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「第6報 4年ぶりの日朝政府間交渉の行方」

「第6報 4年ぶりの日朝政府間交渉の行方」

                                               名田隆司


 第46回衆議院選は12月16日、投開票され、自民党が単独で衆院(定数480人)の過半数以上の294議席を獲得して、政権奪還を果たした。

 翌日の各メディアは、自民党圧勝との文字とともに、破顔大写しの安倍晋三氏を露出させていて、早くも、首相再登板の雰囲気を出していた。

 安倍晋三氏は選挙期間中から、憲法改正、国軍の創設、日米安保重視など、右寄りの勇ましい事柄を主張していたから、実際に、安倍政権が成立したりすると、対東アジア政策や対北朝鮮政策をどうするのかが、特に心配になる。

 対北朝鮮政策で言えば、当面、野田政権がやり残した2つの課題を、消化する必要がある。

 一つは、北朝鮮が12日に打ち上げた人工衛星を長距離弾道ミサイルだとの理由を付けて、しかも米国のお先棒を担ぎ、国連安保理に制裁決議を提起している問題である。

 選挙中から米国との関係重視を主張していた安倍氏であったから、安保理での北朝鮮制裁決議行動は、野田政権時よりも、もっと厳しく積極的になる可能性が十分に伺える。

 そうした行動の結果は、米国からの褒美が与えられても、北朝鮮からは厳しい非難が返ってくるだろう。

 二つ目は、4年ぶりに開かれた日朝政府間協議・局長級協議を、「延期」にしてしまった問題である。

 民主党から自民党に政権が交代するからといって、外交問題に切れ目や変更があってはいけない。

 とすると、安倍新政権は、局長級協議の「延期」問題の再考から、日朝関係を検討しなければならないことになる。

 協議を再開させるのか、延期のままにして様子を見るのか、完全に中止にしてしまうのか--これは、同時期の国連安保理制裁決議の進行と関連があり、今後の朝鮮問題をどのようにしていくのかという、これが安倍政権最初のリトマス試験紙となるだろう。

 だが、問題はそう単純でもないし、拉致被害者家族会メンバーの意識にも変化が見られる。

 局長級協議が「延期」になったことに恨み節を述べていたし、選挙戦中に各党とも拉致問題対策に、ほとんど関心を示してこなかったことに、不満を漏らしていた。自民党の安倍氏が「完全解決-全員の帰国」をと、かつての抽象的な言説を繰り返していたことにさえ、焦燥感を語るようになっていた。

 安倍晋三氏が06年9月に政権の座に就いたときの状況と、現在では家族会側の意識は大きく変化している。

 安倍氏は02年9月に小泉純一郎首相(当時)に随行して訪朝し、北朝鮮に対し拉致問題解決に強硬態度を取り、被害者から頼られ、注目される存在となった。

 その後、「拉致」人気を維持したまま、サプライズ人事で自民党幹事長(03年9月)、第3次小泉政権の官房長官(05年10月)となり、06年9月に首相へと登りつめた安倍晋三氏。

 首相就任後も、拉致関連合唱団(家族会、支える会、特定失踪者調査会、議員連盟など)からの声に支えられて、彼らの同一歩調で、北朝鮮への圧力、制裁、無視のボルテージを上げてきた。

 そのような声援をバックにした安倍晋三氏は、首相就任直後の所信表明演説で「拉致問題の解決なくして、北朝鮮との国交正常化はありえない」と、拉致問題を語っていた。

 家族会の人たちも、この時の彼の言説を頼もしく感じていたのではなかろうか。

 しかし私はその時から、北朝鮮への制裁と圧力だけを強化して、交渉の窓口を自らで閉じた政策で、果たして解決への前進がはかられるのかと危惧していた。

 それよりも、「拉致問題の解決をはかる」との政治的言語だけを叫ぶ安倍晋三氏と家族会側のエール交換を不思議に考えていた。

 当時の日本社会は、家族会の悲痛な声のため、国内の誰もが、安倍政権とそれを取り巻く関係者(マスメディア)たちの強硬一辺倒姿勢に、異論を出せなかった現実があった。

 だが、家族会側の意識は、06年当時からのままではない。

 例えば、今回の衆院選後に取材を受けた彼らの言葉を聞いてみるといい。

 「ミサイル発射で制裁すれば、その期間は拉致問題の交渉が難しくなる。両者を切り離し、日本側から協議再開を早く呼び掛けてほしい」(横田滋氏)

