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「プーチン発言の波紋」

「プーチン発言の波紋」


ロシアのプーチン大統領が唐突に、米欧に対して核兵器で対抗する用意があったとの発言に、米欧以外でもロシアへの反発が広がっている。

 ロシアがウクライナのクリミア半島の併合を宣言してから1年(3月18日)を記念するロシア国営テレビの番組で、司会者が唐突に「核兵器を臨戦態勢に置く可能性はあったか」と、プーチン氏に質問した。

 プーチン氏は「われわれにはその準備ができていた」と明言した。

 しかし、「核兵器」という言葉は避け、「そうならないように努めた」との発言も繰り返していたことを伝えている。

 だが、世界にプーチン氏の「核使用発言」は広がり、ロシアは国際社会に挑戦していると一気に評価を下げた。

 ロシア自身が規定している核兵器使用の条件は、①大量破壊兵器による侵略を受けた場合、②通常兵器による侵略を受け、国家の存立が脅かされた場合―としている。

 プーチン氏が核兵器を実際に使用するつもりであったのかどうか、テレビ番組での発言からは明確ではないものの、一方でロシアの軍事ドクトリンに該当していたとも思えない。

 ウクライナはソ連崩壊時の1991年当時、数千発の核弾頭を持っていた。

 94年にNPTに加盟し、核放棄を決定して、96年までに核弾頭を処分したことになっている。

 同時に94年12月、ロシアと米欧とが、「ブダペスト覚書」に署名して、ウクライナの独立や領土保全を保証し、独立した。

 ウクライナで昨年2月下旬、親ロシアのヤヌコビッチ政権が崩壊(政変)し、親米欧派の政権が誕生した際、プーチン氏はロシアの核戦力に戦争準備を指示していたことを、テレビで明らかにした。

 プーチン氏は、クリミアという「ロシア人が住む歴史的領土が危険にさらされているのを放っておくことはできなかった」と強調。

 「最も好ましくない事態の進展」にも対応する用意があったと述べ、クリミア編入に際してはロシア軍2万人以上を動員し、大量の地対空ミサイルなどで半島を要塞化したことも明らかにした。(これまでは否定していた)

 同時に、ウクライナの政変を「米国が操っていた」と強調している。

 政変前にウクライナの民族主義者の軍事訓練などがポーランドやリトアニアで行われていたことを指摘。

 クリミア半島で、ロシアへの編入の是非を問う住民投票を昨年3月16日に行い、賛成票が95%を越えたことで、ロシアが18日にクリミア半島の併合を宣言した。

 その結果として、米欧のクリミア返還要求は、ロシアへの侵略と同等であることを、プーチン氏はテレビを通じて、改めて表現したのかもしれない。

 しかし核使用の可能性があったプーチン発言は、国際社会が求めている核軍縮、核不拡散、核削減、核絶対不使用、核完全廃棄の流れに全く反している。

 そればかりか、核大国としての国際社会への責任感にも大いに欠けている。

 同じことは、米国に対しても言える。(朝鮮への核脅迫)

 4月に核不拡散条約(NPT)再検討会議が控えてはいるが、核大国の米ロ両国は、核使用の誘惑に負けずに、核軍縮交渉や非核地帯構想などに真剣に取り組むべきだ。

                                                             2015年3月20日 記
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「米州地域と米国の関係変化」

「米州地域と米国の関係変化」


 米国とキューバが国交回復に向けた対話を始めたことで、反米色の強かった中南米諸国と米国との関係改善が進んでいくかもと考えられていた。

 国交正常化に向けた米国とキューバの3回目の交渉が16日、キューバの首都ハバナで開かれたが、一日で終わってしまった。

 米国務省のサキ報道官は17日の会見で、大使館再開には「まだ多くの議論が必要」とし、再開の見通しも「交渉の期限は設定していない」などと述べ、交渉前に比べて、米国の希望と意気込みをトーンダウンさせていた。

 その裏には、中南米諸国がベネズエラを中心に反米色を強めた影響があるだろう。

 中南米左派系諸国の「米州ボリバル同盟」(ALBA)は17日、ベネズエラの首都カラカスで首脳会議を開き、4月にパナマで開催する米州首脳会談を前に、悪化する米ベネズエラ関係の問題を討議した。

 キューバのラウル・カストロ国家評議会議長は、「米国はキューバを買収し、ベネズエラを脅迫することは出来ない」「ベネズエラを孤立させ、脅かそうとする企てを断固として拒否する」などと述べ、ALBAの結束を誇示した。

 首脳会議では、米ベネズエラの問題を対話で解決すること、ベネズエラ制裁に関する米大統領令の撤廃を訴える声明を発表した。

 また、南米諸国12カ国でつくる「南米諸国連合」(UNASUR)も14日、米大統領令の撤廃要求の声明を出している。

 米大統領令とは、ベネズエラで昨年12月の反政府デモが制圧されたとき、43人が死亡、その際に人権侵害があったとして、オバマ氏は9日、ベネズエラが「米国の安全保障と外交上の大きな脅威だ」と宣言した。

 さらに、ベネズエラ政府関係者、情報機関などの幹部7人に、米国の保有する資産の凍結やビザ発給停止などの制裁措置を認める法律を成立させたことを指している。

 オバマ政権のベネズエラへの対応は、いずれも国家主権や不介入の国際的な原則に反している。

 中南米諸国は、オバマ政権に対して、ベネズエラを「脅威」だと発言したことを取り消すよう求め、ベネズエラに結集している。


                                                             2015年3月19日 記

「南朝鮮の板挟み外交」

「南朝鮮の板挟み外交」


1.
 南朝鮮の朴槿恵政権の外交は、最新鋭の地上配備型迎撃システム「落下段階高高度防衛ミサイル」(THAAD)の配備をめぐって、米中両国が非難合戦をし、その板挟みに見舞われている。

 THAADシステムは、敵のミサイルを落下段階で迎撃するシステムで、米国は共和国の核・ミサイルへの対応として、在韓米軍基地に配備しようとしている。

 だが、THAADの性能からは、朝鮮半島を超えて中国に達することは明らかである。

 中国の劉建超外務省次官補は16日、ソウルで南朝鮮の李京秀外務次官補との会談で、THAAD配備をけん制した。

 会談後の記者会見でも「中国の関心と憂慮を重視してほしい」と、中国側の懸念を伝えた。

 一方、訪韓中のラッセル米国務次官補は17日、記者団に対して「第三国が強く声を上げるのはおかしい」「同盟防衛の観点から、いつ、どのような措置が必要かは韓国が決めるべきだ」と、中国を批判しつつも、THAAD配備の決定権と責任を、朴槿恵政権に押し付けてしまった。

