fc2ブログ

「国連での核兵器『非合法化』と『廃絶』合戦」

「国連での核兵器『非合法化』と『廃絶』合戦」

                                               名田隆司


1.核兵器「非合法化」案の内容

 ニューヨークで開催中の国連総会第1委員会(軍縮)で、日本はおかしな動きをしている。同委員会に提出される核兵器決議に対する、「非合法化」と「廃絶」の両案を巡っての、日本側の対応のことである。

 核兵器の「非合法化」プランについては、スイスやノルウェーなど16カ国(注-22日の提案の時点では、タイ、チリなど約30カ国が参加)が「核兵器を非合法化する努力の強化」 (核兵器の非人道性を訴える内容)声明案として提出しようとしているものである。

 声明案では「核使用がもたらす人道上への深い憂慮」を表明し、広島や長崎への原爆投下がもたらした「恐るべき帰納」にも触れている。

 そして、核兵器の不使用を「保証する唯一の道筋」こそが「完全で不可逆的で検証可能な核兵器廃絶」であると言及し、核兵器を「非合法化」し、「核なき世界」を実現していく努力を(各国が)強化していくべきだとする、内容になっている。

 声明案は従来にはない強い調子で、現核兵器保有国に対して「不可逆的で検証可能」とする「核兵器廃絶」を要求している。

 さらに、広島や長崎での被爆者への人道的な現実にも触れていて、世非で唯一の被爆国日本こそ、この声明に賛同し、共同提案国に名を連ねるべきではなかったのか。

 声明を作成した16カ国は、声明案への署名を日本側に打診していたが、日本は署名に応じないことを決めたようである。

 外務省を中心に政府内で打診した結果、現実に核兵器が存在する間は、核抑止力を中心とする米国の核拡大抑止(米国の核の傘をかぶること)政策をとっているため、核「非合法化」の声明案とは矛盾するためだとしている。

 これは、日本は今後とも、米国からの「核の傘」政策を追及していくのだということを、世界に公表したことと同じである。

 だが、同じように米国の核の傘の下にいる北大西洋条約機構(NATO)加盟国のノルウェーとデンマークは、共同声明案16カ国に含まれている。
 こうした現実を、被爆者たちはどのように理解するだろうか。

 米国との政治的距離間だと言ってしまえばそれまでだが、国際政治への責任の取り方や人道問題への認識の違いが、究極的な殺人兵器である核兵器に対して、政治的スタンスの取り方の違いとなって現れているのではないのか。

 日本は唯一の被爆国だ。

 今も原爆によって大勢の人たちが苦しんでいる国として、核使用と核保有の非人道性を強調しても強調し過ぎではない地点に立っている。
 であるからこそ、核兵器保有国に対する「完全な検証」と核の廃絶を要求していく使命を担っていたはずである。

 それを拒否して、米国の「核の傘」に安住する政策それ自体が、被爆者たちの心情までも裏切る行為になっている。


2.日本提案内容

 一方で日本は、同じ国連総会第1委員会に、「核兵器廃絶決議」案を提出(10月18日)した。

 決議案は、日本が主導して米国など69カ国 (さらに各国に共同提案参加を呼び掛けて居るようだ)で、 19年連続しての提出だという。

 決議案は「核兵器なき世界」を実現させるために、核拡散防止条約(NPT)体制の順守と、 NPT未加盟国の速やかな加盟の重要性を強調し、核保有国には核兵器の全廃に向けての努力を求めている。

 さらに、北朝鮮に対して「ウラン濃縮計画と軽水炉建設」などの核開発のはか、長距離弾道ミサイルへの懸念を表明している。

 基本的には、 NPT体制による核拡散防止の実現である。

 核拡散防止体制は、米オバマ政権の主張であり、米国の核政策そのものである。

 バラク・オバマは大統領就任直後、プラハ演説で「核兵器のない世界」を提案し、国際社会から歓迎された。

 オバマの「核兵器のない世界」の内容は、

1.核兵器が存在するかぎり、(米国は)抑止のための核兵器備蓄は維持する。しかし、冷戦期の思考を終りにし、国家安全保障戦略上の核兵器の役割は縮小し、他国にもこれを促す。

2.NPTを基礎として国際査察を強化し、ルール違反には迅速に代償を支払わせる体制をつくる。

3.差し迫った脅威であるテロリストの核兵器取得を阻止するべく行動する。

 -というものであった。
 
 続く10年4月に、「核態勢見直し報告」(核戦略指針)を発表した。

 その中心的な命題は、1.核拡散と核テロを防止する、 2.アメリカの安全保障戦略における核兵器の役割を縮小する、 3.削減された核戦力レベルにおける概略的抑止力と安定を維持する、 4.地域の抑止力強化と同盟国およびパートナーに対する再保証を行う、5.安全かつ有効な核兵器備蓄を維持する-としている。

 以上でみたとおり、オバマ政権の「核兵器のない世界」とは、NPT体制の維持(核常任理事国以外に核保有を認めない)と、核の削減による核兵器の維持である。

 核削減にしても、ロシアとの「戦略兵器削減条約」(新START条約)で、モスクワ条約(91年のSTART1)比で核弾頭数が3割弱、弾道ミサイルなどの戦略運搬手段を5割強削減することで、米国とロシアが合意した「核弾頭」削減のことである。

 つまり、米国が言う核削減とは、核大国の米ロが現有している核弾頭の数を削減することであって、核兵器そのものの削減とか、ましてや核兵器全廃のことではないのである。

 米国は今年の4~6月にかけて、ニューメキシコ州サンディア国立研究所で、核兵器の性能を調べるためのプルトニウムを使った新タイプの実験を行っている。

 これは昨年に続いて5回目だという。

 日本が国連第1委員会で主導している「核兵器の廃絶」の表現での「廃絶」の意味は、核弾頭数を削減することであったから、オバマ政権が主張している「核兵器のない世界」と同じ夢を見ていることになる。