 「制裁も必要だが、対話もしないと解決しない」(横田早紀江さん)

 「私たちは協議でつながりさえすれば良い。ミサイル問題での制裁は政府が判断して決めることだ」(飯塚繁雄氏)

 --彼らの声から、4年ぶりに再開された日朝政府間協議を肯定的に受け止めていることが分かる。

 その結果、従来のように政治的テーマと重ね合わせ、北朝鮮憎しで、何が何でも制裁と圧力強化を主張しているのではなく、彼らなりの現実を見つめていこうとしているように思える。

 以上のような家族会の意識変化を理解しないまま、従前と同じ強硬一辺倒では、北朝鮮との関係だけではなく、家族会とも不味い関係になってしまうだろう。

 安倍政権にとって、朝鮮半島関係最初のテキストが、国連安保理での北朝鮮制裁をめぐる対応になる。

 米国の意向を忠実に実行しようとして、積極的に動いて制裁決議を成立させたり、日本独自の制裁を実施するようなことがあれば、北朝鮮からの反発は必死となる。

 そうなれば、日朝政府間協議の「延期」措置が、限りなく「中止」の方向へと向かっていくだろう。--どちらにしろ、安倍政権の政治姿勢にかかっている。

 仮に、協議再開へと動かすことになったら、安倍政権の評価は上がるだろう。

 その反対に中止へと向かうことになったら、拉致問題の解決ばかりか、日朝間の「諸懸案」問題の解決までもが、遠ざかってしまう。

 拉致被害者家族たちも、さらに置き去りにされてしまう。

 「拉致問題の完全解決」をと、勇ましいことを繰り返す安倍氏の言葉は、結局は、政治的言語でしかなく、虚実でしかなかったことになる。

 彼の政治責任は、限りなく大きい。

 北朝鮮が12日午前、人工衛星を打ち上げたことに対する記者会見で安倍氏は、「北朝鮮には独自の制裁を科すという国家意思を示すべきだ」と、選挙と野田政権を意識しての強硬発言をしていた。

 これが、安倍晋三氏の本音なのだろう。

 だとしたら、今後の対北朝鮮政策を危惧する。

 また、安倍晋三氏を語るとき、拉致問題に早くから「熱心に取り組んできた」とする「評価」があるけれども、それを肯定的に使用することには疑問を感じる。

 彼は、拉致問題について、何ほど解決策も示してこなかったのだから。


                                      2012年12月18日 記
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「朝鮮半島をめぐる『東北アジア研究会』」第20回研究討論会の開催

「朝鮮半島をめぐる『東北アジア研究会』」第20回研究討論会の開催



*日  時 2013年1月26日(土)~27日(日)13時まで
           集合/26日13時までに会場へ


*会  場 「神戸学生青年センター」会議室
       阪急電車「六甲」駅下車(TEL:078-851-2760)

*研究報告 1.挨拶に代えて(最近のことども)
        李 昌一さん(朝鮮総聯兵庫県本部国際統一部長)

      2.「日朝国交正常化を求める運動と大阪」
        報告/有元幹明さん(日朝国交正常化の早期実現を求める
                        市民連帯・大阪 共同代表)

      3.「4・24阪神教育闘争と現在」
        報告/池田宜弘さん(元阪神教育闘争記念碑を建てる会
                                事務局長)

      4.「神戸と朝鮮、フィールドワークに関する説明」
        報告/加藤明義さん(会員)

*参加費用 500円

*問い合わせ 名田隆司(TEL/FAX:089-971-0986)   

「北の人工衛星打ち上げ騒動」

「北の人工衛星打ち上げ騒動」

                                               名田隆司


1.
 米国(米エネルギー省傘下の核安全保障局)は12月6日、核爆発を伴わない臨界前核実験を5日に、西部ネバダ州で実施したことを発表した。

 臨界前核実験は前回の2011年2月に続き、オバマ政権下では4回目、1997年以来27回目となる。

 この実験は、プルトニウムに高性能爆薬で衝撃を与え、核分裂の連鎖反応が続く「臨界」にならないようにして、データを得るもので、既存の核兵器の性能を維持するための実験である。つまり核実験なのである。