 南朝鮮の国防報道官は、THAAD配備問題は北朝鮮の核への対処の必要性から生まれたもので、国民の安全保護を最優先に判断すると強調した。

 その上で、「配備の是非を決めるのは米国だ」とし、「米国からまだ、導入について要請も協議もない」と述べた。

 同盟国の米国と、最大の貿易相手国の中国と、その両国への配慮から朴槿恵は板挟みとなり、はっきりとした態度が取れずに、右往左往している。

 それは、THAAD配備問題だけではないだろう。


2.
 THAADの南朝鮮配備をめぐり、米、中、韓が合戦をしている同時期、スウェーデンのシンクタンク「ストックホルム国際平和研究所」(SIPRI)が16日、国際通常兵器取引に関する2010~2014年(5カ年)の報告書を発表した。

 国別の輸出上位は、1位米国(31%)、2位ロシア(27%)、3位中国(5%)、4位ドイツ(5%)、5位フランス(5%)と、米ロの2カ国が3位以下を大きく引き離していて、軍事大国ぶりをはっきりと示している。

 2010年からの5年間の世界の兵器取引量は、09年までの5年間に比べて、約16%増加していることも報告している。

 同報告書からは、軍需産業及び兵器輸出の世界的な拡大、拡散の実態的数字と、ここ数年の地域紛争やテロ活動を生産していることなどを明示していることが読み取れる。

 ところで米国は、中国の軍事的な存在感を理由として、THAADを南朝鮮に導入する説明をしている。

 本心は、米軍需産業界からの要請で、いずれ日本にも向かってくるだろう。

 その結果、同盟国と重要な貿易相手国との間で揺れることになった朴槿恵政権ではあるが、自主意識があるのなら、THAAD配備の可・不可を考えることの方が先決ではなかったろうか。

 THAAD配備について米国は、「北朝鮮の脅威に対抗」するのだと、もっともらしい口実を喧伝している。

 南の外務省も、米国と同様の理由を挙げている。

 「北朝鮮脅威」論は、軍事レベルを上げる際の彼らの口ぐせでもある。

 朝鮮半島の実際の脅威を常に演出し現出しているのは、ほかでもなく米韓双方の軍事力であったことは、世界の誰もが知っている。にも関わらずにである。

 各種米韓合同軍事演習、軍事境界線一帯への武器搬入、国連機関を利用しての制裁決議・実行、常時のプロパガンダ的誹謗宣伝、今回のTHAAD配備計画のように高性能兵器の導入など、米国は朝鮮半島を常に戦時体制下に置いている。

 もっとも、朴槿恵政権側にも、大いに問題がある。

 政権成立から2年余、南北関係の交流がないのは、南の政権が「民族同士」の立場を忘れているからである。

 米国との同盟関係が重要だとはいえ、中国との貿易が重要であるとはいえ、南朝鮮も朴政権も、朝鮮人である。

 朝鮮人であれば、朝鮮の現状をしっかりと認識し、改善する努力をしていくことがもっとも重要であったろう。

 朝鮮が南北に分断されている現実は、朝鮮民族にとって最大の悲劇で苦痛で、政治家であれば修復への努力を惜しんではならない民族最大の事業だと、私は理解している。

 同族の共和国を「敵概念」にして、THAADを導入することはもはや「民族同士」の思考を喪失していると言えるかもしれない。

 米中の板挟みになっていることが、もっとも尊い民族自主権をなくしていることを証明している。

 政治的板挟みで苦しんでいるのは、誰のためで、何のためなのか。

 南の政権が、その政治の軸足を「民族同士」に置かなかった場合、常にムダな苦しみに陥ってしまうことを、今回ことが証明している。

                                                             2015年3月18日 記

「自民党議員の『八紘一宇』発言に驚く」

「自民党議員の『八紘一宇』発言に驚く」


 何とも驚くべき表現が、国会質問から出た。

 自民党の三原じゅん子参院議員が16日の参院予算委員会で、麻相太郎副総理兼財務相への質問に、多国籍企業に対する課税問題を取り上げた際、「八紘一宇の理念のもと、世界が一つの家族のようにむつみあい、助けあえるような経済、税の仕組みを運用していくことを確認する政治的合意文書のようなものを、安倍晋三首相がイニシアチブを取り、世界中に提案していくべきだ」と発言した。

 八紘一宇とは、戦前・戦中に、天皇を中心とした日本の海外侵攻、侵略を正当化するスローガンとして用いられた。

 天皇中心の「世界を一つの家にする」という意味だ。

 三原氏は、八紘一宇を「日本が建国以来、大切にしてきた価値観だ」(間違い)として、今後の日本のあるべき姿として紹介しようとしたようだ。

 質問された麻生太郎氏は「戦前・戦中のメインストリーム(主流)の考え方だったと思うが、三原さんの世代にこうした考え方をする人がいることに、正直、驚いた」と感想を語った。

 自民党の谷垣禎一幹事長は記者会見で「言葉は時々、長い歴史の中でいろいろなニュアンスが生じ、感情的な反発が起こることもある。使い方が難しい」「必ずしも本来、否定的な意味合いばかりを持つ言葉ではない」と述べた。

 菅義偉官房長官も記者会見で「国際的な租税回避への対策という文脈の中で使った。従来の意味合いとは全く違う」と述べた。

 自民党幹部はそれぞれ、内心は驚きながらも、同僚議員の発言をかばっている。

 彼らが言う、現代的意味合いとは、どのような意味を指すのだろうか。

 「八紘一宇」スローガンを唱えながら、中国、東南アジアへの侵略行為を正当化したことの意味は、現在でも変化していない。

 三原議員の発言は、安倍政権の戦前回帰路線そのままの表現であり、三原議員自身もまた、安倍晋三首相におもねる態度になっている。


                                                             2015年3月18日 記

「核戦争危機が常態化している朝鮮半島」

「核戦争危機が常態化している朝鮮半島」


1.キューバと米国の正常化

 米国務省は13日、米国とキューバの国交正常化に向けた3回目の交渉を、16日からハバナで開くことを発表した。
 
 米国側の希望は、両国首脳が参加する予定の4月10日の米州サミットまでに、大使館の再開することであり、今回の交渉で確かな詰めを行いたいとしている。

 だが両国とも、人権侵害問題に関する考え方の違いから、不満を持ったままでの交渉に入ることになる。キューバとの正常化を急いでいるのは、オバマ米政権の事情の方にあったから、米国の方が前のめりになっている。

 昨年12月17日。ホワイトハウスから、オバマ大統領は驚きの発言を行った。

 「現状の世界に安住するのではなく、あるべき世界を求めることの大切さを示してくれる」と、ローマ・カトリック教会を束ねるバチカンのローマ法王フランシスコに謝意を示して、「米国とキューバが国交正常化交渉に入る」と発表したからである。

