局者会談(2015年12月11日、12日)が開城工業地区で行われたときのことである。

 北側は、金剛山観光の再開と離散家族問題を、南側は離散家族・親戚問題、北のモデル農場と病害虫対策支援問題、核問題などを、それぞれテーマとして提出した。

 双方、離散家族問題の討論では一致していたものの、北が金剛山観光問題との同時推進、履行を提起、南が離散家族問題をまず解決した後に、観光再開の実務接触を話し合うという分離方式を提起した。

 南北朝鮮の状況を十分に知らない者からするとこれらは同一テーマであり、話しあう順序が違うだけに考えるかもしれない。

 ただ、その底流には、米国の意向が隠されていたのだ。

 会談日程を延長した2日目、南側は金剛山観光の再開は、米国の承認なしには合意できないのだと開き直り、会談を決裂へと追い込んでしまった。

 米国は現在、北の経済制裁を強化する問題で動いている。

 金剛山観光が再開されれば観光収入が北に入り、経済制裁と矛盾するため、米国はこれを阻止するために南に圧力をかけていた。

 南北会談を決裂させたのは、南朝鮮ではあったものの、実際は米国の意図(意思)を受け取り、米国のシナリオ通りに動いた結果がもたらしたものである。


3.
 米韓は同盟国である。

 同盟国ではあるが、対等な同盟ではなく、韓国が米国に従属した関係にある。(日本も同様)

 以下の事例が、現実の米韓関係の実態をよく表しているだろう。

 韓国が1997年から98年(金大中氏時代)にかけて、通貨危機(国家的不渡り)に陥っていたときのことである。

 その韓国を助けようとする国はどこからも現れず、同盟国の米国さえも救援の声を挙げなかった。

 切羽詰った当時の金大中政権は、IMFの介入を受け入れることで、苦境を切り抜けようとした。

 そのために財閥の解体や大規模な労働者整理を断行したため、国民からの反感を受けた。

 何とか国家破綻からの危機を切り抜けることができた。

 米国はIMFへの斡旋をしたのかもしれないが、米政権も米国内の大企業さえも、韓国の苦悩を黙って見ていただけである。

 言ってみれば、親しい友人が溺れかけて必死に救助の手を上げているにもかかわらず、米国は直接には手出しをせず、近くにいた者をあれこれ指示しているだけであったと言える。余りにも冷淡である。

 そうした米国の対応を受けてもなお、韓国側は米国とは重要な同盟関係だと言うのだろうか。甚だ疑問だ。

 このような過去がありながら、朴槿恵政権は米国の意向を中心とした対北敵視政策を実行しているだけである。果たしてこれでいいのだろうか。


4.
 北朝鮮が4回目の核実験を行った直後の1月13日、韓国の朴槿恵大統領は、国民向け談話発表と記者会見を行った。

 以下、発言の概略のうち、北朝鮮関連だけ挙げる。

 「北の核実験(4回目)は我々の安保に対する重大な挑発であり、我が民族の生存と未来に対する深刻な威嚇であり、北東アジア地域はもちろん全世界の平和と安全を威嚇する、容認できない行為」だとして、最大の危機意識を表現したが、韓国自らの主導的な解決策を何も語っていない。

 彼女が言った解決策は以下の3点である。

 「韓国は北朝鮮の核実験に対する一次的対応として、拡声器による対北放送を再開した。全体主義体制に対し、最も強力な脅威は真実の力だ。これからも、北の住民に対し、真実を伝えるための努力を続ける」

 「国連安保理の次元だけではなく、2国間、多国間の次元での協調で、北朝鮮が痛みを感じる実効的な制裁措置を取るよう米国など友邦と緊密に努力する」

 「中国はこれまで北朝鮮の核を認めない意志を公言してきた。こうした強力な意志が実際に必要な処置と結びつかなければ、北朝鮮の5回目、6回目の核実験を防ぐことができず、朝鮮半島の真の平和と安定を保障できないという点を中国もよく分かっていると思われる。今後、中国が国連安保理常任理事国として必要な役割を果たすことを信じている」

 朴槿恵氏の米中への発言は、朴政権がすでにレームダック化していることを語るかのように、「お願い」になっている。

 オバマ政権は昨年末には北朝鮮の核実験の兆候をつかみ、観測機を飛ばしていたが、韓国には何も伝えていない。

 米国の冷酷さは、大国としての傲慢さだが、北の「核脅威」の最前線にある同盟国の韓国への配慮が、今回も感じられなかった。

 また、朴氏は中国の習近平氏と6回も首脳会談を行い、中韓外交の蜜月ぶりをみせていたが、北の核問題から異常をきたしている。

 朴氏が求めた習氏との電話首脳会談を、中国は放置したままでいる。

 さらに昨年末に開設された中韓国防省間のホットラインも不通で、両国外相会談も北朝鮮の核実験発表57時間後になって、やっと電話会談したものの、王毅中国外相は何の言質も与えなかった。

 以上の現象は、朴槿恵政権が米中両国から軽視されるという現実を示しているのではないか。

 それにも関わらず韓国は、米国が北朝鮮への対抗措置として、B52戦略爆撃機を韓国近辺に展開したことを歓迎し、高高度ミサイル(THAAD)導入構想まで検討し始めた。

 結局、朴槿恵氏は、北への「処罪と制裁」を語っただけで、それはオバマ氏のメッセージを代読しているようなものであった。

 もっと現実の朝鮮半島政治を直視し、朝鮮人として自負ある立場を自覚することによって、韓国政権はもっと主導的な発信をする必要があるだろう。

 朝米間の対話を仲裁する、米中協力の触媒役をする、南北対話へのチャンネルを確実なものとして築く、などの外交努力こそが朴政権に求められている。

 
5.
 韓国の歴代政権は、米国の「傀儡」政権だと揶揄されてきた。

 特に朝鮮半島の統一問題、南北交流などの政策や提案内容が、米国政治が推進しているその時々の対北朝鮮圧力政策、敵視政策を補完するものとなっていたことに大きな特徴がある。

 現在の朴槿恵政権は、統一関係について多言しているが、その基本は北が改革開放を実行すれば、自由体制のもとでの統一実現が可能だと言うものである。

 こうした認識は、これまで南北対話で積み上げて合意している吸収合併・体制統一の否定に違反している。

 また、彼女の朝鮮問題提案の悉くは、米国政治の意向が下敷きになっている。

 朴政権の対北政策からは、しばしば米国の傀儡を自覚しているのではないかとさえ、思える言動が見られる。まさか自覚していたのだろうか。

 そんなことはないだろうと思うが、現在まで続く南北分断の現実についての、その主犯は米国であることぐらいは、せめて理解する必要があるだろう。

 その事実を理解することによって、何のために米国政治の利益にしかならない南北分断を固定化するような言動をしているのかと、疑問に思うこともあるだろう。

 米国政治を利するだけで、朝鮮民族の意志に反した言動を発信することは、朝鮮人としての自らを辱めていることにしかならないし、朝鮮民族史の未来に汚点を残していくことにしかならない。

 自主「朝鮮民族」の視点に欠けた、どのような政治言動も、米国の傀儡にしかならないことを、南朝鮮政治は自覚すべきではなかろうか。


                                                                    2016年2月6日 記

「藩基文氏の限界」

「藩基文氏の限界」


 国連事務総長の藩基文氏が、今年末でその任期を終える。

 彼が事務総長に就任した当初、秘かに期待するものがあった。

 それは、彼が朝鮮人だということで、朝鮮半島の自主的平和統一への協力、朝鮮停戦協定から平和協定への移行問題、米軍の「国連軍司令部」詐称問題の調査などで、イニシアティブを発揮するかもしれないとあらぬ夢をふくらませていたからである。

 これら3点は国連安保理も深く絡んでいる問題であったこと、彼自身は朝鮮人で歴代事務総長と比べても朝鮮半島上の不当な問題に敏感になるだろうと期待していたのである。

 だが彼もまた、米国の意向を受けて事務総長となっただけあり、米国のアジア政策、朝鮮半島情勢に忠実に反応しただけであった。朝鮮民族としては何も提起してこなかったし、努力もしてこなかった。