 核実験であるから、オバマ大統領自身が09年にプラハ演説で核なき世界の追求を宣言したことと、明らかに矛盾する行為である。

 また、包括的核実験禁止条約(CTBT)を維持していくとしていたこととも、違反している。

 そのオバマ米政権の核政策は、世界に核兵器が存在する間は、高い核戦力を維持していくのだという方針である。

 その理由の一つに、北朝鮮の核開発問題に直面している同盟国の日本と韓国に、安全性を確保するためにも「核の傘」(核拡大の抑止力)を提供していかなければならないことを挙げている。

 結局、米国の核政策の基本的なスタンスは、地球上の全ての国家が核兵器を放棄するまでは、自己の核兵器を保有し、最後の一国となってから放棄するかどうかを判断するとしているのである。

 だから、現核保有国(5カ国)以外には、核の保有と認めないとする「核拡散防止」を強調することになる。

 それにも抜け道を設けていて、社会主義国と非キリスト教国の北朝鮮とイランは絶対に認めないが、準同盟国のインドとイスラエルの保有なら認めるとする二重基準を実施している。

 オバマ氏が主張している「核なき世界」とは、米国一流の帝国主義的言語でしかないことがはっきりしている。

 その言語のために「ノーベル平和賞」を授与したノルウェーのノーベル賞委員会も、彼の巧みな言語のために騙されていたことになる。今からでも「ノーベル平和賞」の返還要求をしてもいいのではなかろうか。

 さらに米国のこの臨界前核実験に対して,被爆国の日本政府はなぜ、何も抗議しないのか不思議である。


2.
 北朝鮮の朝鮮宇宙空間技術委員会の報道官が12月1日、地球観測衛星を10日から22日の間に打ち上げると発表した。

 国連総会で北朝鮮は、「わが国の宇宙開発計画に基づいて引き続き実用衛星を打ち上げる」(11月15日)と、表明していた。

 北朝鮮は20数年前から異常気象に襲われていて、農業や石炭生産に大きな被害を受けている。

 こうした被害を未然に防ぐためにも、自前の気象衛星開発に力を入れてきた。

 今回の場合もその一環の地球観測衛星打ち上げであろう。

 人工衛星を打ち上げるには、その推進体となる長距離ミサイルが必要である。

 その長距離ミサイルの先端に各種観測機器を乗せれば、人工衛星や軍事衛星になる。

 核爆発物体を乗せれば核兵器となる。

 米国をはじめ核保有国は、弾道の小型化技術と長距離ミサイルの開発に力を入れてきた。

 「平和」や「宇宙開発」の名に隠された軍拡戦争、軍事技術開発を行ってきたことになる。その張本人は米国自身である。

 だから米国の目から見れば、北朝鮮が打ち上げを予定している「地球観測衛星」推進体のミサイルは、人工衛星ではなく長距離弾道ミサイルだとの判断になってしまうのだろう。その長距離弾道ミサイルの飛翔距離が6000キロから1万キロになれば、米大陸にまで達する性能となることに対して、米国は常々恐怖感と嫌悪感を持っていた。

 北朝鮮はしかし、この衛星打ち上げ成功をもって、強盛国家元年の祝賀を宇宙の彼方から宣言しようとしているのである。


3.
 日本政府関係者はまたしても、北朝鮮の人工衛星打ち上げに関する情報に対して、「北朝鮮が衛星打ち上げと主張する長距離弾道ミサイルの発射実験」だと、米政権と同一の表現を使用している。

 日米安保下の政権であってみれば、それも止むを得ないのかと、忸怩たる思いにかられる。その忸怩たる思いをさらに上塗りさせているのが、日本のマスメディアである。

 どの社も揃って「衛星と称するミサイル発射」、または、「長距離弾道ミサイルの発射予告」などと報道して、人工衛星打ち上げに否定的である。

 北朝鮮側が主張する人口衛星打ち上げを否定し、米国側が主張する「長距離弾道ミサイル」だとの立場に立って、国連安保理や日朝平壌宣言違反だとの論陣まで展開している。

 北朝鮮の人工衛星打ち上げに関連して、北朝鮮側からの情報や主張を報道するのではなく、米国側からの一方的な判断や情報に軸足を置いて報道しているから、そこには独断や偏見、間違いが多々見受けられる。