 半世紀以上も国交を断絶してきた両国は、米国が昨年1月からバチカンを仲介役にして、密かに会談を重ねていた。
 
 なぜ、バチカンが仲介役なのか。

 キューバ革命の父、前国家元首のフィデル・カストロが幼い頃カトリックのイエズス会系の学校で学んでいたことと、米側交渉責任者もカトリック信者であったこと、法王のフランシスコが南米のアルゼンチン出身であったことなどが重なったからであろう。

2.キューバ危機

 キューバと米国との関係は、キューバがスペインからの長期の独立闘争に勝利した1898年、その直前に米国の仲介(米西戦争)があって、保護領化されて独立したときからである。

 1952年に米国側の利益を代表していたバチスタ独裁政権が成立したが、53年7月にフィデル・カストロらがモンカダ兵営を襲撃して、バチスタ政権打倒を目指す革命闘争を展開し、59年1月の勝利でラテンアメリカで最初の革命政府を樹立した。

 このように米国とは、革命政権を樹立するまで、さらに革命政権樹立後も厳しい闘争を続ける関係であった。
 
 61年に米国の軍事・経済封鎖に対抗して社会主義を宣言し、ソ連・中国と友好関係を結んだ。
 
 米国は60年9月、コスタリカの首都サンホセでの米州機構外相会議で、キューバを孤立化させる反キューバ反共の「サンホセ宣言」を発表。
 
 次いで62年2月、米州機構が米国の圧力を受けてキューバを除名した。

 キューバはいずれも「ハバナ宣言」-米帝国主義はラテンアメリカ人民の共通の敵で、ラテンアメリカの革命は不可避で、反帝・反封建革命は必ず勝利するとの宣言を出して、米帝とのたたかいに入った。

 キューバへの軍事的圧力を一層強化する米国に、ソ連は経済・軍事両面からキューバを支えた。

 朝鮮半島とともにキューバにおいても、米ソの冷戦対決姿勢が精鋭化していた。
 
 いわゆる「キューバ危機」(62年10月)は、米ソの対立のなかで起こった。

 ソ連は62年10月、カストロ政権への軍事的支援を強化するために、中距離核ミサイルを密かに搬入、キューバに核基地を建設した。

 ケネディ米大統領が報告を受けたのは10月16日。22日にキューバの事態を公表した。

 米国はソ連にミサイル基地の撤去を求め、キューバを海上封鎖し、同時にミサイル攻撃への報復を宣言した。

 核戦争の緊張が一気に高まった。

 米ソ間の秘密交渉を経て、米国はキューバ不可侵とトルコからの対ソ攻撃用のミサイル撤去を約束、ソ連はキューバに設置した核基地の撤去を28日に通告した。
 
 こうして「13日間」のキューバ危機は解消された。

3.沖縄の核兵器

 米ソ間の政治対話でキューバ危機は去ったが、その余波ともいうべき「沖縄危機」が残ってしまった。
 
 60年代の沖縄はまだ米国の施政権下(1972年5月に本土復帰)にあり、米軍は冷戦激化と自己都合に合わせて、核兵器を大量に沖縄基地に配備、貯蔵していた。
 
 戦激化と自己都合に合わせて、核兵器を大量に沖縄基地に配備、貯蔵していた。

 米公文書によれば、朝鮮戦争停戦直後の50年代半ばから、沖縄基地への核兵器搬入が始まり、ベトナム戦争時の67年頃には1300発にも達していたという。

 配備されていたミサイルの主体は、射程2200キロ超の地対地核巡航ミサイル「メースB」(62年初めに配備)で、読谷村など4カ所の発射基地に計32基のミサイルが、ソ連極東、中国、朝鮮などを射程に収めて設定されていた。

 その沖縄に配備されていたミサイル部隊に、核発射命令が出されていたとの、驚くべき内容の報道が3月15日にあった。

 米ソが核戦争寸前までに至ったキューバ危機の62年10月、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄ミサイル部隊に、核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことを、同部隊の元技師や元米兵などの証言で判明したことを、15日付け各紙が伝えていた。

 証言者は、ミサイル「メースB」を運用した米空軍第873戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(ペンシルベニア州)。

 同氏の証言は、メースBは配備以降、読谷村の発射基地(8基のミサイルが配備されていた)で、連日検査して24時間体制で発射命令に備えていたとする。

 62年10月28日未明、嘉手納基地ミサイル運用センターから、ボードン氏が担当するミサイル4基の発射命令が無線で届いた。
 
 4基の標的情報のうち、ソ連向けは1基だけだったため、なぜ関係のない国を巻き込むのかとの疑問の声が上がったという。(同ミサイルの射程2200キロ超は、中国に向いていたと思われる)

 また、米軍の5段階防衛準備態勢が、1(戦争突入)ではなく2(準戦時)のままであったことから、不審に思った発射指揮官が発射作業を停止させたことで、「危機」は回避された。

 後に発射命令は誤りであったことが判明したという。(以上、証言部分は3月15日付けの記事からの要約である)

 ボードン氏の証言は、キューバ危機に連続して、自動的に沖縄危機、中国危機、朝鮮危機が発生する可能性があったことを伝えている。

 現場の米軍ミサイル発射司令官の冷静な判断がなければ、第3次核世界大戦が発生していたかも知れないという怖い話である。

 62年のキューバ危機時、沖縄配備の米軍核ミサイルが発射寸前であったことは、核兵器が配備されている限り偶発的使用のリスクと脅威が、常に私たちの前に存在していることを示唆している。

 現在、核大国を豪語する米国とロシア両国は、それぞれ数百基の核ミサイルを即時発射可能な状態に置いている。
 
 ロシアのプーチン大統領が15日のテレビ番組で、クリミアの状況がロシアに不利に展開した場合、ロシアは核戦力を臨戦態勢に置く可能性はあったかとの司会者の質問に、プーチン氏は「我々はそれをする用意ができていた」と明言した。
 
 米国の行動を見据えた核兵器使用に言及したのだ。

 ウクライナ情勢の悪化から、冷戦に再突入するかも知れない米ロ両国の現在を考えれば、偶発的な核使用の危機が存在していることを、キューバ危機と沖縄危機が教えている。


4.朝鮮半島の核危機

 米軍は現在、朝鮮半島南部一帯で「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」米韓合同軍事演習を行っている。

 同様軍事演習は、朝鮮戦争停戦協定調印直後から毎年、規模を拡大し内容の精度を上げつつ、北侵核戦争を想定して実施してきた。
 
 米国の歴代政権は、朝鮮での核兵器使用にいささかの痛痒も覚えていないようだ。
 
 朝鮮戦争時に3度、核兵器使用の誘惑にかられたことなどによっても言える。

 ベトナム戦争敗北(75年4月)以後、米極東軍事戦略の重要な位置(社会主義勢力の包囲網)をそれまでの南ベトナムから南朝鮮に転換し、日米韓一体の軍事体制構築強化に着手した。