 事務総長退任後は、韓国の次期大統領候補との声もある。

 だが、たとえ、韓国大統領に選ばれたとしても、今の彼では、朝鮮民族自主の言動を発揮できるかどうか、はなはだ疑問に思う。


                                                                    2016年2月3日 記

「涙目」

「涙目」

1.
 昨年から始まった抗がん剤治療のため、幾つかの副作用に悩まされている。

 抗がん剤は、今のところまで軽度であるから、下痢、嘔吐、髪の毛が抜けるといった重度の副作用は現れてはいないものの、それでもいくつかの症状と闘っている。

 食欲不振、味覚障害、軽度の倦怠感、鼻水および鼻血、涙目、手足および顔への紫斑などで、事前に症状が出てくるかもしれないと説明を受けていたものばかりである。

 説明を聞いていたし、たいして気にする症状ではないと、気にもしていなかったが、実際は違っている。

 抗がん剤投与から1週間ほどして、涙目の症状が出てきた。

 ゆっくりと涙が滲み出て来て、目脂で目を塞いでしまう。

 日中は6~7回も洗顔をし、朝の目覚めでは目脂で塞がれて物が見えなくなっている。

 できるだけ目を擦らずに、軽く涙を拭くだけにしていても、眼尻や瞼は赤く腫れ、痒みをおびて不快感に襲われ、その現象を気にするようになった。

 涙は、自然に頬を伝ってきて、私の意思とは関係なく、泣いている。

 私は泣いているのか。否、これは自然現象であり、泣いているのではないと言い聞かせて涙を拭く。


2.
 私は幼少のころから心臓疾患などがあり、虚弱体質者として母から大事に育てられてきた。

 小中学時代の体育の時間は、見学組で過ごした。

 国民学校(小学校)2年生の時、滋賀県湖西地方に疎開したクラスで、私は女子たちから挑まれた腕相撲にも負けてしまうほど、腕力が弱い少年であった。

 その上、大阪時代の食糧不足からの栄養不足もあってか、体格も小さかった。

 乱暴なガキ大将数人が支配しているクラスで、私は恐怖を感じていた。

 クラスのボスたち(3人ほど)は乱暴者で、誰かれかまわず理由もなく殴ったり、持ち物や弁当の副食物を強要したりしていたにも関わらず、クラスの全体(35人ほど)は表面上、不思議にも彼ら中心にまとまっていた。

 迎合する者、おべっかを使う者、黙って従う者、走り使いをする者、そっと物を渡す者たちがいて、クラスはそれなりに落ち着いていた。

 当然に彼らは、私にもちょっかいを出した。(殴るなどの乱暴はなかったが)

 私の持ち物の珍しい物を触り、黙って持ち去ろうとする。服をさわり、汚そうとする。

 私は小さな声で「やめろ」と言い、彼らの顔を見つめた。なぜかいつも一番の乱暴者と私の目が合う。

 彼はにっと笑いつつ、なぜか引き下った。(始業時間の合図と共に担任教員が教室に入ってきたこともあって)

 その放課後、彼らは未記入の自身の宿題帳を、黙って私に突きつけてきた。私も黙って宿題の答えをうめてやった。(その後もそれは続いたが)

 まだクラス全体に受け入れてもらえない頃のホームルームの時間などで、決まり事や本の感想を述べ合うことがあった。

 一定の方向に意見が決まりかける頃、私は手を挙げてそれとはちがう意見をしばしば述べたことがあった。

 その時、クラス全員が批判の目を向け、私の意見は間違っているという者もいた。

 最後に担当教員がたった一人になっても自分の意見を表明することは立派で勇気があるとして、私の意見を支持し、それでまとまったことがあった。(今の教育現場では教員が介入しすぎだと批判されるかもしれないが)

 その後の放課後、ガキ大将を中心にクラスの者たちが私を取り囲み、「先生に何を渡したんだ」などと小突いてきた。

 自分たちの意見が通らなかったことが悔しかったのだろうか。それだけであるまい。よそ者の、体格の貧相な私が、瞬間にクラスの意見をまとめてしまったことへの彼らなりの反抗と、私への圧力を誇示したかったのであろうと思う。

 執拗な彼らの圧力に当初、圧倒されていた私は、言うべき言葉を失い、「涙目」になっていたものの、泣いていたわけではない。

 誰かが「なんとか言え」と机をたたいた。

 その反射で私は「自分の考えを言ったことがなぜいけないのか。君らの意見と違っていたとしても、私は自分の言葉で意見を言ったまでだ」と精一杯の声を張り上げた。

 連中は私の気迫にびっくりしたのか、その場から離れていった。

 大阪育ちの都会風スタイル(ことば、服装、動作など)を身につけていた故か。その後の悪童たちは私に、手出しをして苛める(暴力)ことはなかった。

 むしろ、異形の存在を見つめるという風で、クラスの他の者と接近したり、離れて遠巻きにして騒ぎ立てることはあった。

 こうしたことが何度かあっても、私は涙を出して泣くことはなかった。

幼少期は別にして、少年時代から今日までずっと、涙を流して泣くといった経験がほとんどない。

 外観上、弱々しく見えることもあるから、これまで様々な対人関係で悲しいこと、苦しいこと、悔しいこと、裏切られたこと、罵詈雑言を浴びせられたこと、誹謗中傷を流されたことなど、多分、他の人たちよりも多くの経験をしてきたと思う。

 だから、実際は密かに涙を流すとか、成人以降にはアルコールの力を借りて憂さを晴らすとか、親しい人に相談してみるとか、逆にその相手や事柄の批判をし、吹聴するとかの方法で難問を解決することも十分に学んで知っていた。

 だが、私は押し付けられたその困難からは逃げることはせず相手と対峙して、事柄の本質を見極めつつ、言語で対決することを選んできた。

 決して饒舌家ではない私は、相手と対立する時は、確かな言葉を選び出せる訓練をしてきた。

 少年時代から積み上げてきた強情さと反抗心と同時に、腕力がない私が獲得した戦術である「言葉」を的確に撃ち込むため、涙を捨ててきた。


3.
 話を現在に戻す。

 早い健康回復を願い、入院中は病棟の長い通路(廊下)を歩くことにしている。

 何も考えずに歩いているつもりでも、廊下の窓から見える小さな風景に目をやったりしていると、私はまだ自死を覚悟して達観していないことに、なぜか気付かされる。

 膵臓がんの5年生存率は、他のがんに比べ極端に低いことは担当医からの説明や書籍からの知識で知っているつもりではいたが、それを自分自身に当てはめることに、まだ多少は躊躇していることを悟ってしまう。

 一方では、強制的にでもそれを覚悟しなければならないと考えている私がいて、やり残したこと、まだやるべき事柄についての整理をと、焦っている。

 残された自分の時間をうまく活用しなければと思いつつも、薬の副作用による倦怠感や、入退院の繰り返しなどで、私の限られた時間が消化されていくというジレンマと、窓から見える風景とが合わさってなぜか涙が滲んでくる。

 泣いているのだろうか。

 いや違う。涙目による現象だろうと、そっと涙を拭いている。

 ああ、弱気になったのだなあと呟きつつ、それを否定してみる。

 私にはがんと闘う以外にまだやるべき事柄があるのだと、自分自身に言い聞かせた。

 命が絶えるまで帝国主義者と戦うことが私の意志ではなかったのか、と自身を鼓舞しつつ、次の一歩を出して歩く。


                                                                    2016年2月1日 記

「最期まで戦う『名田隆司』で生きたい」

「最期まで戦う『名田隆司』で生きたい」

1.
 国連の障害者権利条約を批准したことによって、安倍政権はこの4月から障害者差別解消法、改正障害者雇用促進法を施行する。

 今後の社会生活では、障害者が要望すれば不都合が生じないようにしていく「合理的配慮」の提供が必要になってくる。

 さて、法が整備されたからといって、社会から障害者への差別意識や同情論、憐れみの感情排除の論理が消えてなくなることはないだろう。

 資本主義社会では全て効率が優先し、営利追求主義が常態化しているから、様々な法律を作成しても、人々の意識から差別感情は消えずに、変形して蓄積されていく。

 私は40数年前から高齢者や障害者など、社会的弱者たちが当たり前に生きていくことができる権利要求運動を行ってきた。

 その中で、早くから様々な社会的弱者への、言葉かけを問題にしてきた。

 一般に、通常の反対ができなくなってしまった病者、高齢者、または身体機能が弱っている人たちへの、施設側職員や支援者たちからの呼び掛け言葉が、幼児語化していることを問題視してきた。

 それは、彼らを「子供」扱いし、彼らの人権を軽視し、彼らの生き抜こうとする意志を阻害していると考えたからである。

 確かに彼らの仕草と反応、見かけは、幼児のそれを思わせるものがあるとはいえ、それは表現機能が衰えたからである。

 そのように考えると、彼らに幼児語で語りかけることは、その人の人生経験や人権を否定していることになる。

 行政や関係団体に幼児語で話しかける行為をやめることを求め、ゆっくりと通常の言葉で話しかけることを提案し、運動を広めていた数年後、介護施設の現場からは幼児語使用が否定され、若干の改善があって、全国的に定着していった。

