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「まだ『さようなら』ではないが!」

「まだ『さようなら』ではないが!」

 いずれは、この刻がやってくるだろうことを認識しつつ、従来通り朝鮮問題や市民運動を行い、生活をしてきた。

 10年前、体調不良のために訪れた病院で、念のために腹部MRI検査をしてもらったら、その画像に、膵臓の中の小さな腫瘍が見つかった。

 様子を見ていきましょうということで半年毎に、CTでの観察を続けていた。

 当初の1センチ未満のものが、2センチ、3センチ、4センチと「順調」に成長し、今回(7月8日)の検査で5センチに達していた。

 しかも癌化しているという。詳しい検査が必要だということで、県立中央病院、松山市民病院のそれぞれの専門医に精密検査を受けた。

 結果、すでに癌が膵臓を覆っており、直ぐの手術が必要だと告げられた。

 執刀予定の外科医の説明で、末期ではないが、膵臓の全摘と、さらにその周辺の十二指腸、胆管、脾臓、胃などの一部の切除をする必要があると言った。

 切断箇所と接合箇所が多いため、手術は11時間から12時間という時間になる。

 体力との勝負になると宣告した。

 手術日は、私が78才の誕生日を迎える8月24日までになるだろうという。

 同病の母が、術後数日で亡くなっていたこともあり、果たして78才以降の私の人生が存在するのかどうか、若干、心配している。

 それ以上に心配していることは、「北京約束」(ストックホルム協議での合意)での日朝協議の行方である。

 いささか驕り高ぶっている安倍政権の姿勢に、不安めいたものはあるものの、別の意味では今がチャンスかもしれない。

 来年の戦後70周年を、安倍晋三首相は彼なりに「意義」ある迎え方をしようとしているからである。

 「70周年首相談話」「河野談話の見直し」「日米ガイドラインの見直し―米国との同盟の位置」、そして国連安保理の「常任理事国入り」などを成立して、歴史に自らの名前を刻む欲望を持っている。

 それらを成立させるための環境として、拉致問題の解決、日朝関係の改善へのシグナルを出していくだろう。

 術後のベッド上で、日朝協議が前進しているとのニュースを聴くことができれば、癌も退散しているだろう。

生還できなかったとしても、私の意志はそのまま、日朝問題の前線で戦っている。

                                                           2014年7月27日 記
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「各地で『戦争展』が開かれているが」

「各地で『戦争展』が開かれているが」

 梅雨明けの直後からの日本列島は、猛暑に襲われている。

 35度以上の地点が200ヵ所、250ヵ所へと広がり、36度、37度と今年の夏はことのほか暑く、熱い。

 この時期、夏の恒例の行事が、日本列島をさらに熱くしている。

 7月中旬頃から全国各地で繰り広げられている「戦争展」「平和展」「空襲被害展」から、「8.6」「8.9」「8.15」へと続く、先の大戦にまつわる各種催し物の開催とそのスタンスである。

 この一連の「真夏の行事」に共通しているテーマは、主催者が誰であれ、形式や内容がどうであれ、「戦争の悲惨さ」と「平和の大切さ」を強調する被害者展になっているきらいがある。

特に、各地での空襲展は、空襲で焦土と化した市街地と犠牲者たちの写真、出征前に寄せ書きした「武運長久の旗」「日の丸の旗」や遺品などを中心に構成している。

 その展示会場からは、確かに日本人たちが受けた戦争の被害、悲惨さが十分に伝わってくる。

 とはいえ、戦場や戦争現場は全くなく、ましてや旧日本軍の朝鮮や中国、アジア各地での侵略行為、旧軍や日本人の加害行為を証言するものなどはどこにもない。

 このように、各地の会場で展示されている写真や図面などで、共通しているのは、米軍機による空爆の被害、外地から引き揚げる際の苦労談など、そこには日本が起こした戦争(侵略)行為と目的を隠してしまっていることだ。

 さらに、空襲・空爆の主体者が、米軍であったことまでも隠している。だから、何のために、一般日本人が、空襲被害にあったのかが、会場からは何も伝わってこない。

 そうした展示会場を訪れるたび、展示目的が何であったのかさえ、疑問に思えるのは当然だろう。

 戦争は自然災害とは違う。

 被害の前には必ず、加害者の政治判断と行為があったはずだ。

 クラウゼビッツは「戦争とは他の手段をもってする政治の継承である」と言っている。また、毛沢東は「政治は血を流さない戦争である。一方、戦争は血を流す政治だ」と言っている。

 血を流す政治を仕掛ける政治家たちは、情報統制、増税と軍事関連支出の増大、周辺国との軋轢、ナショナリズム的強調現象が起こしていたはずだ。

 こうした戦争推進政治勢力、戦争犯罪者の姿を隠したうえでの、銃隊の犠牲や被害実態だけをクローズアップさせた「平和」主張では、どこか虚しいものがある。

 日本各地で行っている「夏の企画展」では、先の大戦による一般日本人たちの被害実態を教えてはくれるものの、日本が加害者であったことを都合よく忘れさせていく効果をもっている。

 その結果、在日朝鮮人へのヘイトスピーチは言うに及ばず、軍慰安婦の存在や朝鮮人強制連行を否定する意見が一般化するまでになった。

 それは違うと主張する者たちに「反日者」とのレッテルを貼り付けてしまうことまでが、常態化している。

 国会では、戦争後方支援、兵器輸出、集団的自衛権の行使までが、何らの障害もなく議論進行している。

 そのように進行している現実を「平和」だと言って良いものだろうか。

 最早や、過去の被害実態だけを展示して、「平和」な時代が良いと言うだけでは済まなくなっている。

 今後は過去の日本政治の加害行為をしっかりと表現するとともに、現在進行している安倍政権の「他の手段の政治」「血を流す政治」をも告発していく必要がある。

                                                           2014年7月26日 記

「河野談話検証こそ反日行為だ」

「河野談話検証こそ反日行為だ」

 朝日新聞をのぞく全国紙の7月18日付朝刊の広告欄に、桜井よしこ氏の半身像の写真が掲載された。

 「『河野談話』の検証は、まだ終わっていません」とする全4段のスペースの意見広告で、「公益財団法人国家基本問題研究所」(東京都)が広告主である。

 同研究所の理事長は桜井氏で、副理事長に田久保忠衛氏、役員に38名が名を連ねている。

 広告の「意見」の真意で、河野談話の検証は継続してゆくべきで、談話作成に責任を負った河野洋平氏と外務省関係者らの国会での説明は不可欠だとしている。

 過日、安倍政権が発表した談話検証結果を、南北両朝鮮と中国が批判し、米国も不快感を表明したことで安倍晋三首相は、態度を変えて、河野談話を尊重すると表明した。

 つまり、河野談話の検証は、これ以降は行わない、と言ったのである。ところが、桜井氏らは、そうした安倍政権の対応に不満なのであろう。検証を継続せよと言っているのだ。

 その結果を、来年の戦後70周年「首相談話」に反映させるようにと、安倍晋三氏にサインを送っているようでもある。

 それはまた、河野談話の否定である。

 河野談話――軍慰安婦への強制性を認めたことに対して、桜井氏らの陣営側が、従来から展開しているのは、分かりにくいところがある。(アジテータ的で、飛躍した表現になっているため)