 そのような意味で、16カ国が提案する核兵器の全廃を目指す「核の非合法化」内容とは全く違っていることになる。


3.米国の核政策

 米国の核軍備管理の考え方とその政策について、簡単に振り返ってみる。

 NPTが核兵器国と定義するのは、1967年1月1日までに核兵器そのはかの核爆発装置を製造し、爆発させた米、ソ、英、仏、中の5カ国のことである。

 1970年に発足して以来、核不拡散(5カ国以外)と原子力の平和的利用、核兵器国の核軍縮交渉義務を規定した多国間条約として、核保有5カ国にとって安定した枠組みと機能を果たしてきたといえる。

 冷戦体制後、インドとパキスタン(1998年)が、北朝鮮(06年と09年の核実験を経て2010年)が、イラク・シリア・リビア・イランなどで核兵器開発疑惑が相次ぐなかで、米同時多発テロの9・11によって、米国は非国家主体による核テロリズム(核兵器の盗取、原子力関連施設への破壊工作など)の脅威、核拡散の懸念と恐怖を強く感じるようになった。

 ブッシュ政権時代の米国は、03年の「拡散に対する安全保障構想」(核兵器を含む大量破壊兵器、ミサイルおよびそれらの関連物質を阻止するために、参加国が国際法と各国国内法の範囲内でとりうる措置を検討し、実践する)と、04年の「安全理決議第1540号」(国際テロリストなどの非国家主体に大量破壊兵器を拡散させないよう各国が適切に法整備を行い、これを実施することを求めた内容)、さらに06年の「国際原子力パートナーシップ」(NPTを補強して、核拡散懸念国や非国家主体に目配りすること)-などと、核兵器不拡散の多国間アプローチを、各国に強要していた。

 その一方で、米国自身は代替核弾頭や強力地中貫通型核爆弾、核爆弾の小型化など、実戦での使用可能な核兵器の研究開発を進めていた。

 こうした二重基準、一国主義的な姿勢に対して、国際社会は一面では米国を批判しても、米国が主張する核兵器不拡散枠組み体制で歩調を揃えた。

 09年に登場したバラク・オバマは、プラハでの「核兵器のない世界」演説でノーベル平和賞を受賞した。

 オバマは、核兵器は拡散しており、テロリストが核兵器を購入、製造、盗取する可能性を否定できず、核攻撃のリスクはむしろ高まっていると指摘して、ブッシュよりもスマートな表現で、ブッシュと同じ核不拡散体制づくりを強調した。

 オバマが言う「核兵器のない世界」とは、核兵器が存在するかぎり、抑止のための核兵器備蓄は維持するといった、自己矛盾的な姿勢でしかない。

 核兵器大国の米国が、自らの核兵器を完全に廃棄しない限り、世界から核兵器が永久になくならないだろう。

 仮に「START」方式をロシア以外の、英・仏・中との間で厳密に実施したとしても、結局、まだ多くの核兵器が米国に残るのである。

 米国自身が追求しているNPT体制における核不拡散や「START」方式での核兵器「全廃」表現は、最絶的に米一国だけが、核兵器を保有することを狙ったものである。

 このように核兵器廃棄に関連する既存のどのプランも、米国に有利な仕組みになっていて、不道徳不合理なものである。


4.16カ国プランをこそ

 日本が国連で汗をかいている「核兵器廃絶決議」は結局、米国の核政策の掌の中に収まっていくものだ。

 だから、米国は、安心して日本案を指示している。
 
 確かに、16カ国安も日本案も、ともに核兵器の「廃絶」という表現を使用していて、紛らわしい。

 しかし日本案の表現の裏には、核弾頭数の「廃棄」姿勢が隠されていることを指摘した。

 16カ国提案の場合は、核兵器の単な廃業ではなく、核兵器保有国への「完全かつ不可逆的な検証」を行うとしているのだから、これが実現した場合には、世界から完全に核兵器が「廃絶」されていく道筋が示されている。

 しかも、国連の場で核兵器そのものを「非合法化」していくというのであるから、核弾頭の「廃棄」などと、曖昧なことでは通用しないことになっている。

 全世界から核兵器を廃絶し、核による恫喝も、核からの被害や犠牲も、完全に終止符をうつプランとして、16カ国案の方がはるかにに優れている。

 世界で唯一の被爆国の日本は、またしても米国の核兵器政策のお先棒を担ぐのではなく、16カ国案に賛同し、提案している「核兵器廃絶」案との整合性をつけるべきではなかったのか。

                                      2012年10月20日 記
スポンサーサイト



「日朝の『解決済み』という意味」

「日朝の『解決済み』という意味」

                                               名田隆司


1.はじめに

 日朝関係が冷えきったままである。

 不思議なことに、対立点の問題に双方とも、「解決済み」との表現を使用している。

 日本は、「軍慰安婦」を含む戦時朝鮮人動員問題に対して、一方の北朝鮮は「拉致問題」に対して、ともに究極的な「解決済み」との表現を使っているため、問題解決の方向へとは進まず、対話がストップしたままである。

 もちろん、それぞれの問題は本質的に違っているから、内容的に同一線上で論じて解決を図る問題ではないのは当然である。

 だが、両問題はある点ではしっかりと繋がっている。

 日朝双方が、そのことを忘れていなければ、やがて両間道は解決していくことが約束されているのだ。

 以下、そのことを考えてみたい。


2.日本の「解決済み」発言

 ニューヨークの国連本部で10月15日、女性への暴力根絶(人権)などに関する国連総会第3委員会の会合が開かれた。

 同委員会で韓国の辛東益国連次席大使が、旧日本軍による従軍慰安婦問題について発言。

 「国際社会の度重なる要請にもかかわらず、いまだに解決されていない」として、元慰安婦への補償などの法的責任を認めることを要求した。(「日本に」とは言わずに)

 その上で「国家の真の力は、自国の歴史の最も暗い部分に向き合う勇気を持った時に示される」ことを強調した。昨年に続いての発言である。

 これに対して日本の児玉和夫国連次席大使が答弁権を行使して、「多くの女性の名誉や尊厳を著しく傷つけたことに対して、われわれは誠実に謝罪し、後悔の念を示した」と述べながらも、補償問題などは「法的に解決済み」だとの、従来からの日本側の立場を主張した。

