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「月刊マスコミ市民」06年9月号掲載

8月の日本の妖怪②                                 

                                 愛媛現代朝鮮問題研究所代表 名田隆司
 

3.北朝鮮のミサイル発射問題
 
 7月5日、北朝は7発のミサイルを発射した。北朝鮮外務省スポークスマンは「今回成功裏に行なわれたミサイル発射は、自衛的国防力強化のためにわが軍隊が正常に行なった軍事訓練の一環で・・・主権国家として今後も続けるだろう」 (6日)と、発表した。さらに、99年に米軍と合意した長距離ミサイル試験発射の臨時中止 (モラトリアム)に関して、「それは朝米間に対話が行なわれる期間にかぎられたものである」としている。
 
 現ブッシュ政権は、前政権が行なったすべての合意を無効化し、朝米間の対話を全面遮断したので、 05年3月に、ミサイル発射モラトリアム合意が、いかなる効力もないことを明らかにした、としている。また、平壌宣言で日本と合意した長距離ミサイル試験発射のモラトリアムも同様で、日朝に国交が正常化されることを前提にした協議が続けられているときのみ、有効であるとしている(今年2月、ミサイル発射凍結破棄を日本側に伝えている)。六者会談の「共同声明」(05年9月19日)についても、朝鮮半島の非核化実現のために各国が行なうべき義務を規定しているのに、アメリカは一方的に金融制裁を実施し、軍事演習を実施して、朝米二国間対話に応じようとしていない。朝鮮半島の緊張と危機を作り出したのは、アメリカである。それゆえ、以上の三条約には拘束されない、と主張している。だが、朝鮮半島の非核化を対話と協議を通じて平和的に実現しようとする意志は今も変わりない、とのコメントも出ている。

 朝鮮半島の、というところが、日本政府などが主張する「北朝鮮の」という部分とまったく違っている。日本政府は、ミサイル落下地点を日本海側 (実際はロシアの領域内 )だと騒ぎ、平壌宣言と六者会談合意に違反しているとして、制裁論を突出させてきた。早々に、「万景峰92号」の 6カ月間入港禁止を含む 9項目の制裁措置を決めると、国連安保理決議、サンクトペテルブルク・サミット決議に、北朝鮮制裁論を入れると、常になくはしゃいでいた。結局は、ブッシュ政権強硬派によって踊らされ、その露払いをさせられている姿を世界に見せただけであった。今回の日本のパフォーマンスで、拉致問題解決はいっそう遠ざかってしまったと思われる。私たちは日米両国と北朝鮮の関係を忘れがちであるが、しっかりと認識しておく必要がある。北朝鮮とアメリカは、今でも交戦状態・敵国関係にある。 53年7月27日に調印された朝鮮戦争停戦協定は、戦闘停止であって数年のうちに平和条約に変更させるものであった。当時、北朝鮮と戦った国のうち、すでに数カ国は北朝鮮と国交を結んでいる。それほど長きにわたってアメリカは、北朝鮮との平和条約を拒み続けてきた。その間、米韓合同軍事演習などの軍事力で北朝鮮を脅かし、核攻撃を含む恫喝まで行なってきた。いつ戦闘再開になるかわからないと、北朝鮮側は警戒を怠らなかった。 6日に発表したスポークスマンも、「われわれと交戦関係、技術的に戦争状態にあるアメリカが、日本と結託してすでに一カ月前から、われわれがミサイルを発射すれば迎撃すると騒ぎ立てている状況で、彼らにミサイル発射について事前に通報するというのは実に愚か極まりないことである」と言っている。日本とはどうか。日本とはまだ戦前の植民地時代の清算が終わっておらず、戦前状態が続いていると認識し、不信感を持っている。そのような日本が、自衛隊の戦闘力を増大させるたび、北朝鮮は日本の再侵略に備えて自衛力を高めてきた。北朝鮮からみれば、日米両国の現実の姿こそが脅威に映っている。