 軍慰安婦の存在を否定しているのか、旧軍の関与を全面否定しているのか、強制募集・連行がなかったと否定しているのか――以上すべての否定であるのかどうかが、はっきりしていない。

 また、「事実無根」だと指摘している点についても、彼女たちが「セックススレーブ(性奴隷)」状態であったことなのか、朝鮮女性たちを強制連行した現場で指揮していたとする吉田清治氏の証言のことなのか、強制性を報道した朝日新聞の記事内容のことなのか、当時の宮沢政権の調査手法のことなのか――それら全てのことなのかが、はっきりしていない。

 彼らが以前から展開していた議論は、強制性(連行・行為)、人数、旧軍の関与などを主張する論者たちに対して、その一次資料・証拠を示せ、それが提出できないのは、単なる風聞で信憑性に欠けるとして、軍慰安婦たちの存在を否定してきた。(特に、元慰安婦たちの証言がないとして)

 河野談話が出てきた背景には、その歴史必然性と政治的成熟度と共に、元慰安婦たちの心象整理との整合性の時間が重なったためであった。

 その交差点が91年、92年頃であった。

 従って、河野談話の作成と発表は、元慰安婦たちが自らの苦渋体験の一部を、語り出せる政治・社会風景になったことを反映している。

 彼女たちが自らの「恥部」を言葉にするまでに、50年近い歳月を必要としたことを、何人も、日本人であるならば重く受け止めなければならないだろう。

 どの時代、どこの国・地域においても、女性が「性」を売買せざるを得なかったことは、本人とその家族にとって、どれほどの苦痛であったことか。

 公娼制度時代の日本でも、彼女たちが存在する場所を「苦界」と表現していた。

 誰ひとり、「軍慰安婦」になることを肯定して、進んでそれに応募する者など、居るはずがない。

 まして儒教社会・精神が濃厚な朝鮮・中国にあっては、それは自死をすら意味していた。

 手練手管を使っても、集まらなかったがため、警察権力を使っての、「強制」で員数を揃えたというのが真相である。

 彼女たちもまた、名乗り出て声を上げるのに50年近くもかかり、高齢となり、身寄りを失った後、自己の存在を証明することで、日本の破廉恥な過去を告発することができたという背景の理解が必要である。

 当時の河野洋平官房長官が、元慰安婦たちのひとりひとりを捜し出し、彼女たちからの聞き取りをしていなかったとしても、それを「政府は調査をしていませんでした」とは言えない。

 旧軍が慰安婦たちを戦場に連れていた、旧軍の命令で朝鮮や中国、占領地の女性たちを連行し、性を強要した旧軍人たちがいた――それが事実であり、それら事実から導き出されて河野談話が発表されたのだ。

 意見広告の最後にある「事実こそが反日宣伝から日本を守るのです」とのフレーズは、彼らの常套句になっている。

 「事実」とは、現実に起こった事柄であって、それを勝手に解釈することは許されない。

 また、彼らが言う、「反日宣伝」とは、どのような類のもとを指しているのだろうか。

 日本国家、または時々の政権の政策に異論を唱えたり、行動したりすることを「反日」と考えているのだろうか。もしそうであるなら、それは国家主義的思考とつながっている。

 国家主義とは、国家機構(国家権力)の中核たる公的制度を強化していく支配機構にことである。

 軍隊、警察などの武装集団、裁判所、刑務所など強制施設、官僚制度の強化、人民に対する高い租税徴収などによって国家権力を強化していくのだ。

 現実の安倍政権が推進している、国家情報の独占とコントロール、自衛隊の軍隊化、消費税アップ、医療・介護制度の破壊政策などが、まさに国家主義の姿といえる。

 桜井氏らの「国家基本問題研究所」は、そのような安倍政権を擁護し、「日本を守る」と主張しているようにも聞こえる。

 広告では、「日本を変えていくため」の会員を、募集している。

 安倍政権の応援団よろしく、河野談話や村山談話を批判していたところまではまだ、右側の主張として聞くことはできた。

 しかし、広く国民に「同志」を求め、一つの集団、勢力となろうとしていることは、安倍政権の独走と同じく、彼らもまたある「目的」をもった一歩を踏み出したようで、警戒する必要がある。

                                                           2014年7月21日 記

「日朝協議の行方は」

「日朝協議の行方は」

1.
 予測していた通り、日朝関係の現状について、米国がクレームを付けてきた。

 7月7日の日米電話会談で、ケリー米国務長官が岸田文雄外相に対して、日本政府の日朝交渉スタンスについて自制を求めてきた。

 1.首相が訪朝を検討する場合は、(直前に)「『行く』と通告するのではなく、その前に私たちと十分に相談してほしい」と要求以上の、通告をしていた。

 2.拉致問題解決の進展に伴なう段階的な日本独自の制裁解除に、「追加的な制裁解除には慎重であってほしい」と要求し、日本の制裁解除に不快感を示した。

 1の安倍首相が訪朝するといった情報は、週刊誌やテレビ番組などで盛んに流されている。そのネタ元は、6月3日の参院外交防衛委員会で、岸田外相が拉致解決への選択肢の一つとして、首相訪朝に言及していたことにある。

 もっとも岸田氏一人だけが考えていたのではなく、安倍氏本人も予定していたストーリだったろうとは思うが、それにしても岸田氏の口は軽すぎた。

 今回の日朝協議進展には、当初から安倍政権の「前のめり」スタイルが気になってはいたものの、その前のめり感が周辺国に対して警戒感を抱かせているようだ。

 その一つには、各国への根回しが欠けていた点があったのではなかろうか。

 なるほど、日朝関係進展を担うのは、日本自身の主体的な問題であり、責任問題でもあった。

 しかし朝鮮半島関連問題は、どの側面からしてもアジア安保と密接に関係しており、日本一国だけで出来るものではなく、また、日本にはまだそのような力量が備わってはいないことも事実だろう。

 ここは当然、主体性と関係各国との連携と協調性、そうしたバランスとが求められている、外交上の課題である。

 さて、岸田氏のケリー氏への返答はどうだったのか。

 1については、「メディアが(答弁内容を)いろいろと報じているだけて、首相訪朝は一切検討していない」と返答して、理解を求めた。

 メディア側が勝手に騒いでいるだけで、政権内では検討もしていないと、弁明に努めていた。(そのように言うしかなかったのであろう)