 軍慰安婦への補償はすでに「法的に解決済み」だと言うのは、具体的には何を指しているのだろうか。

 従来、日本政府は1965年に締結した「日韓基本条約」によって、戦時中の賠償・請求権・補償等は、法的に解決 (国家及び個人とも)していると主張してきた。

 しかし、韓国では80年代中頃から、元慰安婦たちや強制連行された労務者たちの多くが、日本政府の謝罪と個人補償を求める裁判闘争を起こしてきた。

 90年代に入り、日韓双方の最高裁判所とも、日韓基本条約では個人補償は解決されていないとして、戦争被害者個人の補償要求を認めた。

 こうした流れを受けて、93年に「河野談話」が出されたのだ。

 談話で、軍慰安婦や朝鮮人労務者たちへの軍の介入と強制性を認め、謝罪と補償を行う必要を表明した。

 残念ながら、それが宮沢政権末期であったがため実施できず、次期政権以降に申し送りをした。だが、未だに実施されていない。

 戦後50年となる95年に、日本政府がまだ元慰安婦たちに謝罪も補償もしていないことに対して、アジア各国・各団体から抗議と批判が集中した。

 時の村山政権は、民間からの募金による僅かな「償い金」を、一部の被害者に交付しただけで、政府からの補償は行わなかった。

 最近、橋下徹大阪市長や石原慎太郎東京都知事ら右派陣営から、「軍が強制したことはない」などとして、河野談話の内容を否定し、過去の性奴隷犯罪を認定しない発言を繰り返している。

 こうした橋下氏らの発言と、国連第3委員会での日本側発言と思考が、通底しているのは危倶すべき現象である。

 いつまでも「法的に解決済み」だとの立場を貫くのは、自国の歴史を否定する態度であり、元慰安婦たちを冒涜する行為であり、日本の将来を滅ぼす行為につながることであって、とてもじゃないが許せない。


3.北朝鮮側の「解決済み」

 一方、北朝鮮にも「解決済み」との表現を使っているものがある。

 拉致問題に関してである。

 拉致問題で北朝鮮側は、朝鮮政府の誠意ある努力によって、終局的に解決されたとの主張を繰り返している。

 もちろん日本は認めていない。だが、北朝鮮側が言う拉致問題の「解決済み」を、検証もせずに批判や否定ばかりしていては、例え政府間協議が再スタートしたとしても、意見が噛み合わず、いつまでも「解決」への道筋がつけられないだろう。

 拉致問題が「問題」となったのは、02年9月17日に行われた小泉純一郎首相(当時)と金正日総書記による、日朝首脳会談であった。

 席上、金正日総書記が日本人の拉致を認め、謝罪し、再発防止と解決に向けての協議を行うことを約束した。 (日朝平壌宣言の精神に沿って)

 この時、北朝鮮側は「5人生存、8人死亡」(当時の日本政府の拉致認定者は12人)と伝えた。

 10月に5人が一時帰国の約束で日本に来た。

 だが子供たちが待つ平壌には戻らず日本に止まる。(北朝鮮側は約束違反だと、日本政府に抗議を行った)

 04年5月、2度目の訪朝をした小泉首相と共に、北朝鮮に残されていた家族計5人(2家族の子供たち)が帰国。後日、曽我ひとみさんの家族(夫のジェンキンス氏も)3人が帰国。生存者 5人とその家族たちは帰国を果たしたことになる。

 その後、日朝平壌宣言で約束した国交正常化・経済協力のための協議は進まなかったが、拉致問題解決への事務局間協議は断続的に行われていた。

 そして、北朝鮮が8人死亡としたうちの1人、横田めぐみさん(行方不明当時13才)の遺骨と、死亡とされた人々の調査資料が日本側に渡された。

 横田めぐみさんの遺骨をDNA鑑定した日本(2カ所で、その内の1カ所は再鑑定を要請していた)は、再鑑定もせずに、しかも遺骨を返還もせずに、別人のものだったとして北朝鮮側に通告。また、他の死亡調査資料も日時や場所などの記載に疑問があるとして、不誠実な調査結果だと北朝鮮を非難した。

 その頃、米国との核対立が続いていた北朝鮮は、人工衛星やミサイル発射などの実験を行ったため、米国が経済制裁を発動していた。

 日本も 06年、日本と北朝鮮との唯一の通路であった貨客船「万景峰号」の入港禁止など、経済制裁を実施した。

 以後、日朝間は冷えきってしまい、拉致問題その他の協議は一切行われなくなった。

 福田康夫政権の08年、日本が経済制裁の一部解除を行うなどのシグナルを送ったことで、北朝鮮側も拉致被害者のための調査委員会(日本側も委員に入る)を設けることで合意し、拉致問題が動きかけた。

 ところが、福田康夫首相 (当時)が突然辞任し、次期政権が継承しなかったために、このプランもまた挫折してしまった。

 ここまでの経緯を北朝鮮側からみるならば、問題解決に向かっての努力を続けてきたにもかかわらず、その都度、日本側の理由付けによって否定されたり、クレームを付けるだけに終始して、解決する意志があるのかないのか分からず、かえって問題を深刻化させてしまっている。

 その責任は日本側にある、ということになるであろう。

 それに、拉致被害者5人の一時帰国(02年10月)を約束して以降、幾多の約束も守らず、かえって北朝鮮は不誠実だと批判を強め、制裁強化へのテコに利用してきた。

 こうした日本の態度は、拉致被害者家族会らの要請を実行しようとしていたのか、米国からの対北朝鮮強硬論に従っていたのか、「制裁」強化だけを実施して、対話をして問題解決への糸口を見つけるといったスタイルは、どこからも見られなかった。