 日米両国は、北朝鮮を「脅威論」にして、軍事力を高めている。私には、現実の日米安保体勢の方が恐ろしい。


4.マスメディアは何を伝えたいのか
 
 北朝鮮がミサイルを発射して以降、マスメディア、とくに民放テレビ各局は連日、ニュースやバラエティ番組で「北朝鮮もの」を取り上げている。各局の手法はどこも似ていて、コメンティ-ターや知識人を登場させて、彼等にミサイル発射の意図と北朝鮮の現実を語らせようとしていた。なぜ、登場人物は毎回同じで、しかも北朝鮮問題の専門家ではない人物を使うのか。彼らが知っている北朝鮮情報は古く、かつ意図的に加工された内容で、誹謗的発言のひどいものである。最近のバラエティ番組は、ニュースと教養をミックスしたような内容になっており、そこで語られる評論家たちの情報や発言を信じる視聴者もいる。映像もまた、何年何月でどの場所かとのテロップを入れないまま、古いものを流しているから、混乱させている。ニュース番組のアナウンサーまでが、独裁国家、政権崩壊、制裁などと、北朝鮮を悪く暗く印象付ける言葉を多様している。テレビ各局は、北朝鮮をどのように伝え報道しようとしているのか。各番組で、反北朝鮮と思われるスタンスのものばかり報道していて、それで政治的中立だと表明できるのだろうか。残念ながら、この種の画面のインパクトは強く、一般に与える影響も大きい。私が一番心配し、危惧していたことが、やはり発生してしまった。全国の朝鮮総連県本部の事務所、または朝鮮学校への嫌がらせ電話、脅迫文の送付などである。なかには通学中に暴言を浴びせられた学生もいる。四国で唯一の朝鮮学校、松山市にある四国朝鮮初中級学校にも同様電話が掛かっているという。在日朝鮮人たちもまた、嵐が通り過ぎるのを待つようにして、身を縮めて生活しているという。日本人はどうなってしまったのだろうか。何の関係もない、幼い子どもたちに向かってまで、どのような暴言を浴びせているのだろうか。暴言を浴びせる、どのような権利があるというのだろうか。子どもたちへの、直接的な暴力がないことを祈るばかりである。このように在日朝鮮人社会に、不安と混乱を起こしている責任の一端に、民放各社の朝鮮関連番組の報道姿勢があると考える。バラエティ番組だからといって、どんな発言でも許されるというものではない。表現の自由の裏側にある自己責任を忘れてはならないだろう。現在の北朝鮮関連番組では、北朝鮮への言葉の暴力になっている。もう少しバランスのとれた内容を放送する必要がある。


5.妖怪を出すな
 
 小泉政局が終わって9月の自民党総裁選に関心が移っているが,その割りにはいま一つ盛り上がりに欠けている。その一つに、 8月15日の靖国神社参拝問題がある。小泉首相の靖国神社参拝問題を、どのように理解しているのだろうか。マスコミ各社もまた、しっかりとした批判記事を書いてこなかった。反対する一部学者や文化人たちの意見を掲載して、バランスを取っているようにみせるだけで、自社の意見が聞こえない。なぜだろう。首相の靖国神社参拝問題は、 97年に最高裁が出した「愛媛玉串料訴訟」判決にも違反する憲法問題である。A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が公式参拝するというのは、国内外に、かつての戦争の責任・加害、被害問題をあいまいにするとのメッセージを出すことになる。首相の靖国神社参拝を、単に個人の問題や 8月の熱い論争にするのではなく、参拝中止と、はっきり言うべきではないのか。自民党内ではいま、さらなる北朝鮮制裁法案をと、制裁論の合唱となっているようだ。こうした議論の先には、ナショナリズムという妖怪が潜んでおり、戦前回帰のチャンスを狙っている。拉致問題から北朝鮮制裁論を国民が合唱している間に、妖怪を登場させてしまったといえようか。
 