 ところで、私は今、膵臓がんの抗がん剤治療で、2年前から入退院を繰り返し、現在は入院治療中である。

 病棟で見る光景は、様々に病み、身体機能低下で入院を余儀なくされている高齢者が余りにも多いということであった。寝たきりの人、支えられてしか歩行できない人、言語不明朗の人など。

 その彼らを看護士や介護者たちが懸命に支えている。

 しかし注意して見ていると、幼児に対応するような接し方や、かつてほどではないにしても、幼児語で話しかけている。

 日常言語ではない。

 ある日、ティールームで私が原稿を書いていると、数人の高齢者を連れた看護師が、今からこの部屋を使用するからと、いきなり原稿を覗き見し、伏せていた本の標題などを見て、「難しいものを書いているのね」と言いながら、一刻も早く立ち退かせようと、勝手に原稿や本に手をのばしてきた。

 彼女の態度から、職務優先、弱者同情意識が感じられた。ベテランの看護士なのだろう。

 自身の、弱者や患者たちへの人権的配慮に欠けた態度に気付いていないように思えた。

 人は誰でも、病み、傷つき、身体的機能が衰え、脳機能も衰えて、やがて死んでいく。私はその最後の瞬間まで、思考と人格を否定されることなく、この一生を終えたいと願っている。

 
2.
 最近、児童養護施設などで、職員らによる入所者への虐待、暴行、暴言事件が相次いで報道されている。(それも氷山の一角であろう)

 入所者の児童たちにとっては、職員といえば絶対的存在で、彼らは反抗することも、抵抗することも抗議することもできず、なぜ暴力を振るわれているのかさえも知る由もないままに、自己の存在を否定されている。

 職員たちはなぜ、彼らに暴力を平気で行使するのだろうか。

 彼らの日常意識の中に、障害者や社会的弱者への差別意識が存在しているからだろう。人権意識の欠けた差別者だ。

 自身では、それと気づかず、上から目線で、障害者に接し、与えられた職務を遂行しているだけの職員や支援者たち。

 差別者の彼らを社会教育もせずに配置している行政や所管官庁もまた、法的義務に則って対応し、人員配置しているだけである。

 そこには障害者が望む合理的な社会的配慮に欠けた、行政機関の一方的な押し付けだけが横行している事実が見える。

 施設職員たちはその法の中での安全運転、自己保身しか考えていない。

 そのことで、障害者や社会的弱者の所在を、異次元的な世界として捉えてしまい、理解をするのではなく排除をし、怒り、暴力を振るってしまうのだろう。

 どのような虐待をしても、彼らからの抵抗も受けず、ましてや第三者に訴える術がないことを知っていて、暴力を行使しているとしか思えない。許せない。絶対に許せない。差別者の職員も不備な法律の中に閉じこもったままの国家も行政機関もである。


3.
 入院中の病院で、見なくてもいいものを見て、経験した私は、やがてやってくる自分自身の弱々しい姿を想像してしまった。

 同情やボランティア精神の行使は、決して社会的弱者への配慮ではないと強く言っておきたい。

 たとえ、私自身の意志が思うように表明できなくなったとしても、末期がんの症状で意識が混沌としたとしても、私は最後まで帝国主義者と戦う「名田隆司」でいたいと願っている。

 同情や憐れみなど、よけいなお世話だ。

 私は家庭内であっても、病院内でも、最期まで帝国主義者と癌に対して、抵抗し、抗議し、戦う姿勢を貫き通して戦死していく。

 それが私自身の強い意志であることを表明しておく。

 それはまた、私のこれまでの生き方の総決算でもあるからだ。


                                                                  2016年1月31日 記

「共和国の水爆実験後の動き」

「共和国の水爆実験後の動き」


1.
 朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)が2月7日午前、地球観測衛星「光明星4号」打ち上げに成功した。

 地球近傍の宇宙空間をレーダーによって監視している米戦略軍は、共和国の実験後に、2個の物体が地球を回る軌道に投入されたことを確認したと発表した。人工衛星だと確認したのだ。

 2012年に続き、2回連続で地球周回軌道投入に成功したことになり、共和国は快挙を達成したと言える。

 ところが、共和国が打ち上げに成功した人工衛星を報道する日本の各マスメディアはこぞって、「北朝鮮による事実上の弾道ミサイル発射」だと表現している。

 時には、「(北朝鮮が)人工衛星と称するミサイル」などの表現もみられるものの、共和国が主張している地球観測衛星だとは認めず、あくまで長距離弾道ミサイルの発射であったとの前提で、解析、論評、報道している。

 弾道ミサイルの発射との前提に立っているから、政権側も共和国の行動そのものを、「(国際社会への)挑戦」「(軍事的な)威嚇」「挑発」「冒険主義」「暴挙」などと、否定的な表現でとらえて、対処している。

 そのことに疑問も感じず、メディア側はそのまま報道している。

 人工衛星の発射予告を受けて、安倍晋三政権は、緊急情報ネットワーク(エムネット)と全国瞬時警報システム(Jアラート)を通じた全国の地方自治体への情報伝達、海上自衛隊のイージス艦3隻の日本海と東シナ海への展開、航空自衛隊地上配備型迎撃ミサイル(パトリオット)の沖縄本島と宮古島、石垣島、市ヶ谷(東京)など計7か所への配置を行った。

 このような一連の対応を、「万一の場合に備えて」と受け止めているのか、メディア側も識者たちも、当然の行為として疑問の声すら上げていない。

 だが、これは、今国会で議論されている安保関連法(戦争法)の、米国や韓国との情報交換・共有関連部門でのテストでもあり、一部を実施していたのだ。

 実施プログラムの中で、国民に見えないものもあっただろう。

 共和国の弾道ミサイル(人工衛星)発射を受けて、朝鮮半島有事を想定した自衛隊と韓国軍の「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)の締結に向け、日韓両政権とも、動き出している。

 マスメディアは、一般市民たちの恐怖感だけを伝えて、政権側の意図に応えている。

 恐怖感とは、共和国の人工衛星発射にかこつけた政権側の過剰な対応によるものの方が大きかったろう。

 これら一連の現象こそ、米国の世界観の反映であった。


2.
 ここ数年のオバマ米政権の対共和国政策は、朝鮮側が非核化に向けた具体的な措置がない限り、いかなる交渉もしないというスタイルを堅持している。

 その間、共和国は核やミサイル実験を繰り返してたため、米国は国連安保理などで、制裁を強化し、国際社会での孤立化政策をとった。だが、共和国は核保有国になったことを宣言した。

 米国の思惑は外れ、あわてて対共和国戦術を強化した。

 共和国の体制転換を目的とした、米韓合同のゲリラ戦による新たな作戦計画の作成と実施、金正恩体制の国際的孤立化誘発など、反共和国プロパガンダ発信を多用している。

 プロパガンダ情報は、重要な対敵要素の一つである。

 商品情報、パブリシティ宣伝に長けていた米国は、プロパガンダの活用を重視した。

 停戦協定中の共和国には敵視政策を継続し、一方では核攻撃もあることで、共和国に恐怖感を与え、もう一方では国際社会による孤立化を目的とした様々な謀略言語を発信してきた。

 長年、米国発信の反共和国プロパガンダ言語に見舞われてきた日本社会の共和国イメージは貧相で、間違っており、恐怖感と差別観だけが広がっている。

 そうした土壌に共和国に関連した事件などが起きるたび、共和国へのイメージは傷つけられていった。

 「理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる」と、これは古くから伝えられてきた心理である。

 知らない者同士でも、他者へのネガティブ情報や感情などで、簡単に結びついてしまう無責任な人間心理を表現している。

 最近ではネット上などで知り合った者同士が、在日朝鮮人に対するヘイトスピーチを繰り返す現象が有名である。

 また、「反北朝鮮」伝聞が強くなってくるときには、共和国を支援する日本人にも、誹謗中傷を浴びせてくる。

 私も、過去、何度も非難を浴びせられ、広められた経験がある。

 人生観、物の価値観のすべてが米国的自由、民主主義にある日本社会の中では、社会主義思考は否定される対象で、共和国の政治風潮などは理解もされず、忌避されるだけである。

 その上での米国からのプロパガンダ情報が重なってくる。

 米国プロパガンダは、必ずしもワシントン発ばかりではなく、そこからキャッチボールされて、ソウル発、東京発、ロンドン発などとなって、まるで国際世論の如く姿を変えて、現れてくる。

