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「他国の国家情報盗聴常習犯の米国」

「他国の国家情報盗聴常習犯の米国」

 米国家安全保障局(NSA)が、日本の政府専用回線や官房長官秘書官、日銀、経済産業相などのほか、商社のエネルギー部門など35ヵ所の電話を盗聴していたと、内部告発サイト「ウィキリークス」が公表した。(8月3日)

 ウィキリークスが公表したNSAの活動内容は、第1次安倍政権時代(06~07年)にさかのぼって盗聴、主として当時の貿易交渉(TPP間連)に臨む日本政府の立場や、気候変動対策や環境関連などの内部情報が、米国にもれていたという。

 米国務省のトナー副報道官は3日、盗聴の有無には直接言及せず、「日本政府と連絡を取り合っている」としたうえで、「我々の情報活動は、常に米国と同盟国、パートナーの安全保障上の必要性に重点を置いている。日本は米国の強固な同盟国だ」との白々しい言い訳をしながら、日本とは重要な同盟国であると強調した。

 しかも米国は、収集した情報の一部を英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどに提供していた。

 問題は、盗聴疑惑の事実を知った後の安倍晋三首相の態度である。

 安倍氏は4日の参院特別委員会で「仮に事実であれば同盟国として極めて遺憾だ。米側に事実関係の確認を強く求めていきたい」などと答弁して、どこか抑制的な対応を表明していた。

 重要な国家情報が盗聴されているというのにも関わらず、安倍氏の態度は米国に対して遠慮しているのか、オバマ大統領本人に遠慮していた結果なのか。

 これまで、米国の盗聴疑惑が問題化した各国の対応は厳しく、日本とは随分と格差がある。ドイツは、メルケル首相の携帯電話が盗聴されていた疑惑が浮上した2013年10月、メルケル氏が電話でオバマ大統領に「友人を監視してはいけない」と批判し、説明を求めた。

 フランスも今年6月、オランド大統領を含む歴代大統領の通信が傍受されていた疑惑が発覚したことで、オランド氏がオバマ氏に直接電話で抗議した。

 ブラジルは、ルセフ大統領の電話やメール内容が収集されていたことや、石油企業などのコンピュータにNSAが侵入した疑惑が13年に発覚した。

 ルセフ氏は、訪米とオバマ氏との会談を延期した。このように各国はオバマ氏に直接、先ずは電話での抗議を伝えている。

 なぜ、安倍氏は、すぐに抗議電話を直接、オバマ氏にかけなかったのであろうか。

 4月にはワシントンで、「親密な友人」「重要な同盟国」などと、2人は抱擁していたではないか。

 オバマ政権は各国からの批判を受けて14年1月、「密接な関係にある同盟国や友好国」の首脳や政府を監視対象とする盗聴は原則として行わないとして、NSA改革の方針を打ち出したばかりである。

 だからなお、オバマ氏は直接、明確な説明を求めるべきではなかったのか。

 そこには、強者には弱腰の安倍氏の姿勢が鮮明に映し出されている。

 国会では現在、日米同盟をさらに強固にするためだとする、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案を審議中である。

 安倍氏はこの法案説明で、米国の戦争に巻き込まれず、米国に追従せず、独自に政策判断をするなどと、米国と政治的に対等の位置に立つことだと発言をしていた。

 しかし今回の盗聴疑惑で、米国に遠慮してしっかりと抗議ができない姿を見せた。安倍政権の現状からは、「米国と対等」になるとの言葉が虚しく響いている。

 こうした批判を受けてか安倍氏は5日、バイデン副大統領に電話し、懸念を伝えたという。

 バイデン氏は「現在は信頼関係を損なう行動は取っていない」と弁明し、懸念を払拭することに努めていた。(安倍政権はそれ以上追及しないという)