 2については、「追加制裁解除など検討もしていない」と、これもまた釈明をした後、今以上の制裁解除は絶対に行わないことを約束した。(この時点で、朝鮮との約束を破ってしまったことになるのだが)

 何のことはない、米国から「日本だけが前に出るのは良くない」と叱られると、言い訳をしつつ素直に「ハイ」と引き下がってしまったことになる。

 つまり米国は、朝鮮半島を含むアジア安保に関して、日本の独り旅は絶対に許さないと安倍政権に強くお灸をすえたことになる。

 対朝鮮への旅は、米国をリーダとする日韓3人連れでなければならず、しかも核とミサイルを認めないとの圧力を掛け続けて朝鮮を圧殺すること以外は許さないのだと、それが米国のアジア安保の基本であることを、改めて日本に申し渡したことになる。

 ケリー氏との電話会談では十分に真意を伝え切れなかったとして、岸田氏は訪米することを計画していた。

 岸田氏の訪米を巡って、当の本人と首相官邸・外務省との間で対立が発生している。

 ケリー氏との電話協議で、拉致問題解決での日朝協議が、日米韓の連携を乱すほど前のめりにならないよう釘をさされた岸田氏は、「日朝接近」に対する米国の疑念を払拭する必要があると考え、来週中の訪米を検討していた。

 ところが意外にも、首相官邸や外務省から「なぜ米国にいちいち報告しなければならないのか」と、反対意見があって、岸田氏の早期の訪米が難しくなっているというものである。

 この一時からして安倍政権内には、米国への不満が相当たまっているようだ。とはいえ反米感情でも、嫌オバマ米政権でもないだろう。

 こうした安倍政権の感情が、日本が米国の後にただ付き従う時代を終りにしていくといった気概へと進むのであけば、いいことではあるが、残念ながらそうでもないようだ。

 一方で、南朝鮮の朴槿恵政権もまた、米国と同様のメッセージを安倍政権に伝えている。

 日韓両政府が16日、朝鮮半島情勢に関する外務省局長級協議を東京で開いた席上のことである。

 南朝鮮から黄浚局(ファン・ジュングク)外務省朝鮮半島平和交渉本部長が出席。

 黄氏は、日朝協議に関し「日本の努力を支持している」と外交表現をしたものの、北の核・ミサイル問題で、日米韓3カ国の緊密な連携が必要であることを表明した。

 黄氏は後段の部分を強調することで、安倍政権が日朝協議で前のめりになっている姿勢に、「日米韓の協調に否定的な影響をあたえないように」と、米国のメッセージを伝えたことになる。

2.
 これまでの日米韓3カ国は、対北朝鮮では強固な連携プレイを取ってきた。

 時にはその蜜月さと強固さを誇り、朝鮮に強力なプレッシャーを掛けてきた。

 しかし米国が気付かない側面では、日韓間には常にキシミがあり、時には感情論となり、政治的な反発にまで発展することがあった。

 その最大の理由は、日本の過去清算問題と歴史認識に起因している。

 日韓間にはまだ真の「和解」が完了していなかった、ということでもあった。

 米国のアジア戦略の手前、日韓は共同歩調をとりつつ、北に対して核・ミサイル開発の中止を要求し、プレッシャーをかけてきた。

 2002年、北朝鮮による日本人拉致が明らかになるに及んで、日本の歴代政権は拉致問題の解決を最優先問題としたし、それはまた当然のことであった。

 誰も、それに異論を唱えることなど出来ない。

 しかし安倍政権は拉致問題を独り占めにし、政権人気取りと反北朝鮮政策にだけ利用してきた感がある。

 日本は「拉致、核、ミサイル」問題の解決なくして国交正常化交渉はないとしてきたが、それはあくまでも国内向けのポーズでしかなかった。

 「拉致」解決を一番に挙げてはいるが、そのための米韓との政治的調整は一度もしてこなかったのではないか。

 米韓にとっては依然として「核とミサイル」が北朝鮮カードであって、「拉致」問題ははるか後方にあって、日本が米韓との良好な外交関係を維持している限りでのカードでしかなかった。

 ブッシュ米政権の末期に、拉致被害者家族の代表(横田夫妻ら)らが会見して、苦しい個人的心情を吐露して同情論を展開したことはある。

 誰であれ、被害者家族の苦汁に満ちた言葉に涙し、同情をするだろう。

 こうした被害者の涙を前面に押し出した日本外交は、米国や他国に対して「反北朝鮮」感情を高めさせたのは事実である。

 しかし日本政府の同問題に対する政治的立場へのアピールが欠けていたことと、過去清算問題への無責任な日本政府の態度とが重なり合って、拉致問題は「日本問題」に止まったままであった。

 日朝間の基本問題は、日本の過去問題を清算することであった。(基本的には、日韓間においても同じ)

 過去問題を解決していくという過程で、拉致問題を含む日本人行方不明者を調査し明らかにする、それがストックホルムでの日朝局長級協議の合意内容のポイントであった。

 日朝間のストックホルム合意が歴史的に合理的で、日本独自の問題解決にポイントを絞っているとしても、日本はこれまで米韓と共同歩調し、北を政治的に経済的に圧力を掛け続ける三角体制の中に収まったままである。

 つまり、これまでの日本政権は、南北両朝鮮に対して過去清算問題で誠実に対応してきたことがあるのかということと、米韓両国に対して拉致問題解決への協力依頼をどれほど行ってきたのかという答えが、出てきたのである。

 日本政権の外交結果が、今回の米韓側からのクレームとなっていると思われる。

 日本政治の怠慢であり、今後の日朝間、日韓間、日米間において微妙な影響と変化があるかも知れない、という問題である。

3.
 朝鮮との「ストックホルム約束」の中核部分は、02年の「日朝平壌宣言」を実施することと、日朝双方の宿題を推進することであった。

 日本の場合は過去の清算(賠償方式ではなく、経済協力方式で)をし、朝鮮の場合は拉致被害者を含む終戦直後の日本人行方不明者の調査と公表をする―ということであった。

 その上で、国交正常化までのゴールを予定していた。

 ゴールへと進展させるためには、日本が朝鮮に課している様々な制裁を解除していく必要性があるのは当然である。

 ここで問題となるのは、岸田氏のケリー氏への返答で、岸田氏の言葉が安倍政権の真意だとすれば、日本は朝鮮との約束を早々に破ったことになる。

 せっかく朝鮮との主体的外交が展開されようとしていたが、早くも挫折してしまった感がある。

 そうしたことを取り繕うかのようにして安倍政権は、朝鮮にも米国にも、日本国民にまでも、違う言葉を使い始めた。

 国粋主義政権の常套手段たる、2枚舌、3枚舌を駆使し始めていることに今後は注視していく必要性がある。

 そうした環境下での、朝鮮側の調査結果とその内容発表のタイミングが、やはり気にならざるを得ない。

 発表のタイミングと内容によっては、1.日本は約束していたように現在以上の制裁解除、または「人道的」名目の医療、食糧などの支援を実施しなければならない。2.今まで以上に、北朝鮮への非難が日本社会で沸き起こり、「ストックホルム合意」は実行できずに、平壌と東京との溝はさらに広がっていくだろう。