 日本の夏、過去の亡霊を出さないように、しっかりと見定めた議論をしなければ、と思う。

(06年7月20日記)
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月刊「マスコミ市民」06年9月号掲載

8月の日本の妖怪①                         
                                 
                                 愛媛現代朝鮮問題研究所代表 名田隆司


1.戦争被害者意識論
 
 また、暑い 8月がやってくる。
 
 日本の 8月は、気候的な暑さだけではなく、各地の空襲被害、 8・6、8・9、8・15、外地引き揚げ体験など、各地で語る戦争被害体験談の「戦争」問題で、ヒートアップするからである。
 
 かつて私は、それらいくつかの集会に参加したことがある。どの会場でも、どの場面でも、被害者談に終始して涙をさそいながら、いまの平和がどれほど貴いかというパターンで終わっている。
 
 空襲や被爆被害者たちは、却火のなかを家族と離ればなれになりながら逃げまどい、自分だけがやっと助かったことなどを語るが、その地獄のような状況をもたらした原因・犯人については、何もふれない。すでに何十年も経ち、冷静に社会学習をしてきたはずにもかかわらず、アメリカが被害をもたらしたとの発言は少ない。米軍機による空爆であることは、自明の理で、語るほどのことではないというのであろうか。日本本土への米軍機による空襲や原爆投下が、なぜ行なわれたのかを論じれば、日本の軍国主義、その指導者、日本の加害者問題などへと、議論は発展しただろう。だが、どの集会でもそうした発言や意見は聞かれなかった。また、中国東北部や朝鮮半島から引き揚げてきた体験を語る場合も、引き揚げ時の混乱で、中国人や朝鮮人から迫害を受けたこと、助けてもらったことを語ることはあっても、なぜか自分が中国や朝鮮に住んでいたのかについては語らない。彼らの大半は、自分たちが被った被害の先に、中国人や朝鮮人たちのもっと残酷な被害を日本人から受けていたことを理解することはない。日本人の意識下には、自らの戦争被害者観だけが強くあって、加害者意識に欠けている側面があると言われてきた。
 
 8月の各地・各種集会で、被害者論を語らせるだけでは、その被害をもたらした責任者問題論が欠けてしまう。なぜ私たちは、日本の戦争責任者を追及することに、腰が引けてきたのであろうか。日本人自身が戦争被害者であると同時に、アジア周辺諸国人民への加害者であったことを忘却するために、戦争責任者をあいまいにしたうえで、「被害者」論を強論してきたように思える。だから、もっと酷く扱ってきた朝鮮半島と朝鮮人に関しては、強圧的な態度になってしまうのではないか。とくに朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)についての、日本の現在の対応に、そのことを強く感じる。


2.朝鮮人強制連行と拉致被害者

 2002年9月17日、日朝首脳会談が行なわれ、日朝平壌宣言(平壌宣言)を調印した。 同時に日本政府が真相調査を要求していた11人の拉致被害者を、拉致であったと北朝鮮が認めた。このときから「拉致疑惑」は「拉致問題」となり、日本では北朝鮮を激しく追及し、攻撃するテーマとなった。拉致被害者家族の人たちの、悲痛な叫びと救出を願う声は、一気に全国民の琴線を動かし、政治をも動かしていった。彼らが発する北朝鮮への言葉に、誰も反対できない雰囲気が日本列島を覆ってしまった感の中で、「制裁論」だけが一人歩きしている。拉致疑惑時代以前から、日本による朝鮮人強制連行・従軍慰安婦の真相解明、謝罪と補償問題について、民間団体や学者の間で提案されてきた。その間、高齢者となった強制連行者・従軍慰安婦たちが、悲痛な声を挙げはじめた。
 
 いまだに行方知れずとなっている遺族の家族たちからも、調査と捜索依頼が出された。北朝鮮の同様被害者たちも、「青春を還してくれ、せめて謝罪せよ」と 、国交がないために日朝交流を続けている活動家たちを通じて伝えてきた。
 