 また、北朝鮮「ミサイル発射」との前提に立っているから結果的に、国際社会への挑戦だとして北朝鮮の行動を非難し、日本社会に北朝鮮恐怖感を植え付け、反北朝鮮感情を煽っていることになる。

 そのような立場はすでに体制側のご用機関化となっていて、報道機関とはとても言えない存在だ。

 
 以下は、北朝鮮の人工衛星打ち上げのニュースを聴いての追記である。

 北朝鮮は12日午前9時49分頃に人工衛星を打ち上げ、軌道に乗ったことを発表した。

 北米航空宇宙防衛司令部も、北朝鮮のミサイルが「軌道に到達したとみられる」と伝えていた。

 そのことで世界は一様に驚愕している。

 発射直前の10日、北朝鮮は「技術的欠陥」が見つかったとの理由で、発射予告期間を29日まで延長することを発表。また、翌11日には、聨合ニュースなどが、ミサイルを発射台から下ろして修理を始めているようだと報道した。

 そのために日米とも、発射準備完了は早くても21日か22日頃になるだろうと、分析していた。

 以上のような予測が、見事に覆されたわけである。

 さらに、失敗に終わった4月の発射からわずか8ヶ月しか経っていないこともあってか、一部の研究者では発射そのものさえ懐疑的な意見を表明していた。

 日米の科学者、軍事専門家意たちは総じて、北朝鮮の宇宙関連技術力を低く見積もってきたようで、12日の発射に、なお驚愕し、あれこれと見当違いの意見を出している。

 日米の政府、民間ともに、一方では「脅威」を煽り、もう一方では「技術的未熟」意識を喧伝している。

 これこそ、帝国主社会の宣伝戦の常套手段である。

 しかし、今回の発射成功で、核弾頭を積めるかどうかは別にして、「米国のハワイやアラスカには届くミサイルを手にした」ことは認め、「人工衛星の軌道投入に成功し、飛行距離が09年の打ち上げ時の3200キロを超えたとすれば、米国にとって新たな安全保障上の脅威だ」(ヘリテージ財団のクリングナー上級研究員談)などと、早速、米国は身構えている。

 そのような米国の意向を暗黙裏に受け止めた日本政府は、国連安保理での制裁決議へと動き出している。

 その反面、局長級協議まで進展した日朝政府間交渉を、一時延期措置から協議ストップへと進めようとする、日本の悪い癖が顔を出してきた。

 この政府間協議とは、どのような意味があったのか。

 そこで取り上げられていた日本人遺骨問題であれ、拉致問題であれ、過去清算問題であれ--全ては日本自身が積極的になって解決しなければならない「日本問題」ではなかったのか。

 それを協議を進めてみたり、延期にしてみたり、中止したりするというのは、どのような基本政策であったのだろうか。

 北朝鮮が主張する「人工衛星」を信用せず、米国側と同じ視点でミサイルにのみ目を向けて、またもや北朝鮮への制裁と圧力強化に動きだしている日本。

 今回のことを含めた北朝鮮のミサイル発射問題が、どのような脅威をもたらしていると言うのであろうか。

 日本人の人権問題解決を犠牲にしてまで、制裁や圧力を加え、進行していた政府間協議まで中止するほどの、日本政府の対北朝鮮政策など、私には全く理解ができない。

 なおまた、北朝鮮の人工衛星発射の意図を、制裁を強化している米国や日本、とりわけ米国に対話の姿勢へと振り向かせるためだとする意見もあるが、それは違う。

 本来なら4月のときの人工衛星発射成功で、強盛国家元年と金正恩体制のスタートを内外に宣言する予定であった。

 その人工衛星が、発射後空中分解して失敗に終わったため、金日成主席生誕100周年内と、今年を強盛国家元年とするとして金正日の遺訓とを必ず実現させるためには、2012年中に再度の人工衛星発射が必要であったのだ。