 だが1の場合であれば、安倍政権は逆に困窮するだろう。

 発表の時期にもよるが、安倍政権はオバマ米政権に対し媚びを売るはめになるのではないか。米韓合同軍事演習への自衛隊の参加、TPPへの妥協、日米ガイドラインでの朝鮮半島有事参加の明言など、米国追従政治姿勢から更に抜け出せなくなるだろう。

 2の場合であれば、安倍政権の日米韓3国体制の強化表明と同時に、日本国内で嫌北朝鮮感情が再び沸騰していくだろう。

 このように見ていくと、日本は日本独自の問題でさえ、主体的判断と力量によって解決できず、米国政治の掌の中でしか声を出せない情けない姿になっていることが分かる。

 このように情けない日本政治の実態を、サンフランシスコ体制が形作ってきたことを、果たしてどれほどの人たが理解しているだろうか。

 米国は冷戦体制を勝ち抜くため、特に東北アジアでの強固な反共基地を形成するために、日本をその要とした。

 その結果、日本は経済復興を早々と遂げることが出来たものの、過去清算問題を十分にはせずにきた。特にアジア各国からは、日本は政治的責任、道徳責任、歴史的問題をあいまいにしてきた国家だと、好ましくない評価を受けるようになった。

 朝鮮半島とのそうした問題を、日本は暖昧にしサボタージュしてきた。拉致問題はそうした国際環境のなかで発生したことを忘れてはいけない。

 だから拉致問題の解決は、朝鮮側の問題であると同時に、それ以上に日本の問題でもあったのだ。

 日本の問題だと言うとことは、拉致問題を明らかにし拉致被害者を救出すると同時に、未清算であった日本の過去問題をも処理することが含まれていたからである。

 つまり、日朝政府間協議での「ストックホルム合意」を実行することであった。

 安倍政権はその約束を、朝鮮にも日本国民にも破ってはいけない。

                                                          2014年7月17日 記

「日米で朝鮮に侵攻する仕組み」

「日米で朝鮮に侵攻する仕組み」

1.
 安倍政権が7月1日、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、その内容を発表した。

 そのことを一番喜んでいたのは、高揚感のまま記者会見をしていた安倍晋三首相本人ではあるが、次いで喜んでいたのはオバマ米大統領であった。

 彼ら二人は、米政権の長年に渡る宿題の一つを仕上げたとする、安倍氏は高揚感、オバマ氏は安堵感でもって、自衛隊が海外の戦場に米軍と共に出動できるようになったことを、同時に歓迎していたのである。

 つまり、朝鮮半島有事に自衛隊が出動できるということを、歓迎していたのであり、そのことが集団的自衛権行使の中心点でもあったからである。

 安倍首相は1月24日の施政方針演説で、第2次安倍政権の国会演説で初めて集団的自衛権に言及した。当初、自民党内部にも首相の前のめり感を危倶する意見があったものの、「人事カード」(内閣改造)と党内の「安倍一強」に押し切られ、中堅層から「限定容認」論へと傾斜していった。

 さらに4月のオバマ大統領の「歓迎、支持」発言が、安倍首相には大きな援軍となった。

 日本の集団的自衛権の行使、つまり在日米軍と共に自衛隊が朝鮮半島有事に参戦し、半島内の戦場で自衛隊が米軍の戦端を切り開いていくシナリオを、米国は1949年頃には想定していたようだ。

 当時の南朝鮮は、反米、反李承晩の人民闘争がパルチザン闘争へと発展し、38度線一帯では南北両軍による「小戦争」が繰り返されていた。

 腐敗した李承晩政権は、米軍の武力と米政権の財力とで支えられている状態であった。

 そのうえ中国大陸では、米国が支えていた蒋介石政権が台湾へと逃亡し、毛沢東の共産党政権が優勢となっていた。

 東アジア情勢が危機に貧していたことを悟った米国は、日本を反共基地として育成していく道を急謹選んだ。

 48年後半から右旋回させた日本に南朝鮮を連動させて、強固な反共戦線、反共基地の建設を急いだ。

 米政治家も高級軍人たちも、アジア情勢とアジア人のことをほとんど知らず、理解をする努力さえもしてこなかった、

 ましてや日本人と朝鮮人、中国人との民族文化と民族的感情の違いなど、認識もしていなかった。特に日本と朝鮮・中国との民族対立の根源についての理解に欠けていた。

 在日朝鮮人たちの組織的対立は左派対右派ととらえ、南朝鮮では政治・治安関係で親日派を用いていたこともあって、東アジアでの対立構造全体を、共産主義勢力対自由主義勢力との問題と理解し、処理していた。

 極東軍最高司令官マッカーサーも、そうした米国の固定観念からは抜け出せていなかった一人で、日本の吉田茂首相と会談させるために50年2月16日、李承晩を東京に呼びつけたのも、朝鮮人の民族感情の理解不足からであった。

 初の日韓会談となった吉田・李の東京会談では、双方が和解し、マッカーサーの指導のもとに反共同盟で力を合わせることで合意した。

 それはあくまでもマッカーサーの手前のことであって、李承晩の意識は別のところにあった。彼は極端な反共主義者ではあったが、それ以上の反日主義者でもあった。

 一方の米国は、この頃から米アジア戦略の重要な一環として、日本を中心とした東北アジア地域同盟機構を構築するプランを練っていた。

 その中心地となる日本を、早期に太平洋戦争の終結処理をさせ、旧連合国との間での講和条約を結ばせる必要性があった。

 それが51年9月8日のサンフランシスコ講和条約(対日平和条約)であった。

 米国は、日本を反共体制の一環へと育成するため、経済的自立を優先し重視していく方向へと、日本の占領政策を方向転換させた。

 それは日本が各国に支払う賠償金を、原則として役務賠償とし、講和を結んだ国への日本企業の経済的進出を保障したことである。

 同時に日米安全保障条約(日米安保)を締結して、日本を軍事体制の中へと引き摺り込んでいった。日本の戦争責任問題をあいまいにしていく始めであった。

 それがサンフランシスコ講和体制であって、そうした体制の日本を南朝鮮に押しつけようとしたのが日韓会談でもあった。

 すでに朝鮮戦争が始まっており、その直後の50年7月8日に発足させた警察予備隊(7万5千人)では、法的にも実力的にも戦闘には間に合わなかった。

 在日米軍の後方援助のために日本列島の後方基地機能を高めていく必要性があり、その一環としての李承晩政権を支える、「日韓条約」の成立が急がれた。

 米国の指図のもとに51年10月から進められた日韓会談ではあったが、日韓双方に日本の過去を清算する準備が整っておらず、会談は進展するはずもなかった。

 米国は日韓会談・日韓条約で、「日米韓」の軍事一体化を計画していたが、南朝鮮側は過去の植民地支配を謝罪しない日本を受け入れる状態にはなっておらず、日本自身もまだ南朝鮮を支えるだけの経済的基盤がなかったことが、日韓会談の進展を妨げていた一面で
もあった。