 私たちは、彼等・彼女たちのその声を、どれほど真剣に聴いてきただろうか。日本政府の冷淡な態度に反応して、マスコミ各社も沈黙を決め込んだため、日本国民にその声は届かなかった。政治的判断が優先し、人道的・人格的配慮が欠けていたのではないだろうか。だが、今は違う。人格問題だとして拉致問題を大きく扱いながら、政治問題化した「北朝鮮制裁論」を先行させて、報道している。私は、朝鮮人強制連行・従軍慰安婦問題と拉致問題とを、同時的に論じるつもりではない。この二つの困難な問題の解決をすすめるキーポイントこそ、平壌宣言にあると言いたいのだ。平壌宣言の基本精神は、過去の問題 (日本の戦争責任・清算、強制連行・従軍慰安婦関係など)と、現在の問題 (拉致・核・ミサイル関係など)を、一括妥結方式の協議で解決しようというものである。その方法論として、テーマ別に論じ、それを全体的に反映させるという方式であった。その議論の先には、国交正常化があった。ところが日本は、拉致・核・ミサイル問題を先行解決してからでないと、本質議論をしないと主張しはじめた。これは平壌宣言の趣旨に違反しており、1990年代に始まった日朝協議と同じパターンである。平壌宣言発表直後に、何らかの圧力 (外国)が日本政府にかかり、小泉内閣の日朝協議スタイルは、「対話と圧力」に変化していったものと思われる。真に問題を解決したいと願うなら、相手と対話するしか方法はないと思う。それなのに「対話」とは別に「圧力」を表明したのでは、問題解決に暴力を行使しようとすることと同じである。それに反して、平壌宣言の一括妥結方式はよくできていると思う。日本の戦争および植民地政策による朝鮮人被害者たちの悲痛な声を、これまで真剣に聴き解決しようしてこなかったから、なおのこと拉致問題は平壌宣言の精神によってしか解決する方法はないのではなかろうか。 〈②に続く〉

月刊「マスコミ市民」03年8月号掲載

北朝鮮関連報道とジャーナリズム

                                 
                                 愛媛現代朝鮮問題研究所代表 名田隆司

 
 やがて9月17日がやってくる。
 
 小泉純一郎首相が朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の首都平壌で「日朝平壌宣言」に調印した日、あれから1年になる。
 
 本来なら、この日には宣言1周年を記念した行事が両国で行われ、かつ日朝友好と朝鮮半島の平和統一にいいムードがアピールされていたはずである。両首脳が宣言に調印したのは、そこに難関はあっても、それを乗り越えての対話と交流へのロードマップがあったと考え、理解することこそ常識的であっただろう。
 
 ところが、現在では宣言調印以前より、日朝関係は険悪なものとなっており、対話と交渉への意思疎通を図る細いチャンネルさえも日本側が切ってしまい、平壌宣言を凍結状態にしている(6月中旬に国連代表部公使クラスによる非公式協議「ニューヨーク・チャンネル」が稼動したと伝えられている)
 
 不思議なことは、平壌から帰って以降の小泉首相自身が、北朝鮮との関係については今後とも「対話と圧力」外交でいくと、判で押したように公言してきたことである。その対話と圧力も、訪米を果たした5月以降、拉致問題とともに核問題を加えて北朝鮮への「圧力政策」へと転換している。明らかにアメリカの後ろ盾のもと、北朝鮮に対しては圧力一辺倒政策に切り替えたことがわかる。「対話」姿勢はどこかへ置き忘れ、圧力をかけるためだけの外交を展開してきた。
 
 拉致された5人が帰国して以降の日本社会は、拉致被害者の「家族」「支援する会」「議連」などの各団体の主張と立場に迎合するかのように、これまで以上に北朝鮮バッシングのレベルが上がっていった。
 