 このような日本の姿勢から、北朝鮮側も(首脳が)謝罪し、生存者とその家族を帰国させ、死亡者の調査と報告をし、遺骨の一部も返還し、調査委員会を設置し、さらなる調査と問題解決への協議に応じていくとしていたのにもかかわらず、日本がそれらを受け入れなかった。

 後は日本自身の問題ではないのか、と考えるようになった。

 以上のように、北朝鮮から「解決済み」発言が出てきた背景には、日本の対応のまずさが反映していたのではないか。

 これまで北朝鮮に「制裁と圧力」を主張してきた政治家たちは、この10年、拉致問題が一歩も進展していないばかりか、日朝間が冷えきってしまっている現実を、どのように理解しているのだろうか。

 「制裁だ」「圧力だ」と勇ましい掛け声と、根拠のない強硬路線だけを主張してきた結果が、解決の道筋も見えず、膠着状億に陥ってしまっていることに、どれだけの責任を感じているのだろうか。

 拉致議連の平沼赳夫会長は「拉致問題で進展が見られない場合、在日朝鮮人の再入国許可や送金について、直ちに全面制裁を発動するよう強く求める」と談話(9月)で、田中慶秋法相兼拉致問題担当相(暴力団との関係を指摘されて、10月辞任を申し人れている)は就任会見(10月)で「制裁措置はあるべき、しっかりやらないと拉致問題解決の糸口はつかめない」などと、それぞれ発言をしている。

 日本の政治家たちはまだ、解決能力のなさを国民への迎合的発言に代えているようだ。

 余りにも無責任ではないか。


4.個人補償は解決されていない

 日本側の「解決済み」発言-軍慰安婦問題を含む過去の清算問題への対応は、特に個人補償問題関連は本当に解決していると言えるのだろうか。

 1951年9月、サンフランシスコで調印された対日講和条約は、米国主導で進められた。

 当時すでに冷戦が本格化し、米ソの対立が激しくなっていたため、米国は「日本を早く独立させ、自由世界の一員とさせ、反共の防波堤とする」プランが浮上していた。

 このため、各国との戦争賠償問題も、日本の経済発展が保障されるレベルでの、経済協力方式が約束されたのだ。同時に別室で、「日米安全保障条約」(日米安保条約)が調印された。

 この条約の基本を成しているのは、(米国が)日本に望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利をもち、日本の防衛義務は負わない (現在も)とする、極めて不平等な米軍占領政策そのものであった。

 一方、韓国との日韓条約も、米国主導で進められた。

 朝鮮戦争さなかの1951年、対ソ戦略上重要な朝鮮半島を米国が確保しておくために、日韓国交正常化作業が米国の指示と介入で開始された。
 
米国の保証付きで復活してきた日本の右翼連中たちの、帝国主義的・植民者的暴言で協議は何度も中断して、65年に「日韓基本条約」として調印された。

 協議期間中、日本は韓国側が要求していた「対日請求権」「対日財産請求権」を拒否して、「経済協力」(日本が無償援助3億ドルを用役と物品で10年の均等分割で供用する)方式で、東京で調印した。

 そこには過去の植民地支配を清算するといった態度はなく、ましてや個人補償を行う問題もなく、日米韓による新しい軍事体制の構築へとつながった。

 日韓基本条約の性格、内容等からも、韓国の元慰安婦たちの謝罪と補償を「解決済み」だとする日本側の言説は、論弁にしか過ぎず、そうした言動を取れば取るほど世界から批判され、彼女たちを苦しめるだけである。

 そのような日本は、日本自身が人権問題途上国として、国際社会からいつまで経っても政治的信頼を得られないため、同じ人権問題の「拉致問題」が、十分に理解されない側面となって跳ね返っている。

 一方の北朝鮮側の「解決済み」問題は、どうであろうか。

 誰も孤立化を望んでいない以上、北朝鮮も周辺国との友好発展関係を希望しているだろう。

 日米とは国交正常化を、韓国とは南北統一である。

 それらを達成する前に、朝鮮戦争を終了させる必要がある。

 米国との平和協定を締結することが結局は、朝米正常化、日朝国交正常化、南北朝鮮統一推進へと進んでいくだろうからである。

 どれも高度な政治的課題であって、容易にパズルは解けない。

 どの問題にも米国のアジア太平洋戦略が、不可分に結び付いている。

 その意味で、米国と平和協定を結び朝鮮戦争を終結させることが、北朝鮮にとって全ての難問を解いていくうえでの中核になっている。

 その米国が、日本人の拉致問題を政治的テーマとして利用しているから、常に米国の影がちらついていて、これまで問題解決がスムーズに運んでこなかった側面がある。

 過去、北朝鮮側では何度か、問題解決へのシグナルを出していたが、日本側がそれを見逃したり無視してきたために、結果的に、北朝鮮に「解決済み」と発言させてしまった。

 北朝鮮が「解決済み」と言ってはいるが、日本側の対応如何で、それが新しい関係の始まりへの挨拶語となる可能性さえある。

 近日中に政府間の局長級会談が予定されているが、その会談が日本にとっては、扉を開ける試金石になるのではないだろうか。


5.日朝平壌宣言が重要

 宣言を調印したときの小泉純一郎氏の心情がどうであったかは知る由もないが、宣言の内容としては、現実の日朝関係の姿を写し出しており、その解決に向かっていこうとする表現になっている。