2.
 米国もようやく、政治的な「日韓」の結び付きには時間が必要なことを認識し、それで軍事的な一体化を演出していくことになる。

 日米安保と、米韓相互防衛条約(53年8月8日締結)とのリンクであり、日韓の軍事部門関係者同士の交流を加速させて、日米韓の軍事一体化の完成を目論んでいた。

 併せて、日米軍事作戦計画を通じての、日本の軍事力のレベルアップを図ることに力を注いでいた。

 63年春に暴露された「三矢研究」が有名である。

 米軍のサゼッションで、自衛隊の幹部によって作成された三矢研究の内容は、朝鮮半島有事の際に、日米共同秘密作戦行動を行うことを計画していた。

 朝鮮戦争が終わって10年もしない段階で、日米は再度の朝鮮半島有事を想定した軍事侵攻の共同作戦・計画を研究していたことになる。

 さらに日米共同作戦の進行は、63年/三矢作戦、64年/フライング・ドラゴン(飛竜)作戦、65年/ブル・ラン(走る雄牛)作戦などを計画し、実施していた。

 これら3つの共同作戦内容は朝鮮有事を想定し、自衛隊が米軍に従属して出動し、核兵器を使用することを前提とした作戦行動であった。

 65年に「日韓条約」が成立する以前に、日米間では朝鮮半島有事を前提とする共同作戦計画・訓練が積み上げられていたことになる。

 65年以降になると、米軍をバックに日韓ともに軍幹部の交流が活発化していく。

 視察、会議、訓練見学、訓練参加、施設見学、式典参加、表敬訪問、講演、招待など、60年代後半から、様々な名目での日韓軍事部門関係者の交流が常態化していく。

 このように日韓軍事部門の交流密度が増していっても、日米韓三角軍事体制で唯一、日韓軍事協定(同盟)が締結されず、穴が開いたままになっていて、米国が計画するアジア戦略の最大の欠陥となっていた。

 そこで、李明博政権末期に、日韓軍事情報共有体制を締結させようとして、隠密裏に進められていた交渉は、調印当日になって野党と市民たちからの激しい反対行動で、破棄されてしまった。

 南朝鮮の李承晩から現朴槿恵までのどの大統領も、日本との政治、経済、文化、軍事の各部門の交流拡大政策を推進してはきたが、誰ひとりとして、朝鮮半島に再び日本軍(自衛隊)を引き寄せることになる協定など、調印する政治家はいなかった。

 かつて日韓協商条約(1905年)に調印して、日本帝国主義者を引き入れてしまった「乙巳5賊」になりたいと思う朝鮮人など、誰もいないためだ。

 ひるがえって、オバマ大統領が日本の集団的自衛権行使決定を「歓迎」したのは、サンフランシスコ講和体制の完成を意味したからであった。

 サンフランシスコ講和体制で追及してきたアジア戦略が、自衛隊が米軍と共に朝鮮に上陸して戦える体制が完了したからである。

 自衛隊は今後、日米共同軍事訓練以外に、米韓合同軍事演習にも参加していくだろう。

 旧軍の関与を認めた「河野談話」を検証したこと、さらに集団的自衛権の行使を決定したことで、朴槿恵政権はいっそう安倍晋三政権への不信感情を募らせたことであろう。

 さらに今後の日米の言動如何によっては、共和国側も不快感を隠さないだろう。

 日米ともに、朝鮮および中国人の心情を理解せず無視をして、時代錯誤的な政治を推進していけば、今後は日米対朝中の対立になってしまうだけの覚悟は必要である。

                                                           2014年7月6日 記

「7月1日の2つの会議」

「7月1日の2つの会議」

1.
 偶然のこととはいえ、7月1日に、朝鮮半島に関わる2つの重要会議があり、その結果が報道された。

 1つは、安倍政権が集団的自衛権の行使容認を臨時閣議で決定したことである。

 閣議後の記者会見で安倍首相は、高揚した姿勢のまま、「閣議決定により、日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなる。海外派兵は一般に許されないという原則は全く変わらない」ことの理解を求めていた。「憲法の平和主義は守る」とも言っていた。

 だが、閣議で決定していた内容は、海外での武力行使を事実上可能とするものであったから、記者会見での説明内容とは落差があって、分かりにくい言葉になっている。

 記者会見での安倍首相は、「日本周辺を警戒する米軍さえ自衛艦が守ることができなくて、米国民の日本に対する信頼感が続くのかと何人かの米政府高官に言われたことがある」ことを明らかにした。

 ということは、首相自身が米側から何度も要請を受けていたことになり、米国は日本の集団的自衛権行使を待望していたことになる。

 それは何のためか。言わずと知れた、対北朝鮮のためである。

 オバマ米大統領は4月に来日したおり、集団的自衛権の行使容認に向けた取り組みを「歓迎し支持する」と言って、安倍首相の背中を強く押している。

 中東情勢が混迷を深めている現在、米国のアジアへのリバランス(再均衡)政策は、日本の朝鮮半島抑止力強化政策に一層期待を掛けるしかない。

 安倍政権の閣議決定・発表は、米国にとっては歓迎すべきタイムリーになった。

 「日本が普通の国になり、日米同盟もより普通になる」(マサチューセッツ工科大学のリチャード・サミュエルズ教授)などとの、評価の仕方がそれを表明している。

 米国が、日本に対して「普通の国」になったと評価している意味は、朝鮮半島有事の際、自衛隊が米軍の後方支援ではなく、先遣隊として出動できるようになったことを歓迎しているためだ。

 であるから、第2次朝鮮戦争がより近付いてきた、ということになる。

 今年12月の日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定作業で、朝鮮半島有事での自衛隊の役割を、従来以上に重視するはずだ。

 韓国外務省が、1日、「韓半島の安保やわが国の国益に影響を与える場合、わが国の要請あるいは同意がない限り、(自衛隊出動は)決して認めない」との、報道官声明を出した。

 いかなる理由であれ、朝鮮半島上で日本軍(自衛隊)の姿を二度と見たくないとの思いは、朝鮮人であれば、その立場を越えて、共通認識となっている。

 韓国は、米国の同盟国でもあり、だから米国を意識して、日本に対して、「防衛安保政策の重大な変更と見て、鋭意注意している」と、日本の集団的自衛権行使決定には、ややトーンダウンした表現にとどめている。