 このバッシングに拍車をかけてきたのは、テレビと週刊誌を中心とする新聞、雑誌などのメディアの報道姿勢と内容にあったといっても過言ではないだろう。
 
 今でも、北朝鮮とは対話を通じて解決すべきだと発言しただけで、一斉に「国賊」とか「国益無視」だと断じ、「北朝鮮の代弁者」「スパイ」などの、オクターブを上げたレッテルを貼ってしまう。9・17の評価や日朝関係のあり方などを自由に議論できる状況ではなく、いろんな意見を聞くことさえ怠り、マスコミ各社は自己規制をして自らのジャーナリズム性をも放棄してしまった感がある。北朝鮮からの主張や意見などを伝える役割を止めたマスコミは、一種のファシズム社会づくりを担ってしまったとさえいえるだろう。時代も状況も違うが、1931年の「満州事変」以降のマスコミの姿勢、部数拡張と自社営業に力点をおいてしまった結果、当時の軍部の横暴に追従的になっていった新聞・雑誌・ラジオなどの姿勢と、昨今の状況がひどく似ているように思え、私は強く危惧している。
 
 満州関連報道は当初から「中国軍が爆破した」との関東軍発表そのままであったため、「満蒙」は日本が有する合法的な権益で、爆破はこれに対する侵略であり、軍出動は自衛権の問題であるとの議論で国民世論をリードしていった。
 
 1931年11月26日付けの読売新聞は「支那を相手とする限り是等の手段は殆ど無用の業である。何となれば支那は国際信義を無視し、条約を破棄することを以て日常茶飯事となし寧ろ当然と心得ている図太い国である」(『読売新聞120年史』)との社説を掲載した。このような姿勢は何も『読売』だけでなく、「満蒙の権益を守れ」とするのは、ほとんどすべての新聞に共通した表現であった。中国側が日本の権益を侵害し、爆破したとの間違った情報でもって、以降の反中国意識と戦争熱を煽っていった。事件を起こし、侵略軍を進めた日本に中国が抗議をしたことを「国際信義を無視し」たと断じている姿勢に、私は現在の北朝鮮報道が、アメリカ側の情報だけに基づいて「何をするかわからない国」と決めつけている姿勢とダブってしまう。

 日朝間で約束していた拉致被害者5人の「一時帰国」が、一切報道されなかったため、世論は一気に嫌北朝鮮へと風向きを変えてしまった。現在、5人3家族を日本と北朝鮮に引き離している罪は、マスコミ側にもあるといえよう。
 
 小泉政権は、こうしたマスコミとアメリカからの後押しを受けた「北朝鮮脅威論」を利用して、さっさと有事関連三法やテロ特措法を成立させ、イラク復興特措法、さらには「恒久法」までへの道を進めようとしている。私たちにしてみれば、してやられた感はぬぐえない。いまいち世論が盛り上がらなかった背景の一つに、昨年からの反北朝鮮報道がボディブローのように効いているのかもしれないと考えれば、なお腹立たしい。
 
 小泉首相は7月7日、北朝鮮による拉致問題や核開発問題打開のため、自らが再び訪朝する可能性について、「全く考えていない」と記者団に語っている。自らまいた種を育て上げる意思もない。それが本音だろうか。
 否、その当初から北朝鮮との国交回復、正常化へのシナリオもプランも持ち合わせず、アメリカ側の特使役たる側面が強かったのではないか、とその後の彼の発言から解釈もできる。
 そうであれば、日本の「国益」には叶ってはいない。それどころか、日朝関係の未来を壊してしまった確信犯とさえいえる。
 
 マスコミもその罪を免れられない。これまでの北朝鮮に対する報道姿勢はひどすぎる。ジャーナリズムの基本さえ自ら壊してしまっている。
 
 このままの状態が続けば、日朝双方とも、9月17日はマイナスの記念日となってしまうだろう。朝鮮では、1905年に「保護条約」が強要された11月17日に次いで、屈辱の日として記憶されてしまう可能性すらある。
 