 日本が、北朝鮮との政治協議を行う場合、宣言の精神を尊重することが求められているにもかかわらず、これまでは無視する態度を取ってきた。

 二国間宣言とは、それほど軽いものなのか。

 日本のそのような態度は、やがて日本自身に向かってくるだろう。

 日朝平壌宣言が重要だというのは、そこに日本の過去清算問題も拉致問題も、ともに協議を重ねて解決していくことが明記されているからである。

 日本は、過去の歴史清算を必ず行わなければならない。

 それは世界平和と人類史発展上における、必然的な事柄だったからである。

 米国の戦略上に隠れて、いつまでも回避することはできないのである。

 ましてや元慰安婦たちのような個人補償は、国家賠償や経済協力の中で解消できる問題でないことは、各国の裁判所や国連でも表明している。

 日本人として、解決もしていない植民地時代の個人補償を、「解決済み」だと厚顔無恥にも表現する政府を恥ずかしく恩っている。

 だからこそ、日朝平壌宣言を尊重して誠実に向き合って、北朝鮮と協議することを強く望むのである。

 そこで始めて日本は、自身の過去清算問題、個人補償問題と向き合いながら、「解決済み」表現を解消していかねばならないことに気付くはずである。

 そのことが拉致問題への解決にもっながり、日本の自主化への実現にも近付き、世界平和への貢献にも役だっていく、大きなチャンスが待っているのである。

 同じく、日朝平壌宣言と向き合って日本と交渉する北朝鮮にも、拉致問題の「解決済み」表現の溶解を求めねばならない。

 拉致問題の解決は、単に人権問題の解決だけではなく、そこには日朝正常化への流れをつくり出し、やがては米国との平和協定締結を呼び込む可能性を秘めているからである。

現在、日朝間で主張し対立している「解決済み」表現は、日朝平壌宣言という回廊でしっかりとつながっていることを、両度、強調しておきたい。

 そうした自覚が日本側にあるのなら、拉致問題の解決も引き寄せられるであろう。


                                      2012年10年18日 記

「日朝平壌宣言、10年目の日本」

「日朝平壌宣言、10年目の日本」
         
                                               名田隆司


1.日朝平壌宣言の意義
 
 「日朝平壌宣言」(9月17日)が調印されて10年になる。

 同宣言は形式的にも内容的にも、日朝国交正常化発展にとって、大きな意義を持っていたはずであった。

 形式的には、はじめて日朝双方の首脳が協議し調印したことによって、内容的には日本側が過去の歴史清算を行う前提に立ったことによって、私は今も評価している。

 ところが平壌宣言発表直後から、日本の世論(マスコミも)は異常なほど、反北朝鮮、嫌北朝鮮一辺倒となってしまった。

 小泉純一郎首相(当時)との首脳会談で、北朝鮮の金正日総書記が、日本人の拉致を認め謝罪したからである。

 この時から、これまでの「拉致疑惑」が「拉致問題」へと変化して、北朝鮮に向ける言葉の暴力はエスカレートし、在日朝鮮人、朝鮮総聯、さらには私たちのような朝鮮問題研究者にまで投げ付けられるようになった。

 拉致被害者家族会側の悲痛な声には、誰もが逆らえなかった。

 彼らの怒りと悲しみの言葉にはある程度の理解はできても、北朝鮮とは口をきくな、制裁だけを強化せよという感情論までは、さすがについては行けなかった。

 小泉首相と平壌まで同行した安倍晋三官房副長官(当時)は、家族会の怒りと悲痛な声をすくい上げて政治利用し、当時の反北朝鮮世論の波に乗って、国民的人気の座を獲得(その勢いで首相となる)していった。

 そのことの裏側には、米国の黒い罠と思惑があった。

 米国の対北朝鮮政策の基本は、反共政策を朝鮮半島に適用することにあった。

 つまり、朝鮮式社会主義を標榜している体制を、安価な経費で崩壊へと導くことであった。戦争による崩壊プログラムが不可能であることを理解してからは、軍事的圧力以外に各種制裁の強化(日本を含む同盟国にも強要して)し、ネガティブキャンペーンや人権政策(様々な組織を通じての内部崩壊作戦)などに、膨大な予算を行使している。

 日本の拉致問題は、米国政権にとっては北朝鮮へのネガティブキャンペーンや人権問題で、同盟国の日本を通じて活用できる絶好のテーマだと考えた。

 米国の連邦最高裁は、米国の法律に違反した外国の市民を米国の法廷で裁くために拉致することは、法的に許されるとしている。 (1992年)
 
 外国人を拉致することが、日常的になっている米国政治からすれば、北朝鮮が日本人を拉致したことについて、それほど驚くべき事柄ではなかったのであろう。

 それよりも、北朝鮮政権を崩壊するための政治的活用を目論見、小泉純一郎氏をワシントンに呼んだ。

 小泉純一郎氏が平壌へ行く直前にワシントンに行き、ブッシュ米大統領(当時)と「密約」を交わしている。

 ブッシュ氏が用意したテーマは、拉致問題の政治的利用、海外で活躍する米軍への一層の協力、経済開放などであったろう。

 このような「密約」がなければ、日本の首相が平壌に行くことも、金正日総書記との首脳会談や共同宣言など出来るはずがない。

 また安倍晋三氏が北朝鮮への数々の強硬姿勢を取ってきたのも、全て米国の承認があってのことである。

 一度ならず米国による外国政権への介入や選挙操作(政権転覆)は、1945年から現在までアジア、中南米、中近東、東欧、アフリカ、ヨーロッパなど、 100カ国以上を数えているから、地球上ほとんどの国に及んでいることになる。 (ウイリアム・ブルム著「アメリカの国家犯罪全書」2003年)

 日本の場合は特に、58年から70年代にかけてCIAがスポンサーとなり、社会党を弱体化させて自民党が権力の座を維持するために動いたことが有名である。

 現在では、米軍の新型輸送機MV22オスプレイの強引な沖縄・普天間飛行場への配備問題で、野田政権が沖縄県民や日本の声を米国に伝えようとしない(日米安保条約上だとして)政治姿勢から、日本の政権は米国のカイライでしかなかったことを見せられている。

 米国と対等外交が出来る政治家は、日本ではまだ出現していない。その時々の米国政治の意向に沿った言動をする者のみが、日本の政治家として米国から歓迎されてきたためでもあろうか。

 小泉純一郎氏も安倍晋三氏も、共に「拉致問題」を政治的に利用した、披らなりのパフォーマンス (米国の意向に沿って)を続けてきたのである。


2.「家族会」の主張は

 02年、拉致疑惑から拉致問題へと転換して以降の、「家族会」側の主張や意見を少し考えてみたい。

 当初の激怒した感情論は、それでも人間的な悲哀感があって、幾分かは理解できた。

 が次第に、北朝鮮に拉致された可能性があると主張する「特定失綜者の会」などが接近し、統一行動を取るようになった直後からの発言には、疑問視しざるを得ない内容が多くなっている。