 その上で南朝鮮に戦術核兵器を配備し、朝鮮有事の際には、共和国の心臓部である平壌に戦術核を使用(核限定戦争)し、一気に38度線を越えて北侵し、共和国を併呑する戦術を樹立した。

 70年代半ば以降、米国は南朝鮮に核兵器を配備していることを公言さえしている。

 その時の核兵器の種類は、核地雷、核砲弾、ミサイル核弾頭、核爆弾などで、それ以外に80年代にかけて、中性子爆弾、戦域核ミサイル、パーシングⅡ、巡航ミサイル(トマホーク)などを配備(再大1,000発以上)している。

 南朝鮮は一大火薬庫地帯、核前哨基地と化していた。

 さらに日本の米軍基地、沖縄の米軍基地とも連動させていた。

 沖縄は、69年の日米首脳会談で「核抜き返還」が決定し、ミサイル「メースB」をはじめ、核兵器が順次撤去されたことになっている。

 72年5月の本土復帰時に、沖縄の米軍基地に核兵器が一発も配備されていないことを証明するためで、一部は南朝鮮の米軍基地に運ばれている。

 米軍は戦術核を配備したまま、南朝鮮と沖縄の米軍基地を連動させる必要から、沖縄の「核抜き」は、政治的表現の空言にしか過ぎなかったことは、後の歴史が証明している。


5.南の核不在宣言

 蘆泰愚韓国大統領は1991年12月18日、「いま、わが国のどこにも、たった一つの核兵器も存在しない」と、核不在宣言を発表した。

 その直前に米国も、南朝鮮の軍事基地から、すべての核兵器を撤去したことを発表していた。

 その後、国際機関のどこも、それを確認していない。

 共和国にしても、現状(準戦時)のままでは、南朝鮮内に核が存在しないという事実は検証できず、その上、米軍がいつでも核を持ち込むことができる状態にあるのだから、言葉だけでは信頼できないのは当然だ。

 軍事境界線南側一帯に配備していた核地雷、地上核などが、短持日のうちに撤去できるはずもないし、米国はその気もなかっただろう。

 米国は南朝鮮にまだ、核兵器を密かに配備していたからこそ、6者協議での南北同時核検証、南北の非核化問題、停戦協定を平和協定に転換することなどの協議から、いつも逃避してきた。

 米軍が密かに沖縄と南朝鮮に、核兵器を配備している限り、核使用の偶発的リスクは消えることはない。

 その上、核戦争挑発の北侵軍事演習を毎年、毎時実施しているのだから、朝鮮半島では核戦争の危機が常態化しているといえる。

 核戦争を避け、核の偶発的リスクを避けるためにも米国は、米韓合同軍事演習を永久に中止すべきである。

                                                             2015年3月16日 記

「たかし言質論第2集 『朝鮮問題シンドローム』発刊」

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    愛媛現代朝鮮問題研究所

 残部、わずかとなりました。

「米大使傷害事件と朴槿恵政権」

「米大使傷害事件と朴槿恵政権」

 マーク・リッパート駐韓米国大使を襲撃したキム・ギジョン氏に対して、彼の背後関係を捜査している警察、与党セヌリ党、国家情報院(国情院)などの南朝鮮政府と公安関係機関中枢部は現在、国家保安法という「凶器」の使用法をめぐってうごめている。

 キム氏宅から押収した物品、役220点から「利敵性が疑われるもの」「北朝鮮関連もの」「利敵表現間連もの」などを、専ら国家保安法違反の疑いが立証できそうなものを選び出す作業をしている。

 警察では特に、キム氏が過去に「北」扇動、賞賛、鼓舞、同調などの言動があったかどうかの捜査に集中し、犯行の背後関係を暴きだそうとしている。

 一方、セヌリ党と国情院は、今回の事件を「従北勢力によるテロ」だと決めつけて、テロ関連法案の必要性を再び主張するようになった。

 テロ関連法案はこれまで、国情院の肥大化と公権力のらん用につながると、廃案になった経緯がある。

 朴政権は今回の事件で、キム・ギジョン氏をテロリストにし、国家保安法を適用して、恣意的に作成した捜査記録で「北朝鮮間連性」を証明することで、米国の意図に沿おうとしている。

 反民族的で、欺瞞的で、危険な思考である。


                                                             2015年3月13日 記

「なぜ南北統一チームの結成ができないのか」

「なぜ南北統一チームの結成ができないのか」


 第28回光州ユニバーシアード大会が7月に開催される。

 共和国は3日、選手、役員を含めた計108名の参加を申請した。

 それを受けて、南朝鮮政府が南北統一チームの結成を推進する方向で検討していると、南の一部メディアが報道した。

 そのメディア報道に反発するかのようにして「統一部」が10日、「南北関係や国民感情情緒などを考慮すると、統一チームは適切ではない」と、否定的な立場を示した。

 この時期での、南北統一チームの結成は無理だと言う。

 その理由が、現在の「南北関係」にあるとか、「国民情緒」だとか、意味がよくわからない点を挙げている。

 現在、南北関係に進展が見られないのは事実だが、その原因に朴槿恵政権の「北敵視」姿勢がある。折しも今、北侵攻を目的とする米韓合同軍事演習の最中である。

 北の制度を破壊する訓練を行う一方で、南北統一チームの結成を発表することは、二律背反的で、朴政権の現実政治の矛盾である。

 また、「国民情緒」だとは言うけれど、南朝鮮の情緒(民衆)の本質は、南北統一チームの結成を望んでいるのではないか。

 その「国民情緒」を否定し、スポーツに政治を持ちこんで、南北対立を演出しようとしているのが、他ならぬ統一部であり、南の政権である。

 「光州平和ユニバーシアード大会市民運動本部準備委員会」は11日、南朝鮮民衆(情緒)を代弁して、糾弾声明を発表し、統一部による抗議書を提出した。

 糾弾声明で、政府の姿勢を厳しく批判し、「南北統一チーム結成のために最後まで政府に働きかけ、大会を成功させるために全力をあげる」ことを表明した。

 朴政権が光州ユニバーシアード大会の成功を望み、「民族同士」の立場で南北交流を続けたいのなら南北統一チームの結成を推進すべきであろう。

 何が、統一チームの結成を阻んでいるか。


                                                             2015年3月13日 記

「共和国への制裁は国連憲章違反」

「共和国への制裁は国連憲章違反」

 政府は12日、4月13日に期限切れとなる朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への制裁(輸出入の全面禁止と北朝鮮籍船舶の入港禁止措置)を、さらに2年間延長することを決定した。