 それが真実だと言わんばかりになって。


3.
 以上のような世界を、共和国の側から見てみよう。

 米国の敵視政策によって共和国は、70年間余、核攻撃の脅しを含む軍事的圧力、経済制裁、政治的圧迫と宣言など、社会主義と朝鮮人民としての民族自主権が否定され、攻撃されてきた。

 共和国の社会主義体制が安定して朝鮮半島北部で存続するために最も障害となっている事柄は、在韓米軍の撤退より、南北朝鮮の自主的平和統一より、米国との敵対関係であり、これを解消して信頼関係を築くことが最重要であるとの認識を、共和国はこれまでの米国との接触から切実に理解してきた。

 敵対関係を解消するとは、朝鮮戦争の停戦協定を失くすことである。

 米国と信頼関係を築くこととは、朝米平和協定を締結することである。

 つまり、停戦協定を平和協定に転換することだと言える。

 共和国は一貫して、そのことを米国の歴代政権に提起し続けてきたのだが。

 ところが米国は、共和国側の提案を無視するだけではなく、90年代以降になると、共和国の核政策を追求、否定、批判すると同時に、核攻撃恫喝政策まで併用していた。

 米国の核恫喝、攻撃、体制崩壊作業は、アフガニスタンやイラク、リビアなどで現実的となっている。

 核を保有していなかったための悲劇である。

 共和国は、これまで米国が、朝米平和協定締結提案を無視する態度をとってきたのは、自身が核を保有していないからだと理解した。

 核保有国同士での非核化協議でなら、朝米協議に米国は応じてくるだろうと判断し、共和国は「核抑止政策」を選択したことになる。

 これは、核保有国同士という対等な立場で、朝鮮半島の非核化と朝米平和協定締結のための朝米2国間及び多国間協議を米国に要求し続けた理由でもある。

 それ以降の共和国の提起内容は、従来と何も変わっていない。

 李洙墉共和国外相が、第70回国連総会で行った演説(10月1日)、「平和的宇宙開発は自主的権利、核実験は自衛措置」には、共和国の立場と主張がよく表れている。

 「・・・こんにちの世界には、宇宙空間の利用を各国家の自主的な権利であると明示した国際法があり、人工衛星を打ち上げる国が10以上あるが、国連安保理は、唯一、朝鮮に対してだけ衛星打ち上げを禁止するという不法な『決議』を作り上げた。世界的に、すでに9カ国が核兵器を開発して核実験を合計2000回以上も断行したが、唯一、朝鮮に対してだけは核実験を禁止する『決議』を作り上げた」

 「・・・米国が停戦協定を平和協定に替えることに同意するなら、朝鮮政府は朝鮮半島で戦争と衝突を防ぐための建設的な対話を行う用意がある。米国が大胆に政策転換をすることになれば、朝鮮半島の安全環境は劇的な改善を迎えることになるであろうし、そうなれば、米国の安保上の懸念も解消されることになるであろう」

 李外相は演説で、米国が対話に応じ、朝米平和協定の協議を続けるならば、その延長上に朝鮮半島の非核化と核開発政策の放棄があることを示唆している。

 米国は、共和国からのこうしたメッセージにさえ応じられないほど、後ろ向きな強圧政治しか実施できない国家に成り下がってしまったのであろうか。


4.
 中国の立場は明確だ。

 当初から、「朝鮮半島情勢の緊張をさらにエスカレートさせるような行動を取るべきではない」と、米国の制裁強化一辺倒の姿勢について警鐘を鳴らしてきた。

 さらには、朝米間の対話が不足しているとして、「対話による問題解決」を要求している。

 日米韓3カ国の圧力で開いた2月7日の国連安保理緊急会合でも、米国は、「国際社会の強力な対応なしでは、北朝鮮はさらに緊張を高める」と、制裁強化を中国側に求めた。

 これに対して中国は、大量破壊兵器の開発に関わるものに制裁対象を限ることを求め、「北朝鮮の人民に直接影響するものは好ましくない」などと、米国に強く牽制した。

 国連安保理で制裁決議論が進まないことに痺れを切らした米国は、日韓両国に対して、独自制裁策を確定するよう、圧力をかけた。

 日韓両国は米国の要請を受け入れるかっこうで10日、独自制裁強化を同時に発表した。

 韓国(洪容杓統一相)は、韓国企業が操業する開成工業団地を「全面的に中断する」と発表。

 中断は10日付、撤収作業を11日に始める。

 開成工業団地は、南北経済協力の象徴として、金剛山観光事業とともに、2000年の金正日総書記と金大中大統領の首脳会談によって進められ、南北統一推進の象徴的な事業となっていた。

 現在、韓国の124中小企業が進出しているが、閉鎖すれば、これらの企業の破産問題とともに、南北和解の最後のつながりが断ち切られてしまうことになる。

 朴槿恵政権は、朝鮮人としての民族的矜持よりも、米国政治の意向を尊重した政治を行ったとして、今後、朝鮮史の中で糾弾されるだろう。

 一方、日本の安倍晋三政権も10日、首相官邸で国家安全保障会議(NSC)を開き、共和国への独自の制裁措置を決定した。

 送金の原則禁止、北朝鮮籍のすべての船舶の入港禁止、人的往来の規制強化などを柱にしている。

 政権関係者は「日本の制裁として考えられる最大限の措置をとった」と説明した。

 日韓両国が、連携したことで、米国と協力して、「迅速な安保理決議を行うことに影響」あるよう、中国に牽制球を投げたことになる。

 だが、日米韓3国のこうした動向は、いたずらに「北朝鮮脅威」を煽り、東アジア全体の緊張関係をかえって増幅させているだけである。

 米国は、共和国の人工衛星打ち上げを「長距離弾道ミサイル」だと規定し、「北朝鮮が挑発している」などと騒ぎ、朝米関係をアジア全体への緊張関係へと高めていった。

 以上で分かるように米国は、共和国の水爆実験以降、「強力で包括的な制裁」を加えるために奔走する一方、グアムのB52戦略爆撃機を朝鮮半島に急派遣し、上空を旋回させて威嚇した。

 さらに空母ロナルド・レーガン、ステルス爆撃機、原子力潜水艦などの「戦略核攻撃兵器」の投入意向を表明している。

 このような事態の進行は、朝鮮半島の緊張関係を改めて作り出している張本人こそが、まさに米国であることを証明しているだろう。

 それに対して中国は冷静な立場で、朝米会議によって問題解決に目指していくことを、米国に要請している。

 反論する米国側は、中国が制裁強化に参加できない理由として、軍事・経済上の理由で、現状の「北朝鮮」を必要としているから(そうした側面も否定しきれないが)だとの、プロパガンダ情報を流して対抗している。

 だが世界からの正義の声は、中国の発言と意見を支持している。

5.
 共和国は昨年、米韓合同軍事演習を中止するならば、自国の核実験を一時停止する、という提案を米国に行った。

 米国は拒否するかのようにして、共和国への核先制攻撃や平壌への占領(ゲリラ作戦)などを想定した合同軍事演習を作戦計画のレベルを上げて実施している。

 さらに、秘密裏に、炭疽菌やペスト菌を韓国に搬入し、その実験を行っていたことが判明したり、共和国を攻撃するための小型の精密誘導核兵器を開発していることなども明らかとなり、共和国の社会主義体制を抹殺する戦略と米国の意識が常時、共和国に向けられていることが様々な言動、政策から読み取れる。

 共和国は、水爆実験後、核戦力の増強はあくまで自国防衛のためであり、米国の侵略戦争に対する抑止力であると、その立場を鮮明にした。以上の共和国の発信から、政権末期のオバマ氏は、焦っているだろう。

 私には、彼が政界から寂しく去っていこうとする姿が、見えている。彼のアジアリバランス政策を失敗だった。 彼の対朝鮮「戦略的忍耐」政策も、失敗している。

 しかし、彼が寂しく政界を去らなくて済む方法が、一つだけある。

 早急に共和国との対話を開始し、朝鮮半島の平和と安定の基礎となる平和協定締結に向けての地ならしをしていく努力、汗を流すことである。

 世界平和、アジア地域と朝鮮半島の平和と安定をオバマ氏が真に願っているかどうかの試金石は、やがてやってくる。

 3月に予定している米韓合同軍事演習を中止することである。

 これは朝米対話の環境を整えるために必要だからであり、オバマ氏本人と米政権の「平和」への本気度を考える際の重要なメルクマールになるからである。


                                                                  2016年2月11日 記

「韓国の国家理念を考える」

「韓国の国家理念を考える」

1.国父および建国観

 新党「国民の党」結党を準備している韓相震共同準備委員長は1月14日、「国父」は李承晩だとし、「国を建てた人は誰であれ肯定的に評価すべき」だと発言した。

 そのうえで、不正選挙まで実施して長期執権をもくろんでいた李元大統領に反旗を掲げた4・19革命を、「李元大統領の時代にまかれた(民主主義の)種が成長し、革命が起こった」と語り、同革命がまるで李承晩の政治的成果であるように評価する、おかしな歴史観を披露していた。