 一方、北京で協議(日朝外務省局長級協議)を行っているというのに、その当の相手である朝鮮を米軍と共に軍事攻撃することを決定した内容を発表したことを、安倍晋三氏は何の痛痒も感じなかったのであろうか。


2.
 もう一点は、前段で少しふれた、北京で行われた日朝外務省局長級協議のことである。

 北京協議は、5月末のスウェーデン協議を受けて開かれたものである。

 朝鮮側は、スウェーデン協議で合意していた、全ての日本人の安否を調査する「特別調査委員会」の組織、構成、責任者などを立ち上げたことを説明した。
(注―すべての日本人の安否調査とは、①未帰国の拉致被害者《12人》と特定失踪者《約470~860人》、②在日朝鮮人の帰還事業で北に入った日本人妻約1800人《その子どもを含めて約6840人》、③戦前に朝鮮に居て、終戦時の混乱時に日本へ帰国できなかった人《未帰還者1442人》、④残留日本人の遺骨収集墓地調査など)

 一方の日本側は、その調査委員会に実効性があると判断した場合には、日本独自で実施している制裁のうち、3つだけを解除すると説明した。

 解除する3つの制裁とは、①人的往来の制限(北朝鮮籍者の入国禁止、総連幹部の再入国禁止、北への渡航自粛要請)、②送金・現金の持ち出し規制(送金300万円超の報告、持ち出し10万円超の届け出)、③北朝鮮船舶の入港禁止(今回は人道目的に限り解除)――である。

 4時間余りの1日の協議は、日朝双方が最初のカードを、同時にテーブル上に出しあったことになる。

 双方、相手側のカードを持ち帰り、政権内で精査し合い、次の行動を起こすかどうかを決めることになっている。

 日朝間には、信頼関係がなく、双方ともに不信と解曲だけが積み上がっているから、以上の行為は最初の儀式で、それも止むを得ないだろう。

 だが、日本はまたしても、特に安倍政権は、さも拉致問題だけを解決しているかのように、スウェーデン協議以降、拉致問題のテーマを拡大し、結果の部分的報告だけを行っている。

 日本のマスメディアもまた、安倍政権に迎合して、各社とも拉致問題を中心に報道している。

 このように、日朝協議の中心テーマが拉致問題であるかのように、誤解させている政権側とメディア側との合作報道姿勢の罪は限りなく大きい。

 日朝関係、日朝問題とは、日本の戦前・戦後処理に関わる、朝鮮への清算関係のことであった。

 日朝間の協議のテーマとは、日本の過去問題の謝罪と補償交渉から始まり、ゴールの国交正常化へと導くことである。

 過去、何度かの日朝協議でも、基本問題から入ろうとする朝鮮側を無視しクレームをつけて、日本はその時々に別の難題を持ち出して、交渉を不毛のものにしてきた。

 李恩恵問題、核問題、ミサイル問題、食糧支援問題、2002年以降は拉致問題である。

 日本の歴代政権は、これらの問題を米韓と連動して朝鮮側に突きつけ、すべての問題がさも朝鮮側にあるかのようにして、一般世論を「反北朝鮮」へと誘導してきた。

 日本は朝鮮への自らの過去清算問題から逃れるため、「拉致、核、ミサイル」の先行解決を主張して、ずっと世論を欺いてきたし、安倍政権も同じ姿勢である。今回も、北京協議まで、幾つかの曲折はあった。

 とはいえ、その北京協議は、日朝平壌宣言にのっとった、国交正常化実現までの長いロードマップのための、最初の第一歩を踏み出すことを、日朝双方が確認できた協議になった。

 マスメディアには、そのことをしっかりと伝えてほしかった。

 さて、依然として拉致問題解決だけを叫ぶ安倍政権に危惧はするものの、今は文句を言わずに、その成果をしばらく見ていよう。

                                                           2014年7月3日 記

「公明党は党是を変更したのか」

「公明党は党是を変更したのか」

 安倍晋三首相は、7月1日午後、臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使容認を決定した。

 それはまた、先の戦争の反省から、海外での武力行使を禁じてきた憲法9条と矛盾する、憲法違反の決定行為でもあった。

 閣議決定での見解で、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」でも、自衛権の行使は認められると解釈した。

 これは明らかに憲法第9条を根幹から変更し、「自衛の措置」の名のもと、自衛隊の海外での武力行使を認めることを意味している。

 この閣議決定に、公明党が大きく力を貸したことは事実だろう。

 公明党は6月30日、国会内で全議員会合を開いて、対応を執行部に一任する決定をした。

 翌1日の朝、与党協議を開き、憲法解釈の変更に合意した後、午前に自民党が総務会で了承、公明党が中央幹事会で了承をという手順を踏み、午後に与党政策責任者会議で確認、政府が臨時閣議で憲法解釈の変更を閣議決定した。

すべては、与党内だけの決められた手順パフォーマンスでの進行で、日本の安全保障政策の大転換の堰を、公明党は自民党と共に乗り越えていった。

 もっと国会内、国民との議論を重ねなければならない重要問題を、このように与党内だけで進行したことは、公明党側にも責任がある。

 公明党は「平和」を党是とし、各選挙を戦ってきた。集団的自衛権の行使容認は、同党の基本方針たる党是を転換したことになる。

 6月30日の国会議員全員会議で、井上義久幹事長は、「与党協議する以上、合意しなければならない。政治決断せざるを得ない時期だ」と、執行部一任を求めた。

 北側一雄副代表は「首相が急いでいるからだ」と拙速に決める背景を説明した。

 また、山口那津男代表は「国民の権利を守るためであり、決して他国防衛のためではない」などと弁明してまで、安倍首相の固い決意に押し切られてきた事情を隠し、一定の歯止めをかけてきたと自己弁明に終始していた。

 途中で、与党離脱という、政治的判断もあったはずだが、支持母体の創価学会も含めて、そのような言説を一度も聞かれなかったことが、何とも不思議だ。

 公明党執行部は今後、党是を方針転換したことの経緯や与党協議の内容について、党員や支持者などに説明するとしている。

 果たして党内だけの事情説明でいいのだろうか。

 党是を変更し、憲法違反を承知して、国家の安全保障政策を決定したのだから、その責任は大きく、重大であるはずだ。

 公党である以上、その説明責任は、党員や支持者だけではいけないことは論を待たない。

 日本国民と国際社会に対して、何度でも説明をしていく責任があり、今後とも、自衛隊が海外へ出かけていく場合の責任も負っていることの自覚が必要である。

 それほど、大きな転換をしたとの自覚が同党には必要だ。

                                                           2014年7月2日 記

「安保理常任理事国入り、日本にその資格はない」

「安保理常任理事国入り、日本にその資格はない」


 ブータンのトブゲイ首相が公式来日し、安倍晋三首相と6月30日、首相官邸で会談した。

 ブータン首相の公式来日は、1986年の国交樹立以来初めてだという。

 安倍首相は会談で、同国に農業、インフラ分野を中心とした支援を継続していく考えを伝えた。それに対してトブゲイ首相は、日本が目指している国連安全保障理事会の常任理事国入りを支持する考えを表明した。