 米国の盗聴疑惑は、NSA改革の方針を打ち出した後も、各国で新たな疑惑行為が判明するなど、問題は収束していない。

 従ってバイデン氏の弁明も、信頼できるものではない。

 一方で安倍政権は一昨年、米国などとの機密情報の共有を可能とするためだとして、特定秘密保護法を成立させた。

 この法律で、国民の知る権利を制限する一方で、米国とは(軍事関連を中心とした)情報の共有化を目指している。

 情報の共有化とは、自衛隊と米軍の一体化、対等な日米同盟の強化を構築することで、国家情報を国民に隠し、米国には開示するということである。

 そのような国家情報管理体制下で、取り調べの録音・録画(可視化)の義務付け、通信傍受の対象拡大を柱とする刑事訴訟法などの改正案が7日、衆院を通過した。

 通信傍受法は、通信事業者の立ち会いを不要にし、代わりに警察官の同席が付加された。(結局は身内同士での監視で、チェックとは名のみとなる)

 個人情報を保護し守ると言いながら、個人の人権プライバシーは、公権力によって常に監視されることになり、知らぬ間に踏みにじられていく法環境が整備されている。

 個人情報及びプライバシーを保護すると言うのなら、国家情報を盗聴し、それを他国に提供していた米国の情報活動をしっかりと正すことから始めよ。

                                                                   2015年8月7日 記
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「日本の暑い夏」

「日本の暑い夏」


 私たち自身は果たして、戦前期日本の過去を清算しているだろうか。

 夏、8月が来ると毎年、日本の各地では戦争「被害」物語を語り継ぐ催しが、様々に行われている。

 空襲被害、外地からの引上げ体験、疎開体験、戦後の闇市と生活苦、軍隊での逃避行など、ほとんどが被害体験の苦しい状況を語り、戦争はいけない、平和がいいと結んでいる。戦争を、このように被害体験の側面だけを語っていたのでは、果たして日本はいつどの
国と戦争をしていたのか、日本軍隊はどこでどのような戦いをしていたのかなど、戦場のことなどどこにも見えず、知らないままで語っている。

 また、日本人家族たちの多くが何故、外地(朝鮮、台湾、満州、中国)に渡り、そこでどのような生活をしていたのかなどについては語らず、引上げ時の混乱した状況だけを語って、涙を共有するのは何故なのか。

 このように加害実態を理解せず、被害体験だけを聞かされる夏は、ことのほか暑い。市民運動団体やNPO活動団体は、日本軍が侵略した朝鮮や中国、東南アジア各国での戦闘、現地住民たちの戦争被害についてを、どれほど認識し理解したうえで、戦争被害を
語らせているのか、いささか疑問に思える。

 日本人一般に関わる戦争被害を語り、その苦しさや悲しさを共有する事に共鳴する人たちは多くいるが、同時代に強制的に労働をさせられていた朝鮮人や中国人労働者たちについては、その存在さえも知らず、彼らに何の痛痒も感じない、日本の戦争被害者たち。

 彼らに、強制労働者たちが居たことや在日朝鮮人たちが酷く差別されていたことを紹介しても、日本の戦時期の被害者とは別の存在のように、自分たちが受けていた被害とは別種だと考えている場合が多い。

 以上のような社会現象の背景には、「先の大戦」期への時代認識に、それぞれ差異があるからだろうと思う。

 抽象語の「先の大戦」については、果たしていつの戦争のことで、それは世界史および日本史で共通の概念となっているのか、また歴史認識的に定着しているのかについては、まだ確定しておらず、現在では表現者の窓、意的範囲に止まっている。

 日本には、台湾出兵(1874年5月)、江華島事件(1875年9月)、日清戦争(1894年8月)、日露戦争(1904年2月)、山東出兵(1927年5月)、済南事件(1928年5月)、満州某重大事件・張作霖爆殺(1928年6月)、満州事変(1931年9月)、第1次上海事件(1931年1月)、盧溝橋事件・日中戦争(19
37年7月)、ノモンハン事件(1939年5月)、第2次世界大戦(1939年10月)、真珠湾攻撃・太平洋戦争(1941年12月)、ポツダム宣言受諾(1945年8月)などと、戦時期の「戦争」をこのように多く記録する。

 一般に戦争概念には、宣戦布告(戦争開始の宣言)があったかどうかで判断をしている。日本の戦史には、「事件」や「事変」を表現するものがやたらに多く記録しているが、それらは宣戦布告なき戦争である。