 今月中に閣議決定をするという。

 期限切れとなる前のぎりぎりの手続きだというのだが、日朝協議再開(安倍政権待望の拉致問題)直前という時期に、その協議相手に制裁を科す法案を決議するということは帝国主義的傲慢さが現れている。

 それとも、オバマ米政権からの圧力があったのかも知れない。

 米韓は現在、北朝鮮を敵対視し、平壌侵攻を目的とした合同軍事演習を行っている。

 そのような時期に、日本だけが北朝鮮に接近し、日朝協議を進めるのは、米国のアジア戦略とはそぐわない。

 米国側にも、日朝の拉致問題を遅らせ圧力をかけるだけの、十分な理由があった。

 ところで、他国の内政不干渉主義は、国際的な規範となっている。

 国連憲章第2条第7項に、内政問題への不干渉の義務が定められている。

 また、国連総会決議第2625(1970年10月24日)は、以下のように決議している。

 「いかなる国家または国家の集団も、どのような動機があろうとも、いかなる他国の国内あるいは対外事項に直接あるいは間接にも干渉する権利を有しない。従って、武力干渉のみならず、いかなる形の干渉あるいは国家としての存在に対する威嚇、あるいは国家を形成する政治的、経済的及び文化的要素への威嚇も国際法違反である」

 現在、北朝鮮に様々な理由を付けて、様々な制裁を科している国連安保理、日本、米国などは、国際法違反を犯している。

                                                             2015年3月12日 記

「メルケル首相が残した言葉」

「メルケル首相が残した言葉」


 7年ぶりに来日したドイツのアンゲラ・メルケル首相は9日、首相官邸で安倍晋三首相との会談、さらに朝日新聞本社での講演など、精力的に予定をこなしていた。

 首脳会談では、テロとの戦いやウクライナ情勢などの国際課題への共闘の確認、両国経済の関係強化を目指すことなどで一致をみた。

 会談後の共同記者会見で歴史認識について問われたメルケル氏は、ナチスの所業に触れて「過去の総括は和解のための前提となっている」と指摘した。

 さらに日中、日韓関係を含む東アジア情勢について問われると、「アドバイスする立場にはないが」と前置きして、戦前のナチスの行為を透明性をもって検証した経緯を紹介し、「過去の総括は和解の前提となっている。和解の仕事があったからこそ、EUをつくることができた」と述べ、地域の安定には和解への努力が不可欠であることを強調した。

 表現は抑制的で、安倍氏にも配慮していたが、日本の現実政治の実態をついていた。

 果たして安倍首相は、メルケル氏のこの言葉をどのように聞いて理解し、記憶したのであろうか。

 メルケル氏は、講演の部で、ヨーロッパでの戦いが終わった日の1945年5月8日を、ワイツゼッカー元独大統領の言葉を引用して、ドイツにとっては「解放の日」だと紹介した。

 「それは、ナチスの蛮行からの解放であり、ドイツが引き起こした第2次世界大戦の恐怖からの解放であり、そしてホロコースト(ユダヤ人大虐殺)という文明破壊からの解放でした」と言葉を継いだ。

 ひるがえって、私たち日本人にとっての8月15日は、どのように解釈されているのだろうか。

 「敗戦の日」ではなく「終戦の日」が公式語となり、語り継いできたから、戦争指導体制や戦争責任主体をあいまいにしたまま、70年を過ごしてきた。

 そのために、植民地主義史観、侵略思考、他民族抑圧観、ファシズム的イズムなどの、戦前的イデオロギーを完全に払拭できず、解放されず、安倍晋三政権を誕生させたと言えよう。

 メルケル氏は講演の中で、歴史や領土問題についてもふれ、首脳会談時よりも突っ込んだ発言をしている。

 「第2次世界大戦後の独仏の和解は、隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら可能ではなかった。ドイツもありのままを見ようという用意があった」
 「アジア地域に存在する国境問題も、あらゆる試みを重ねて平和的な解決策を模索しなければならない」――と、安倍政権の立場を直接批判する言辞を避けつつ、ドイツの選択の正しさと今日の国際的地位の説明に止めた。

 しかし、「過去ときちんと向き合ったから隣国の理解を得られた」の表現部分では、さすがの安倍政権にも皮肉に響いていたのではないだろうか。

 翌10日、岸田文雄外相は閣議後の記者会見で、歴史認識について「日本とドイツは、大戦中に何が起こったか、どういう状況下で戦後処理に取り組んだか、どの国が隣国なのかという経緯が異なり、単純に比較することは適当ではない」と、まるで評論家のような発言をしていて、メルケル氏の語意を無視しているようだった。

 その一方で、「かつての多くの国々、とりわけアジアの諸国の認識は、安倍内閣、歴代内閣は同じだ」として、従来言説と同じ、歴代内閣の立場全体を引き継いでいくと、三百代言的言辞を重ねていた。

 このような反応では、8月に発表するという「安倍談話」の内容、表現のことがますます心配になってくる。

 メルケル首相の日本滞在中(9、10日)の発言は、日本国内は言うに及ばず周辺国でも、好意的に受け止められている。

 むしろ、ある示唆を与え、残していったとも言えるだろう。

 だが、安倍政権だけは、彼女の発言の真意を理解せずに、曲解している。

 これでは、中韓との和解への道も、遠ざかるばかりだ。


                                                             2015年3月11日 記

「果たして、米国にナイフを向けたのか」

「果たして、米国にナイフを向けたのか」

 
 リッパート駐韓米大使が5日朝(午前7時40分頃)、ソウル市内の講演会場(講演前の朝食会中)で、南朝鮮の男性によって切りつけられる事件があった。

 大使の傷は、顔面の右あご付近に長さ11センチ、深さ約3センチに達していて、手術で約80針縫ったが、命に別条はなかったようだ。

 リッパート大使は、オバマ大統領の腹心の一人で、これまで米国のアジア重視政策の要役を担ってきた。

 韓国大使には2014年10月に就任している。

 犯人の男性は、事件現場で直ぐに取り押さえられ、身柄を拘束された。

 取り調べで男性は、独島の領有権を主張する団体(「われわれの庭」)代表のキム・ギジョンだと名乗り、「米国の奴を切りつけてやった」と叫びながら、「韓米合同軍事演習反対」と訴えたという。

 捜査当局の発表では、キム・ギジョン氏は1999~2007年(金大中・盧武鉉政権時代)に計7回の訪朝をし、南北統一問題では北側に沿った主張をし、公安もマークしていたのだという。

