「国連での核兵器『非合法化』と『廃絶』合戦」
「国連での核兵器『非合法化』と『廃絶』合戦」
名田隆司
1.核兵器「非合法化」案の内容
ニューヨークで開催中の国連総会第1委員会(軍縮)で、日本はおかしな動きをしている。同委員会に提出される核兵器決議に対する、「非合法化」と「廃絶」の両案を巡っての、日本側の対応のことである。
核兵器の「非合法化」プランについては、スイスやノルウェーなど16カ国(注-22日の提案の時点では、タイ、チリなど約30カ国が参加)が「核兵器を非合法化する努力の強化」 (核兵器の非人道性を訴える内容)声明案として提出しようとしているものである。
声明案では「核使用がもたらす人道上への深い憂慮」を表明し、広島や長崎への原爆投下がもたらした「恐るべき帰納」にも触れている。
そして、核兵器の不使用を「保証する唯一の道筋」こそが「完全で不可逆的で検証可能な核兵器廃絶」であると言及し、核兵器を「非合法化」し、「核なき世界」を実現していく努力を(各国が)強化していくべきだとする、内容になっている。
声明案は従来にはない強い調子で、現核兵器保有国に対して「不可逆的で検証可能」とする「核兵器廃絶」を要求している。
さらに、広島や長崎での被爆者への人道的な現実にも触れていて、世非で唯一の被爆国日本こそ、この声明に賛同し、共同提案国に名を連ねるべきではなかったのか。
声明を作成した16カ国は、声明案への署名を日本側に打診していたが、日本は署名に応じないことを決めたようである。
外務省を中心に政府内で打診した結果、現実に核兵器が存在する間は、核抑止力を中心とする米国の核拡大抑止(米国の核の傘をかぶること)政策をとっているため、核「非合法化」の声明案とは矛盾するためだとしている。
これは、日本は今後とも、米国からの「核の傘」政策を追及していくのだということを、世界に公表したことと同じである。
だが、同じように米国の核の傘の下にいる北大西洋条約機構(NATO)加盟国のノルウェーとデンマークは、共同声明案16カ国に含まれている。
こうした現実を、被爆者たちはどのように理解するだろうか。
米国との政治的距離間だと言ってしまえばそれまでだが、国際政治への責任の取り方や人道問題への認識の違いが、究極的な殺人兵器である核兵器に対して、政治的スタンスの取り方の違いとなって現れているのではないのか。
日本は唯一の被爆国だ。
今も原爆によって大勢の人たちが苦しんでいる国として、核使用と核保有の非人道性を強調しても強調し過ぎではない地点に立っている。
であるからこそ、核兵器保有国に対する「完全な検証」と核の廃絶を要求していく使命を担っていたはずである。
それを拒否して、米国の「核の傘」に安住する政策それ自体が、被爆者たちの心情までも裏切る行為になっている。
2.日本提案内容
一方で日本は、同じ国連総会第1委員会に、「核兵器廃絶決議」案を提出(10月18日)した。
決議案は、日本が主導して米国など69カ国 (さらに各国に共同提案参加を呼び掛けて居るようだ)で、 19年連続しての提出だという。
決議案は「核兵器なき世界」を実現させるために、核拡散防止条約(NPT)体制の順守と、 NPT未加盟国の速やかな加盟の重要性を強調し、核保有国には核兵器の全廃に向けての努力を求めている。
さらに、北朝鮮に対して「ウラン濃縮計画と軽水炉建設」などの核開発のはか、長距離弾道ミサイルへの懸念を表明している。
基本的には、 NPT体制による核拡散防止の実現である。
核拡散防止体制は、米オバマ政権の主張であり、米国の核政策そのものである。
バラク・オバマは大統領就任直後、プラハ演説で「核兵器のない世界」を提案し、国際社会から歓迎された。
オバマの「核兵器のない世界」の内容は、
1.核兵器が存在するかぎり、(米国は)抑止のための核兵器備蓄は維持する。しかし、冷戦期の思考を終りにし、国家安全保障戦略上の核兵器の役割は縮小し、他国にもこれを促す。