 しかし、韓国社会では、そのような認識が常識となっているようだ。

 その基盤は、大韓民国憲法の条文にある。

 憲法の前文は、以下のように規定している。

 「わが大韓民国は3・1(独立)運動により設立された大韓民国臨時政府(以下、臨時政府)の法統を受け継ぐ」

 つまり、現大韓民国の基礎(ルーツ)を臨時政府に求めていることになる。

 そのことが、韓相震氏が主張する「国父」観とも結びついているのではないか。

 戦前、日本帝国主義の植民地下にあった朝鮮は、解放・独立をもたらしたものが、朝鮮人自身の主体的な反日闘争と運動によるものであり、抗日戦を勝利し、解放を迎えて、新国家建設を行ったという歴史的事実を必要としていたはずだ。


2.大韓民国臨時政府とは

 では、韓国が法統を受け継いでいるとする臨時政府は果たして、建国神話の礎となる資格を持っていただろうか。

 簡単に検証してみよう。

 臨時政府は1919年4月、3・1独立運動や日帝の圧政から逃れていた反日民族主義者たちが、中国の上海で結成した組織で、「上海臨時政府」と言い、その後、蒋介石の国民党政府と共に重慶に逃れたので、「重慶臨時政府」とも言う。

 成立当初の主なメンバーは李承晩、李東輝などで、重慶に移った主なメンバーは金九(1927年、国務総理となる)、金奎植などであった。

 上海で大韓民国臨時議政院を組織し、憲章を発布した。

 その憲章に依拠して、臨時政府を樹立している。

 臨時議政院を立法機関とし、臨時政府が行政機関の役割を果たした。

 主席に李承晩を選出した。

 組織は朝鮮独立運動を展開することを目的としていたが、その運動の基本スタイルは蒋介石の国民党であり、米国に保護を求めて資金援助を請うといった、他者依存に終始していた。

 しかも、朝鮮国内の大衆との連携をまったくとらなかった。

 1919年の独立運動以降、朝鮮国内および中国東北地方では様々な反日組織や革命団体が誕生したが、それらのどの指導者とも連絡を取らず、大小のどの組織とも結合してこなかった。

 本来は朝鮮人民のための臨時政府であったにも関わらず、その実態は朝鮮人民のための組織とは言い難く、何を目的として結成されたのかさえ、不明な存在であった。

 そのうえに、組織内部の対立が激しく、絶えず内部抗争を繰り返していた。

 このため国民党政府や米国など連合国のどこからも、亡命政府とは認められることはなかった。

 重慶に逃れていた金九、金奎植、申翼煕らは、解放後の帰国の日に備えて陣容を整え、解放後の朝鮮を代表する唯一の正統政府の立場になるべく、帰国後の臨時政府の扱いをホッジ米軍政庁と交渉していた。

 要求内容は、国内治安維持を臨時政府に一任すること、米軍政庁は臨時政府の政治活動にいっさい干渉しないこと、などの4条件であり、その回答を重慶で待っていた。

 しかし、ホッジ米軍司令官の回答は、すべてが「ノー」であった。

 「政権」としての実績も、その実力もないと判断したからで、金九らの帰国はあくまで個人の資格でしか認められないという厳しいものであった。

 45年11月23日、金九らは空港からソウルまで米軍装甲車に乗せられての帰国となった。

 実際、彼らが果たした成果といえるものは、東洋拓殖会社投爆事件(1926年)、天皇桜田門狙撃事件(1932年)、上海虹口公園事件(1932年4月)など、そのほとんどはテロ事件であったから、テロ集団として恐れられていた。

 帰国した彼らを迎えた南朝鮮社会は、呂運享が指導する朝鮮人民共和国建国に向かっていて、誰も臨時政府の存在など知らなかった。帰国したメンバーで、李承晩ら右派たちは信託統治反対運動の先導者となって民主主義陣営と対立する道に立ち、金九らの進歩的分子たちは、信託統治賛成で民主陣営に立って闘った。

 このように臨時政府は、反日運動や朝鮮解放とは何の関係もない位置にあったにも関わらず、なぜ、憲法前文で取り上げられたのであろうか。

 多分、李承晩の存在が影響していたと思われる。


3.李承晩のこと

 李承晩の活動歴について、簡単にみておく必要があるだろう。

 李承晩(1875~1965)は、1894年に国王高宗の譲位を要求する運動(独立協会)に加わり、捕えられ、1899年から1904年まで獄中で過ごした。

 釈放後に渡米して、苦学してジョージ・ワシントン大学で学士号を、ハーバード大学で修士号を、プリンストン大学で哲学博士号を取得し、親米反日家になった。

 1910年にキリスト教布教のために、宗教者として朝鮮半島に戻ってきた。

 朝鮮併合を強行し、初代朝鮮総督となった寺内正毅の暗殺計画(1911年)に連座したとして、テロ実行犯で逮捕されるが、間もなく釈放され、再び渡米(ハワイ)した。

 米国亡命後の李承晩は、クリスチャンであったため、主として朝鮮人牧師や教会などを訪れては、援助を受けながら、米国に依存する反日運動を主張していた。

 このため、民族独立運動下では孤立していた。

 
4.米国の朝宣信託統治プラン

 当時の米大統領ルーズベルト・フランクリン(1882~1945)は、台頭してきたファシズム勢力に対して、積極的な対決方針を進める過程で、1933年にソ連を承認した。

 37年10月には日独伊などのファシズム連合・侵略国を世界から追放する必要性を力説し、米国世論をはじめ、世界世論を反ファシズムの方向に向けることに努力していた。

 彼は米政治史上異例となる3選(40年)を果して、44年には4選までしている。

 日本軍がミッドウェイ海戦、ガダルカナル島戦闘などで敗退を続けていた42年後半から、連合国側の勝利を確信していたのか、日本占領政策を具体的に考え始めていた。

 その中で、日本支配下の朝鮮半島統治方式について、信託統治(委任統治)プランを思考した。

 彼が考えていた朝鮮信託統治期間は、50年以上と長期間で、決して朝鮮人民の独立を支援するといった考えに基づいたものではなく、米帝国主義政策をアジアにまで伸長したものであった。

 信託統治プランは、国際連盟時代の委任統治制度を、国際連合になっても受け継いだ制度である。

 当該住民に自治能力がない地域を対象に、国際監視の下、国連自体または加盟する先進国が施政を代行するとしている。

 米国にとっては都合の良い制度で、特に未知の朝鮮を支配し、コントロールする方法論としては、良いプランだと考えていたようである。

 それにしても、解放直後の朝鮮を自治能力がない地域とか、統治期間が50年以上も必要だと考えていたこと自体、当時も今も、米国は朝鮮や朝鮮人民たちの自立能力を、全く理解していなかったといえよう。