 南北離散家族が会えないのは、韓米が合同して戦争訓練を実施しているからだと、連行された警察署内でも抗議していたことが伝えられている。

 南北朝鮮の和解ムードを妨げ、敵対心だけを煽っている米韓合同軍事演習に反対し抗議することは朝鮮人であれば当然の主張であって、不思議なことではない。

 それをことさらのように報道しているところに、一抹の疑問を感じる。

 訪問先のアラブ首長国連邦で事件の報告を受けた朴槿恵大統領は、「同盟への攻撃だ」と、米国に配慮して犯人を強く非難した。

 この「同盟への攻撃」との言葉の裏には、米韓合同軍事演習に反対し、(自らが)提案している南北離散家族再会協議に応じてこない共和国を、非難することの方が強かった表現であったかもしれない。

 今回の事件で、不思議に感じたのは、公安当局がすでにマークしていた人物をボディチェックもせずに会場に入れてしまったことである。(1974年8月の「朴正煕狙撃事件」を思い出した。犯人の在日朝鮮人・文世光のボディチェックもせず、事件後、朝鮮総聯の指令だとして、日本政府に朝鮮総聯団圧を要求するための、韓国中央情報部の謀略事件)

 今回も大使への警護失態問題から、朴槿恵政権は当面、米国に対する立ち位置がこれまで以上に不自由となり、ますます独自の南北接近政策が出せず、米国のアジア政策の宣伝スピーカーに成り下がってしまう可能性がある。

 日本の朝鮮植民地時代、1908年3月の田明雲と張仁煥による親日米外交官スチーブンソン(日本政府の要請で朝鮮の外交顧問をしていた)暗殺事件、1909年10月の安重根による伊藤博文暗殺事件、この2つの暗殺事件(テロ)は、日本帝国主義統治の強固な機構に反対し、その指導者に銃弾を撃ち込んだのだ。

 だが、日帝支配者たちは、より強固な「日韓併合条約」を強要して、朝鮮植民地統治機構を完結してしまった。

 その過去の歴史を考えるとき、現朴槿恵政権が、キム・ギジョン氏のテロリズムを利用して、国家保安法を活用した「従北勢力」「利敵行為者」レッテル張りが強まっていくことを恐れる。

 キム・ギジョン氏は「米国にナイフを向けた」と語ったが、米韓両政権はそのナイフを逆に南北統一を切望する者たちの方に向けて、南北交流に前向きな進歩派政党や民間団体に圧力をかけ、政権支持率低下の巻き返しと米韓同盟強化カードに利用していく可能性が十分に考えられる。

 とは言え、南朝鮮人民たちの反米感情のマグマは大きく高まっていて、いつ爆発してもおかしくはないのが現実だ。

 その怒りの感情は、同族である共和国を敵視し、戦争挑発の軍事訓練を、米国と合同で実施している反民族反人民政権にも強く向けられている。

 だから米韓ともに、ファシズム時代の遺物の国家保安法を、いつまで経っても手放せないのだろう。

 朝鮮中央通信は5日、リッパート大使が男性に切りつけられて負傷したことを、「戦争狂の米国に加えられた当然の懲罰」だとの記事を配信した。

 事件は南朝鮮で反米機運が高まっている中で起き、事件は「(米韓合同軍事演習によって)朝鮮半島の戦争の危機を高潮させている米国を糾弾する民心の反映だ」と主張している。

 現像としてはその通りだが、テロリズムは反革命的で、多くの民衆を引きつける力にはならない。

 また、キム・ギヒョン事件そのものが、米CIAによる謀略の可能性も捨て切れないという点で、米国の対アジア政策、対韓国政策を注視していく必要がある。


                                                              2015年3月8日 記

「朴槿恵政権に保安法の撤廃を要求する」

「朴槿恵政権に保安法の撤廃を要求する」


 南朝鮮の国家保安法は、世紀の悪法である。

 この法律は、朝鮮の南北分断政策を、武力でもって推進してきた李承晩体制下の1948年12月、統一を望む人民たちを弾圧するために制定した。

 しかも、戦前の日本帝国主義体制が、軍事国家を維持していく必要上から、人々の思想、結社、運動の自由を剥奪する道具として制定した「治安維持法」を、さらに改悪したファッショ遺物である。

 韓国版治安維持法ともいうべき代物である。

 21世紀の今日、このような悪法がまだ現存していることに、驚きを禁じえない。

 それ以上に驚いたのは、この悪法を駆使して、政党や組織、個人を弾圧した政権が存在しているということであった。

 私は、ファッショ時代の日本やドイツの、軍国体制を思い出している。

 しかし、国家保安法を制定しているのは南朝鮮政権でそれを使用したのは、朴槿恵政権である。

 朴政権がこの悪法を振り下した理由は、民主的な団体や個人の言動が、「従北」「容北」であったからだという。

 朴政権は、何を恐れているのだろうか。

 南朝鮮の進歩勢力に対して、「従北」とか「容北」とかのレッテルを貼り、解散弾圧を強行している。

 統合進歩党、全国教職員労働組合、民主社会のための弁護士会などを「従北政党」や「容北勢力」に仕立てて、ファッショ悪法を押し付けた。

 つまり、「従北」「容北」を口実にした進歩的団体や個人を弾圧し、排除していくことは、共和国(北)の存在を容認しないということだ。

 共和国の社会主義制度を認めない、との態度でもある。
 
 さて、朴槿恵氏、日本の安倍晋三首相の歴史認識、植民地支配や軍慰安婦問題への態度を問いただしているが、自らの民族自主権意識や統一問題への立場はどうなっているのか。

 統一問題は、「7・4共同声明」以降のいつの南北共同宣言でも、北の社会主義制度と南の自由主義制度を、双方が認めあい尊重し、侵害せず、統一を達成(一民族一国家二体制)していくことを確認している。

 統一理念の原則となった7・4共同声明の発表は1972年であったから、今から43年前であって、それほど古いことではない。

 「わが民族同士」時代を呼び込んだ6・15南北共同宣言から、まだ15年しか経っていない。

 当時の南北交流の熱気を、朴槿恵氏も覚えているだろう。

 それらは南北民族が約束してきたもので、民族の英知、勇気、真理が結実したものである。

 大統領就任後の朴槿恵氏は、統一問題についても提案しているが、いずれの内容も、「民主主義下」での制度統一案となっている。

 制度統一の主張は、南北対立を招来するだけだと否定されてきた。

 それでもなお、制度統一を主張することは、過去の歴史的努力、先人たちの政治的知恵を否定することになり、民族の良心と世界平和を願う人々をも裏切ることになる。

 否、朝鮮の自主化歴史を逆行させようとする、民族反逆者だともいえる。

 国家保安法を振りかざして、自主的平和統一を主張する団体や個人を弾圧することと、制度統一を主張することとは符号していて、民族自主権そのものを否定していることとつながっている。