 高額支援への返礼だろうか。

 ブータンは、心の充実感を中心とする「国民総幸福量」(GNH)を追求している。

 GNHは文化や環境を保護しながら、社会経済発展を目指す方式であり、経済発展・物質中心主義の資本主義(GDP)的生活スタイルとは違っている。

 GNHの理念は、地球環境問題を個人生活の充実とのバランスを、ほど良く考えようとしているもので、環境問題や平和運動をしている人々から注目されている。

 しかし、ブータン一国では、どうしてもGDP群に包囲され、侵食されて、国内経済に様々な障害が生じているのも事実である。

 だからGNH理念を世界に広めるため、その国際会議を、来年ブータン国内で開催するという。

 いいことだ。成果を期待している。

 だが、安倍政権に国連安保理の常任理事国入りの支持を伝えたことは疑問に思う。

 日本は、サンフランシスコ講和条約と米国のアジア戦略とによって、かつての戦争責任問題をあいまいに処理し、または放置してきた。

 その結果、植民地主義観、侵略主義観を清算できないまま、安倍政権に至って、集団的自衛権の行使を容認するに至った。

 いつでも戦争が出来る国になったのだから、特に、かつて日本軍に侵攻されたアジア各国は、不快感、恐怖感を強く抱いている。

ブータンとて、知らぬはずはない。日本には、安保理常任理事国入りの資格はないということを。

 例え外交儀礼的であったとしても、常任理事国入りは二度と要請してほしくはない。

 すでに、日本は、常任理事国入りと経済支援とのセット外交を、主にアフリカ、アジア、中南米各国に展開している。

 常任理事国のイスを金で買っているとの批判があるが、これ以上の上塗りはしてほしくないものだ。

                                                           2014年7月1日 記

「河野談話検証は何のため」

「河野談話検証は何のため」

                                                                  名田隆司

1.
 安倍晋三政権は20日、軍慰安婦への旧日本軍の関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話について、作成過程を検討した有識者チームの結果を国会に報告した。

 報告書は、日本が韓国(金泳三大統領)と同年8月4日に談話を発表する直前まで、水面下で綿密に文言調整をして談話を作成した経緯と、両政府の合意でこうした経緯が伏せられたことなどを明らかにした。

 河野談話では、軍慰安婦に1募集の強制性に関して「総じて本人たちの意思に反して行われた」(韓国側は、強制性を強調)、2旧日本軍の関与について「軍の要請を受けた業者」(韓国側は、軍の意向を受けた業者とした)などと、慰安所の設置や慰安婦募集への旧軍の関与に関しては、総じて「玉虫色」的妥協の表現ではあった。(しかし、その後はそれ以上の表現はなかった)

 談話発表前の8月3日夜、金泳三大統領が最終文言に同意して、河野談話となった。

 菅義偉官房長官は同日の記者会見で、「河野談話を見直さないという政府の立場に何ら変わりはない」ことを強調していた。

 しかし、韓国の朴槿恵政権は「深い遺憾の意」を表明している。

 検証自体が談話の信頼性を失わせるうえ、当時の政府間の秘密内容まで暴露したことが、今後の日韓関係と慰安婦問題の解決を、さらに難しくしたのではないだろうか。

 韓国海軍が同日、島根県・竹島(独島)沖を含む海域で、北の潜水艦侵入に備えた射撃訓練を実施したのは、河野談話の検証結果を発表した安倍政権に牽制球を投げるためであったろう。

 河野談話を検証するという話は、2月の国会で元慰安婦たちへの政府(当時の宮沢政権)の聞き取り調査)の信憑性に疑義が出されたことから、動き出した。

 安倍晋三首相はもともと河野談話には批判的であったから、当初は、そうした首相の意向を踏まえて、談話見直しにつなげていこうとしていたようだ。

 だが、これ以上の日韓関係の悪化を食い止めたい米国からの強いサゼスチョンで、安倍首相は3月に談話の継承をしぶしぶ表明することになる。

 これは米国の手前だけの態度表明でしかない。

 一度振り上げた腕を降ろせなくなった安倍氏はそれ以降、談話は継承するが検証も実施するという、二律背反的で分かりにくい対応に終始した。

 検証結果は、当時の日韓担当者が慰安婦問題の解決に向けて、真摯に努力し歩み寄っていった後を明らかにした。

 私はその努力と姿勢を評価する者だが、一部保守系の国会議員のなかには「談話の信頼性は崩れた」として、談話の見直しを早くも求めている。

 そのような彼らの態度こそ、築き上げてきた国際政治を壊すことになる。

 日本国内でも何のための検証で、何のための発表だったのかと、疑問の声が挙がっている。

 当の河野洋平元官房長官は、「21年前、日韓関係の大きな問題を乗り越える懸命の努力をした結果が『河野談話』だ。安倍晋三首相は『談話見直しは行わない』としており、検証報告に付け加えることも差し引くこともない。慰安婦と呼ばれた人たちが総じて自らの意思に反して働かされたことを申し訳ないという日本人の気持ちは、今も変わっていないと思う。日韓関係の厳しい環境が続く中、双方の指導者の大局的な判断で、一日も早く関係改善がなされることを切に願う」(6月21日付、毎日新聞)と、日韓関係の悪化を心配している。

 また、アジア女性基金時の首相であった村山富市氏は、「政府はこれまでの経緯は経緯として妥当と認め、河野談話を継承するということだから、今回の検証結果に新しいものは何もない。慰安婦の扱いや軍の関与の問題など、肝心な部分の検証は政府ではなく、今後専門家の手にゆだねられた。現在問題となっている慰安婦問題をどう解決するつもりなのか。政府が検証を基に表明することを期待していたが、これでは関係改善につながらないだろう。この検証に何の意味があったのか分からない」(6月21日付、毎日新聞)などと、安倍政権に苦言を呈している。

 さらに米政権からは、これ以上のことはせず(河野談話と検証結果を尊重)し、関係国との関係改善を進めていくべきだと、安倍政権の政治スタイルに危機感を表明した。


2.
 安倍晋三氏は首相になる以前から、右派近親者たちの口を借りて、慰安婦の軍関与説の否定を合唱させていたため、韓国・朴槿恵政権との交流が出来ない幼稚な外交を続けていても、平気な顔をしている。