2.NPTを基礎として国際査察を強化し、ルール違反には迅速に代償を支払わせる体制をつくる。
3.差し迫った脅威であるテロリストの核兵器取得を阻止するべく行動する。
-というものであった。
続く10年4月に、「核態勢見直し報告」(核戦略指針)を発表した。
その中心的な命題は、1.核拡散と核テロを防止する、 2.アメリカの安全保障戦略における核兵器の役割を縮小する、 3.削減された核戦力レベルにおける概略的抑止力と安定を維持する、 4.地域の抑止力強化と同盟国およびパートナーに対する再保証を行う、5.安全かつ有効な核兵器備蓄を維持する-としている。
以上でみたとおり、オバマ政権の「核兵器のない世界」とは、NPT体制の維持(核常任理事国以外に核保有を認めない)と、核の削減による核兵器の維持である。
核削減にしても、ロシアとの「戦略兵器削減条約」(新START条約)で、モスクワ条約(91年のSTART1)比で核弾頭数が3割弱、弾道ミサイルなどの戦略運搬手段を5割強削減することで、米国とロシアが合意した「核弾頭」削減のことである。
つまり、米国が言う核削減とは、核大国の米ロが現有している核弾頭の数を削減することであって、核兵器そのものの削減とか、ましてや核兵器全廃のことではないのである。
米国は今年の4~6月にかけて、ニューメキシコ州サンディア国立研究所で、核兵器の性能を調べるためのプルトニウムを使った新タイプの実験を行っている。
これは昨年に続いて5回目だという。
日本が国連第1委員会で主導している「核兵器の廃絶」の表現での「廃絶」の意味は、核弾頭数を削減することであったから、オバマ政権が主張している「核兵器のない世界」と同じ夢を見ていることになる。
そのような意味で、16カ国が提案する核兵器の全廃を目指す「核の非合法化」内容とは全く違っていることになる。
3.米国の核政策
米国の核軍備管理の考え方とその政策について、簡単に振り返ってみる。
NPTが核兵器国と定義するのは、1967年1月1日までに核兵器そのはかの核爆発装置を製造し、爆発させた米、ソ、英、仏、中の5カ国のことである。
1970年に発足して以来、核不拡散(5カ国以外)と原子力の平和的利用、核兵器国の核軍縮交渉義務を規定した多国間条約として、核保有5カ国にとって安定した枠組みと機能を果たしてきたといえる。
冷戦体制後、インドとパキスタン(1998年)が、北朝鮮(06年と09年の核実験を経て2010年)が、イラク・シリア・リビア・イランなどで核兵器開発疑惑が相次ぐなかで、米同時多発テロの9・11によって、米国は非国家主体による核テロリズム(核兵器の盗取、原子力関連施設への破壊工作など)の脅威、核拡散の懸念と恐怖を強く感じるようになった。
ブッシュ政権時代の米国は、03年の「拡散に対する安全保障構想」(核兵器を含む大量破壊兵器、ミサイルおよびそれらの関連物質を阻止するために、参加国が国際法と各国国内法の範囲内でとりうる措置を検討し、実践する)と、04年の「安全理決議第1540号」(国際テロリストなどの非国家主体に大量破壊兵器を拡散させないよう各国が適切に法整備を行い、これを実施することを求めた内容)、さらに06年の「国際原子力パートナーシップ」(NPTを補強して、核拡散懸念国や非国家主体に目配りすること)-などと、核兵器不拡散の多国間アプローチを、各国に強要していた。
その一方で、米国自身は代替核弾頭や強力地中貫通型核爆弾、核爆弾の小型化など、実戦での使用可能な核兵器の研究開発を進めていた。
こうした二重基準、一国主義的な姿勢に対して、国際社会は一面では米国を批判しても、米国が主張する核兵器不拡散枠組み体制で歩調を揃えた。
09年に登場したバラク・オバマは、プラハでの「核兵器のない世界」演説でノーベル平和賞を受賞した。
オバマは、核兵器は拡散しており、テロリストが核兵器を購入、製造、盗取する可能性を否定できず、核攻撃のリスクはむしろ高まっていると指摘して、ブッシュよりもスマートな表現で、ブッシュと同じ核不拡散体制づくりを強調した。