 北朝鮮の科学者たちは、威信をかけて最も困難な課題を短期間で解決した。

 しかも、人工衛星発射にとって最難関とされる冬季である。

 それも克服しての打ち上げ成功こそ、科学と朝鮮人民の勝利である。

 これによって来る2013年は、朝鮮半島関連各国の一新された政権同士の、新しい協議がスタートするだろう。

 今ごろ、光明星3号からは、朝鮮強盛国家のメッセージが、宇宙の彼方から送られているだろう。


                                      2012年12月13日 記 

「第5報 4年ぶりの日朝政府間交渉の行方」

「第5報 4年ぶりの日朝政府間交渉の行方」


                                               名田隆司


 北朝鮮の宇宙空間技術委員会の報道官は12月1日、「地球観測衛星」を10日から22日(午前7時~正午)の間に、北西部東倉里の「西海衛星発射場」から打ち上げると発表した。

 米国は、軍事衛星の写真などで、11月に入ってから東倉里にミサイル部品を運び込み、ミサイル発射準備を進めていることを伝えていた。

 発射の期日を、10日から22日の間としていることの第一は、17日が金正日総書記逝去1周年であり、24日が総書記が朝鮮人民軍最高司令官に就任した日であると共に、金正淑(金正日の母、朝鮮のオモニ)の誕生日であったことから――その祝賀の意味が込められていること。

 第二は、今年を強盛強国元年としていることから、それを宣言する意図があったこと。

 第三は、周辺国の2013年が、新体制となることへの、金正恩朝鮮からの強いメッセージであったこと、などが考えられる。

 野田政権は、同日、5,6日の両日、北京で予定していた第2回日朝局長級協議を延期する方針を決定し、外交ルートを通じて北朝鮮側に伝達した。

 局長級協議は、日本人遺骨問題を処理することで始まった。

 先の第1回・モンゴル協議では、今後の交渉ベースを日朝平壌宣言に基づいて進めていくことで合意していた。

 このため、拉致問題も「懸案事項」として協議のテーブルに乗ったことを確認した。

 先ずは、第一ハードルを越えたかに思われていた。

 第一ハードル越えを確実なものにするためにも、次回協議(予定されていた5,6日の両日)が重要であった。

 日本は12月選挙を控えていて、政権交代の可能性もある。

 例え、日本で新政権となっても、継続協議ができる枠組みを作っておこうと、日朝の双方が合意して第2回協議となったはずだ。

 野田佳彦首相は、日朝協議について「諸般の事情を総合的に勘案すれば、開催は困難ではないかと考え、延期することを先方に伝達した」ことを記者団に語った。

 やっと政府間協議がつながり、懸案であった日本人遺骨問題や拉致問題の解決に向けて、話が進展していこうとしていること以上の「諸般の事情」とは、どのような事柄であったのか。

 米国の国連安保理の政治的反応のことなのか。

 それとも国内事情でもあったのか。

 いずれの理由であれ、野田首相はまたしても、外向けの問題に同調して、国内問題を犠牲にしようとしている。

 現在、局長級協議での「懸案事項」のいずれの問題も、日朝二国間が責任をもって解決していくべき内容のもので、日本自身、誠実に取り組まなければならないテーマばかりである。

 早急に解決すべき人権・人道問題であって、核やミサイル問題とは切り離す必要がある。

 にも関わらず、野田首相(自民党安倍以来、同じであるが)は、全てを混同し、簡単に「制裁」問題と結びつけているようだ。

 本気で日朝協議を進めようとしているのかどうかも、疑問に思う。

 日朝協議を進め、懸案問題を解決したのだという強い意志があったら、今回の局長級協議を進めながらも、一方では国連安保理内でのミサイル協議も出来たはずである。

 それだけの度量を示してほしかった。

 だが、北朝鮮側は人工衛星の打ち上げだと主張しているのである。

 野田政権が、米国主張と同じように「長距離弾道ミサイル」だとの前提で行動しているとしたら、北朝鮮からの反発を招いてしまう。

 国連安保理での議論も長期化することも予想される。

 そのような状況下では、協議の「延期」は限りなく「中止」に近づいてしまうだろう。

 また、選挙後の日本の新政権によっても、人工衛星打ち上げ後の北朝鮮にとっても「延期」中の政府間協議の内容とそのレベルをどちら側も維持していく保証などはない。

 そうなると、またしても日朝間の窓は閉じられてしまう。

 日朝政府間の距離は遠ざかり、「遺骨」遺族や拉致被害者家族たちの嘆息が、もっと大きくなって聴こえてくるだろう。

 その責任は、ひとえに野田政権にある。


                                       2012年12月2日 記

「サハリンの朝鮮人問題」

「サハリンの朝鮮人問題」

                                               名田隆司


 毎日新聞は11月14日付けで、サハリンに徴用された際の朝鮮人労働者が、預金返還を日本政府に求めている問題で、韓国政府が問題解決に取り組まないのは違憲だとして、韓国憲法裁判所に提訴したことを報道した。