 アジアでの日米韓の軍事的経済的結束を重視しているオバマ米政権は、その枠からはみ出ようとする安倍政権に対して、時には強く手綱を引き締めたりしている。

 米政権からの鞭があるときだけ、安倍氏個人は靖国神社の参拝を中止し、河野談話や村山談話を認める発言をしているが、それは本心からではないだろう。

 彼は、集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法などを確定させて、集団安全保障、自衛隊の多国籍軍参加、すべての国民の情報監視社会づくりを急いでもいる。

 その先に見ているものは、来年2015年の「戦後70年首相談話」ではないだろうか。1995年(戦後50年)の「村山首相談話」を超える内容を発表し、日本史に「安倍晋三」の名を残そうと画策しているからである。

 つまり、植民地支配・侵略戦争史観に立って、朝鮮人労務者などの強制連行はなく、慰安婦への旧軍の関与はなく、日本は、アジア諸国民の解放のために戦い、努力をしてきた。

 その日本精神を、戦後70年を節目としてさらに発展させる、と考えているのだろう。

 そうした安倍氏の信条からすれば、河野談話の検証結果が、談話作成過程で当時の金泳三政権との事前協議があったとの報告に、ひとり満足しているのではないだろうか。

 慰安婦の、募集の強制性と旧軍の関与のいずれもが、韓国側の強い要請で、そうした表現になったとする事実を手に入れたことで、今後は、その部分を安倍流に解釈し、表現し、利用する可能性があるからである。


3.
 一方、河野洋平氏は21日、山口市での講演で93年の「河野談話」作成過程に関する
検証結果に対して、次のように話している。

 「慰安婦は、いろいろな集まり方があったかも知れないが、施設に入ったら軍の命令で働かされた。帰れず、拒否できないなら強制的と見るのが当然だ」として、慰安所での彼女たちの生活は、強制的な状況下で、痛ましいものであったとの認識を、河野談話に反映させたとした。

 また、軍の関与に関しては「過去の資料でも、戦時中に軍の施設に慰安所があり、大勢の女性がいたのは否定できない」と指摘した。

 検証結果の報告について「私が足すべきものも引くべきものもない。正しくすべて書かれている」と評価した。
 
 そのうえで「間違いは間違いと認めて謝罪することが、日本はプライドを持つ国と理解してもらえる一番近道だ。他国がやっていたというぐらい卑怯な言い訳はない」と強調。

 「あとは冷静に、両国をより良い関係にする努力を指導者にしてほしいと語り、安倍政権下での日韓関係の改善に期待を示した」(6月22日付、毎日新聞)

 慰安婦問題は92年1月、宮沢喜一首相(当時)の訪韓直前に問題化した。(91年8月に韓国の元慰安婦が名乗り出たことから始まる)

 同年7月、加藤紘一官房長官(同)が「政府の関与」を認める調査結果を発表したが、それだけでは韓国側の反発は収まらなかった。

 93年4月の日韓外相会談で、渡辺美智雄外相(同)が慰安婦への「強制性」の表現について、日韓で検討することを提案したことで、協議は進んだ。

 宮沢政権側が、元慰安婦16人の聞き取り調査、関係資料や書籍などを検討した結果、河野談話の原案が出来上がったのだ。

 92年1月から93年8月までの1年半、宮沢政権は真筆に日本の過去問題と向き合った結果、軍慰安婦問題に関して一つの答えを出した。

 慰安婦に対して、その募集と生活に強制性があり、慰安所の運営と組織に旧日本軍が関与していたとする内容と立場を明らかにした。

 これは、日本の研究者たちを含む一般的な認識ではあったが、日本政府が正式に認めたという点で、過去のマイナスの歴史を動かす決断でもあった。

 その後の日本政府がこの河野談話をしっかりと継承せず、唯一、民間基金によるアジア女性基金(村山政権時)で済ませようとしたところに、多くの問題点を残した。

 河野談話の精神は、政府の予算で彼女たちへの「償い金」を支払うとする、方向性を示していた。その後の政府のサボタージュが、問題解決を複雑にしてしまった。

 そうした政治的背景に加えて、安倍政権の一連の言動が、アジア各国に反感を与えてきたことに多言する必要はないだろう。

 ところで河野談話の検証結果は、一面では当時の宮沢政権の日韓関係を発展させようとする真箪な姿勢を確認できた、ということでもある。

 それに比べて、談話を検証した安倍政権の周辺諸国への対応は、右顧左眄している。

 右顧左眄的性向は日本の政治家の特質のようで、その代表例が昨今の安倍晋三氏ではないかと思う。彼の言質は分かりにくく、内容的にも深見がない。

 その典型例が河野談話を否定し、見直す発言をし、検証するとまで広言し、(米国からの忠告があると)談話は容認すると前言を翻し、そうかと思うと検証は行うと強がってみせる。

 検証結果を発表し、河野談話を継承すると言いつつ、当時の日韓政府間の秘密交渉を暴露して談話の価値を貶め、当時の宮沢政権の対応を否定し、河野談話の部分否定への道へと進む用意をしているのだと、内外からの危惧感を招き寄せている。

 だから、米国務省のサキ報道官は20日(ワシントン時間)の記者会見で、河野談話は「日本が近隣諸国との関係を改善する上で重要な節目となった」と述べ、談話を評価し、堅持することを安倍政権に求める発言を行った。

 菅義偉官房長官が談話を見直さないとの安倍政権の立場を表明したことに、サキ氏は「留意している」と(安倍政権の二枚舌のため)、クエスチョンのサインを送った。

 日本には、歴史問題について韓国などとの関係修復・強化に資するような形で取り組むことを、強く促したのだ。

 軍慰安婦問題を含む日本の過去問題の解決は、93年の河野談話を誠実に実行していくことが、日本に課せられている最低のラインだ。

 当時の韓国政府との刷り合わせがあったとはいえ、表現は日本自身が責任をもっては発表したものだ。

 それを21年後の今、検証(見直し)するなどということは、当時の日韓両政府の真摯な努力結果の瑕疵を言い立てようとすることにも似て、その安倍政権の汚らしい魂胆をこそ、国際社会が非難しているのだ。

 だから、韓国側はよけいに批判的である。

 「日本政府の反省を込めた談話という立場を全面的に否定した」(21日付、朝鮮日報)として、朴槿恵政権は、外交当局間の詳細なやりとりが公開されたことへの反発がでている。これについて、納得できる解決策を提示することを日本に求めていくとしている。

 今回、河野談話の作成過程を検証した報告書で、「強制性」の認識を巡って、日韓両政府が緊密な文言調整をしていたことを明らかにした。

 その一方で談話の正当性がはっきりとした。

 そのことで、安倍政権に注文をしておく。

 今後は検証結果を解曲することなく、また日韓間の文言調整に言いかがりを付けるのではなく、慰安婦問題の解決に真正面から取り組んでもらいたい。

 政府予算で、各国の元慰安婦およびその遺族の方々に償うことを要求する。


                                                          2014年6月22日 記
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愛媛現代朝鮮問題研究所のブログです。

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