オバマが言う「核兵器のない世界」とは、核兵器が存在するかぎり、抑止のための核兵器備蓄は維持するといった、自己矛盾的な姿勢でしかない。
核兵器大国の米国が、自らの核兵器を完全に廃棄しない限り、世界から核兵器が永久になくならないだろう。
仮に「START」方式をロシア以外の、英・仏・中との間で厳密に実施したとしても、結局、まだ多くの核兵器が米国に残るのである。
米国自身が追求しているNPT体制における核不拡散や「START」方式での核兵器「全廃」表現は、最絶的に米一国だけが、核兵器を保有することを狙ったものである。
このように核兵器廃棄に関連する既存のどのプランも、米国に有利な仕組みになっていて、不道徳不合理なものである。
4.16カ国プランをこそ
日本が国連で汗をかいている「核兵器廃絶決議」は結局、米国の核政策の掌の中に収まっていくものだ。
だから、米国は、安心して日本案を指示している。
確かに、16カ国安も日本案も、ともに核兵器の「廃絶」という表現を使用していて、紛らわしい。
しかし日本案の表現の裏には、核弾頭数の「廃棄」姿勢が隠されていることを指摘した。
16カ国提案の場合は、核兵器の単な廃業ではなく、核兵器保有国への「完全かつ不可逆的な検証」を行うとしているのだから、これが実現した場合には、世界から完全に核兵器が「廃絶」されていく道筋が示されている。
しかも、国連の場で核兵器そのものを「非合法化」していくというのであるから、核弾頭の「廃棄」などと、曖昧なことでは通用しないことになっている。
全世界から核兵器を廃絶し、核による恫喝も、核からの被害や犠牲も、完全に終止符をうつプランとして、16カ国案の方がはるかにに優れている。
世界で唯一の被爆国の日本は、またしても米国の核兵器政策のお先棒を担ぐのではなく、16カ国案に賛同し、提案している「核兵器廃絶」案との整合性をつけるべきではなかったのか。
2012年10月20日 記
名田隆司
1.核兵器「非合法化」案の内容
ニューヨークで開催中の国連総会第1委員会(軍縮)で、日本はおかしな動きをしている。同委員会に提出される核兵器決議に対する、「非合法化」と「廃絶」の両案を巡っての、日本側の対応のことである。
核兵器の「非合法化」プランについては、スイスやノルウェーなど16カ国(注-22日の提案の時点では、タイ、チリなど約30カ国が参加)が「核兵器を非合法化する努力の強化」 (核兵器の非人道性を訴える内容)声明案として提出しようとしているものである。
声明案では「核使用がもたらす人道上への深い憂慮」を表明し、広島や長崎への原爆投下がもたらした「恐るべき帰納」にも触れている。
そして、核兵器の不使用を「保証する唯一の道筋」こそが「完全で不可逆的で検証可能な核兵器廃絶」であると言及し、核兵器を「非合法化」し、「核なき世界」を実現していく努力を(各国が)強化していくべきだとする、内容になっている。
声明案は従来にはない強い調子で、現核兵器保有国に対して「不可逆的で検証可能」とする「核兵器廃絶」を要求している。
さらに、広島や長崎での被爆者への人道的な現実にも触れていて、世非で唯一の被爆国日本こそ、この声明に賛同し、共同提案国に名を連ねるべきではなかったのか。
声明を作成した16カ国は、声明案への署名を日本側に打診していたが、日本は署名に応じないことを決めたようである。
外務省を中心に政府内で打診した結果、現実に核兵器が存在する間は、核抑止力を中心とする米国の核拡大抑止(米国の核の傘をかぶること)政策をとっているため、核「非合法化」の声明案とは矛盾するためだとしている。
これは、日本は今後とも、米国からの「核の傘」政策を追及していくのだということを、世界に公表したことと同じである。
だが、同じように米国の核の傘の下にいる北大西洋条約機構(NATO)加盟国のノルウェーとデンマークは、共同声明案16カ国に含まれている。
こうした現実を、被爆者たちはどのように理解するだろうか。
米国との政治的距離間だと言ってしまえばそれまでだが、国際政治への責任の取り方や人道問題への認識の違いが、究極的な殺人兵器である核兵器に対して、政治的スタンスの取り方の違いとなって現れているのではないのか。
日本は唯一の被爆国だ。
今も原爆によって大勢の人たちが苦しんでいる国として、核使用と核保有の非人道性を強調しても強調し過ぎではない地点に立っている。
であるからこそ、核兵器保有国に対する「完全な検証」と核の廃絶を要求していく使命を担っていたはずである。
それを拒否して、米国の「核の傘」に安住する政策それ自体が、被爆者たちの心情までも裏切る行為になっている。
2.日本提案内容
一方で日本は、同じ国連総会第1委員会に、「核兵器廃絶決議」案を提出(10月18日)した。
決議案は、日本が主導して米国など69カ国 (さらに各国に共同提案参加を呼び掛けて居るようだ)で、 19年連続しての提出だという。
決議案は「核兵器なき世界」を実現させるために、核拡散防止条約(NPT)体制の順守と、 NPT未加盟国の速やかな加盟の重要性を強調し、核保有国には核兵器の全廃に向けての努力を求めている。
さらに、北朝鮮に対して「ウラン濃縮計画と軽水炉建設」などの核開発のはか、長距離弾道ミサイルへの懸念を表明している。
基本的には、 NPT体制による核拡散防止の実現である。
核拡散防止体制は、米オバマ政権の主張であり、米国の核政策そのものである。
バラク・オバマは大統領就任直後、プラハ演説で「核兵器のない世界」を提案し、国際社会から歓迎された。
オバマの「核兵器のない世界」の内容は、
1.核兵器が存在するかぎり、(米国は)抑止のための核兵器備蓄は維持する。しかし、冷戦期の思考を終りにし、国家安全保障戦略上の核兵器の役割は縮小し、他国にもこれを促す。
2.NPTを基礎として国際査察を強化し、ルール違反には迅速に代償を支払わせる体制をつくる。
3.差し迫った脅威であるテロリストの核兵器取得を阻止するべく行動する。
-というものであった。
続く10年4月に、「核態勢見直し報告」(核戦略指針)を発表した。
その中心的な命題は、1.核拡散と核テロを防止する、 2.アメリカの安全保障戦略における核兵器の役割を縮小する、 3.削減された核戦力レベルにおける概略的抑止力と安定を維持する、 4.地域の抑止力強化と同盟国およびパートナーに対する再保証を行う、5.安全かつ有効な核兵器備蓄を維持する-としている。
以上でみたとおり、オバマ政権の「核兵器のない世界」とは、NPT体制の維持(核常任理事国以外に核保有を認めない)と、核の削減による核兵器の維持である。
核削減にしても、ロシアとの「戦略兵器削減条約」(新START条約)で、モスクワ条約(91年のSTART1)比で核弾頭数が3割弱、弾道ミサイルなどの戦略運搬手段を5割強削減することで、米国とロシアが合意した「核弾頭」削減のことである。
つまり、米国が言う核削減とは、核大国の米ロが現有している核弾頭の数を削減することであって、核兵器そのものの削減とか、ましてや核兵器全廃のことではないのである。
米国は今年の4~6月にかけて、ニューメキシコ州サンディア国立研究所で、核兵器の性能を調べるためのプルトニウムを使った新タイプの実験を行っている。
これは昨年に続いて5回目だという。
日本が国連第1委員会で主導している「核兵器の廃絶」の表現での「廃絶」の意味は、核弾頭数を削減することであったから、オバマ政権が主張している「核兵器のない世界」と同じ夢を見ていることになる。
そのような意味で、16カ国が提案する核兵器の全廃を目指す「核の非合法化」内容とは全く違っていることになる。
3.米国の核政策
米国の核軍備管理の考え方とその政策について、簡単に振り返ってみる。
NPTが核兵器国と定義するのは、1967年1月1日までに核兵器そのはかの核爆発装置を製造し、爆発させた米、ソ、英、仏、中の5カ国のことである。
1970年に発足して以来、核不拡散(5カ国以外)と原子力の平和的利用、核兵器国の核軍縮交渉義務を規定した多国間条約として、核保有5カ国にとって安定した枠組みと機能を果たしてきたといえる。
冷戦体制後、インドとパキスタン(1998年)が、北朝鮮(06年と09年の核実験を経て2010年)が、イラク・シリア・リビア・イランなどで核兵器開発疑惑が相次ぐなかで、米同時多発テロの9・11によって、米国は非国家主体による核テロリズム(核兵器の盗取、原子力関連施設への破壊工作など)の脅威、核拡散の懸念と恐怖を強く感じるようになった。
ブッシュ政権時代の米国は、03年の「拡散に対する安全保障構想」(核兵器を含む大量破壊兵器、ミサイルおよびそれらの関連物質を阻止するために、参加国が国際法と各国国内法の範囲内でとりうる措置を検討し、実践する)と、04年の「安全理決議第1540号」(国際テロリストなどの非国家主体に大量破壊兵器を拡散させないよう各国が適切に法整備を行い、これを実施することを求めた内容)、さらに06年の「国際原子力パートナーシップ」(NPTを補強して、核拡散懸念国や非国家主体に目配りすること)-などと、核兵器不拡散の多国間アプローチを、各国に強要していた。
その一方で、米国自身は代替核弾頭や強力地中貫通型核爆弾、核爆弾の小型化など、実戦での使用可能な核兵器の研究開発を進めていた。
こうした二重基準、一国主義的な姿勢に対して、国際社会は一面では米国を批判しても、米国が主張する核兵器不拡散枠組み体制で歩調を揃えた。
09年に登場したバラク・オバマは、プラハでの「核兵器のない世界」演説でノーベル平和賞を受賞した。
オバマは、核兵器は拡散しており、テロリストが核兵器を購入、製造、盗取する可能性を否定できず、核攻撃のリスクはむしろ高まっていると指摘して、ブッシュよりもスマートな表現で、ブッシュと同じ核不拡散体制づくりを強調した。
オバマが言う「核兵器のない世界」とは、核兵器が存在するかぎり、抑止のための核兵器備蓄は維持するといった、自己矛盾的な姿勢でしかない。
核兵器大国の米国が、自らの核兵器を完全に廃棄しない限り、世界から核兵器が永久になくならないだろう。
仮に「START」方式をロシア以外の、英・仏・中との間で厳密に実施したとしても、結局、まだ多くの核兵器が米国に残るのである。
米国自身が追求しているNPT体制における核不拡散や「START」方式での核兵器「全廃」表現は、最絶的に米一国だけが、核兵器を保有することを狙ったものである。
このように核兵器廃棄に関連する既存のどのプランも、米国に有利な仕組みになっていて、不道徳不合理なものである。
4.16カ国プランをこそ
日本が国連で汗をかいている「核兵器廃絶決議」は結局、米国の核政策の掌の中に収まっていくものだ。
だから、米国は、安心して日本案を指示している。
確かに、16カ国安も日本案も、ともに核兵器の「廃絶」という表現を使用していて、紛らわしい。
しかし日本案の表現の裏には、核弾頭数の「廃棄」姿勢が隠されていることを指摘した。
16カ国提案の場合は、核兵器の単な廃業ではなく、核兵器保有国への「完全かつ不可逆的な検証」を行うとしているのだから、これが実現した場合には、世界から完全に核兵器が「廃絶」されていく道筋が示されている。
しかも、国連の場で核兵器そのものを「非合法化」していくというのであるから、核弾頭の「廃棄」などと、曖昧なことでは通用しないことになっている。
全世界から核兵器を廃絶し、核による恫喝も、核からの被害や犠牲も、完全に終止符をうつプランとして、16カ国案の方がはるかにに優れている。
世界で唯一の被爆国の日本は、またしても米国の核兵器政策のお先棒を担ぐのではなく、16カ国案に賛同し、提案している「核兵器廃絶」案との整合性をつけるべきではなかったのか。
2012年10月20日 記
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