 「対話よりも制裁を」「制裁をもっと強化せよ」「金正日政権の崩壊を」-などと、反北朝鮮主張が強くなった。

 こうした彼らの主張に対して、特に2つの潮流が接近した。一つは、政治家たちである超党派の「-議員連盟」を結成して、ブルーリボンを付けて、政府に反北朝鮮への圧力を掛け続けると同時に、正義面をして拉致問題の「解決」だけを主張していった。

 その結果、北朝鮮との政府間交渉の窓口も民間の窓口も閉ざされてしまったから、奇妙なことに家族会などの要求が実現してしまったのだ。
 北朝鮮との対話を拒否せよと主張していた家族会は、自らの要求が実現して果たして満足していたのだろうか。

 もう一つは、「特定失綜者の会」と反北朝鮮を主張していた右派集団である。

 彼らの主張自体が「金正目政権の崩壊」であったから、当時の家族会が主張していた内容との距離感はなく、直ぐに結び付いた。

 問題は、「特定失綜者の会」が認定した400人余の人達も、北朝鮮による「拉致」の疑いがあると主張し、全国的に救出運動を始めたことにある。
 そこでは「特定失綜者」と認定された家族の人達も、救出運動の声を聞いた全国の人達も、「拉致の疑い」の表現は消えて、400人余の人達も北朝鮮が拉致したのだという理解(誤解)をしてしまったことにある。

 家族会の主張に接近した以上の2つの潮流が、自らの主張を家族会の代弁者のようにして吹聴したため、日本社会は一気に「拉致パニック」に陥ってしまった。

 全てが家族会の言動に影響されて、彼らの主張には誰も反論できない社会的風潮(マスコミによる作用で)になってしまっていた。

 そのような社会的反動は、在日朝鮮人、朝鮮総連、朝鮮学校、朝鮮問題を論じる日本人研究者にまで及んで、北朝鮮バッシングの嵐は静まる事がなかった。

 日本の一般世論に、北朝鮮は悪い国で怖い国だとの印象を強く焼き付けていった。

 私のところへも電話での抗議やクレームがあり、少なからぬ知人たちが黙って私の元を去り、会合などでも陰でこそこそささやきあって私を遠目に見る人達に、現在でも出会うことがある。

 これほど日朝間の距離が遠ざかってしまったという経験は、私の長い活動歴のなかでもなかったように思う。

 そのような意味からすると、家族会の人々が主張してきた事柄が現実的となったのであり、かれらが満足していたのかというと、決してそうではなかったようだ。

 当初、家族会が叫んでいた「金正日政権の崩壊を」「制裁の強化を」といった主張は、実は米政権自身の主張であったのだ。

 家族会の人達はそれを知ってか知らずにか、米政権の代弁をしていたことになる。

 その代償としてのワシントン訪問であったことを、知っていたのだろうか。


3.日朝予備会談の内容とは

 4年ぶりとなる日朝政府間交渉(課長級の予備会談)が8月に開かれた。

 これは、日朝赤十字協議で話し合われていた日本人遺骨問題を、確実な解決のために両政府間の関与が必要だとして、開かれたものである。
 こうした流れからも、そこでの中心テーマは墓参、調査、発掘、埋葬、持ち帰り、費用など、日本人遺骨問題に関する全般にわたる協議をすすめることにあったことが分かる。

 ところが、日本側が途中で拉致問題を協議の中に入れる事を強く主張したため、予備会談自体も一日延長され、本会談に当たる局長級会談の日程さえ詰められずに、協議を終えたことになる。

 会議の成果を待ち受けていた日本側では、拉致問題が議題になっているかどうかだけが論じられてきた。

 外務省の新見潤アジア大洋州局参事官は8月30日、国会内で開かれた拉致議連の会合で、拉致問題を取り上げるべく働きかけを強めており、ほかの問題を先行させることは考えていないと説明した。

 説明では、拉致問題が議題として承認されたとは言っていない。

 だが、外務省の努力目標として「ほかの問題を先行させることは考えていない」 (本議題の日本人遺骨問題よりも)と、リップサービス的な発言をしたことが問題であった。

 この発言がひとり歩きして、拉致議連内から「拉致問題が先行して協議することになった」などとの、自己都合的な無責任発言がまかり通ってしまった。

 これに対して9月5日、朝鮮外務省代弁人が『朝日政府間会議の拉致議題化は事実と異なる』との談話を発表した。

 「日本人の遺骨問題を円滑に解決するには政府としての関与が必要であるということで、見解の一致をみて」日朝予備会談が行われたもので、「本会談の議題に拉致問題を含めることを受け入れただの、われわれが日本人退骨問題を通じていわゆる経済的代価を望んでいるだの何のと言うのは、全く事実と異なる」と反論していた。
 
 そのうえで「日本が引き続き不純な政治目的だけを追求するなら、朝日政府間の対話の継続に否定的な結果を及ぼすことになるであろう」と、会談を続行させることを否定した。拉致問題が議題化できたと発言しているのは、拉致議連など一部の政治家たちの勝手な政治的パフォーマンスにしか過ぎない。

 拉致問題の解決なくして日朝国交はないとする主張は、米政権の対北朝鮮封じ込め政策と地下水脈的につながった言葉である。


4.10年目の日朝平壌宣言

 日程調整に入っていた日朝局長級会合が、10月中旬にも開かれる方向になったと、一部マスコミでは伝えている。

 その際でも、日本人拉致問題を議題化できるかどうかが、対話継続のカギとなるとの認識を示していた。拉致問題が議題化していないと会談に臨めないとすることには、日本がこれまで続けてきたこととの間にジレンマがある。