 日本では当時も現在でも、宣戦布告なき戦争を、戦争ではないとして、自存自衛または自己防衛のためのやむを得ない戦争であって、侵略戦争ではないとしている。

 で、「先の大戦」と表現する人々の多くは、宣戦布告を行った太平洋戦争(対米英戦争)を第一に認識している場合が多い。

 この場合、それ以前の台湾・朝鮮の植民地政策、中国への侵攻、戦闘とは切り離して理解しているため、日本の植民地支配、侵略戦争への認識が薄れている。(知識としては理解しているのだろうが)

 日本の戦史は戦前、1941年12月の対米英戦以降、支那事変を含めて大東亜戦争と呼称するとした。

 つまり、戦前の戦争(日中戦争以降)を日本側では、「大東亜戦争」と認識し、その呼称で語られてきた。

 「先の大戦」とはつまり、「大東亜戦争」のことであったことになる。

 その大東亜戦争を、岸信介以降につながる保守派メンバーたちは、侵略戦争ではなく自存自衛の戦争であったと肯定している。

 岸信介を祖父にもつ安倍晋三首相は、大東亜戦争史観を尊重していて、日本が朝鮮や中国に侵略した歴史的事実についてを、これまでの彼の言動からでは、観念論的にしか認識していないように思われる。

 そのことが中国および韓国との外交関係に悪影響を与えている。

 日本の暑い夏を中心に、日本人はあまりにも自らの戦争被害談だけを語り継いできた。その結果が、大東亜戦争史観を肯定する人物を首相にしてしまった、とも言えるのではないだろうか。

 戦争被害の語り部たちも、戦争被害の視点を個人や日本人だけに限定するのではなく、日本軍が侵略し被害を与えた人民たちと、歴史を共有していく必要があったろう。


                                                                    2015年8月1日 記

「模擬原爆が投下されていた」

「模擬原爆が投下されていた」

 
 米軍は史上初めて、1945年8月6日に広島、同9日に長崎に原子爆弾を投下した。両都市は一瞬にして壊滅。

 死者は45年末までに広島で14万人余、長崎で7万4千人余の計21万5千人近くにのぼった。

 その後、白血病やがんなど放射線障害による「原爆症」の疑いで亡くなった人は多く、正確な犠牲者数は不明のままである。

 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は18万3519人(15年3月末)。今もまだ、多くの被害者とその家族たちを苦しめている。

 だが原爆による被害者は、日本人ばかりではない。

 当時、日本政府の徴用令などによって強制連行され、労働者にされた朝鮮人および中国人の多くが被爆している。

 特に国交がないとの理由(日本政府の敵視政策が原因だが)で、朝鮮民主主義人民共和国に帰国した朝鮮人被爆者たちについては、調査すら未だに手がつけられていない。

 「被爆者はどこに住んでいても被爆者」だとする精神が、日本政府には欠けている。

 ところで原爆の開発は1938年12月、ドイツで核分裂反応の実験に成功したことから始まる。

 ドイツがポーランドに侵攻(1939年9月)し、第2次世界大戦が始まる1年余も前にナチスドイツは、原爆開発に着手していたことになる。

 ナチス勢力の陰謀を恐れたアインシュタインら科学者たちは、ナチスが原爆の完成を手にする前に、米国が原爆の開発を行うようにとルーズベルト米大統領に書簡を送った。

 同時に、科学者たちも密かに米国に渡り研究開発に協力し、こうして米国で原爆の開発および製造をめざす「マンハッタン計画」(42年3月)が始動した。

 ルーズベルト大統領が死去(45年4月)し、副大統領のトルーマンが大統領となり、マンハッタン計画は進められ、原爆投下目標検討委員会が設立された。

 その第1回目の会合(45年4月27日)では、以下の17地点が投下目標の研究対象となった。

 長崎、佐世保、熊本、福岡、八幡、小倉(現北九州市)、下関、山口、広島、呉、神戸、京都、大阪、名古屋、川崎、横浜、東京湾であった。

 続く5月11日の会合では、京都、広島、横浜、小倉の4都市に絞られた。後に京都、広島、新潟となり、さらに京都が外されて小倉が追加された。広島は一度も外されることなく、最後まで投下地点候補となっていた。