 日本にしても拉致問題を解決するためにも、北朝鮮と交渉のテーブルに着かないかぎり何も前に進まないことを理解すべきである。対話を継続するためのチャンネルを維持・確保することは、日本にいる拉致被害者と北朝鮮に残るその家族とのパイプをつなぎ、将来の居住権問題を早期に解決する唯一の方法だと考える。
 
 日本政府は、アメリカが主導する対北朝鮮封じ込め「圧力」政策に加担するのではなく、問題解決に向けた「対話」路線を重視すべきである。それこそが、日本とアジアの平和繁栄に向けた一歩を踏み出すことになると私は考えている。マスコミ各社は対北朝鮮報道に関して、常に真実報道を続けなければならない。政府やアメリカ、または一部団体の意思や利益だけを反映させた情報提供だけでは、ジャーナリズム性を損なっていると理解すべきである。これまでの北朝鮮に関する報道は、現在の日本にとって都合のいい部分のつまみ食い報道や、センセーショナルな部分の報道ばかりに力点を置いていて、公平性を失っている。
 
 最近の例では、「万景峰 92号」報道に、その姿勢がよく現れている。不定期貨客船「万景峰92号」の運航は、日朝両国の赤十字が調印した、両国間に存在するたった一つの人道的事業である。それを突然、アメリカからの不確実な情報によって「不正送金船」「スパイ工作船」「核・ミサイル部品の運搬船」「拉致・麻薬密輸船」に仕立て上げ、レッテルを貼り付けて「制裁」へと動いてしまった。
 
 入港予定日前日から、1500人を超える警察官動員態勢と、おどろおどろしいまでの新聞・テレビ報道とが重なって、日本社会はいっぺんに北朝鮮「脅威」論に傾き、入港を止めさせてしまった。

 日朝平壌宣言の精神には、宣言調印以後は日朝双方は互いに他方を脅かす行動をしないことが盛り込まれている。万景峰92号に象徴される北朝鮮船舶への急激な治安検査強化は、北朝鮮側からすれば「制裁」措置だと映ったはずである。
 
 6月11日の朝日友好親善協会スポークスマンが発表した,こうしたことは敵対行為とみなし「せっかくもたらされた朝日平壌宣言も白紙に戻されかねない」との内容でさえ、各社は「平壌宣言を白紙撤回するとの示唆」と、その部分だけを大きく流して、北朝鮮側が脅かしているとも取れるニュアンスを強調した。これに反して、北朝鮮の白南淳外相が6月26日に、国連安全保障理事会のセルゲイ・Ⅴ・ラプロフ議長に送った書簡、核問題に関する5項目の北朝鮮政府の見解表明については全く報道していない。
 
 このように北朝鮮側から発信されているメッセージ類は、部分的に拡張して報道されるか、または全く報道されない。そのため、日本社会の北朝鮮認識は、現日本政府にとって都合のいいように出来上がってしまっている。
 
 私たちはこれまで、日本政府に戦前の歴史認識、および歴史的反省と清算を要求してきた。ジャーナリズムの問題についても、同じことがいえるのではないか。少なくとも、 1931年以降の事柄からマスコミ各社は、何を学び反省してきたのであろうか。
 
 今また、部数拡張や視聴率の数字を重視した営業政策中心となっている各社は、世論迎合姿勢を強めて、ジャーナリズムの立場を忘れているのではないかとさえ思える。歌を忘れたカナリアになっている。

 特に北朝鮮関連の報道で、それが強くなっている。国民の眼と耳をふさぎ、一方通行的な押し付けの報道をすることは、自らの表現の自由を奪っていく行為でもある。対北朝鮮報道での自らの報道姿勢を反省し、いま一度、忘れた歌を取り戻し、せめて9月17日の平壌宣言1周年の日からでも、日朝の近未来を見据えたしっかりとした報道をマスコミ、ジャーナリストに対して強く期待している。

(03年6月30日記)
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