 サハリンは戦前、日本では樺太 (カラフト)と言った。

 1850年以前の同島は、南部を日本人 (アイヌ民族)、北部をロシア人と、それぞれの漁場を暗黙のうちに住み分けをしていた。

 1855年2月の日露和親条約(下田条約)で、「日本国とロシア国との境を、エトロフ島とウルップ島との間にあるべし」として、エトロフ全島とそれより北方のクルリ諸島はロシア領、カラフト島は従来のしきたり通りとするとした。

 従来のしきたりとは、黒竜江(アムール河)の対岸(北カラフトの北半島付け根-アイヌ民族居住地域の北辺)までを日本領としてきたことを、確認をしたことになる。

 1875年のロシアとの「樺太・千島交換条約」では、樺太がロシア領になった。

 1905年9月、日露戦後の「日露講和条約」(ポーツマス条約)で、北緯50度以南の樺太(カラフトが漢字表記となる)が日本領に編入されて、日本人の入植が始まる。

 日韓併合以後の1910年代から、南部朝鮮からの入植者もあり、森林、漁業などの事業に携わっていた。

 太平洋戦争(41年12月)以後になると、島内で産出される石炭、木材、製紙、魚類などが戦略物資として重要視され、その労働力を朝鮮半島内からの「徴用」で賄っている。

 「朝鮮人内地移入斡旋要領」(42年)、「国民徴用令」(44年9月)などの法律をつくり、朝鮮半島から働ける者を連行していった。

 樺太での労働者はそれでも足りず、好条件(寒冷地手当て付きとして、本土より高い賃金を提示)で日本内地にいる朝鮮人労働者たちを募集した。

 その一人であった金さん(20代後半で樺太に行ったという-数年前に死去)に取材したことがある。

 彼は、高い日給に釣られて仲間2~3人(関東地方の飯場から逃亡して)で樺太に渡り、王子製紙で働いた。

 社員ではなく下請けの日雇い人であったから、給料もピンハネされ、強制貯金やいろんな名目の天引きがあって、毎月手にする賃金は煙草銭ていどであったという。

 その上、タコ部屋暮らしで冬季には氷点下30度近くにもなるというのに、会社からは冬物の衣類などの支給もなく、セメント袋を探してきて二重三重に巻いて寒さをしのいだと言っていた。

 結局は、内地よりも厳しい寒さに絶えなければならない分、割りが合わないと思い、1年半ほど辛抱して45年5月頃に脱出し、知人を頼って大阪まで来た事を語ってくれた。

 樺太でも朝鮮人労働者たちは、日本人(一般労働者)たちとは居住も別々であったようである。

 敗戦直後の樺太の人口は、44万4千人であった。

 このうち日本軍の軍人が2万4千人であったから、民間人は 42万ということになる。

 8月9日にソ連軍の侵攻がはじまると同時に、樺太庁は、住民を本土へ避難させる緊急疎開の措置をとった。

 ソ連軍が8月23日(ソ連軍が停戦に応じて)に宗谷海峡を封鎖したため、本土へ脱出できたものは8万7600人(このなかに朝鮮人も含まれる)でしかなかった。

 樺太はソ連軍からの戦闘があったため、事実上の終戦は8月23日であった。

 終戦後も自力脱出者は多く、翌 46年 9月までに約2万4千人を数えている。(この時期の脱出者には朝鮮人労働者が多く、しかし、小船による海峡突破ができずに途中で亡くなった人たちも多くいる)

 先に本土へ脱出していた人たち(多くは女性や子供たち)の請願によって46年11月に、ソ連占領地にいる日本人帰還に関する「米ソ引揚げ協定」が結ばれた。(日本政府の力ではなく)