 拉致問題だけを強調すれば、日朝政府間交渉は開かれない。

 日朝政府間交渉がないと、拉致問題を含めた「懸案事項」も解決できない。

 日本はいま、そのようなジレンマに陥っているのだ。

 ジレンマに陥ってしまったのは、日朝平壌宣言を誠実に実行してこなかったからである。

 忘れっぽい日本人としては、いま一度、日朝平壌宣言の内容を思い出す必要があるだろうから、宣言のポイントを以下の4点にまとめた。

1.国交正常化の早期実現への努力。

2.(日本は)過去の植民地支配の反省と謝罪、北朝鮮への経済協力(請求権は相互に放棄)すること。

3.国際法の遵守、互いの安全を脅かす行動をしない。また日本国民の生命および安全と関連した懸案問題 (拉致・工作船を指す)について、再発防止について(北朝鮮は)適切な処置をとる。

4.(両国は)東北アジアの平和と安定のための相互協力、核問題解決のための国際的合意の遵守。

 以上、両国ともに妥協した内容となっている。

 北朝鮮側は、従来主張していた賠償請求権要求から、経済協力方式に切り替えたこと。

 日本側は、拉致問題を懸案問題の中に収めて解決していくこと-であった。

 これら重要項目の問題解決に一括妥結方式-つまり、双方の懸案問題の同時協議、進行、解決、行動対行動を目指して行くことで合意していることを忘れてはならない。

 日本側が主張している「拉致問題の先行解決」などということは、宣言上でも、両国協議事項の中にも、どこにも規定されてはいないことを理解する必要がある。

 何故、日本は被害者的感情論を前面に出してきたのであろうか。

 それには、二つの側面が考えられる。

 先ずは、拉致被害者であった家族の気持ちを、政治的に慰撫するためであった。

 家族会が叫ぶ「北朝鮮への制裁」発言は、日本自身の政治テーマでもあったから、彼らの言葉とは直ぐに共鳴できた。

 もう一点は、米国政治の意向を汲み取るためであった。

 平壌宣言を調印した2002年前後の、米国政治にその答えがある。

 01年に登場した米ブッシュ政権は、同年9月11日の米同時多発テロ事件に見舞われて動転していて、国際的な反米テロネットワークの存在を、恐怖感と憎悪感をもって意識していた。

 その意識は、02年1月の大統領年頭教書演説で、北朝鮮をイラク、イランと並べて「悪の枢軸」と偏狭的に非難したところに、よく表現されている。

 続くブッシュ氏の言葉は、北朝鮮を「市民を飢えさせながら、大両破壊兵器とミサイルで」「世界平和を脅かすために武装している悪の枢軸で、テロリストの基盤の一角を成している」と憎悪に満ちていた。

 ブッシュ氏による北朝鮮への非難表現は、そっくり米国自身に当てはまる。

 テロ、暗殺、拷問、拉致、略奪、麻薬、政治介入と核・化学兵器などを行使して、全世界に悪徳の限りを続けていることを棚上げしていて、厚顔無恥も甚だしい。

 さらに02年9月20日、米議会に提出した「米国の安全保障戦略」で、「テロリストやならず者国家 (北朝鮮、イラン、イラク)には従来の国際法にとらわれず、危険に応じて先制攻撃を加える」などと、核使用を示唆して脅していた。

 こうしたブッシュ政権の姿勢に北朝鮮は反発しつつも、米国との交渉へのテーブルに着いていた。

 02年10月、朝米高官協議で北朝鮮は、すでに核保有 (高濃縮ウラン爆弾)していることを非公式に表明した。

 そのことで米国は態度を硬化させ、朝米関係は緊張し、核危機が訪れていた。

 02年の核危機は米国が仕掛けたのである。

 ブッシュ氏は何故、北朝鮮への怒りや不信感情を、日本・小泉政権に託したのであろうか。当時の朝鮮半島情勢がそれを物語っている。

 同時期、もう一方の同盟国であった韓国が、南北共同宣言(2000年6月15日)によって、南北協調路線(わが民族同士)の政策を進めていたためであった。

 北朝鮮への姿勢を硬化させていたブッシュ政権は、そのような金大中政権を無視(政策的にも冷たくあしらって)して、「拉致問題」を抱えていた小泉政権を利用して、北朝鮮への封じ込め戦略を考えた結果であった。

 ブッシュ政権もまた、拉致問題を国際社会が北朝鮮に圧力を掛けていくための「梃子」として活用することに、魅力を感じていた。


5.北朝鮮の立場

 どの様な問題にも時間は経過し、周年を迎える。

 日朝平壌宣言も、今年の9月で10周年を迎えた。

 10周年だというのに、日朝双方とも、いかなる記念事業も行わず、祝言さえも互いに発表しないという、異常な風景を展開している。

 朝鮮中央通信社は宣言調印10年の9月17日、『朝日関係改善は日本の態度次第である』と題する論評を発表した。

 「・・・宣言には、忌まわしい過去を清算し、互いの安全を脅かす行動を禁止し、東北アジアの平和と安全のために相互協力することで、関係改善の新しい歴史を創造しようとする両国人民の意志が反映されている。朝鮮政府は、朝日平壌宣言の順調な履行のためにできる限りの努力を尽くした。しかし、日本はこれとは相反して初めから宣言の基本精神を歪曲し、冒涜し、その履行をどの条目も全て破綻させた」として、宣言履行のために、日本は米国の対朝鮮敵視政策に便乗して無駄な時間を消費したと批判をした。

 さらに「・・・拉致問題に従事する政府機関と謀略機関を至るところに設置して、保守政治家の人気を上げる道具に、拉致問題に寄りすがる連中の金もうけの手段にまで転落させたことで、世界のどこにも見られない『拉致産業』をつくり上げた。・・・朝日平壌宣言をあくまでも履行しようとする共和国の立場には今日も、明日も変わりがない」と主張し、「・・・朝日関係が新世紀に国際社会の期待と両国人民の要求に即して正常化の道に進むのか、または不正常な対決の道に引き続き進むのかというのは、全的に日本の態度次第である」と結んでいる。