 7月25日には広島、小倉、新潟、長崎のいずれかの都市への原爆投下命令が降りた。

 それに先立つ7月16日、米国は人類初の核実験を成功させていて、ウラン核物質(広島型)とプルトニウム核物質(長崎型)の原爆を手にしていた。

 完成したばかりの原爆を、日日本の4地点のいずれかの都市へ投下する命令を出していた翌26日、米軍機B29は、大阪市東住吉区に模擬原爆を投下した。

 この爆撃で7人が死亡し、73人が負傷している。

 模擬原爆の投下は、米軍機が原爆投下後に、その爆風に巻き込まれないように、速やかに上空を離れるための操縦訓練、実験であった。

 模擬原爆は長崎型と同じ形状で、通常の爆弾に使われる爆薬が詰め込まれていた。

 7月26日から8月上旬にかけて、本州や四国の30都市に、計49発もの模擬原爆を投下し、400余人が犠牲になったというから、米国は慎重にテストを繰り返していたのだろう。

 だが、それによって被害を受けた日本人は少なくない。(愛媛県には、西条、新居浜、宇和島の3回投下)

 米政権(卜ルーマン政権)の中枢は、ドイツ軍が無条件降伏(45年5月)した直後から、日本への原爆投下準備と共に「無条件降伏」を促すための協議を行っている。

 7月26日のポツダム宣言発表後、日本との戦争に、数発の原爆を投下する作戦を中心にした計画を思考していたのだろう。

 8月9日の長崎の後も模擬原爆を投下して、24日以降に3発目を投下する準備調査を行っていた。

 米国が日本に原爆を投下したのは、日本の降伏を早めることが目的ではなく、戦後世界で優位な位置を占めるため、唯一の原爆大国を建設するための、様々な角度からの実験データを日本の現場から得るためであった。

 模擬原爆による飛行テスト、原爆の被害状況など、仔細ななデータを積み重ねるために日本を実験場としていたのだ。

 そのことはまた、原爆を投下した広島と長崎、次に予定していた小倉、新潟などは、いずれも人口が密集する都市ではあったが、当時は女性、子供、高齢者などほとんどが非戦闘員であったことも幸いし、彼らの実験データが必要だったのだろう。

 戦後、米側がする被爆者らの調査も、治療が目的ではなく、米国の研究材料のために実施していたことでも、それらは裏付けられる。

 その米国は、日本で得た膨大なデータ(多くの犠牲者のうえで)を基に今も、「核桐喝外交」を続けている。

 その考えの基本には、広島・長崎への原爆投下が結果的に「戦争を早く終結させた」とする肯定的な意見が強くあったからである。

 しかし世界の声は、「核兵器は人類とは共存できない」として、世界の非核化を求める運動が澎湃と起こっている。

 核兵器を使用した唯一の国、米国はまず、国際社会に対して核の先制不使用を宣言する必要があり、それこそがオバマ大統領自身が「核兵器のない世界」を訴えたプラハ演説(2009年)と整合性を付ける唯一の手段である。

 最後にもう一度、米国に言っておく。核による桐喝外交は、非人道的であって、速やかに中止することを要求する。


                                                                   2015年7月31日 記

「日本企業の一つの英断」

「日本企業の一つの英断」

 
 三菱マテリアル(旧三菱鉱業)は7月19日、日本国内の鉱山などで米国人捕虜らに強制労働をさせたとして、元米兵捕虜らに米国で面会し、謝罪を直接伝えた。

 それに続いて、第2次世界大戦中の中国人強制連行・強制労働をめぐり、中国側被害者の交渉団との間で、包括和解に合意する方針を固めたようだ。

 和解合意案のポイントは、

 1.三菱側が痛切な反省と深甚な謝罪を表明し、
 2.三菱側は基金方式に資金を供出し、1人当たり10万元(約200万円)を支払う。(対象者は計3765人と、日日本企業による戦後補償としては過去最多)、
 3.三菱側は記念碑建立費1億円と(行方不明の被害者らの)調査費2億円の計3億円を支払う。(慰霊追悼行事に元労働者よを招く費用として1人当たり25万円を支払うことも合意した)、
 4.和解合意により、本件事案は包括的、終局的な解決を確認するとした。

 中国人が強制連行されたのは、日本政府が1942年に戦局の悪化に伴う日本国内の労働力不足を補うため、産業界の要請に基づき中国からの労働者「移入」を閣議決定したことによる。