 米ソ協定による樺太からの帰還者は、日本人捕虜(軍人と警官)と一般日本人(つまり日本国籍所有者)だけであった。

 ソ連は46年7月時の在住者に、日本人には「日本国籍」を、朝鮮人には「無国籍者」(朝鮮半島がまだ独立した政府を樹立していなかったため)の身分証明書を交付していた。

 同年12月5日に1927人が引揚げ船第1号で、49年7月を最後に29万余の帰還者をもって、樺太からの日本人引揚げは完了している。

 残ったのは、朝鮮人たちである。

 ソ連政府が47年4月に調査した朝鮮人は、4万3千人が樺太にいた。

 そのうち46年と47年に2万余が、北朝鮮から労働者として来ていた朝鮮人(その家族も)が含まれていたから、実質、約2万3千人が戦前から樺太に来ていた朝鮮人労働者だということになる。

 かれらは主として炭鉱や製紙工場の労働者になっていたのであろう。

 問題は2万3千人の、労働期間中の強制貯金のことである。

 工場側は貯金はすれども、彼らに通帳も渡さず金額も教えず、敗戦後にも日本側が何等の手続きもしないため、彼らは裁判でもってその事実を明らかにしようとしたのである。

 毎日新聞では「独立行政法人・郵便貯金・簡易生命保険管理機構によると、貯金原簿は戦後の混乱で失われたが、サハリン・千島列島地域で約59万口(約1億9000万円)が返金されていない。機構は朝鮮半島出身者の口座もあるはずと話している」と報道している。

 口座が59万口あって、そのなかに当然、彼らの口座も含まれていなければならない。

 それを野田政権は三百代言のように、65年の日韓請求権協定で個人請求権は消滅したとして、貯金の返還を拒否している。

 果たして、そのような態度でいいのだろうか。

 日本は日韓請求権協定を拠り所にして、戦後清算問題の全てのことを拒否する姿勢に立っているが、それは協定の文言を自己都合的に解釈しているとしか言い様がない。

 原告側の多くは、苦労の末に80年代末以降韓国に帰還し韓国籍を取得したので、その間は無国籍や旧ソ連国籍であったから、65年の協定の対象外だと主張している。

 そうした彼らの主張まで、無視はできないだろう。

 この問題には、日本の戦争と領土問題、朝鮮人の国籍変更関係などが深く絡んでいる。

 領土問題を含む戦後日本の姿を決定したのは、ヤルタ会談(45年2月)、ポツダム宣言 (45年7月)、対日平和条約(51年9月)など、3つの国際条約が関わっている。

 ヤルタ会談とポツダム宣言は、日本の戦争終結・処理の条件を決定した。

 ポツダム宣言会談で米ソが、1904年に日本が侵害したロシア国の旧権利の回復-サハリン南部(南樺太)とこれに隣接する島々と千島列島(18島)のソ連への返還で合意している。

 さらにポツダム宣言で、日本の軍国主義者、戦争指導勢力の除去、日本が軍事占領した領土の放棄-日本の主権を本州、北海道、四国、九州と連合国(実質、米国のこと)が決定する諸小島など、戦後日本の姿を規定した。

 対日平和条約(通称、サンフランシスコ講和条約)は、冷戦による旧連合国(55カ国)が東西に分裂しているときに、米国が強引に推進した、冷戦体制を象徴する儀式であった。