 ルーズベルトが思考していた朝鮮信託統治プランに、米国に居た李承晩が飛び付いた。

 在米朝鮮人社会の中でも孤立していた彼にとって、救世主のような存在となり、以後の李承晩はますます米国政治の力に依存するようになった。

 そのため、ワシントン詣でを繰り返し、紹介を得た与野党の議員などと接触を繰り返した。

 李承晩にはしっかりとした戦略はなく、米国が中心となって進めていく朝鮮信託統治プランを進めていくことと、自身を売り込むことだけであった。

 朝鮮人自身が、日帝からの解放を勝ち取るために、米国に依拠した信託統治方式を力説するというのは、どういう精神なのか。

 主体性のない、他者依存者だと言うしかない。


5.再び、李承晩のこと

 解放直後の10月、李承晩は米軍占領下の南朝鮮に帰国し、米軍政庁のバックアップの下、吹き荒れていた反米運動、労働運動、農民運動を否定し、弾圧者として登場した。

 米軍の力を背景に、反共運動に没頭する。

 米国にとって、李承晩は最も利用しやすい人物であった。

 解放前の米国在住が長く、クリスチャンで、反共主義者、米国提案の信託統治プランを支持していたという点から、米国の意向そのものの人物でもあったからである。

 もっとも、米国(ワシントン)は、南朝鮮の政治家、活動家としては、李承晩以外の人物や名前を、誰も知らなかったことも大きく作用していた。

 そのようなわけで、米国は李承晩を、強行実施した南朝鮮単独選挙で成立させた「大韓民国」の初代大統領にした。

 大統領時代の李承晩は、同時期に成立した北部の朝鮮民主主義人民共和国の打倒を叫び、朝鮮戦争停戦協定後も、「北侵統一」を主張した。

 また、大統領の地位を守るため、左派や中道派、野党議員など反対派をテロで弾圧するという、独裁と恐怖政治で臨んだ。

 60年3月の大統領選でのあからさまな不正行為に、学生たちを先頭とする反李承晩の大衆運動(「4・19」革命)が爆発した。

 彼は大統領職を投げ出して、同年5月に米国のハワイに3度目の亡命をし、65年に米国で淋しく死亡した。

 「4・19」革命が起こった原因は、李承晩が民主主義社会を築いた結果ではなく、その逆の弾圧恐怖政治が招いた、反李承晩の民衆的マグマが一気に爆発した結果である。


6.上海臨時政府とは

 ところで、南朝鮮(韓国)の朴槿恵大統領は昨年9月2日~4日、中国を訪問し、北京で開かれた「抗日戦争勝利70年記念行事」と軍事パレード(3日)に参加し、さらに上海での「大韓民国臨時政府庁舎」の再開館式(4日)に出席して、中韓協調路線をアピールした。

 日本の植民地支配からの解放70周年を迎えたことを記念して、中韓両国は、臨時政府(上海)庁舎の全面的な改装を行うことで、韓国側と上海市で合意していた。

 工事などの費用約7億ウォン(約7千万円)は中国側が全額負担している。

 このことに対して中国の習近平政権は、植民地支配や侵略の歴史をめぐって、歴史修正主義に傾いていった日本の安倍晋三政権を牽制する狙いと、米韓および日韓の関係の楔を打ち込む意図があって、上海臨時政府の旧庁舎の改装イベントを利用したのだとも言える。

 だが、利用したのが、上海臨時政府旧庁舎ということに、今後の様々な場面で問題(伏流水の如く)となるのではないだろうか。

 上海臨時政府庁舎は1926~32年に使用され、93年に韓国側が復元している。

 韓国歴代政権は、この臨時政府を正統に引き継いでいるとして、旧庁舎は「独立抗争史の象徴」(朴槿恵大統領の発言)だと認識しているから、92年の中韓国交正常化以降、歴代の大統領が旧庁舎を訪れている。

 朴槿恵大統領も再開館式後に、「多様な独立戦争の根拠地」「わが民族の主権回復に対する希望を主導した」などと、臨時政府を称賛する発言をしていた。

 いったい、どのような歴史事実を引っ張りだしてきたのだろうか。

 韓国政権が臨時政府をルーツと規定している以上、臨時政府を否定する文言は即ち、韓国政権とその歴史を否定することに直結してしまうからであろうか。


6.朝鮮独立運動を考える

 少し、臨時政府が樹立された直後からの、朝鮮独立運動史のことを振り返ってみよう。

 日本帝国主義による過酷な植民地支配に怒った朝鮮人民たちは、1919年3月、朝鮮全土から中国東北地域にかけて、「独立運動」を繰り広げた。

 しかしそれは、帝国主義者に独立を願う宥和的なものであったから、反帝を指導する統一的なリーダーも誕生しなかった。

 日本の侵略、植民地支配に対する朝鮮人民の武装抵抗運動は1907年、義兵闘争から始まるのだが、それはまだ統一的な指導者を欠いた散発的、地域的なものでしかなかった。

 ロシア革命(1917年11月、ソビエト政権の成立)、ウィルソン米大統領による民族自決権主義の発言、コミンテルンの結成などの影響を受けていたアジア地域が目覚めた。

 朝鮮では全民抗争の「3・1」、中国では「5・4運動」がその代表的な(反帝)闘争の兆候となった。

 3・1独立運動は日帝によって直ちに弾圧されたが、一部の民族主義者は中国各地に亡命した。

 このうち上海に亡命していた民族主義者たちは、李承晩を大統領とする臨時政府を樹立する。

 蒋介石の国民党政府からの援助を受けての活動は、内部のヘゲモニー闘争、左右対立抗争だけが激しく、結局はどこからも亡命政府とは認められず、テロ集団として恐れられる存在でしかなかった。

 戦後、李承晩の強い要請にもかかわらず、米国ですら亡命政府とは認めなかった。

 つまり、自ら亡命政府と名乗ってはいたが、1920年代以降に中国各地で結成された多くの朝鮮人の反日組織の中の一組織にしか過ぎなかったことになる。

 労働者、農民を主体とする革命的朝鮮独立運動組織は、朝鮮人共産主義者が多く活動していた中国東北の間島地域から誕生し、朝鮮人革命闘争の骨幹組織として発展した。

 1931年の満州事変後は、中国共産党の武装抗日運動と結びついて、抗日パルチザン部隊を組織し、武力闘争を展開していく。

 これらの抗日パルチザン組織の幾つかを金日成が結集した抗日武装部隊(東北抗日連軍、または朝鮮人民革命軍)が、長く苦しい戦いの末に、朝鮮人の抗日闘争の中心となり、解放を勝ち取っていくのである。

 中国各地に亡命していた朝鮮人たちを結集した様々な反日、抗日組織の多くは離合集散し、途中で挫折し、中国共産党に吸収されたりして消えていったが、唯一、金日成の抗日パルチザン部隊だけが最後まで戦い続け、連合軍の力を得て、朝鮮を解放したことになる。


7.韓国政権が受け継いだものとは

 韓国憲法第3条(領土条項)は、北朝鮮地域を自らの領土だと規定している。

 これは、朝鮮半島全域を「韓国」領土だと主張していることになる。

 同第4条(統一条項)では、自由、民主主義体制への統一を規定している。

 一方、国家保安法などの規定は、北朝鮮政権を主敵とする国防概念を作成。

 以上の韓国政権の概念を要約すれば、朝鮮半島全域は韓国領土だが、38度線以北には、社会主義を標榜する政権の存在を一応は認めるとする。

 その存在を認めるものの、北の政権は平和安定を協議する対象ではなく、交流・協力を推進する対象でもなく、あくまでも自由と民主主義を実現するために残された地域だとしているのだ。

 90年代以降の南北朝鮮対話、合意内容のすべてで、南北の平和的共存と、今後は双方が体制統一は追及しないことで合意している。

 そうすると、制度的統一の追及を規定している憲法を持つ韓国政権は、南北合意に背いているばかりか、大いなる矛盾を抱え込んでいることになる。

 韓国歴代政権の南北統一政策で、その言動に不一致が常に発生していた原因も、この憲法規定にあるのだろう。

 臨時政府の法統の受け継ぎ、李承晩への「国父」との評価、憲法規定が現代政治に合致せず、韓国にとってマイナスになっているのである。

 朝鮮の解放闘争の歴史評価を間違ったまま認識するのは、将来の朝鮮半島の平和安定、民族自主権発展を損なうことにもなる。

 南朝鮮ではまた、韓国光復軍が日本軍に宣戦布告し、戦ったとの伝承を信じている。

 それは事実だろうか。

 韓国光復軍(100前後とも数百人規模とも言われている)は1940年、重慶臨時政府(金九の時代)が、総司令/李青天、参謀総長/李ボンソクを指名して創設した。

 太平洋戦争が勃発したとき、臨時政府の名義で対日宣戦を布告したとしている。

 蒋介石政府または中国に駐屯していた米軍司令官にその意思を伝達したとしているのだが、そこから先には伝わっていない。

 従って日本軍には、重慶臨時政府名義の宣戦布告は届いていないことになる。

 この頃、重慶臨時政府は、米軍と提携して朝鮮国内に浸透作戦を計画しており、韓国光復軍を米軍指揮下で訓練させている時に、朝鮮解放を迎えてしまった。

 従って、日本軍とは一度も戦ったことはなく、第一、軍隊(反日部隊)の体もなしていなかった組織である。

 日本の敗戦直後、旧日本軍および満州国軍に所属していた中国全土の朝鮮人将兵400人ほどが、北京に集結していた。

 彼らは日本軍将兵の一員として戦っていたから、そのまま個人の資格で朝鮮に帰国しても「親日派」のレッテルを貼られるだろうし、かといってエリート意識をすぐに打ち消すことができないまま、北京にいて情勢を見ることにしていた。

 彼らの存在に目をつけたのが臨時政府である。

 臨時政府は東北弁事処長の崔用徳(チェ・ヨンドク)を派遣し、彼らを「大韓民国臨時政府光復軍第3支隊」に編入(その中に、後に大統領となる満州国軍歩兵第8団中尉の朴正煕がいた)

 米軍政庁は、彼らを「軍隊」としての帰国を許さず、集団での行動も認めなかったから、全員が個人の資格で帰国するため、北京で解散した。

 この結果、上海・重慶臨時政府、その傘下の韓国光復軍らは、誰からも亡命政府とか抗日軍と認識されずに解放を迎え、個人の資格でしか帰国を果たせなかったというのが史実になる。

 その存在があいまいな韓国光復軍が、日本軍と戦ったことがあるとの伝承を作成したり、臨時政府と反日闘争・独立闘争の正統な「政府」だと認定することは、北の金日成抗日パルチザン部隊の存在を否定することにつながっていく。

 以上、韓国現代史を見直さない限り、72年に発表した南北共同声明「自主的、平和的、民族大団結」方式の統一言語が、単なるスローガンに終わってしまう可能性がある。


8.最後に国父観、国父論について

 韓相震(「国民党」共同準備委員長)氏が、李承晩を「国父」だと評価したのは、上海臨時政府の主席に就任していたことなのか、大韓民国の初代大統領に就任したことによるのか、それともその双方であったのか、それについて言及していないので、判然としない。

 仮に、大韓民国の初代大統領に就任したことを評価したものとして、改めて李承晩の大統領12年間を概観してみよう。

 ワシントンと米軍政庁の謀略によって1948年8月15日、大韓民国が作り上げられると、その初代大統領に李承晩を指名した。

 彼の反共思考と信託統治信念が、米国の朝鮮占領政策にとって都合の良い人物だったからである。

 李承晩は米軍の後ろ盾を得ると、その本性の暴力性、テロ的性格を政治支配上で余すことなく発揮した。

 米国に亡命していた李承晩が、南朝鮮に帰国したのは45年10月16日であった。

 金九らの重慶臨時政府の動静をつかみ、彼らより早い帰国を果して、有利な地位につくことを画策しての結果であった。

 解放直後の南朝鮮は、日帝によって抑圧されていた民族自主権、民族自立意識が一気に噴出、朝鮮共産党(朴永憲委員長)を中心に、民主主義政党、社会団体の統一戦線「民主主義民族戦線」が結成(46年2月)され、左翼および中間勢力が躍進していた。

 こうした社会状況に米軍政庁は警戒感を強め、右翼勢力、反共団体、親日連中などを復活させて結集し、対抗させた。

 米軍政庁の諮問機関として「民主議院」を発足させ、その議長に李承晩を据えたのも、左派対策の一環であった。

 李承晩は民主議院議長の威力を存分に発揮し、信託反対闘争の先頭に立ち、南朝鮮単独政府樹立を推進した。(米軍政庁の意向のもと)

 李承晩一派に反対する者たちを排除するため、右翼青年団を使って、暴力、示威、暗殺などのテロ行為に及んでいる。

 反対闘争とそれを鎮圧する暴力社会の中で、48年5月10日、南朝鮮単独選挙を実施し、大韓民国憲法を制定して、李承晩が初代大統領に選出された。

 彼は初代国務総理に臨時政府光復軍の参謀総長であった李ボムソクを起用した。(このことで、大韓民国は臨時政府の法統を受け継ぐとの憲法規定にしたのだろうし、同時に李承晩の過去の活動も正当化しようとしている)

 李承晩大統領下、大邸10月人民闘争(46年10月)、紙幣偽造団捏造事件・ソウル精版社ビル摘発(46年5月)、済州島4・3事件(46年4月)、麗水・順天の軍反乱(48年10月)、南朝鮮各地でのパルチザン闘争(46年後半から50年前半)、朝鮮戦争へと続いたのは、恐怖弾圧政治が招いたものだ。

 そうした反省もなく、李承晩は、大統領再選(52年)、3選(56年)、4選(60年)を強行して、終身大統領への道に進む憲法改正を何度も目論んでいる。

 強権恐怖政治を実施したにも関わらず、どの選挙時も安定していなかった。

 52年は臨時首都釜山市での国会で、「抜粋憲法改正」を強制。

 与党が少数に転落していたから、従来の議員による互選では大統領に選ばれないので、国民による直接選挙に改めた。

 暴力団を使って改憲反対議員を脅迫する一方、戒厳令を出して反対議員をバスごと憲兵隊に強制連行させるなど、あらゆる強硬手段を行使して、大統領になった。

 54年には、終身大統領へのパスポートを手に入れようと、「4捨5入憲法改正」を強行した。

 当時の全議員は203。憲法改正には3分の2(136)の賛成を得る必要があった。

 与党議員は114人であったから、過半数には22人足りなかったことになる。

 そこで半年かけて無所属議員22人を買収、ようやく136人に達したので憲法改正に持ち込んだ。

 ところが、賛成議員は135人で、1票差で否決され、議長は憲法改正不成立を宣言してしまった。

 与党側は翌日になって、「議員定数の3分の2とは、正確には135.4である。それを4捨5入すれば135となる。従って、先の憲法改正は成立する」として、強引に憲法改正を公示し、選挙を実施した。

 しかし、副大統領は野党の張勉が当選したから、李承晩独裁政治に波乱が生じてしまう。

 58年、李承晩は300人の警官を本会議場内に入れ、野党議員を追放して、与党単独で、「新国家保安法」(日帝時代の治安維持法の再来)を成立させ、李承晩独裁永久政権の体制を完成させた。

 この国家保安法はその後、南朝鮮の民主主義を破壊する威力を発揮していく。

 李承晩体制は、暴力と陰謀政治で都合の良い憲法改正を繰り返してきたため、米国からの反発と、反李承晩体制の民衆的マグマが、全社会に確実に蓄積されていった。

 だが、李承晩の独善性は朝鮮戦争後も続き、停戦協定調印を拒否して、あくまでも武力北侵統一を主張していた。

 今日、韓国軍が停戦協定に調印しなかったことが、朝鮮半島の平和交渉や統一協定推進で支障をきたしている。

 次の60年大統領選までの4年間で李承晩は、大統領および副大統領候補になると思われる有力野党指導者たちへの弾圧を実行した。

 58年1月に野党民主党委員長の曺奉岩、副委員長の朴己出、幹事長の尹吉ら幹部10余人を国家保安法違反で検挙。(曺奉岩は58年7月に死刑が執行された)

 副大統領の張勉は同年9月、白昼ピストルのテロを受けたが、かろうじて難を逃れた。

 民主党の次期旗手と目されていた趙炳玉は、大統領選挙の直前、病気治療のため渡米し、開腹手術を受けたがそのまま急死してしまった。

 それでも大統領選への手をゆるめなかった李承晩は、民主党有力幹部たちの不在、反対陣営の候補者不在をついて、5月実施の大統領選を3月15日に繰り上げてしまった。

 さらに①投票日には警官、反共青年団を総動員して、野党側選挙員の酒と水に睡眠薬を入れて眠らせる。②以上の第1次計画に失敗したとき、第2次計画として換票、または投票箱のすり替え、といった指令を出していた。

 この公然たる不正選挙の結果、85才の李承晩が大統領に、姻戚の李起鵬(長男の康石が李承晩の養子になっていた)が副大統領に当選した。

 あまりにもひどい不正選挙に怒った南朝鮮人民たちの炎は、「4・19」革命へと結集していく。
 
  「4・19」革命は、投票日の15日、馬山市の開票本部に数千人の市民が押し掛けたことから始まった。(死者4人、負傷者43人という事件に発展)

 4月6日にソウルでの5千人デモとなり、19日のソウルいっせい決起へと発展していく。

 米政権も4月26日、「李承晩政権は民衆の正当な不満に応えよ。一時しのぎは許されない」と、警告を出した。

 李承晩は翌27日、「国会決議を尊重して辞表を提出する」とラジオ放送し、28日に景武台の公邸から私邸の梨花荘に移った。

 李起鵬一家がピストル心中したとの報に動揺したのか、李承晩は5月29日、ひそかにかつての亡命地ハワイに脱出した。

 以上、少し長く李承晩の12年間の大統領時代を概観した。

 12年間、大統領選に固執したため、極端な暴力政治を実施した。こうした状況は老人偏挟質を発揮しただけで、反民主主義のテロリストであって、とても民主主義下の政治家だったとは言えない。