 一方の日本はどうか。

 政府及び外務省からは、一片のコメントもなかった。

 代わって、日本人遺骨問題の協議に端を発した政府間(局長級)会合関係で、9月17日までの会合を行う方向で、拉致問題を議題化した-などと、平壌宣言を意識しながらも、宣言とは関係のない問題ばかりで右往左往していた。

 そうした野田政権の現実を見ていると、日朝平壌宣言からの10年間のことなど、何も考えていないのではないかとさえ思える。

 米国が現在、大統領選挙の最中で、対北朝鮮政策が組み立てられないことに歩調を合わせているのではないのかと勘ぐってしまう。

 日朝平壌宣言が確認しているように、日本は北朝鮮との国交正常化を実行する前に、必ず過去の植民地政策を清算する必要があった。

 それは朝鮮半島のためではない。

 過去の清算問題は、日本自身の責任問題であったのと同時に、国際社会の中で日本が主体的な活動ができるのかどうかの試金石でもあったのだ。

 日本はそうした自覚と責任感に欠けていたがために、米国の要請だけを受け入れて、北朝鮮への制裁強化と誹謗発言を繰り返し、10年を無駄にしてしまった。

 日本は国家として、北朝鮮とともに米国に対しても、正面から向き合ってこなかったことの政治的つけが今、拉致問題の解決を難しくしてしまっている。

 拉致問題解決への責任は、日朝両政府が負っているのは勿論である。

 解決への最も確実な方法は、日朝平壌宣言の精神に立ち返り、宣言の精神に沿って政府間交渉を続けることである。

 宣言には、日本側が課している経済制裁の項目などはないのだから、当然のこと、政府間交渉を行うのであれば、それらを解除しなければならない。

 4年前、問題解決に向かって動き出したことを思い出せばいい。

 日本が経済制裁の一部を解除することと、北朝鮮側が拉致被害者の調香委員会を設置することで合意した。

 これは双方が、宣言の精神を尊重したからである。

 残念ながら、その直後に福田康夫首相(当時)が辞任し、後継内閣がそれを無視したために、頓挫してしまった。

 日本の政治家たちは、無責任に「拉致問題の解決を」とだけ唱えているのではなく、協議が動き出したことと、頓挫してしまったこととの、その両方の学習をしっかりと行う必要がある。


                                      2012年10月13日 記

「第二報 4年ぶりの日朝政府間交渉の行方」

「第二報 4年ぶりの日朝政府間交渉の行方」

                                               名田隆司


 8月の日朝協議で局長級会合の開催を合意していたが、日本側の稚拙な協議の運営のためトラブっていた。

 北朝鮮側との調整が8日に整い、中国・北京で協議を行う方向になったと、複数の日本政府関係者が明らかにしたことを一部の新聞が伝えた。(9日付)

 それが事実とすれば、結構なことで、裏面交渉で努力を行ってきた外務省担当者を多としたい。

 ところが一方では、野田政権内部の一部から「拉致が議題とならない協議は続けられない。(拉致のことが)ゼロ回答ならば別の対応が進められるだろう」などと声があり、交渉への真剣度がまたしても疑われる。

 このように、拉致問題を第一議的に主張する側は、今回の日朝政府間交渉の本質的理由を都合よく無視している。また、独善的にも陥っている。

 今回の政府間交渉のきっかけは、終戦直後に北部朝鮮地域で死亡した日本人の遺骨問題を解決することであった。

 多くの遺族たちが会員となっている「全国清津会」が、長年、埋葬地での墓参を果たしたいとする念願が、やっと実現されようとしている時である。

 そのような時に、野田政権側が「拉致問題が第一議題」だと言っているようでは、筋違いだとして、またしても交渉は,難航するか決裂するだけである。

 日本人遺族たちは8月以降、2回(30数人が参加)の墓参によって、2万余体の遺骨が埋まっている場所や、受け入れの北朝鮮側の意思などを確認したうえで、今後は「北遺族連絡会」(18日に結成総会)が窓口となり、墓参がスムーズに行くことを願っている。

 そのための政府間交渉と、日本政府の支援を要請している。

 だから、今回の日朝政府間交渉の成功に強い期待を持っている。

 万が一、日本が局長級会合をスムーズに進められない場合、当分また、政府間交渉が遠去ってしまう可能性がある。

 その場合,日本人遺族達の期待に背き、彼らの気持ちを裏切ることになってしまう。

 それだけではなく,国内的には「北遺族連絡会」と「拉致被害者家族会」との反目と対立感情を煽ることになってしまう。

 同時に、北朝鮮側も野田政権とは、何事も解決できない無能政権である事を見定めてしまうだろう。

 こうした最悪、最低の結果を招かないためにも、外交交渉の基本であるところの、共通テーマ(日本人遺骨問題)を誠実に消化していくことこそが、求められる。

 そこから、交渉と協議を議題内容を発展させ、追及していく態度こそが、現在の困難な日朝間交渉を進めていくための原則論ではないかと思う。

 それでこそ、拉致被害者家族会が要求する難問解決にもつながっていくのではないか。

 「拉致問題第一」を主張している限り、協議の入口にも立てなかったことを、しっかりと学習する時期にもきている。

 そういった学習ができているのなら、

 拉致が政治問題化して以降、北朝鮮に課している政治・経済制裁のうちの、どれか一つを外しておくことが、日本が本交渉にかける本気度をアピールすることになる。

 制裁法を解除するには、閣議決定や米国との調整が必要で、多少の時間が必要で難しいのであれば、水害見舞いとその支援を表明することをすすめる。

 水害への支援はあくまで人道問題であり、日本人遺骨問題や拉致問題もまた、人道上におけるテーマであったのだから、別段、奇異なことではない。

 そうすることで、日本はしっかりとしたメッセージを発することになり、引いては局長級会合での成果も得られるだろう。


                                      2012年10月10日 記
プロフィール

takasi1936

Author:takasi1936
愛媛現代朝鮮問題研究所のブログです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR