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「日朝平壌宣言」の再考を

「日朝平壌宣言」の再考を

                                               名田隆司


 地方新聞社などが加盟している日本世論調査会が6月9. 10両日実施した「外交、危機管理」に関する全国面接世論調査の結果を16日に発表した。
 
 全国250地点から20才以上の男女3千人(1億人余の有権者の縮図となるよう)を選び、 9、 10の両日、調査員がそれぞれ直接面接しての回答であった。 (回収率は59. 8%であった)

 質問のなかに「日本と北朝鮮による政府間協議は2008年8月以来、途絶えています。あなたは日朝協議についてどのようにお考えですか」との、拉致問題に関するものがあった。

 回答内容は、イ「拉致問題などの進展を前提に政府間協議を再開するのがよい」 71. 2% ロ「前提条件を付けずに再開するのがよい」 16. 1% ハ「再開しなくてよい」9. 7% 二「その他」0. 4% ホ「分からない無回答」2. 6% という結果であった。

 「政府間協議を再開するのがよい」とする人々が、イとロを合わせて87. 3%もいたことになる。極めて常識的な世論の声であった。

 しかも、この世論調査が 4月の「北の長距離弾道ミサイル」騒動報道の直後であったという意味は、政府などが推進している北朝鮮敵視政策を批判していることにもつながる。

 これまで北朝鮮へのネガティブ・キャンペーンがテーマを変えて、繰り返し報道されてきたために、今では「北朝鮮との正常化を」「北朝鮮との交渉を」と言うことさえ、タブー視する雰囲気が日本社会全体を覆っている。

 このため、正常な北朝鮮理解を妨げる一方、在日朝鮮人を抑圧し、朝鮮学校の生徒・学生たちにさえ、罵声を浴びせてしまう社会が常態化してしまっている。

 こうした排外主義思考、反朝鮮思考が成立してしまったのは、北朝鮮と向き合う政府のスタンスにあった。

 拉致問題に対する政府のスタンスは自民党・安倍晋三内閣以降、現野田佳彦内閣までほとんど変わっていない。 (むしろ、経済制裁などを強化してきている)

 つまり、安倍政権成立の3日後 (06年9月)に首相を本部長、官房長官を副本部長、全閣僚を部員とする「拉致問題対策本部」を設置した時からのものであった。

 対策本部第1回会合(10月16日)では、「拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化は有り得ない」ことを確認すると同時に、「政府一体となって、すべての拉致被害者の生還を実現」することを宣言した。

 さらに、12月10日より15日までを「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」として、政府キャンペーンをする一方、各都道府県学校に実施を要請してきた。

 その政府広報広告中には「すべての拉致被害者が生きているとの前提に立ち、被害者全員の奪還に総力をあげて取り組んで」いくとし、「拉致問題はわが国の最重要課題」だと強調してきたことが今日まで続き、社会全体を自己規制させた。

 そうした表現や態度からは、「日朝平壌宣言」(02年9月)の基本精神を無視したうえで、拉致問題を解決していくとする意欲と意思よりも、「嫌北朝鮮」「反北朝鮮」の政治キャンペーンに利用し、保守色の強い政権の人気維持に活用してきたように思う。

 日朝平壌宣言には「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」を協議し、解決していくことを確認している。
 
 「懸案問題」とは「拉致問題」のことであったのだから、平壌宣言を尊重し協議を進めていたら、解決への出口が見えていたのではなかろうか。
 
 先の世論調査結果の「政府間協議再開」を支持する声が約90%近くもあったということが、何よりもそれを証明しているだろう。
 
 今年は日朝平壌宣言10周年を迎える。

 日本が宣言を無視してきたために、貴重な 10年を失ってしまったことになる。

 「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」 (家族会)と「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」 (救う会)では、今年を「勝負の年」だと位置付けて、 1千万署名運動 (10月31日まで)を行っている。

 政府に対して早期の救出要請を行うためだとしているのだが、その要請内容が、先の世論調査の意見と同じように早期の「政府間協議再開」のことなのか、それとも従来からの制裁強化なのか-署名趣意書からでは不明である。

 私は、日朝平壌宣言10周年に当たる今年をこそ、宣言の精神を尊重して北朝鮮との協議再開とその必要性を、野田政権に強く要請するものである。

 そのことが拉致問題の早期解決を含む、日朝間に横たわる「懸案問題」を解決していく早期で唯一の道だと考えるからである。


2012年6月17日
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「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ⑦未来を開くために

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ⑦未来を開くために

                                名田隆司 (愛媛現代朝鮮問題研究所代表)

 
 米国の国際行動原理は、他国とのきわどい交渉をする際には、必ず「言葉の石碑」とも言える罵倒雑言を相手に浴びせ、やがて経済制裁を発動し、他国もそれに従うように要求 (国連の場)していく。
 
 特に共和国との場合では、敵国関係であったから「言葉の石礫」は、最も厳しく行き交い、しばしば戦争前夜にまで行き着くことがある。
 
 米国に忠実な日本などは、米国が「言葉の石礫」を投げ付けた段階で、米国より先回りして政治的・経済的制裁を用意してしまうことがある。

 ところが当の米国は、戦争前夜状態になっても様々な非公式ルートを使って (ニューヨークの国連本部など)、共和国との話し合いを進めている場合がある。
 
 その結果、一つの合意点を発表することがある。
 
 こうした方式は米国一流の外交術で、決裂と見せかけて合意点を探しだし、他国を出し抜いて発表することで、経済的利権を独り占めしていく方式である。
 
 共和国との関係では、米国が常にリードしているのだと世界に思わせるため、日本政治を牽制し弾圧することがある。
 
 ところが今の日本は、共和国とは裏ルートも持ち合わせていない。

 だから、米国や南朝鮮にしばしば出し抜かれ、国際舞台 (六者協議でも)での孤立感を強いられてしまうのである。
 
 こうした姿となったのは、日本が過去を清算していないからだ。
 
 過去の歴史清算をサボタージュしてきたために、自らつくり上げた「反北朝鮮」「北朝鮮脅威」の隠れ蓑にすがりつかざるを得ず、そのことが共和国を含むアジア諸国からは、帝国主義的姿勢だとの批判を受けている。
 
 過去を隠すことからは、未来は開けてはこない。
 
 今年9月になると、日朝平壌宣言 10周年を迎える。
 
 10年という歳月は、二国間の友好交流を前提にしておれば、懸案や難問の多くが解決へと向かっていただろう。
 
 一方、双方に不信の感情を乗り越えていく努力がなければ、冷たい関係のままが続いていく。
 
 日本は様々な理由を付けて共和国と対話を行う努力をしてこなかったばかりか、 08年からは政府間対話とその窓口さえも断ち切ってしまった。
 
 私は日朝平壌宣言を評価しているが、宣言は何のために発表したのであろうか。
 
 日朝双方に横たわる懸案の問題を解決していく、話し合いの場を設けるためではなかったのか。
 
 日本と共和国との間では、日本の戦後処理問題がまだ終了していない。

 拉致や核を問題にした対話を行うにしても、その戦後処理・過去の清算を行ってこそ、問題解決を前に進めることができるのである。
 
 日朝平壌宣言を誠実に実行することは、日本自身のためなのである。
 
 日本の自主と平和構築のためなのである。
 
 いま一度、日朝平壌宣言の意義と内容を、理解することを日本政府に要求する。


2012年5月30日

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ⑥拉致問題解決のためには

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ⑥拉致問題解決のためには

                                名田隆司 (愛媛現代朝鮮問題研究所代表)

 
 米政府高官らと意見交換するために訪米 (5月6 -13日)した拉致被害者家族会のメンバーらは、キャンベル米国務次官補 (東アジア太平洋担当)やトナー米国務省副報道官ら米国務省、財務省の高官、上下両院議員、北朝鮮問題専門家約 20人と会談していたことが報じられた。
 
 同会の主要メンバーらは、過去にも何度かワシントン入りして、時の大統領や要人らと会談をしている。
 
 その最大の目的は、共和国への国際的圧力と経済的制裁の強化を要請することにあったようである。
 
 今回、キャンベル国務次官補が、国際結婚が破綻した夫婦の一方が子供を無断で日本に連れ帰る事例 (ハーグ条約を日本が締結していない問題)と、拉致問題とを「同時並行的にやってほしい」と要請したことに、認識の違いだと彼らは怒った。
 
 同会は拉致問題は「国家的な犯罪」だとしているため、家族間の親権問題とを結び付けた米国側の思慮不足を責めているのだろう。
 
 米国側がハーグ条約を取り上げた遠因に、日本が戦前に犯した朝鮮人「強制連行者」問題があったのではないかと考えている。
 
 朝鮮人強制連行は、国家的犯罪であり、しかも未だに日本国家は補償も謝罪もしていない。特に、共和国に居住している被害者や遺族たちに関しては、日本社会全体が認識不足の状態を続けていて、存在さえ否定している。
 
 このようなことで果たして、日本は人権先進国だと言えるのだろうか。
 
 「拉致被害」が国家的犯罪と言うなら、朝鮮人「強制連行」はそれ以前の重大な国家的犯罪である。
 
 その重大な国家的犯罪に対して、日本国家と日本人自身が忘却の彼方へと葬り去ろうとするのなら、「拉致被害」問題もまた、同じ方向を歩んでいく可能性があるだろう。
 
 拉致被害者が、強制連行者の「後衛」だと言われる所以である。
 
 2002年9月の「日朝平壌宣言」では、拉致問題と日本の過去問題をともに交渉で解決し、その事を日朝国交正常化につなげていくことを確認している。
 
 現在、日本政府などが主張し実行しているのは、「拉致・核・ミサイル」の先解決、とりわけ拉致問題の完全解決がなければ、日朝国交の交渉には入らないとしている。
 
 このような姿勢は、平壌宣言の精神に背いているのではないか。
 
 自ら調印した二国間宣言を無視する態度では、相手国からの信頼感をなくしてしまう。
 
 「拉致問題の先行解決」論は、余りにも非現実的な政治的言説になっていて、拉致被害者家族向けの政治的リップサービス表現になってしまっているのではなかろうか。
 
 被害者家族会の心情と状況を考えれば、一日も早く解決に向かって政治的に進めなければいけないことは、日本人であれば誰もがそのように願っている。
 
 にも関わらず、解決するための交渉当時国である共和国へは、政治・社会・経済的な圧力だけを強化していて、総ての窓口を閉ざしているのでは、解決への道がますます遠ざかっていくだけではないのか。
 
 解らないのは、被害者家族会の主要メンバーらがワシントンまで行って、共和国への制裁圧力を要請していることだ。
 
 共和国と米国とは現在、朝鮮戦争停戦協定による敵国関係にある。
 
 敵国の一方の国が、政治的・軍事的に圧力を強めていけば、必然的に熱戦へとエスカレートしていくことは、常識であろう。
 
 朝鮮半島で再び戦争が発生すれば、長距離弾道ミサイル級の兵器を保有している両国の状況からすれば、双方の被害は 50年代の朝鮮戦争の比ではなく、日本列島も無事には済まないだろう。
 
 そのような状況になれば、拉致被害者の安否確認など出来るはずもない。
 
 そうした認識があれば、朝鮮半島が平和的に安定し、少なくとも日朝の関係が未来志向を共有している状態であってこそ、拉致被害者の問題も早期に解決していくのではないかと考える。
 
 拉致被害者家族会がワシントンを訪問し、米政界の主要メンバーと会談できる特権を活用して、朝米平和協定を早期に締結するよう要請するのなら、国際世論をもっと動かせただろうと思う。それはまた、拉致被害者問題の早期解決にもつながるだろう。
 
 彼らは同時に、 04年に中国雲南省で行方不明になっている米国人について、北朝鮮によって拉致された可能性があるとの情報を提供したという。
 
 その情報が誰によってもたらされたのかは不明であるが、行方不明の米国人は「北朝鮮越境者」を手引きするビジネスを行っていた可能性も捨て切れない。
 
 ビジネス間のトラブル、または中朝国境で暗躍するキリスト教関係者間のトラブルに巻き込まれたとも考えられる。
 
 日本の「特定失踪者調査会」は、捜査困難者の行方不明者たちを、「北朝鮮による拉致の可能性がある」人たちだと確定していることにも疑問をもっている
 
 80年代中頃以降の行方不明者を、共和国と結び付けていくことには無理があるのではないか。
 
 日本警察の捜査能力にも問題があるものの、少なくとも日本国内での長期行方不明者については、再度、警察の捜査結果を精査し、その状況を公開して協力を仰ぐ必要があるのではなかろうか。
 
 拉致問題に関して、強硬一点張りの主張を許している背景には、「特定失踪者」を共和国の拉致事件と結び付けていく社会的心情と、反北朝鮮キャンペーンとが結び付き、リフレインとなっているからだろう。
 
 このような現実は、日本がまだ植民地史観、思考を清算できていないことの、社会現象だとも言える。
 
 戦時下での強制労働や未払い賃金問題。軍慰安婦らへの戦後補償問題。戦時強制動員された朝鮮・中国人労働者たちの生死が未だに知らされていない多くの遺族たちの問題。
 
 私たちは、こうした彼らの切実で苦しい声を、一度でも聞いたことがあるだろうか。
 
 日本政府が極めて深刻なこれら人道問題の解決を忌避してきたために、戦後処理に関して今なお、多くの未解決問題を抱えていることをしっかりと理解する必要がある。


2012年5月30日

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ⑤過去の清算とは

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ⑤過去の清算とは

                                名田隆司 (愛媛現代朝鮮問題研究所代表)

 
 日本自身の過去清算とは、旧植民地であった国・地域との戦争被害者に対する戦後補償問題だけではなく、日本の植民地体制観・思考とその解体・清算問題が含まれている。
 
 朝鮮半島の場合で考えてみよう。

 日本がポツダム宣言を受諾したことによって、朝鮮半島内の帝国日本は解体 (軍隊と植民地体制)された。このことによって領土としての朝鮮半島は、形式的には植民地関係が日本から清算されたと理解することができる。
 
 しかし、日本軍 (朝鮮軍)の武装解除名目で朝鮮半島に上陸したソ連軍と米軍は、そのまま冷戦対決の関係を持ち込み、朝鮮半島を分断してしまった。
 
 この朝鮮半島分断の現在進行形が、日本の植民地支配の責任問題を今日まであいまいにし、不問にもしてきた。
 
 そればかりか日本と朝鮮との戦後処理対策も、南北分断を前提に進行させていったため、朝鮮分断体制の固定化と現状に、日本は深く関与してしまった。
 
 サンフランシスコ講和条約、日米安保条約、日韓基本条約など、日本は分断固定化への鎖を朝鮮半島に幾重にも巻き付けて、 (帝国的)朝鮮関係の再構築を行ってきた。
 
 その結果、戦前から日本に居住していた朝鮮人のうち、予想以上の人たちが日本に留まることを余儀なくされて、「在日朝鮮人」としての人生を送らざるを得ない人々を誕生させてしまった。
 
 しかもその彼らに差別と抑圧で対応し、それは今も続いている。
 
 さらに朝鮮民主主義人民共和国との関係に至っては、未だに国交も結ばず敵視し、韓国については朝鮮植民地統治に対する解釈の違いのまま結んだ日韓基本条約によって、絶えず戦争被害者個人への戦後補償問題が提起されている。
 
 総てに不完全で、あいまいな関係に終始してきた。
 
 日本は65年の日韓基本条約・日韓請求権協定によって、個人の戦後補償の請求権については、日韓両政府間では決着済みだとの態度をとってきた。
 
 しかし朝鮮人、中国人、台湾人などの元捕虜や労働者たちは、日本政府や企業に責任と謝罪を求める裁判をつぎつぎと起こしている。
 
 元日本軍慰安婦などによる訴訟を含めた日本での「戦後補償裁判」は、 80件 (2004年現在)を越えて、さらに増えつつある。
 
 2004年 2月、韓国では「日帝強占下強制動員被害真相究明等に関する特別法」が制定され、 11月に「真相究明委員会」が設立された。
 
 2005年 2月から強制動員の被害申告や真相究明調査の申請が始まり、韓国政府による朝鮮人の強制動員の真相究明への動きがようやく始まった。
 
 「(日本)帝国への労務動員」は 1945年 8月の「大日本帝国」の崩壊とともに中止されたが、動員され被害にあった人々の心身に刻印された傷は、何年経っても癒えることはないのだ。
 
 彼らは日本政府や企業側に、カネではなく謝罪を求めていたのだ。
 
 日本政府は 90年8月、韓国政府の要請を受けて国・地方自治体、民間に保管されていた強制連行された人たちの不十分な名簿を、 17種計 7万 9578人分を提出しただけで、いまも謝罪はしていない。
 
 裁判所に至っては、切実な被害者たちの声すら聞くこともなく、不当にも門前払いを繰り返してきた。
 
 そのような日本に代わって韓国高裁が 2012年 5月、国家権力が関与したり、植民地支配と直結した「不法行為に起因する損害賠償請求権が、協定の適用対象に含まれるとみるのは難しい」として、強制連行者など勤労挺身隊の個人の戦争被害者の請求権は消滅していないとの判断を示した。
 
 この韓国高裁の判決は世界人権宣言にも合致しており、日本政府は韓国高裁の「個人の戦争被害者の戦後補償」判断を受け入れることによって、自らの植民地体制思考を解体するチャンスになるだろう。
 
 日本が植民地的なものを内在化して解体していないから、日本と共和国、南朝鮮、または在日朝鮮人との間で、政治的、民族的、人権的な問題が常に発生している。
 
 ということは、日本と朝鮮半島との旧植民地関係、戦後処理がほとんど解決されていないことを証明しているのだ。

 特に日本人の帝国主義的思考、植民地史観がまだ完全に清算されていない側面があり、様々なかたちで個人的にも社会的にも「過去」が噴出してくることがある。
 
 戦前、朝鮮・中国・旧満州に居住していた人たちの体験記や体験談が、60年代以降に多く出版された。
 
 その内容の大部分は、自身の引揚げ時の苦労話ばかりで、なぜ日本領土ではない地に住み、そこでどのような生活をしていたのか、地元の人たちとの関係はどうだったのかなどを問うこともなく、栄光と挫折談が中心になっていた。
 
 そこには日本帝国主義と植民地主義への意識や認識が欠落しており、植民者としての視点が全くといっていいほど欠けている。
 
 植民者たちは、無意識の中で植民地統治機構の一員に組み込まれ、自らの快適な生活を維持するための政治的役割を果たしていたのだが。
 
 その結果、現地の人々の貧乏・無知を見下げて、彼らの言語や文化を差別する思考が身についてしまった。 (国語常用政策がそれに拍車をかけた)
 
 そうしたまなざしは、戦後、在日朝鮮人に向けるようになっている。
 
 このように戦争体験を語るなかで、自らの被害事実だけを語っている限り、日本社会も個人もまだ帝国意識を払拭しきれてはいないといえよう。
 
 日本人自身が朝鮮半島との旧植民地支配体制を、しっかりと解体する必要がある。
 
 その一つに、在日朝鮮人の民族的自主権の回復を政策化し、そのことを尊重していくことを指摘しておきたい。

 戦前、日本は朝鮮人の歴史、文化、母語、名前を奪ってしまった。
 
 だから在日朝鮮人の戦後 (彼らにとっては解放)は、奪われてしまった民族的アイデンティティを、日本社会のなかで回復させる権利があった。
 
 それは母語や名前の回復であり、その場こそが民族教育を行う学校であったのだ。
 
 日本は、彼らのその当然の民族的権利の回復と継承を、尊重していく義務がある。
 
 にも関わらず、彼ら自身の力で創立し運営してきた民族学校を認めず、弾圧と差別を続けている。
 
 このような現実は、在日朝鮮人にしてみれば、戦前と変わらぬ日本政治・社会の監理下におかれていると感じているだろう。
 
 こうした現実の日本政治・社会こそ、植民地支配の清算 (過去の清算)を回避してきた表象のひとつだと言ってもいい。
 
 日本統治下で奪われてしまった民族的諸権利、民族的アイデンティティの回復を、在日朝鮮人たちは必然的に日本で追及することになった。
 
 朝鮮人にとっては民族自主権の回復要求ではあるが、同時に日本は自らの植民地支配体制と帝国主義思考の解体・清算的行為であった、ということを忘れてはならない。
 
 在日朝鮮人が要求してきた内容と意義を、自らの「過去の清算」と重なるものとして認識することができなかった日本人は、逆に、米国のアジア戦略と帝国的指導のもとに隠れて、東アジア冷戦下に再編され、位置付けされてしまった。
 
 そして帝国思考を温存したままの姿勢で、現在も朝鮮に向かっている。
 
 その象徴的なものの一つに、教育基本法の成立がある。
 
 1947年、教育基本法や学校教育法が制定された。
 
 日本人にとっては教育勅語に代わる戦後民主主義教育のスタートとなるのだが、在日朝鮮人にとっては皇民化教育からの自己回復と解放につながる民族教育が禁じられ、弾圧への法的根拠となった。
 
 当初、文部省学校教育局長 (47年 4月)は、朝鮮人学齢児童の就学義務はあるものの強制する必要はないこと、朝鮮学校を学校として認可することも問題はないとしていた。
 
 しかし 48年に入ると、 GHQの方針を受け入れた文部省は、朝鮮学校でも教育用語は日本語とし、教科書は日本の検定教科書を使用し、朝鮮語などの民族教科は正課ではないとして、民族性を全く否定してしまった。
 
 さらに朝鮮人も学齢に該当する者は、公私立の小中学校に就学する義務があると命じた。

 つまり、学校教育法に基づき私立学校は都道府県知事の認可を要し、学齢児・生徒を対象とする各種学校は認めない-朝鮮学校は認めない方針をとった。
 
 当然、在日朝鮮人たちはこの文部省通達に激しく抗議した。

 その過程で、兵庫県での「阪神教育闘争」 (48年4月24日)が起こったのだ。

 小沢有作氏は、「教育基本法と学校教育法の名において、朝鮮人学校の閉鎖-同化教育政策の復活が試みられた」ことは「植民地支配・同化教育の歴史にたいする責任の意識が欠落していたからだ」(「在日朝鮮人教育論・歴史編 1973年)と論じている。
 
 日本人が戦後民主主義の象徴と言って評価していた教育基本法が、在日朝鮮人に向かっては民族自主権を奪い取る武器となっていたことを、悲しく思う。
 
 そのことで日本は、皇民化教育の弊害を一掃する機会を失ってしまったことになる。
 
 冷戦を反映した治安対策上から、朝鮮学校を閉鎖したり弾圧したりしてきた歴史を清算できないまま、現在もなお、その在学生・卒業生たちに対する差別的処遇を何も改めていないことを、日本の排外主義政策だけでは片付けられない。
 
 この一事だけでも日本は依然として冷戦思考、帝国的思考を固守したまま、植民地政策を清算していなかったことが分かる。
 
 朝鮮高校への授業料無償化問題を放置したまま、野田政権が「北朝鮮脅威」を煽り立てているのは、植民地思考が清算していないことを、隠すためであったろう。
 
 再度、強調しておこう。
 
 朝鮮半島の分断も在日朝鮮人の存在も、その原因と結果のすべては日本にあったことを。
 
 日本の植民地主義思考にあったことを。


2012年5月30日

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ④「集団的自衛権」の運用

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ④「集団的自衛権」の運用

                                名田隆司 (愛媛現代朝鮮問題研究所代表)

 5月28日付のワシントン発時事ニュースは、海上自衛隊の護衛艦 2隻が前回 (2010年7月)の環太平洋合同演習(リムパック)で、他国の武力行使と一体化しかねない内容の「撃沈訓練」に実質参加していたことを伝えている。
 
 米海軍が主導する太平洋最大の多国間軍事演習(リムパック)は、その主たる目的を参加国間の共同軍事作戦能力や相互運用性の向上に置いている。

 そのため海上自衛隊の参加そのものが、集団的自衛権行使の抵触、武力行使の一体化などになるのではないかと、当初から問題視されていた。

 ハワイ沖周辺で 2年おきに実施されるリムパックに、海上自衛隊は 1980年から参加している。
 
 「リムパック 2012」は6月29日から 8月3日に実施し、日本を含む 22カ国、約 2万 5千人、艦船 42隻、航空機 200機以上が参加する予定。
 
 米豪との砲撃撃沈訓練も予想されることから、これは完全に集団自衛権行使の範囲に入っており、憲法9条違反になることは間違いない。
 
 中国と朝鮮の「脅威」を前提にしているオバマ米政権は、日本との問でアジア太平洋地域の戦略を重視した先の在日米軍再編計画見直しのなかで、グアム、北マリアナ諸島での日米共同訓練を目指すことで合意している。
 
 近年、海外での自衛隊訓練が拡大傾向にあることと、日本政府の「北朝鮮脅威」発言との背景は、軌を一つにしているのだ。
 
 陸上自衛隊の実戦部隊も毎年 9月、 1994年から米ワシントン州にある「ヤマキ・トレーニングセンター」 (演習場)で、実弾演習を行っていたことが知られている。
 
 自衛隊は、米本土で実戦演習を繰り返していて、すでに「軍隊」化している。
 
 ところで 89年 12月、米ソが冷戦終結を宣言した後も、米朝間は停戦協定を結んだままでの敵対関係にある。
 
 米国が冷戦後の軍事体制をアジア太平洋地域に移したのは、対朝鮮、対中国を牽制する戦略上の意味があった。
 
 しかし中国とは、 72年2月にニクソン・毛沢東の米中首脳会談以降、「米国債」の中国進出と同時に、中国が世界市場へと窓口を開いていく関係を強化していったのだ。
 
 その結果、米国のマネーが中国市場に流れ込めば流れ込むほど、中国の資本主義化路線は強固となり、米国自身はその果実を十分すぎるほど受けとってきた。
 
 今更、その甘い果実を米中とも、手放せなくなっている。

 それでも貪欲な資本主義は、米国は中国に「人権」を武器とし、中国は米国に「米国債」 売りを武器として攻め合いながら、双方は予定調和の利益を引きあい出す関係になっている。米中の軍事的競合は、市場拡大のための変種である。
 
 米国にとってアジアでの唯一の敵国は、だから朝鮮・共和国なのである。
 
 共和国が 93年 3月、核拡大防止条約(NPT)からの脱退を宣言して以降、朝米核対決が始まっていくのも、敵対関係だったからである。
 
 だから米国は 94年以降、朝鮮半島有事 (共和国の軍事行動を前提に)を想定した新たな米韓軍事共同作戦と、日米安保の「再定義」を必要としていたのである。
 
 日本もまた、朝鮮との過去清算をサボタージュするための、「北朝鮮脅威」の政治的背景が必要になっていた。
 
 94年以降の日米安保「再定義」「ガイドライン」「ロードマップ」での合意の中味は、日本は必ずしも受け身的に了解したのではない。
 
 日米ともに、「敵」概念としての社会主義「朝鮮民主主義人民共和国」を必要とし、指定したのが 90年代であった。
 
 95年2月、米国防総省は「東アジア戦略報告」 (EASR)を発表して、共和国が武力侵攻をする可能性を示唆した。
 
 同年 4月、共和国の核開発疑惑で緊張が高まっていくと、在日米軍は日本の防衛庁(当時)にたいして掃海艇の派遣などを打診した。
 
 当時、日本側は「集団的自衛権は憲法で認められていない」として拒否したが、情報提供や後方支援に限った協力は応じる方針をとっていた。
 
 97年 9月に決定された「日米新ガイドライン」は、日本の「周辺」における有事の際の日米協力がより具体的に方向づけられた内容となった。

 95年の掃海艇派遣拒否から、わずか 2年しか経っていない。
 
 日米安保の「再定義」は、日本を冷戦後の (米)世界戦略にさらに深く組み込むことになったのだ。
 
 99年5月24日,日本側の軍事協力を定めた「周辺事態に際してわが国の平和及び安全の確保をするための措置に関する法律」 (周辺事態法)が成立した。
 
 これによって日本は、「周辺」で米軍の補給、輸送、修理および整備、医療、通信などについての物品、役務を提供できるようになった。
 
 日本は集団的自衛権行使の制度整備に向けて、ついに大きく踏み出してしまった。
 
 だが、現実には 80年から海上自衛隊はハワイ沖で、 94年から陸上自衛隊は米ワシントン州で実弾演習を実行していたのだ。
 
 99年の「周辺事態法」成立によって日本は、集団的自衛権行使の法整備を終えたことになる。
 
 「周辺事態」の「周辺」解釈については、日米ともにあいまいにしているが、直接的には朝鮮半島・共和国を指しており、さらにハワイから遠方までを想定し、恣意的に運用していくのは間違いない。


2012年5月30日

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ③日米安保の見直し作業

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ③日米安保の見直し作業

                                名田隆司 (愛媛現代朝鮮問題研究所代表)

 4月の日米は、在日米軍再編ロードマップの見直し作業を行っていた。
 
 在日米軍再編の見直し問題は、東アジアの安全保障環境の変化、米国の財政上の問題、国防費削減を前提にした新国防戦略、沖縄・辺野古基地移設の困難性、中国から攻撃を受けた際の沖縄・米軍部隊の集中度の危険性、朝鮮半島の危険性、共和国の軍事力突出-など、米国側の事情とイニシアチブによって進められていた。
 
 発表された「共同文書」 (4月 27日)の骨子は、対中 (対朝)戦略上、沖縄の米軍基地化はどうしても必要で、東アジア・太平洋地域の作戦は米国が進めていくから、日本はそのことに同意してカネを出してくれればよい -といった、米国側にとって虫の良すぎる内容であった。
 
 米国が在沖縄海兵隊の一部をグアム島などに移転し、他の米軍施設を返還する計画を、普天間飛行場の辺野古移設とは切り離して進めるとしたことは、米海兵隊の名護市移設計画推進を事実上、葬り去るための表現だったはずだ。 (もっとも、これは米上院での議会対策だったのだろうが・・・)
 
 このことを、 4月30日のワシントンでの日米首脳会談で、野田首相が確認していなかったために、オバマ大統領は対中国戦略の再構築に安堵していたことだろう。
 
 共和国の「弾道ミサイル」発射騒動のなかで、米国は自らの戦略体制の重心をアジア太平洋地域に移し (日本にはカネを出させて)、日本は「北朝鮮脅威論」 (オオカミが来た論)を振りまくことによって、日米安保の必要性と重要性を国民に対していま一度、認識させようとしていたのだ。
 
 日米両政権は、共和国の人工衛星打ち上げ問題を利用して、沖縄米軍基地を中心としたアジア太平洋軍事戦略の強化策を進めていたことになる。
 
 その沖縄は、 5月 15日に復帰 40周年記念式典を、宣野湾市内で政府と沖縄県の共催で開催していた。
 
 式辞で野田首相は、「日米安保体制の役割は引き続き重要」と断ったうえで、沖縄の米軍基地について「大きな負担になっていることは十分認識している。抑止力を維持しつつ、基地負担の早期軽減を目に見える形で進める」と、単調に述べた。
 
 沖縄が米軍基地の大きな負担になっている現状を「十分認識している」と言ったが、それは日本の常識になっている以上、首相たるもの「認識」レベルでの言説では物足りない。
 
 また、 96年の日米合意 (注-普天間飛行場の 5-7年以内の返還合意)以降、移設・返還が実現していない現状について、「固定化は絶対にあってはならない」と言うにとどめたことも、やはり物足りない。
 
 戦後 27年間 (72年の復帰まで)の米国統治下で、多くの人々が願った基地負担の大幅な軽減は、現在も実現されていないのだから、「(固定化は)絶対にあってはならない」のは、沖縄自身の切実な声であり、自主化を実現する日本自身の声であったのだ。
 
 沖縄は今も、日本全国の米軍専用施設の 74% (11年 3月現在)が存在する。
 
 復帰からの基地返還率がわずか 18%という現実から、米国にとっての沖縄が今もアジアの要石として存在し、いつまでも自由に、安全で安心して、安い費用で使用できる軍事基地にしておきたい、との米国の下心が余りにも透けてみえる。
 
 米国は白身の冷戦戦略上の見地から、沖縄を統治する見返りに、サンフランシスコ講和条約を日本に与えた。

 米国が推進した「寛大な」 (日本の戦争賠償負担を軽減)サンフランシスコ講和条約との交換条件として、日米二国間で結んだのが相互安全保障条約 (日米安保)である。同時に、講和条約発効の翌日 (1952年 4月 28日)には、戦犯の一人として巣鴨刑務所に入っていた岸信介を「追放解除」している。
 
 つまり、米国による形式的な日本の「独立」イベントと、岸信介「復活劇」とは一本の線で結び付けられていたのだ。
 
 従って、日米安保はその当初から、将来における日本の再軍備化を先取りしていたのであり、日米両軍による合同作戦行動までもが予定されていたことになる。
 
 非交戦・非軍事の平和主義憲法が誕生した 3年後には、 GHQの指示で 7万 5000人からなる警察予備隊 (保安隊を経て自衛隊となる)が創設された。
 
 これも、米国創作の一本の線であった。
 
 7万 5000人という数字は、当時の在日米軍に相当するもので、在日米軍の総てが朝鮮半島 (朝鮮戦争)に投入されたとしても、その米軍基地の空白を埋めて守備する「軍隊」 (米軍との共同防衛を担う)であったのだ。
 
 米軍貸与のカービン銃で武装した警察予備隊員は、その発足の当初から銃口を朝鮮人 (朝鮮人民軍)に向けていたことになる。
 
 当時から日本本土や沖縄は、朝鮮戦争の米軍前線基地となっていたことで、日本社会全体に帝国主義思考が復活し、朝鮮への植民地思考も解体されることはなかった。
 
 日米安保自体は、日本を冷戦体制下の米国チームに組み入れるためのものであり、そのために必要な沖縄基地であったから、冷戦解体後には日米安保も沖縄米軍基地も必要ではなく、ともに解消しなければいけなかったのだ。
 
 にも関わらず自民党歴代政権と同じように、野田佳彦氏は首相就任直後に「日米安保は日本政治の基軸」だと発言した。
 
 「日米安保基軸」観である限り、日米安保と沖縄米軍基地は存続させ、沖縄米軍基地の先にある中国と朝鮮 (共和国)も敵概念として必要になってくる。
 
 これは、日米両国にとっての政治的ジレンマになってくるだろう。

2012年5月30日

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ②「弾道ミサイル」騒動

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」  ②「弾道ミサイル」騒動
                     
                                名田隆司 (愛媛現代朝鮮問題研究所代表)

 共和国の宇宙空間技術委員会が、人工衛星 「光明星3」号打ち上げ計画を発表した3月 16日以降、日本と米国は、「反共和国」のトーンを上げた政治的発言と報道をおこなってきた。
 
 特に米国は、「光明星3」号が「銀河」運搬ロケットで打ち上げられるから、それは人工衛星ではなく長距離ミサイルであり、そのミサイルが米本土にまで達し、日本列島や南朝鮮の上空を通過し、危険であるとして不安をあおり共有させようとしてきた。
 
 後には2・29朝米合意と国連安保理決議「違反」だと主張し、重大な軍事的「挑発」行為だとして、中止を要求するようになった。
 
 共和国の気象衛星打ち上げが、軍事的脅威だと主張するのは、米国の一方的な理論である。
 
 共和国が軍事的「挑発」をしているとして、日本と南朝鮮を不安に陥れ、国内外に「反北朝鮮」言論キャンペーンを主導させようとした。

 すべては米国のデマゴーグだ。
 
 そこで、米国によるデマゴーグ (反北朝鮮論)の作り方をみてみよう.。
 
 2月 23-24日、北京で第 3回朝米高位級会談が開かれ、合意内容が 29日に平壌とワシントンで同時に発表された。 (2・29合意)
 
 その発表の仕方も異例である。
 
 平壌発表は、核実験と長距離ミサイルの発射、寧辺ウラン濃縮活動を臨時中止し、ウラン濃縮活動の臨時中止に対する国際原子力機関の監視を許容する-であった。
 
 一方のワシントン発表は、北の長距離ミサイルの発射、核実験およびウラン濃縮活動を含めた寧辺での核活動に関するモラトリアムの履行に同意した-であった。
 
 以上、朝米では若干の表現の違いがあるものの、おおむねは一致していた。
 
 「(北の)長距離ミサイル発射」の「臨時中止」を確認しただけで、「衛星打ち上げを含む長距離ミサイル」とか、まして「弾道ミサイル」 (中止)のことなどは明記されていなかった。
 
 しかし米国は、「人工衛星光明星 3号」を「長距離弾道ミサイル」だと、「弾道」を付け加えて自己都合的に解釈したうえで、 2・29合意違反、安保理決議違反だと主張してきたのだ。
 
 共和国は、第 3回朝米高位級会談が開催される以前に、人工衛星の打ち上げを米国側に通告していた。
 
 共和国から気象衛星打ち上げ情報を聞いた米国は、複雑な心境に陥っただろう。

 米国の核政策の立場は、共和国を核保有国としては認めていない。
 
 しかし、すでに数発の核兵器を保有しているのではないかとの、分析結果には達している。それでも弾道ミサイル開発の技術はまだ実用段階には達していないだろうとの楽観論と、核の「小型化」には成功しているのだろうとの間で揺れていて、対応が定まっていないというのが、近年の米国の事情である。
 
 人工衛星打ち上げ情報を聞いた米国は、 2.29合意で「長距離ミサイル」の発射を「臨時中止」で合意するのが精一杯だったはずだった。
 
 だから合意直後から、「長距離弾道ミサイル」発射だと「弾道」の語句を恣意的に挿入して、2・29違反、安保理決議違反だと声高に主張しざるを得なかったのだ。

 米国は共和国の人工衛星打ち上げを確認していて、それを絶対に認めることが出来ないという、自身のジレンマに陥ってしまったのだ。
 
 同時に、共和国がそれ以前からミャンマー (ビルマ)、イラン、パキスタン、イスラエルなどに核情報を提供、技術協力をしているのではないかと疑っていて、そのことに楔を打ち込むための核拡散防止-共和国の孤立化-国連安保理決議の実現を狙っての、長距離弾道ミサイル発射騒動を仕掛けていったのが真相であったろう。
 
 米国は、共和国が米本土(ワシントン)まで届く大陸間弾道ミサイル (ICBM)の開発を警戒し、「長距離弾道ミサイル」騒動を起こしたことになる。
 
 09年 6月の国連安保理決議の「弾道ミサイル技術を利用した北朝鮮のすべての発射計画を禁止する」 (1718号と 1874号)を持ち出してきた。
 
 しかし、これは拘束力のない議長声明であったから、共和国がしばられることはないが、また人工衛星の打ち上げを禁止している訳でもない。
 
 以後、 (北朝鮮が)「弾道ミサイル」発射を計画していると言い立てた米国によって、マスメディアまでが「北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射実験とみられる『衛星』打ち上げ」とか、「北朝鮮が人工衛星と主張する長距離弾道ミサイル発射」「北朝鮮による長距離弾道ミサイル発射」 (発射後)との表現を使い、報道を行ってきた。
 
 一方、共和国の人工衛星打ち上げ問題を利用して、「北朝鮮脅威」を異常なまでに強調してきたのは、日本政府であった。
 
 共和国の人工衛星発射予告を受けた防衛省は、「北朝鮮長距離弾道ミサイル」対処のためだとして、南西諸島や首都圏に落下する事態に備えるとの名目で、迎撃可能な部隊展開をしている。
 
 イージス艦計 3隻などを配備し、地対空誘導弾道パトリオット (PAC3)を沖縄・東京に配備するなどして、ことさらに住民不安を煽り続けた。(しかも巨額を投じて)
 
 さらに共和国への制裁も一年間延長した。 (4月 3日の閣議で)
 
 日本国民もまた、 (北朝鮮の)ミサイルが上空を通過する可能性があるとして、沖縄への修学旅行延期、屋内への避難指示などの「大騒ぎ」を演じている。
 
 このように、特に日米両国が「(北の)弾道ミサイル」だと、過剰反応をしていたことには、幾つかの事情があった。
 
 日米両政府は 2012年に入って、日米安保体制下の沖縄の戦略的役割問題を断続的に協議していたのだ。
 
 1月に米国が「新国防戦略」を発表して以降、ロードマップ見直しまでの間で、対沖縄戦略、対朝鮮半島対策、対中国問題、米議会対策 (軍事予算)などの重要問題が立ちはだかっていた。
 
 日本自身は南西諸島の防衛力強化策への、米国側は米上院の在沖縄海兵隊のグアム移転関連費承認への、「(北の)弾道ミサイル」がそれぞれのテクストとして利用した。

2012年5月30日

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」①G8サミット

「植民地史観からの脱皮-日朝友好推進を」 ①G8サミット
                     
                                名田隆司 (愛媛現代朝鮮問題研究所代表)
 
 ワシントン郊外のキャンプデービットで開かれた主要8カ国首脳会義 (G8サミット)が5月 19日 (日本時間 20日朝)、首脳宣言を採択して閉幕した。
 
 首脳宣言の内容は、参加国の立場の違いを取り繕いまとめたものであって、それ以上ではない。 (それぞれの国の主張を並べただけ)
 
 今回で 38回目 (1975年から)となった G8サミットには、すでに世界への影響力など薄れていて、むしろ中国やブラジルなどが入った G20 (主要 20カ国・地域)に追っかけられているといった焦りが感じられ、苛立ちさえ伺わせていた。
 
 それでも G8サミットである。
 
 日本の野田佳彦首相は、税と一体改革を主張する低調な今国会を乗り切る場のひとつにしようとしていた節がある。
 
 そうした態度が、北朝鮮が更なる挑発行為に踏み切った場合には国連での制裁をと、他国に比べて突出した発言になっていたのではないか。
 
 野田首相の発言内容は、首脳宣言の「政治・安全保障」の項で、シリア、イラン、ミャンマーなどの問題とともに取り上げられた。
 
 「地域の安定を脅かす北朝鮮による挑発行為を引き続き深く憂慮する。国連安保理決議に直接違反する弾道ミサイルの発射を非難する。
 全ての核・弾道ミサイル発射および核実験を含む北朝鮮のさらなる行為に関し、国連安保理で行動を取ることを求める意思を確認。拉致問題を含む北朝鮮における人権侵害を引き続き憂慮する」などと、共和国を監視し、圧力を継続して加えていくことを表明した。
 
 野田首相は帰国に先立ち、空港で記者団に「特に北朝鮮については私の方から、さらなる挑発行為を行わないよう自制を求めることで連携しようと呼び掛け、 G8がしっかり連携していくことを確認できた」と、そのことが唯一の成果であったかのようにしてアピールしていた。
 
 首相はサミット初日の 18日夜 (日本時間 19日午前)の夕食会で、北朝鮮をめぐる議論の口火を切り、存在感を示そうとしたが、各国の関心は欧州債務問題に集中していて、空振りだったのではないのか。

 同床異夢のオバマ米大統領の助けがあって、首脳宣言につながったのではないか。ここでも人工衛星との認識はなく、弾道ミサイル発射としている。

 なぜ、野田首相の「北朝鮮への圧力」発言が、国際会議の場での唯一の「成果」なのか、不可思議としか言いようがない。

 「全ての核・弾道ミサイル計画を完全、検証可能かつ不可逆的な方法で放棄するよう要請」するなどの表現は、オバマ米政権の意向が強く含まれていたとはいえ、それにしても最近の野田首相の共和国圧力発言の内容と頻度は、余りにも度が過ぎているように思う。
 
 先の日中韓 3カ国首脳会議 (5月13-14日)においても、「北朝鮮包囲網」の強化をと野田首相は強調していた。
 
 3カ国首脳間での日本側の主張は、他にもっとあったにも関わらず、反共和国言動の外交しか出来ない野田佳彦氏の政治家センスを疑ってしまう。
 
 このように共和国を強く牽制すればするほど、共和国との政治的距離は遠ざかっていくだけで、対話へのチャンネルを自ら閉じていることになっている。
 
 しかも民間の友好訪朝者さえ抑圧しているのだから、何をかいわんやである。自民党の歴代政権もそうであったが、民主党・野田政権もまた、あえて共和国との政治的関係を遠ざけるための「北朝鮮脅威論」を創作しているのではないかと思える。
 
 自民党・安倍政権以後、対共和国政策を先「拉致・核・ミサイル」解決だと掲げて、対話や交渉のテーブルに座ることを拒否し続けてきた。
 
 ことある毎に、「拉致問題」解決のためだと称して、共和国への「制裁」論だけを先行させ実行してきた。そればかりか、在日朝鮮人や朝鮮学校への弾圧トーンを強化してきた。まるで日本社会全体が反共和国、嫌朝鮮を合唱して在日朝鮮人いじめをしているようだ。
 
 そのような日本の政治・社会状況については、拉致被害者家族会やその支援団体の側では、当面は自らの主張と符号しているから、ここち良いのかも知れない。
 
 しかし、肝心の拉致被害者の安否確認作業さえも出来ない状況が続いていることは、交渉窓口を自らで閉ざしてしまったことが原因だとは、誰もが言えない状況下にある。
 
 現在、共和国との関係は、全ての対話チャンネルが切れてしまっているなかでの、日本の歴代政権が約束してきた拉致問題への「解決」の方法論を、政治家たちの口から一度はしっかりと聞いてみたいものだ。
 
 共和国に対して「制裁」、「抑圧」、「弾圧」だけでは、何も解決してこなかったことはすでに経験済みで、分かっているはずだ。
 
 それでも政治家たちが「北朝鮮制裁」「北朝鮮脅威」を言うのは、別の政治的な意図があってのことではないのかと、私は勘ぐってきた。
 
 別の意図のためにこそ、「制裁」論や「脅威」論が必要であったのであろう。
 
 その別の意図とはつまり、自らの過去の歴史清算をサボタージュしなければならないことと、新帝国主義・植民地主義の姿を隠すための作業ではなかったのか。日本自身の植民地史観の隠蔽作業を、朝鮮との関係性のなかで行っているのだ。

2012年5月30日

「月刊マスコミ市民」06年9月号掲載

8月の日本の妖怪②                                 

                                 愛媛現代朝鮮問題研究所代表 名田隆司
 

3.北朝鮮のミサイル発射問題
 
 7月5日、北朝は7発のミサイルを発射した。北朝鮮外務省スポークスマンは「今回成功裏に行なわれたミサイル発射は、自衛的国防力強化のためにわが軍隊が正常に行なった軍事訓練の一環で・・・主権国家として今後も続けるだろう」 (6日)と、発表した。さらに、99年に米軍と合意した長距離ミサイル試験発射の臨時中止 (モラトリアム)に関して、「それは朝米間に対話が行なわれる期間にかぎられたものである」としている。
 
 現ブッシュ政権は、前政権が行なったすべての合意を無効化し、朝米間の対話を全面遮断したので、 05年3月に、ミサイル発射モラトリアム合意が、いかなる効力もないことを明らかにした、としている。また、平壌宣言で日本と合意した長距離ミサイル試験発射のモラトリアムも同様で、日朝に国交が正常化されることを前提にした協議が続けられているときのみ、有効であるとしている(今年2月、ミサイル発射凍結破棄を日本側に伝えている)。六者会談の「共同声明」(05年9月19日)についても、朝鮮半島の非核化実現のために各国が行なうべき義務を規定しているのに、アメリカは一方的に金融制裁を実施し、軍事演習を実施して、朝米二国間対話に応じようとしていない。朝鮮半島の緊張と危機を作り出したのは、アメリカである。それゆえ、以上の三条約には拘束されない、と主張している。だが、朝鮮半島の非核化を対話と協議を通じて平和的に実現しようとする意志は今も変わりない、とのコメントも出ている。

 朝鮮半島の、というところが、日本政府などが主張する「北朝鮮の」という部分とまったく違っている。日本政府は、ミサイル落下地点を日本海側 (実際はロシアの領域内 )だと騒ぎ、平壌宣言と六者会談合意に違反しているとして、制裁論を突出させてきた。早々に、「万景峰92号」の 6カ月間入港禁止を含む 9項目の制裁措置を決めると、国連安保理決議、サンクトペテルブルク・サミット決議に、北朝鮮制裁論を入れると、常になくはしゃいでいた。結局は、ブッシュ政権強硬派によって踊らされ、その露払いをさせられている姿を世界に見せただけであった。今回の日本のパフォーマンスで、拉致問題解決はいっそう遠ざかってしまったと思われる。私たちは日米両国と北朝鮮の関係を忘れがちであるが、しっかりと認識しておく必要がある。北朝鮮とアメリカは、今でも交戦状態・敵国関係にある。 53年7月27日に調印された朝鮮戦争停戦協定は、戦闘停止であって数年のうちに平和条約に変更させるものであった。当時、北朝鮮と戦った国のうち、すでに数カ国は北朝鮮と国交を結んでいる。それほど長きにわたってアメリカは、北朝鮮との平和条約を拒み続けてきた。その間、米韓合同軍事演習などの軍事力で北朝鮮を脅かし、核攻撃を含む恫喝まで行なってきた。いつ戦闘再開になるかわからないと、北朝鮮側は警戒を怠らなかった。 6日に発表したスポークスマンも、「われわれと交戦関係、技術的に戦争状態にあるアメリカが、日本と結託してすでに一カ月前から、われわれがミサイルを発射すれば迎撃すると騒ぎ立てている状況で、彼らにミサイル発射について事前に通報するというのは実に愚か極まりないことである」と言っている。日本とはどうか。日本とはまだ戦前の植民地時代の清算が終わっておらず、戦前状態が続いていると認識し、不信感を持っている。そのような日本が、自衛隊の戦闘力を増大させるたび、北朝鮮は日本の再侵略に備えて自衛力を高めてきた。北朝鮮からみれば、日米両国の現実の姿こそが脅威に映っている。

 日米両国は、北朝鮮を「脅威論」にして、軍事力を高めている。私には、現実の日米安保体勢の方が恐ろしい。


4.マスメディアは何を伝えたいのか
 
 北朝鮮がミサイルを発射して以降、マスメディア、とくに民放テレビ各局は連日、ニュースやバラエティ番組で「北朝鮮もの」を取り上げている。各局の手法はどこも似ていて、コメンティ-ターや知識人を登場させて、彼等にミサイル発射の意図と北朝鮮の現実を語らせようとしていた。なぜ、登場人物は毎回同じで、しかも北朝鮮問題の専門家ではない人物を使うのか。彼らが知っている北朝鮮情報は古く、かつ意図的に加工された内容で、誹謗的発言のひどいものである。最近のバラエティ番組は、ニュースと教養をミックスしたような内容になっており、そこで語られる評論家たちの情報や発言を信じる視聴者もいる。映像もまた、何年何月でどの場所かとのテロップを入れないまま、古いものを流しているから、混乱させている。ニュース番組のアナウンサーまでが、独裁国家、政権崩壊、制裁などと、北朝鮮を悪く暗く印象付ける言葉を多様している。テレビ各局は、北朝鮮をどのように伝え報道しようとしているのか。各番組で、反北朝鮮と思われるスタンスのものばかり報道していて、それで政治的中立だと表明できるのだろうか。残念ながら、この種の画面のインパクトは強く、一般に与える影響も大きい。私が一番心配し、危惧していたことが、やはり発生してしまった。全国の朝鮮総連県本部の事務所、または朝鮮学校への嫌がらせ電話、脅迫文の送付などである。なかには通学中に暴言を浴びせられた学生もいる。四国で唯一の朝鮮学校、松山市にある四国朝鮮初中級学校にも同様電話が掛かっているという。在日朝鮮人たちもまた、嵐が通り過ぎるのを待つようにして、身を縮めて生活しているという。日本人はどうなってしまったのだろうか。何の関係もない、幼い子どもたちに向かってまで、どのような暴言を浴びせているのだろうか。暴言を浴びせる、どのような権利があるというのだろうか。子どもたちへの、直接的な暴力がないことを祈るばかりである。このように在日朝鮮人社会に、不安と混乱を起こしている責任の一端に、民放各社の朝鮮関連番組の報道姿勢があると考える。バラエティ番組だからといって、どんな発言でも許されるというものではない。表現の自由の裏側にある自己責任を忘れてはならないだろう。現在の北朝鮮関連番組では、北朝鮮への言葉の暴力になっている。もう少しバランスのとれた内容を放送する必要がある。


5.妖怪を出すな
 
 小泉政局が終わって9月の自民党総裁選に関心が移っているが,その割りにはいま一つ盛り上がりに欠けている。その一つに、 8月15日の靖国神社参拝問題がある。小泉首相の靖国神社参拝問題を、どのように理解しているのだろうか。マスコミ各社もまた、しっかりとした批判記事を書いてこなかった。反対する一部学者や文化人たちの意見を掲載して、バランスを取っているようにみせるだけで、自社の意見が聞こえない。なぜだろう。首相の靖国神社参拝問題は、 97年に最高裁が出した「愛媛玉串料訴訟」判決にも違反する憲法問題である。A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が公式参拝するというのは、国内外に、かつての戦争の責任・加害、被害問題をあいまいにするとのメッセージを出すことになる。首相の靖国神社参拝を、単に個人の問題や 8月の熱い論争にするのではなく、参拝中止と、はっきり言うべきではないのか。自民党内ではいま、さらなる北朝鮮制裁法案をと、制裁論の合唱となっているようだ。こうした議論の先には、ナショナリズムという妖怪が潜んでおり、戦前回帰のチャンスを狙っている。拉致問題から北朝鮮制裁論を国民が合唱している間に、妖怪を登場させてしまったといえようか。
 
 日本の夏、過去の亡霊を出さないように、しっかりと見定めた議論をしなければ、と思う。

(06年7月20日記)

月刊「マスコミ市民」06年9月号掲載

8月の日本の妖怪①                         
                                 
                                 愛媛現代朝鮮問題研究所代表 名田隆司


1.戦争被害者意識論
 
 また、暑い 8月がやってくる。
 
 日本の 8月は、気候的な暑さだけではなく、各地の空襲被害、 8・6、8・9、8・15、外地引き揚げ体験など、各地で語る戦争被害体験談の「戦争」問題で、ヒートアップするからである。
 
 かつて私は、それらいくつかの集会に参加したことがある。どの会場でも、どの場面でも、被害者談に終始して涙をさそいながら、いまの平和がどれほど貴いかというパターンで終わっている。
 
 空襲や被爆被害者たちは、却火のなかを家族と離ればなれになりながら逃げまどい、自分だけがやっと助かったことなどを語るが、その地獄のような状況をもたらした原因・犯人については、何もふれない。すでに何十年も経ち、冷静に社会学習をしてきたはずにもかかわらず、アメリカが被害をもたらしたとの発言は少ない。米軍機による空爆であることは、自明の理で、語るほどのことではないというのであろうか。日本本土への米軍機による空襲や原爆投下が、なぜ行なわれたのかを論じれば、日本の軍国主義、その指導者、日本の加害者問題などへと、議論は発展しただろう。だが、どの集会でもそうした発言や意見は聞かれなかった。また、中国東北部や朝鮮半島から引き揚げてきた体験を語る場合も、引き揚げ時の混乱で、中国人や朝鮮人から迫害を受けたこと、助けてもらったことを語ることはあっても、なぜか自分が中国や朝鮮に住んでいたのかについては語らない。彼らの大半は、自分たちが被った被害の先に、中国人や朝鮮人たちのもっと残酷な被害を日本人から受けていたことを理解することはない。日本人の意識下には、自らの戦争被害者観だけが強くあって、加害者意識に欠けている側面があると言われてきた。
 
 8月の各地・各種集会で、被害者論を語らせるだけでは、その被害をもたらした責任者問題論が欠けてしまう。なぜ私たちは、日本の戦争責任者を追及することに、腰が引けてきたのであろうか。日本人自身が戦争被害者であると同時に、アジア周辺諸国人民への加害者であったことを忘却するために、戦争責任者をあいまいにしたうえで、「被害者」論を強論してきたように思える。だから、もっと酷く扱ってきた朝鮮半島と朝鮮人に関しては、強圧的な態度になってしまうのではないか。とくに朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)についての、日本の現在の対応に、そのことを強く感じる。


2.朝鮮人強制連行と拉致被害者

 2002年9月17日、日朝首脳会談が行なわれ、日朝平壌宣言(平壌宣言)を調印した。 同時に日本政府が真相調査を要求していた11人の拉致被害者を、拉致であったと北朝鮮が認めた。このときから「拉致疑惑」は「拉致問題」となり、日本では北朝鮮を激しく追及し、攻撃するテーマとなった。拉致被害者家族の人たちの、悲痛な叫びと救出を願う声は、一気に全国民の琴線を動かし、政治をも動かしていった。彼らが発する北朝鮮への言葉に、誰も反対できない雰囲気が日本列島を覆ってしまった感の中で、「制裁論」だけが一人歩きしている。拉致疑惑時代以前から、日本による朝鮮人強制連行・従軍慰安婦の真相解明、謝罪と補償問題について、民間団体や学者の間で提案されてきた。その間、高齢者となった強制連行者・従軍慰安婦たちが、悲痛な声を挙げはじめた。
 
 いまだに行方知れずとなっている遺族の家族たちからも、調査と捜索依頼が出された。北朝鮮の同様被害者たちも、「青春を還してくれ、せめて謝罪せよ」と 、国交がないために日朝交流を続けている活動家たちを通じて伝えてきた。
 
 私たちは、彼等・彼女たちのその声を、どれほど真剣に聴いてきただろうか。日本政府の冷淡な態度に反応して、マスコミ各社も沈黙を決め込んだため、日本国民にその声は届かなかった。政治的判断が優先し、人道的・人格的配慮が欠けていたのではないだろうか。だが、今は違う。人格問題だとして拉致問題を大きく扱いながら、政治問題化した「北朝鮮制裁論」を先行させて、報道している。私は、朝鮮人強制連行・従軍慰安婦問題と拉致問題とを、同時的に論じるつもりではない。この二つの困難な問題の解決をすすめるキーポイントこそ、平壌宣言にあると言いたいのだ。平壌宣言の基本精神は、過去の問題 (日本の戦争責任・清算、強制連行・従軍慰安婦関係など)と、現在の問題 (拉致・核・ミサイル関係など)を、一括妥結方式の協議で解決しようというものである。その方法論として、テーマ別に論じ、それを全体的に反映させるという方式であった。その議論の先には、国交正常化があった。ところが日本は、拉致・核・ミサイル問題を先行解決してからでないと、本質議論をしないと主張しはじめた。これは平壌宣言の趣旨に違反しており、1990年代に始まった日朝協議と同じパターンである。平壌宣言発表直後に、何らかの圧力 (外国)が日本政府にかかり、小泉内閣の日朝協議スタイルは、「対話と圧力」に変化していったものと思われる。真に問題を解決したいと願うなら、相手と対話するしか方法はないと思う。それなのに「対話」とは別に「圧力」を表明したのでは、問題解決に暴力を行使しようとすることと同じである。それに反して、平壌宣言の一括妥結方式はよくできていると思う。日本の戦争および植民地政策による朝鮮人被害者たちの悲痛な声を、これまで真剣に聴き解決しようしてこなかったから、なおのこと拉致問題は平壌宣言の精神によってしか解決する方法はないのではなかろうか。 〈②に続く〉

月刊「マスコミ市民」03年8月号掲載

北朝鮮関連報道とジャーナリズム

                                 
                                 愛媛現代朝鮮問題研究所代表 名田隆司

 
 やがて9月17日がやってくる。
 
 小泉純一郎首相が朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の首都平壌で「日朝平壌宣言」に調印した日、あれから1年になる。
 
 本来なら、この日には宣言1周年を記念した行事が両国で行われ、かつ日朝友好と朝鮮半島の平和統一にいいムードがアピールされていたはずである。両首脳が宣言に調印したのは、そこに難関はあっても、それを乗り越えての対話と交流へのロードマップがあったと考え、理解することこそ常識的であっただろう。
 
 ところが、現在では宣言調印以前より、日朝関係は険悪なものとなっており、対話と交渉への意思疎通を図る細いチャンネルさえも日本側が切ってしまい、平壌宣言を凍結状態にしている(6月中旬に国連代表部公使クラスによる非公式協議「ニューヨーク・チャンネル」が稼動したと伝えられている)
 
 不思議なことは、平壌から帰って以降の小泉首相自身が、北朝鮮との関係については今後とも「対話と圧力」外交でいくと、判で押したように公言してきたことである。その対話と圧力も、訪米を果たした5月以降、拉致問題とともに核問題を加えて北朝鮮への「圧力政策」へと転換している。明らかにアメリカの後ろ盾のもと、北朝鮮に対しては圧力一辺倒政策に切り替えたことがわかる。「対話」姿勢はどこかへ置き忘れ、圧力をかけるためだけの外交を展開してきた。
 
 拉致された5人が帰国して以降の日本社会は、拉致被害者の「家族」「支援する会」「議連」などの各団体の主張と立場に迎合するかのように、これまで以上に北朝鮮バッシングのレベルが上がっていった。
 
 このバッシングに拍車をかけてきたのは、テレビと週刊誌を中心とする新聞、雑誌などのメディアの報道姿勢と内容にあったといっても過言ではないだろう。
 
 今でも、北朝鮮とは対話を通じて解決すべきだと発言しただけで、一斉に「国賊」とか「国益無視」だと断じ、「北朝鮮の代弁者」「スパイ」などの、オクターブを上げたレッテルを貼ってしまう。9・17の評価や日朝関係のあり方などを自由に議論できる状況ではなく、いろんな意見を聞くことさえ怠り、マスコミ各社は自己規制をして自らのジャーナリズム性をも放棄してしまった感がある。北朝鮮からの主張や意見などを伝える役割を止めたマスコミは、一種のファシズム社会づくりを担ってしまったとさえいえるだろう。時代も状況も違うが、1931年の「満州事変」以降のマスコミの姿勢、部数拡張と自社営業に力点をおいてしまった結果、当時の軍部の横暴に追従的になっていった新聞・雑誌・ラジオなどの姿勢と、昨今の状況がひどく似ているように思え、私は強く危惧している。
 
 満州関連報道は当初から「中国軍が爆破した」との関東軍発表そのままであったため、「満蒙」は日本が有する合法的な権益で、爆破はこれに対する侵略であり、軍出動は自衛権の問題であるとの議論で国民世論をリードしていった。
 
 1931年11月26日付けの読売新聞は「支那を相手とする限り是等の手段は殆ど無用の業である。何となれば支那は国際信義を無視し、条約を破棄することを以て日常茶飯事となし寧ろ当然と心得ている図太い国である」(『読売新聞120年史』)との社説を掲載した。このような姿勢は何も『読売』だけでなく、「満蒙の権益を守れ」とするのは、ほとんどすべての新聞に共通した表現であった。中国側が日本の権益を侵害し、爆破したとの間違った情報でもって、以降の反中国意識と戦争熱を煽っていった。事件を起こし、侵略軍を進めた日本に中国が抗議をしたことを「国際信義を無視し」たと断じている姿勢に、私は現在の北朝鮮報道が、アメリカ側の情報だけに基づいて「何をするかわからない国」と決めつけている姿勢とダブってしまう。

 日朝間で約束していた拉致被害者5人の「一時帰国」が、一切報道されなかったため、世論は一気に嫌北朝鮮へと風向きを変えてしまった。現在、5人3家族を日本と北朝鮮に引き離している罪は、マスコミ側にもあるといえよう。
 
 小泉政権は、こうしたマスコミとアメリカからの後押しを受けた「北朝鮮脅威論」を利用して、さっさと有事関連三法やテロ特措法を成立させ、イラク復興特措法、さらには「恒久法」までへの道を進めようとしている。私たちにしてみれば、してやられた感はぬぐえない。いまいち世論が盛り上がらなかった背景の一つに、昨年からの反北朝鮮報道がボディブローのように効いているのかもしれないと考えれば、なお腹立たしい。
 
 小泉首相は7月7日、北朝鮮による拉致問題や核開発問題打開のため、自らが再び訪朝する可能性について、「全く考えていない」と記者団に語っている。自らまいた種を育て上げる意思もない。それが本音だろうか。
 否、その当初から北朝鮮との国交回復、正常化へのシナリオもプランも持ち合わせず、アメリカ側の特使役たる側面が強かったのではないか、とその後の彼の発言から解釈もできる。
 そうであれば、日本の「国益」には叶ってはいない。それどころか、日朝関係の未来を壊してしまった確信犯とさえいえる。
 
 マスコミもその罪を免れられない。これまでの北朝鮮に対する報道姿勢はひどすぎる。ジャーナリズムの基本さえ自ら壊してしまっている。
 
 このままの状態が続けば、日朝双方とも、9月17日はマイナスの記念日となってしまうだろう。朝鮮では、1905年に「保護条約」が強要された11月17日に次いで、屈辱の日として記憶されてしまう可能性すらある。
 
 日本にしても拉致問題を解決するためにも、北朝鮮と交渉のテーブルに着かないかぎり何も前に進まないことを理解すべきである。対話を継続するためのチャンネルを維持・確保することは、日本にいる拉致被害者と北朝鮮に残るその家族とのパイプをつなぎ、将来の居住権問題を早期に解決する唯一の方法だと考える。
 
 日本政府は、アメリカが主導する対北朝鮮封じ込め「圧力」政策に加担するのではなく、問題解決に向けた「対話」路線を重視すべきである。それこそが、日本とアジアの平和繁栄に向けた一歩を踏み出すことになると私は考えている。マスコミ各社は対北朝鮮報道に関して、常に真実報道を続けなければならない。政府やアメリカ、または一部団体の意思や利益だけを反映させた情報提供だけでは、ジャーナリズム性を損なっていると理解すべきである。これまでの北朝鮮に関する報道は、現在の日本にとって都合のいい部分のつまみ食い報道や、センセーショナルな部分の報道ばかりに力点を置いていて、公平性を失っている。
 
 最近の例では、「万景峰 92号」報道に、その姿勢がよく現れている。不定期貨客船「万景峰92号」の運航は、日朝両国の赤十字が調印した、両国間に存在するたった一つの人道的事業である。それを突然、アメリカからの不確実な情報によって「不正送金船」「スパイ工作船」「核・ミサイル部品の運搬船」「拉致・麻薬密輸船」に仕立て上げ、レッテルを貼り付けて「制裁」へと動いてしまった。
 
 入港予定日前日から、1500人を超える警察官動員態勢と、おどろおどろしいまでの新聞・テレビ報道とが重なって、日本社会はいっぺんに北朝鮮「脅威」論に傾き、入港を止めさせてしまった。

 日朝平壌宣言の精神には、宣言調印以後は日朝双方は互いに他方を脅かす行動をしないことが盛り込まれている。万景峰92号に象徴される北朝鮮船舶への急激な治安検査強化は、北朝鮮側からすれば「制裁」措置だと映ったはずである。
 
 6月11日の朝日友好親善協会スポークスマンが発表した,こうしたことは敵対行為とみなし「せっかくもたらされた朝日平壌宣言も白紙に戻されかねない」との内容でさえ、各社は「平壌宣言を白紙撤回するとの示唆」と、その部分だけを大きく流して、北朝鮮側が脅かしているとも取れるニュアンスを強調した。これに反して、北朝鮮の白南淳外相が6月26日に、国連安全保障理事会のセルゲイ・Ⅴ・ラプロフ議長に送った書簡、核問題に関する5項目の北朝鮮政府の見解表明については全く報道していない。
 
 このように北朝鮮側から発信されているメッセージ類は、部分的に拡張して報道されるか、または全く報道されない。そのため、日本社会の北朝鮮認識は、現日本政府にとって都合のいいように出来上がってしまっている。
 
 私たちはこれまで、日本政府に戦前の歴史認識、および歴史的反省と清算を要求してきた。ジャーナリズムの問題についても、同じことがいえるのではないか。少なくとも、 1931年以降の事柄からマスコミ各社は、何を学び反省してきたのであろうか。
 
 今また、部数拡張や視聴率の数字を重視した営業政策中心となっている各社は、世論迎合姿勢を強めて、ジャーナリズムの立場を忘れているのではないかとさえ思える。歌を忘れたカナリアになっている。

 特に北朝鮮関連の報道で、それが強くなっている。国民の眼と耳をふさぎ、一方通行的な押し付けの報道をすることは、自らの表現の自由を奪っていく行為でもある。対北朝鮮報道での自らの報道姿勢を反省し、いま一度、忘れた歌を取り戻し、せめて9月17日の平壌宣言1周年の日からでも、日朝の近未来を見据えたしっかりとした報道をマスコミ、ジャーナリストに対して強く期待している。

(03年6月30日記)
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