 日本外務省の報告書(戦後に発見されたもの)で、中国人労働者計約3万9千人を強制連行し、全国35社、計135カ所の炭鉱や建設現場などの事業所で労働させたことなどが記載されている。(三菱マテリアルの前身企業とその下請け会社の事業所では計3765人を受け入れている)

 中国側では他に、日日本コークス工業(旧三井鉱山)も訴訟の対象としている。韓国側では、三菱重工業など日本企業を相手に、元徴用工などが損害賠償を求める訴訟を起こしている。

 日本政府は、1972年9月の日中共同声明で、中国は国家間と同様に個人賠償請求権も放棄している、韓国とは65年の日韓請求権協定で、韓国人の個人請求権は消滅したーとの立場を現在も貫いている。

 今回、三菱側が和解に応じる方針を固めた背景には、中国人被害者の一部が1990年代半ばから、日本での害賠償訴訟を相次いで提起、裁判を通じて強制連行や強制労働の事実認定を積み重ねて、最高裁が「(企業などの)自発的対応は妨げられず、被害救済への努力が期待される」(2007年4月)との「付言」を出していたことが、裁判所から三菱側に和解への後押しをしたと思われる一面がある。

 さらに三菱が今後、中国市場で事業を展開するためには、中国人民に支持され、好感がもたれるようなビジネス環境を整えて置く必要性があるとの、企業論理が強く働いていたものとみられる。

 だから米国、中国の強制労働者とは「謝罪」および「和解」を行ったのだが、韓国の被害者たちへの救済行為が遅れている。

 韓国で三菱重工業を相手に損害賠償を求めている元徴用工らを支援する団体は24日、「国籍によって違う扱いをされなければならない理由はなし」韓国人に対する露骨な差別と考えざるを得ない」と批判をし、韓国の被害者らにも謝罪と賠償を求める声明を出した。

 当然だろう。同じ被害問題に対して、民族差別をしてはならない。

 三菱マテリアル及び日本の企業は、朝鮮人に対する強制連行・強制労働への謝罪と賠償が遅れており、速やかに実行すべきである。

 そうであってこそ、三菱マテリアルの今回の「和解」問題は、戦後70年を象徴する合意とななり、歓迎すべき行為になる。

                                                                   2015年7月25日 記

「韓国の不法ハッキング事件」

「韓国の不法ハッキング事件」

 
 内部告発サイト「ウイキリークス」は23日までに、ハッキング・プログラムを開発・販売するイタリアの企業「ハッキング・チーム」の内部文書を暴露した。

 同プログラムを購入したのは、米連邦捜査局(FBI)を含む35カ国に及んでいる。韓国の情報機関・国家情報院も、2012年に「陸軍5163部隊」という偽装名称で購入していたことが暴露され、国会で認めた。

 国家情報院は暴露を受けた国会答弁で、北朝鮮とのサイバー戦に活用するため、技術を分析する目的だったと説明をした。

 ところがハッキングプログラム購入の真の目的は、国家情報院による国民の監視、コンビュータと携帯電話などの不法監視であったことを疑う声が、一気に高まってきた。

 情報院は過去にもハッキングプログラムを利用して、民間人査察や国会議員選挙と大統領選挙(2012年)にも介入していた「実績」から、野党や市民団体からは真相を明らかにせよとの要求が日増しに強くなってきている。

 これに対して与党および保守層は、「北の脅威に直面した厳しい現実」「情報機関として当然やるべきこと」「ハッキングする必要があればいつでもやるべきだ」などと、情報院の行為を全面擁護している。

 韓国メディア、特に「朝鮮日報」は暴露後の10日、韓国内の5つの北朝鮮サイトがハッキングされたと報じた。

 サイトに接続したパソコンに、データを勝手にハッカーへ埋め込まれる流出技術を悪用して、流出した技術がこのサイバー攻撃に使われ、ハッカーは北朝鮮だとの推定報道で、政権側の代弁人的報道を行っている。

 朴槿恵政権は今回の情報院の不法ハッキング事件で、与党保守層、一部メディアなどを総動員して、自自らの謀略的正体を隠して、「北の犯行」だと世論を惑わす手法を使っている。

 こうした手法はいつも同じなのだが、今回は不法ハッキング事件を利用していたことが、ますます明らかとなってきた。

                                                                 2015年7月25日 記
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愛媛現代朝鮮問題研究所のブログです。

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