 そのような人物を「国父」と称えて尊重することは、その国家もまた民主主義を志向しているのではなく、暴力や人権弾圧を政治の中心に置いていると言えなくもない。

 また、建国日の48年8月15日や、大韓民国の成立経緯についても、決して民族自主権が行使されたとは言えない。

 米国のアジア戦略の結果による、米国政治の意向の中から誕生した政権である。

 それとて、自主的な歴史観からすれば大いに疑問である。

 朝鮮半島の統一問題を考えるとき、以上の南朝鮮の現代史への再考が必要となってくるはずである。

 李承晩時代の12年間の政治決算書は、将来の朝鮮半島の「自主的平和統一」の可能性を遠ざけ、困難にしてしまったと、私は考えている。

 南北同族間にいらぬ対立感情を植え付け、強烈な反共意識を南朝鮮人民に残し、北への敵対意識まで植え付けてしまった。

 それらが今も南朝鮮社会の暗部に流れているようだ。

 現朴槿恵大統領は再三、南北関係の問題を言及しているが、取り立てて記憶に残るほどの、価値ある内容のものはない。

 北との関係は吸収統一で、制度的統一対象で、核政策を放棄すれば経済支援もあり得るなどと、韓国憲法の規定から少しも抜け出ていない。

 李承晩時代は、朝鮮民族にマイナス遺産を残した。それを清算することが、韓国政権の第1要件だ。


                                                                  2016年1月26日 記

「天皇、皇后のフィリピン訪問」

「天皇、皇后のフィリピン訪問」


1.
 自身の強い希望もあって、天皇、皇后はフィリピン訪問に旅立った。

 27日夜の首都マニラのマラカニアン宮殿での晩餐会に出席。

 天皇は挨拶で、「昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ、このことにより、貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないこと・・・」と述べ、日本人は決して戦争(一般民衆の犠牲)を忘れてはならないとして、戦争の記憶を継承する決意を示した。

 太平洋戦争で日米が攻防を繰り広げたフィリピンでは、日本人が約51万8,000人死亡、フィリピン人(戦闘の巻き添えや日本兵による虐殺などで)約110万人が犠牲となっている。

 フィリピンは46年に独立し、53年に当時のキリノ大統領が日本人戦犯全員を恩赦し、釈放した。

 日本軍は撤退する直前、首都の市街戦で多くの一般住民まで惨殺していたのだ。

 その中に、当時、議員だったキリノ大統領の家族全員がいた。

 キリノ氏は長年そのことでトラウマに陥り、日本を憎み、苦悩したが、未来の平和のため、人道的観点から、日本人戦犯全員の恩赦にサインをした。

 そのことを現在の日本の政治家たちは知っているのだろうか。

 また、80才を越えた天皇が、サイパン島(05年6月)、パラオ共和国(15年4月)、今回のフィリピン訪問と、戦争犠牲者への慰霊の旅立ちをしていることの意味を、どの程度に安倍晋三首相は理解しているのだろうか。

 天皇は政治には関与できないが、「戦争を忘れてはならない」との発言は、ぎりぎり政治的表現であると共に、その言葉を安倍晋三氏へのメッセージとしたのではないかと思う。

 同じ日の日本の国会、衆参両院での各党代表質問では、安保関連法(戦争法)や憲法改正での「緊急事態条項」などが議論されていたが、天皇の思いとは随分、距離があるのではないか。


2.
 フィリピンの元慰安婦の支援団体「リラ・ピリピーナ」などの呼び掛けで27日、首都マニラの大統領府近くに集まり、日本政府に「公式な謝罪と補償」を訴えていた。

 天皇、皇后が大統領府でアキノ大統領と会見するタイミングに合わせたようだ。

 支援団体は「慰安婦たちは公式な謝罪や賠償金を(これまで)受け取っていない」と主張している。

 旧日本軍が侵略、占領した各国地域の現地で、日本駐屯軍(許可した業者が運営)が多くの女性たちを慰安婦にしたのは事実だ。

 女性たちは貴重な青春時代を恥辱され、その後の人生までもが、旧日本軍兵士たちの幻影に悩まされている。

 日本政府は、いち早くそのような各国女性たちに謝罪と補償をすべきであった。

 90年代になって韓国元慰安婦たちの勇気ある提訴で、やっと政治テーマとはなったものの、日本の右派連中は、今日まで様々な屁理屈を考えだし、政府としての正式な謝罪も補償もしてこなかった。酷いものだ。

 被害から70数年が過ぎて、超高齢となった各国の女性たちが、日本政府の不誠実さに怒りを表わし、抗議する姿は痛ましい。

 そのような彼女たちの声が耳に届かない安倍晋三氏たち右派の自民党議員たちは今、自分たち自身が歴史過誤をしているにも関わらずに、「誤解している」「認識違いだ」と、各国の元慰安婦たちとその支援者について、国会の中で主張している。なんと恥ずかしい日本政治だろうか。

 彼らを、歴史認識不足とか右派ナショナリストとかとまだ批判する前に、政治家としての資格もない人間たちだと言っておきたい。

 このような人物たちを国会議員に選んでしまった私たちの人権感覚にも問題があるかもしれない。

 私たちの人権感覚に鈍感な国民性が、70年経った今も、各国の元慰安婦たちの悲痛な思いを叶えられずにいることに、心が痛む。

 安倍晋三氏ら自民党議員たちは、フィリピンからの天皇の言葉と元慰安婦たちの要求とメッセージを、どのように聞いていたのか。

 はっきり応えるべきだ。


                                                                  2016年1月29日 記

「安倍政権は元慰安婦たちの声を聞け!」

「安倍政権は元慰安婦たちの声を聞け!」


1.
 韓国ソウル近郊広州市の「ナヌムの家」で暮らす元慰安婦、李玉善(リ・オクソン)さんと、姜日出(カン・イルチュル)さんが来日し、26日に衆議院会館で記者会見した。

 日韓双方の支援団体の支えがあったとはいえ、2人は88才と87才の高齢での来日である。

 昨年末に日韓両国政府が慰安婦問題の解決に向けて、政治決着したことに対して、「間違った合意だ」と批判し、「公式謝罪と法的賠償」など、元慰安婦たちの声を、日本政府に直接要求するために来日したのだ。

 彼女たちは、政府間合意が被害者側への事前相談も事後の説明もなく進められたことに、「(当事者への)事前の説明があるべきだった。私たちの(意見)を無視して合意したのは受け入れられない」と憤り、「なぜ安倍さんが直接、謝罪に出てこないのか」と批判した。

 ソウルの日本大使館前の「少女像」について、日本が撤去を求めているが、「少女像に手を出してはいけない」、「少女像の撤去は、私たちを殺すのと同じことだ」と日本政府の撤去要求に反論した。

 安倍晋三首相は、彼女たちの真摯な声に、果たして耳を傾けているのだろうか。

 安倍首相は、対中国、対北朝鮮安保の必要性から、日米韓3国体制の強化を追求しているオバマ米政権の強い要請で急ぎ、日韓両国政府間で政治決着させた。日本は10億円で、後の全ての処理を韓国政府に委ねてしまった。この日本の態度と姿勢に、当時者の意思を尊重しない決着の仕方に、元慰安婦たちが怒るのは当然である。

 日韓双方の野党や支援団体も、安倍政権の態度に怒りを表している。

 
2.
 同日、自民党外交部会などの合同会議は、ソウルの日本大使館前の少女像の早期撤去を求める決議を行った。

 決議で、「安倍晋三首相と朴槿恵大統領の政治的決断は極めて重要」と評価しながら、「慰安婦問題に関する誤った認識が定着しかねない」として、少女像の撤去要求と、設立する財団事業に日本が10億円を拠出することについての、国民への説明を求めた。

 決議は党内手続きを経て、首相官邸や外務省に申し入れることになっている。

 慰安婦問題に関して、韓国側が「誤った認識」を持っているとの、彼らの「認識」は、どこから来ているのか。

 同合同会議での先の桜田議員発言と決議が同じだとしたら、彼らの歴史観をまずは正さなければならないだろう。

 もし、記者会見した元慰安婦の2人が決議内容を知ったとしたら、その怒りと悲しみはどれほどのものか、想像できない。

 彼女たちをこれ以上、泣かすなと言いたい。高齢の彼女たちに対して早急に、心から謝罪することを、日本政府は全世界の良心から求められている。

 今回の政治決着は、安保がらみの上、彼女たちの心を再び深く傷付けていることを安倍晋三氏は理解すべきだ。

 そのことに思いが至らぬ議員たちの存在をこそ、私は恥ずかしく思う。


                                                                  2016年1月27日 記
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takasi1936

Author:takasi1936
愛媛現代朝鮮問題研究所のブログです。

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