 朝鮮の自主的平和的統一のため、アジア地域の平和と民主化のため、国家保安法の撤廃を朴槿恵政権に強く要求する。

                                                             2015年2月28日 記

「3・1独立運動と米韓合同軍事演習」

「3・1独立運動と米韓合同軍事演習」


1.明治政権の性格

 やがて、3月1日。

 この日、朝鮮は帝国主義への抵抗史の嚆矢ともいえる「3・1独立運動」の96回目を迎える。

 3・1運動の意味を理解するにはまず、日本近代史の性格を語る必要がある。

 日本の近代社会を形成する明治維新体制は、幕藩体制を崩壊へと導いた封建領主階級内部の改革派によって成立した。

 そのため、封建的な諸関係を包含したまま、絶対主義的な性格をもつ天皇制国家として登場した。

 政府は、維新の中心勢力であった薩長土肥4藩主体で構成し、国家主導下での資本主義生産を保護し育成し、半封建的な寄生地主制の農業を公認した。

 たてまえ的には四民(士農工商・穢多非人)平等のスローガン(列強への説明のため)を掲げて、皇族、華族、士族、平民の新たな身分関係を制度化し、さらに未開放「部落民」の社会的差別を存続させた。

 こうした日本的資本主義の姿は、第2次世界大戦後まで続いた。

 明治憲法体制下での社会は、天皇主権と強大な天皇大権を基軸とした軍部・官僚・特権ブルジョア・大地主階級の支配体制を成立させて、国民の基本的人権や選挙権は、一部有力者層だけに与えるという制限したものであった。

 一方、幕末江戸幕府が欧米列強によって強要された不平等条約をそのまま引き継いだ明治政権は、その屈辱感を朝鮮王朝に向けることで、自らの近代国家の出発とした。

 必ずしも近代国家、近代社会として十分に成熟していない明治政権は1875年9月、軍艦「雲揚号」を江華島に侵入させ、不法測量をしつつ武力挑発をして、朝鮮側からの反撃を受けて撤退した。

 翌1876年2月、この雲揚号事件を口実とした不平等条約、「日朝修好条規」(江華島条約)を強要(軍武力を背景に)し締結した。

 この日朝修好条規をもって、日本が朝鮮に、近代的な国際条約だとの欺瞞的な口実(これこそが近代主義、植民地主義)のもと、朝鮮への不法侵入の第1歩を記した。

 こうして日本は帝国主義の姿を現し、その苛酷な性格を朝鮮で成長させた。


2.民族自決権主義の世界的潮流

 ところで世界の民主主義的潮流は、近代的自覚や権利意識を抑圧する日本帝国主義とは反対の方向へ進んでいた。

 第1次世界大戦後のベルサイユ講和会議で米大統領ウィルソンが「平和14原則」を示し(1919年1月)、民族自決主義(植民地問題には言及していない)を提唱した。

 この民族自決主義は、民族自決権として全世界の非抑圧民族側が民族解放を要求する際の原点となり、植民地主義者と戦う時の武器ともなった。

 さらにもう一点、ロシア革命が勝利(1917年11月)し、民族の実際的分離独立と民族解放の実例(資本主義及び帝国主義に対する民族自決)を、ソビエト政権樹立によって示していた。

 以上、2つの民族自主権の潮流が日本では、大正デモクラシー(1913~25年頃)を生みだした。

 抑圧的な明治憲法体制下の社会から、民主主義的な改革を要求する運動、自由思考、文化、生活などを表現した。

 労働運動、農民運動、社会主義運動などの社会変革思想と運動なども勃興した。

 しかし、民主主義と自由思考の高揚を恐れた体制側は、出現した労働者階級や革新的知識人たちを徹底的に弾圧し、学校教育や社会システムなどを通じて、国家主義、軍国主義、植民地主義意識を注入していった。

 このため大正デモクラシーの思考と運動は、植民地下の台湾、朝鮮、中国東北地方の人々にまで届くことはなく、影響をあたえることもなく消滅してしまった。

 結局、大正デモクラシーは明治憲法体制を突き崩すだけの革命的力量、エネルギーにはならず、帝国体制下内で起こった未分化な民主主義的要求のままで費えてしまった。

 そうであったから日本の民衆はまだ、日本の絶対的天皇主義、軍国主義、植民地主義、侵略主義的政治や勢力と闘い、糾弾していくだけの力を持ち得なかった。

 植民地下の朝鮮人たちと交わり、反帝国主義の思想を共有し、戦うまでにはまだ時間を必要としていたようである。

 一方、世界の民族自決権潮流の影響は、朝鮮で「3・1独立運動」を提起した。


3.「『3・1独立運動』の時代背景」

 1910年8月22日、朝鮮は日本帝国主義に併合された。

 その10年後の1919年3月1日、朝鮮の地主、資本家、農民、労働者、知識人、学生ら男女を問わず、日本帝国主義の支配に反対して立ち上がり、朝鮮独立万歳を叫び、朝鮮の独立を熱望する意志を全世界に示した。(親日派と一部の民族反逆者を除いて)

 運動の基点は、東京で朝鮮人留学生約600余名が1919年2月8日、「独立宣言書」を発表し、反日デモを行ったことである。

 その宣言内容が、朝鮮での民族権要求に火を点けた。

 3・1独立宣言書は1919年2月18日、天道教、キリスト教、仏教を代表する宗教者、地主、小ブルジョア出身の民族主義者ら33人が署名し、3月1日に京城(ソウル)のパゴダ公園で発表した。

 宣言書は「ここに朝鮮が独立国であり、朝鮮人が自由民であることを宣言する」で始まり、以下の公約3章で結んでいる。

 きょうの、われわれのこの拳は正義、人道、生存、尊栄のためにする民族要求、すなわち自由の精神を発揮するものであるから、決して排他的感情に逸走してはならない。
 最後の一人まで、最後の一刻まで、民族の正当な意思を快く発表せよ。
 いっさいの行動は、もっとも秩序を尊重し、われわれの主張と態度をしてあくまでも公明正大にせよ。

 ―以上のように宣言書の基本精神は、「日本の不信をとがめるものでなく」「日本の不義を責めるものでなく」して、「ただ自己の建設」だけを願い、「決して他人を破壊するものではない」と、宗教者特有の平和的、嘆願調になっている。

 この独立宣言を発表する市民大会とは別に、日本によって王位を追われた李大王の葬儀(日本による毒殺説がある)に参加していた人々が合流し、独立万歳を叫ぶ一大示威集会となり、その熱気が京城市中へと流れ、またたく間に朝鮮全土へと広がっていった。