 内容は、日本の個別的・集団的自衛権を承認し、日本の再軍備(憲法との乖離)と外国軍隊の駐留継続を許容したことである。

 また、ヤルタ会談とポツダム宣言の内容を確認し、朝鮮の独立、台湾・膨湖諸島、千島列島、南樺太の領土権を放棄することも改めて規定した。

 さらに沖縄と小笠原諸島については、米国を施政権者とする信託統治制度下に置くこととした。

 米国が信託統治(占領)するとした沖縄には、当然、その付属諸島(沖縄本島を含む大小60余島)も含まれていたはずである。

 72年5月に施政権が日本に返還されたとき、その60余諸島のうち尖閣諸島も含まれていただろうか。

 現在、中国(台湾も)との領土問題には、米国のアジア太平洋戦略が深く影を落としていることは確かである。

 対日平和条約に調印したのは当時の国際連合加盟国55カ国中、48カ国であった。

 反対および調印しなかった国は、共産主義国と東南アジア諸国の7カ国であった。

 反対理由は、米軍の日本への駐留を認める日米安全保障条約との抱き合わせであったことと、「単独不講和」であったがためであった。

 単独不講和の確認はすでに連合国共同宣言(42年1月)で、反ファシズム戦線構築とともに決定していた。

 だから対日平和条約は、連合国共同宣言違反であり、単独講和だと言われる所以である。

 それにしても「平和」条約というのは、条約内容やその後の日本の進路から照らし合わせて考えると、アイロニーを強く感じる。

 平和とは、戦争をしていないこと、戦争につながる一切の事柄を放棄し、他国との争いで軍事力を用いない政治的思考と政策を追及していくことだと解釈するとき、その対極にある再軍備や集団的自衛権を認めたり、外国軍隊の駐留や基地を提供する国家が、果たして平和を発信していると言えるのだろうか。

 だから日本国憲法よりも、対日平和条約を重視する政治家たちは、日米安保が日本の基軸だと広言し、現在の自衛隊を「軍隊」だと言い換えて、集団的自衛権の拡張を主張して、これが日本のあるべき姿だと平気で強調するのだ。

 さて、米国は沖縄の米軍基地使用と併せて、当時、冷戦下であったため、日本に放棄させた沖縄周辺諸島の領土の帰属先を規定しなかったことが、現在もなお、中国(尖閣諸島-釣魚島)との間で領土問題として、日本政治の難問となっている。

 この領土問題、対日平和条約成立の51年9月時点では、旧ソ連以外とでは、日本が領土を返還したとの、中国・韓国ともに暗黙了解をしていたのではなかろうか。

 韓国側は、この時点ではまだ朝鮮戦争中で、米国主導で日韓協定交渉を始めたばかりで、領土問題 (竹島-独島)を交渉する以前の状態にあった。

 ロングラン交渉の末、65年に締結した時には、領土問題は棚上げされていた。

 中国とは、これも米国の要求に従って52年4月に国民政府(台湾)との間で条約調印していたために、やっと72年 9月になって国交回復に調印した。

 その交渉過程で、領土問題の解決については持ち越されていた。

 しかしソ連との千島列島と南樺太の領土権については、ヤルタ会談・ポツダム宣言を日本が認めた45年8月と対日平和条約調印の時点で、国際条約上で解決している。

 だから米ソ合意による南樺太からの帰還者(46年12月からの29万余人)は、ソ連軍占領地からではなく、ソ連領土からの引き揚げだったと考えるべきだろう。

 植民地政策によって領有した領土を、国際規約で日本は放棄したとはいえ、そこに入植させ居住させていた人間(日本人および朝鮮人)たちの、その後の処遇はあくまでも日本政府自身の責任問題であった。

 ましてや、戦前に朝鮮人を強引に「日本人」として南樺太に入植させたことへの事後処理 (国籍変更と帰還問題)を、65年の日韓基本条約・請求権時においても、彼らを見捨てたことへの謝罪もなければ、彼らの存在認識さえも示していなかったことが、いま問われているのである。

 これらは人道問題、人権問題という以前に、戦時清算問題である。

 サハリンに置き去りされた彼ら自身と支援者たちの声とによって、韓国への帰国が叶ったのが90年代に入ってからである。

 その間、日本政府の対応は、対日平和条約の影に隠れたままで、決して前向きではなかった。

 そうした日本の態度が、彼らの声を受け止めず、問題解決を遅らせてきた。

 仮に、いま日本政府に提起されている各種戦後補償・個人請求権が、それぞれの国と交わした友好条約(国交回復)で解決済みだと日本政府が主張するのなら、領土問題もまた、対日平和条約などによって解決済みだと言うことになるはずである。

 対日平和条約は、それ以前のヤルタ会談とポツダム宣言と、それ以後の二国間条約(正常化)と、それぞれ連動しているからである。

 今回、韓国側から提起された問題は、戦時中に強制貯金させられた金額の返還要求である。

 日本政府(選挙後にどのような枠組みになったとしても)は、これまでのサボタージュを詫びて、彼らの要求を認める方向で法整備なり解決なりをすべきである。


                                      2012年11月28日 記
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