 示威行動の中心は5月末頃までの3カ月間であったが、余波は1919年の間ずっと、朝鮮北部の寒村や中国東北地方にまで続けられた。

 日本側(朝鮮総督府)は軍隊、警察を動員し、ただ独立万歳だけを叫ぶ朝鮮の民衆に、武力鎮圧を強行した。

 支配者特有の恐怖感による、過剰反応の暴力行為である。

 日本警察の発表(資料によって数字にばらつきがある)でさえ、600か所以上(朝鮮全土)で運動が波及、参加者150万~200余万人、死者7000余~8000余人、負傷2万余~4万余人、検束者49000余~53000余人、焼失家屋500余戸――と、被害の大きさを伝えている。

 警察に検挙された階層別をみると、農民及び日雇農夫59.4%、商業(小商店主ら)8.6%、工業3%、労働者(無職含む)10%、学生20%で、全体的に貧農民と日本の資本から常に脅威を受けていた零細商工業者、無職者を含む不安定労働者、年貧民、学生たちであったことが分かる。

 その彼らが、この民族独立(解放)運動の推進力となったのである。

 3・1独立運動の指導者(宣言書への署名者)たちは、途中で朝鮮総督府に保護を願い出、その後、日帝の皇民化政策の手先にまでなった者もいた。

 運動そのものは自然発生的な闘争で終わってしまったが、日帝支配者には大きな打撃を与え、限られた範囲ではあるが言論、出版、集会、結社などの自由を認めさせている。

 3・1独立運動の歴史的意義は、この運動を契機に朝鮮の民族解放運動が階級的性格を帯びる闘争へと発展したことにある。

 さらに、中国東北の間島および白頭山一帯での抗日武装闘争、革命根拠地創設など、パルチザン闘争を用意したことで、朝鮮近代史における3・1独立運動の位置は、いまも輝いている。


4.民族自主権を

 3・1独立要求運動は他面で、反帝闘争に教訓を残したのも事実である。

 民族独立要求は、民族自主権としての当然の権利ではあるが、帝国主義者に対して請願や平和的要求だけでは、決して与えられないことを、3・1独立運動も世界の歴史も証明している。

 帝国主義との闘争と勝利、決死の闘争を伴うものであると、教訓としている。

 それほど民族自主権の獲得は紀趙であったということである。

 現在、朝鮮は38度線によって、南北に分断されている。その現実は、朝鮮人にとっては耐えがたいほどの苦痛であったろう。

 何故なら、民族自主権が侵害されたままになっているからである。

 朝鮮の民族自主権を侵害している実体こそ、言うまでもなく、米帝国主義者である。

 米国の南朝鮮軍事支配、米国のアジア太平洋戦略が、70年にも及ぶ朝鮮半島分断を固定化させ、朝鮮人民の民族自主権を無視し、踏みにじっている行為であった。

 だから、南北朝鮮の政権はともに、米国の現代史に対して、民族自主権要求をしていく権利を強く持っている。

 しかしそれは、単なる請願や平和要求スタイルだけでは、決して通用しない相手であることも、朝鮮及び世界はよく認識しておく必要がある。

 そのような米国を相手に、南北両朝鮮が民族自主権を獲得し、勝利を挙げるには、南北の政治対話、各種交流の拡大を深化させることを続けていくことである。

 南朝鮮政権は現在、米韓合同軍事協定の鎖に縛られているとはいえ、共和国を批難する各種言動をいっさい慎むことから先ずは始めるべきであろう。共和国(同族)を誹謗することは、自らで朝鮮民族(自分で自分を)否定する行為になっている。


5.米韓合同軍事演習を中止せよ

 これまで南朝鮮政権が行ってきた反民族自主権言動の中で、米軍と共に実施してきた各種合同軍事訓練ほど、醜悪なものはない。

 合同軍事演習の目的は、共和国への侵攻、核戦争にあったのだから、必ず民族統一事業を実行しなければならないその相手を、米軍と共に攻め込み、壊滅するための軍事訓練を繰り返していることは、政治的矛盾、民族反逆行為も甚だしい。

 一方では、統一を叫び、もう一方では攻撃訓練を続けている思考こそ、同族を戦火によって滅ぼす古代社会のもので、近現代史の民族自主権を否定することにもつながる。

 例えば、それが史上最大規模だと誇っていた1976年からの「チーム・スピリット」。

 80年代に入ると、米韓両軍の参加要員が20万人余、25万人余などと、常に戦争前夜の状態を朝鮮半島周辺に作り出し、展開していた。

 しかも核の先制使用攻撃作戦までが組み込まれていた。

 これらすべては、共和国の社会主義体制を崩壊させる米国のアジア太平洋戦略の思考であって、同族の南朝鮮軍を先兵に立てることで、自らの犠牲を少なくしようとする帝国主義的作戦の演習であった。

 米国の対アジア、対北朝鮮戦略の思考に、当時となんら変化はない。

 米国にとっての南朝鮮政権、南朝鮮軍の位置は、どこまでいっても共和国の社会主義制度を崩壊させるための手駒でしかなく、それを効率良く使用することだけを考えている。その中の合同軍事演習だ。

 今年もまた、「キー・リゾルブ」を3月2日~13日、まで、「フォール・イーグル」(野外機動訓練)を3月2日~4月24日まで、それぞれ実施することを発表した。

 最近の訓練内容は、軍部隊が地上戦を展開する前に、ピンポイント爆撃をし、特殊部隊を侵入させて、党中央委員会を壊滅させる作戦へと転換し、訓練からいつ実戦段階へと移行するのかも分らない、危険な軍事訓練を南朝鮮軍は実施しているのだ。

 問題は、米軍と共に軍事演習に参加している南朝鮮軍の部隊員たち、彼らの民族自主意識の有無についてである。

 軍事演習とはいえ、彼らは誰に対して銃口を向けているつもりなのだろうか。

 民族統一の相手となるべき同族に対して銃口を向けているということは、共和国人民に対しては、敵対感情しか持っていないのか、それとも同族意識はまだあったのかということにもなる。

 南朝鮮の歴代政権にしても、統一及び交流事業関連の諸提案を行う一方で、米軍との様々な軍事演習を重ねて、共和国への敵対感情を造作する矛盾政策を続けてきた。

 こうした政治は、帝国主義の術策に陥り、民族自主権という民族として最も貴重な精神を捨て去ることと同じである。

 今年の新年の辞で、金正恩第1書記は米韓合同軍事演習の中止と南北接触と交流を呼び掛けた。

 長年、米国の軍事戦略下に置かれている南朝鮮は、直ちに3月からの合同軍事演習に参加しないことは無理にしても、朴槿恵政権は金正恩第1書記の呼び掛けを、同族としてその真意を汲み取っていく努力はすべきであろう。

 近代朝鮮史に立派に咲いた3・1独立運動の精神、歴史的精神を尊重し、今後は南北共通の記念行事として実施することから始めてみることを提起する。

                                                             2015年2月23日 記 
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